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1839 文科省

田んぼの準備をしなければならない時期に来た。
がなかなか外へ出る気持ちになれない。
花粉症のせいである。
きのうはそれでも頑張ってもみ撒きをした。
50箱分。
このもみは水をやらないとかれるので毎日水やり。
すると外へ出るのは必定。
そして田んぼのほうも田起こし、それに畦塗りが待っている。
畦塗りは一部だけ、機械を持っている友達にやってもらって他は自分がやる。
なこんなでもう中ばかりにいられない。
書を捨てて外へ出る
ことになる。
ということでいっぺんに忙しくなる。

N市が文科省に対して逆質問をやった。
その回答が「適切であったかどうか知るため」という。
適切でないに決まっているのに、介入したことへの反省がひとかけらもない。
地に落ちたな、文科省。
素直に悪かったといえば少しはかわいいのに。
全国の学校を敵に回したも同然。

「新聞を 見ないで新聞 非難する」
「非難して またもや戻る ブーメラン」
「マスコミは アンダーコントロール されません」されてるところもある
「マスコミに 敵意むき出し 未曾有大臣」0402
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1825 基本のキ

朝方、目がやたらとかゆくなり冷蔵庫からアイスノンを出してハンカチでくるんで目に当てる。
杉の木が憎い。
檜も憎い。

憎いのは木ばかりではない。
亜米一族と手下ども。
前川前次官を呼んでの講演会にいちゃもんをつけたやつも憎い。
市教委と校長の対応が全文載っていた新聞に。
しつこくも出会い系へ行ったとか天下りを容認したとかかき立ててさも悪い人物のように言っている。
しつこくもそんなことを聴取してくるほうがよっぽどおかしいと言うことに気づいていないことが悲しい。
やっぱり文科省は現場の敵である。
前川氏が聞いたら悲しむだろうが。
言わせた陰のやつもいるのだろうがきっぱり断らなかったということが官僚として失格である。
「口を出さずに金を出す」のが官僚だろう。
基本のきである。

「もう一度 基本のキから やりなおせ」
「杉憎い ヒノキも憎い アベ憎い」
「官僚が ニホンの教育 潰してる」
「道徳を 説くならまずは 自分から」0317

1824 不見識地に落つ

文科省のやり方はやはり大問題。
今日のニュースは結構そこに割いていた。
市や校長の見識のほうがよっぽど上である。
恥を知れ文科省だ。
前川氏もきっと嘆いているだろう。
なんだよせっかく文科省の印象がよくなりかけていたのに天から地だ。
文科大臣の責任もこれから問われるだろう。
そして「外部」からの訴えがあってと言うことだったが、それもまた忖度している。
どうせネトウヨかネトウヨ政治家の圧力がかかったのだろう。
予算審議どころではない。
政権末期である。
きれいに問題を処理してから政権交代をしてほしい。
と思う今日この頃でした。

「文科省 天から地への 大暴走」
「ネトウヨが 口出しをして また荒れる」
「見識は 上のものより 下高い」
「残念だ 俺の古巣の 不見識」
「地に落ちた 官僚たちの 未熟度よ」
「優秀と 言われて奢る バカどもよ」
「サガワがサガワならアソウもアソウだ」
「道徳性 言うなら君らの 道徳性」0316

1723 前のめる言葉

ユリイカ11

小学校の評議員ということで授業参観のあと懇談をしてきた。
現役の頃は評議員の訪問・参観がなんだかあまり好ましく思っていないというか鬱陶しかった覚えがある。
自分がなってみるとやはりそう思われているんだろうなと思ってしまう。
まああまり角の立つようなことは言わないが良いに決まっているので言わないが、日頃思っていることを言う。
二ホンの教育の問題は学力についての思いが一律的であり、テストでいい点を取る、大学入試に向けて記憶中心の学習をずっと迫られることであろう。
じゃなくて、テストも○×式でなくて或いは選択式でなくて記述式のテストをするべきである。
外国ではそれが主流。
このごろ大学入試にマークシートで選択式でなくて記述式の導入がはかられようとしている。
丁度今日の新聞にそのことが出ていた。
今日の子どもたちは、授業を終わっての反省の弁を自分の言葉で表現していた。
日頃も1時間の学習で学んだことを他の子どもたちに言葉で伝えようとする活動を続けているというので、大賛成だと言っておいた。
何しろ5人ばかりの全校児童の学校、この小ささがそのことを可能にしている。

今日の「ユリイカ」11月号。
このころ好きだった富岡多恵子の詩が載っている。
吉増剛造や三木卓もあり、稲垣足穂もある。
ちょっと懐かしかった。
吉増の詩「渚にて」抜粋
渋谷を
黄金の笹舟が静かに漂流している
悲しい
渚だ
ここでぼくが歌いだせば凄まじい高音が飛びちる!
渚、女の美しい名前でもある渚、その見事な曲線を象徴として
歌を封鎖する
・・・・
・・・・
突然
夏の
大道に立っていたのであった
田んぼの一本道じゃあるまいし、またなんたる爆音、赤いシャツきた百姓め!

(自分は)吉増の詩には後でまた引きつけられるのであった。

「その言葉に 同化していく 青春」
「意味もなく 走る言葉に 同化する」
「精神も 言葉も走っている 若さ」
「前のめる 言葉と意識 はあはあはあ」1205

1436 自尊感情

北村年子さんという人の話を聞いてきた。
道親になりましょう。
道親とは地域のおじさんおばさんのこと。
自己尊重感を大事にしましょう。
自己肯定感とも言う。
前からよく言われたことだ。
人としてまず生まれたことを大事にしたい。
自分の良いとこを見つけましょう。
と言われて振り返るが、何とも照れくさい。
そのことを人に話すことなどとても出来ない。
話さなくても良いのだろうが、悪いところの方が目立つような気がしてならない。
過去のことで思い出すと自分がとてもいやになる。
あんな事しなければよかった。
悪かった、悪かった。
思わず自分の顔がゆがんでしまう。
忘れたいと思っても何かのきっかけでそのことが思い出されてしまう。
いいところがあるとしても帳消しになる。
良いところだけをどうだとばかりに吹聴するのが偽善的になる。
ということで、なかなか自尊感情が出来ない。
自己肯定感も生まれない。
でも、その悪いところを取り去ったいいとこだけの自分を許してくれるならばどうにか自尊できるのかなとおもう。
許してくれないだろうな。
・・・と自分のことはさておき、子どもらには十分自尊感情を持たせたいと思うのである。
苦しんでいる子どもたちには自分を大事にする気持ちを持たせる。
これが教育の最も大事な事だろう。
学力テストなんかして競争するようなことは自尊感情からは遠いことだろう。
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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