1436 自尊感情

北村年子さんという人の話を聞いてきた。
道親になりましょう。
道親とは地域のおじさんおばさんのこと。
自己尊重感を大事にしましょう。
自己肯定感とも言う。
前からよく言われたことだ。
人としてまず生まれたことを大事にしたい。
自分の良いとこを見つけましょう。
と言われて振り返るが、何とも照れくさい。
そのことを人に話すことなどとても出来ない。
話さなくても良いのだろうが、悪いところの方が目立つような気がしてならない。
過去のことで思い出すと自分がとてもいやになる。
あんな事しなければよかった。
悪かった、悪かった。
思わず自分の顔がゆがんでしまう。
忘れたいと思っても何かのきっかけでそのことが思い出されてしまう。
いいところがあるとしても帳消しになる。
良いところだけをどうだとばかりに吹聴するのが偽善的になる。
ということで、なかなか自尊感情が出来ない。
自己肯定感も生まれない。
でも、その悪いところを取り去ったいいとこだけの自分を許してくれるならばどうにか自尊できるのかなとおもう。
許してくれないだろうな。
・・・と自分のことはさておき、子どもらには十分自尊感情を持たせたいと思うのである。
苦しんでいる子どもたちには自分を大事にする気持ちを持たせる。
これが教育の最も大事な事だろう。
学力テストなんかして競争するようなことは自尊感情からは遠いことだろう。
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1431英語

ニュースを見ていたら学習指導要領改訂で小学校は3年生から英語を始めるという。
「英語」をやるといい、「外国語」とは言わなかった。
「英語」ありきである。
指導要領では「外国語」となっているのに「英語」というのである。
しかも5年生からは評価も下すという。
時間数も2時間。
だとすると他の科目の時数を減らすか、全体の時数を増やすかのどちらかである。
後者の場合、土曜日の授業復活もある。
小学校の先生は英語の専門家ばかりではない。
教師の負担も相当増えるだろう。
もともと英語教育は中学校3年間、高校3年間、学んでもしゃべれる事ができないとか言って批判の的となってきた。
実用主義に負けているのである。
しゃべれるに越したことはないが
すべての生徒がしゃべれるようにすることは容易ではないだろう。
ヨーロッパや英米の言語圏とちがって日本語は語順からして違う。
しゃべれるようにするのなら、1年もアメリカで暮らしていればどうにかなる。
実用を求めるなら外国へいくことである。
と少し乱暴な物言いになるが、外国語としての英語は中学からで結構であると考える。
私は英語はしゃべれるというよりも書くことが出来る事の方に力点を置く。
日本語にしたってそうで、書くことが大事である。
しゃべって自分を表出するよりも書いて自分を表出する方が質的には高まると考えるからだ。
生活綴り方はまさしくそういう方法だったのだろうと思う。
575が出てこない0214

1376 「正常化」

日教連という組織がある。
教育の「正常化」を目論んで結成されたもの。
ある県では学組ガクソなどと呼ばれている。
日教組を脱退して「正常化」し、ガクソを作ったのである。
この「正常化」の嵐はひどいものだった。
と当時の関係者は言っている。
脱退工作を卑劣な方法でやったのである。
それはさておき、この日教連のウイキペディアを見ると、こんなことが書かれている。
以下コピペ
日本国憲法の前文を引用し、「「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないよう」 われわれは国民としてまた教職員として名誉をかけ全力を挙げてこの崇高な理想を追求し目的の達成を願うものです。」と日本国憲法の精神に従うことを宣言している。(以上コピペ終わり)
ほんとかいな
と思わせる文章である。
この通りにしているとすれば立派なものだ。
しかし、今のABの政治をみてこの宣言通りにやっているかというとそうは思われない。
この宣言がある限り、憲法「改正」派、九条「改正」派に与することはできないはずである。
日教連の矛盾であり、裏切り行為である。
憲法前文を宣言に入れながら全く逆の方向に向かう政党を支持しているのだ。
日教連は組織の加入者を組合員と呼ばない。
会員と呼んでいる。
そこに弱さがある。
闘いができない組織であり、上にこびへつらい只単によろしくお願いしますぐらいのお願い集団なのだ。
と思った次第ですが、何か?
「闘いを やめた途端に 右派転向」
「正常化 その先にある 不正常」
「崇高な 理想をつぶす 正常化」
「人として 良心だけは 離さない」
「こんにちの 教育破壊 もとはそこ」1221

1277 PISA

s-ピサ

少し思うところあって国際到達度評価、いわゆるPISAと言うのを調べてみた。
といっても簡単に順位だけ。
順位は差別を生み排他的になるので嫌いなのだが、出た結果のみを見る。
フィンランドの結果は前からいいと言われていたので、日本と比べてみた。
数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーの3種のテストがある。
数学的は、
2003 フィンランド2,日本6
2006 フィンランド2,日本10
2009 フィンランド6,日本9
2012 フィンランド12,日本7

読解力は
2000 フィンランド1,日本8
2003 フィンランド1,日本14
2006 フィンランド2,日本15
2009 フィンランド3,日本8
2012 フィンランド6,日本5

科学的は
2006 フィンランド1,日本6
2009 フィンランド2,日本5
2012 フィンランド5,日本4

であった。
2012年には日本とフィンランドの順位は逆転している。
これはなぜか。
文科省の見解によると、脱ゆとりと少人数教育をしたからだという。
うーん、そうだとも言えるが果たしてそうなのか。
今日はここまで。
画像は2006年までしかないがやったのは2012年まである。

1236 赤狩り

自民党が教師向けに「学校教育における政治的中立性についての実態調査」と称して学校にあるいは教師に対して萎縮させるようなことをしている。
またこれは、「中立」と称して実際は自民党を批判するようなことを取り締まりたいという思惑があるのだろう。
それに密告を奨励するような姑息なやり方だ。
いわゆる日教組などの組合弾圧と同じだ。
政治教育は確かに「中立性」を持ってするべきだろうが、それは教師の自覚に基づいてするもので生徒・子どもが「中立」をねらってするものではない。
「赤狩り」と同じである。
教師の思想統制であり、思想の自由、良心の自由を犯すものである。
学校自体がそれに対して従順であってはならないが、今の学校、上からの統制に弱いところがありはね返すことはないだろう。
学力統制、成果主義、エビデンスとかいう数値化目標主義、そして能力主義、道徳の教科化、英語の導入などブラック企業ならぬブラック学校化が進む。
大変だといってる場合じゃない。
残業0どころか午前様の学校が当たり前に。
しわ寄せは子どもに行く。
このままじゃ心を病む教師はますます増えるだろう。
教育は死を迎える。
のじゃないか。
単なる点数主義の学力向上に陥らない。
さらば点数。
さらばエビデンス。
さらば成果主義。
さらば能力主義。
さらば残業。
「早い方 うちに帰れば 夜十時」 0803
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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