131031 無題

さつま芋掘りをした。
掘ってから寄せたつるをおしぎりで細かく切った。
猿が出没しているらしい。
やはり柿ねらい。
干し柿もねらっているらしい。
家の中に干して正解。
背番号16川上さんが逝去。
昔子どもの頃、「野球少年」という雑誌があり、巨人といえば川上さんだった。
あと与那嶺によくホームランを打った宮本(だったか)。
よく写真で見ていた。
92になる垂乳根が「野球少年」を覚えていてびっくり。
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131030 異常気象

s-こうして登る

阿久津洋子「こうして登る」

干し柿作りをした。
昨日はその柿をとったのだが、じつは今日ぐらいにとるつもりでいたのだが、ほかの用事で柿の木のあるところへ行ったら、かじられた柿がいくつか地面に転がっている。
猿の仕業である。
よく知っている。
人間がとろうとするより先にちゃっかりいただいている。
それで残っている柿を急遽とったのである。
2本の柿の木から150個ぐらいとれた。
そのうち108個を干し柿にして残りは熟し柿にした。
108個をすべて包丁で皮むきをした。
そして熱湯に10秒くらいつけて殺菌してビニールテープのひもで縛ってつるしておいた。
昨年だったか、2階のベランダに干しておいたら、それも猿にやられた。
それで今年は縁側に干すことにした。

カメムシ大発生。
今年は稲につくカメムシはいつもより格段に少なかったが、いわゆるくさーいカメムシは大発生している。
今日は暖かかったのでガラス窓にいくつもカメムシがくっついていてペットボトルを切って水を入れてカメムシ入れを作って捕獲したところ30匹以上はとれた。
こんな事はない。
非常事態である。
そのくさいこと。
洗濯物にも油断するとくっついているし、布団も外で干すとくっついていたりしてかなわない。
カメムシが多いと雪が多いと言うが今年は大雪になるかも知れない。
暑い夏に暑い秋、反対に寒い冬はより寒い冬になるのか。
異常である。
ついでに政治も異常気象である。

131029 効果


学校にあったこの学校の卒業者の寄付の絵。
阿久津洋子さん1936年生まれ。
「女は宇宙」

このところの世界情勢はスノーデン効果というかスノーデンの暴露によって世界が揺れている感じ。
NSAばかりでなく多かれ少なかれどの国もスパイ活動は行っていようもののスノーデンの暴露によってその具体的活動が世間に知れることによってその行為の悪辣ぶりに民衆ばかりでなく政治家までも憤らせている。
内閣調査室やCIA、NSA、その他昔のソ連のKGB、イスラエルのモサドなどなどネットを調べるとどこの国にもそれはあるのだが今回のスノーデンの暴露によってその各国の情報機関のあり方は少なからず影響を受けたかも知れない。
特に米の独や仏への首脳に対する盗聴活動によってEUからの米に対する見方や対処法は変わるかも知れない。
今米は自身の世界に対する影響力を失うまいと必死な様子であるが、すでにEUやBRICSなどは米の一極主義から多極主義へとシフトし始めている。
シリア空爆取りやめとイランとの和解、サウジの米国離れで中東への影響力が低下し、国内では財政問題で危機が起こり、ドルの信用は失墜しスノーデンの暴露で欧州の米国離れが進み一気に多極化が進んだのだ。
これをふまえて日を見ると多極主義など眼中にないというかそんなものがあることさえ知らないのではないかみたいな状況じゃないか。
相変わらずの米追随米一辺倒親分子分ご主人様ポチ公関係。
しかも日本版NSCなる米を真似した国家安全保障会議なるものをもうけようと画策したり、付随して特定秘密保護法案を出したりして戦前へ回帰しようとしている。
今まさに「戦時」(辺見庸)なのである。

131028 原始のリズム


地元の小学校の参観に行く。
給食を一緒に食べ授業参観をし、最後はミニコンサート。
久しぶりの給食、子どもたちと一緒に食べるのは楽しい。
この魚、顔も食べられますか?と聞く子はいなかったが、人間の最も基本的な楽しみである食を子どもと共有することはまたこの年になってしみじみいいものだと思った。
イワシの唐揚げをしっぽを残そうとしたら、前に座っている子が僕は食べたーといったので、感心して自分もばりばりと食べてやった。
11人の少人数なので配るのも片づけるのも早いが昼の放送も同室で高学年の子がやるのには驚いた。
少人数ならではのやりかたか、なるほど。
少人数であるが故に学習は個別指導みたいな事になり、教師がつきっきりみたいなことになり、遊ぶわけに行かずまた発表も誰かがしてくれるからと人任せに出来ずどうしても自分でもやらざるを得ず、発表の事になるとどんどん発表が出来ていた。
少人数だから物怖じするだろうと思いがちであるがそうでもない。
高学年になるに連れて下学年の模範ともなるべくてきぱきと自信を持って何でもやっている感じがした。
けんかもあるだろうが仲直りしないと引きずることになるからすぐに和解みたいなことになるのだろうか。
いずれにしても一見したところ素朴で純情で生き生きとした子どもらしさの感じられる事が多かった。
今時そんな学校あるのかみたいな感じだった。
最後は文化庁の斡旋するミニコンサートでロンドン生まれの日本人とセネガル生まれのセネガル人によるアフリカン・リズムのパフォーマンス。
子どもたちも演奏に混じって歌ったり踊ったり和気藹々のパーカッション演奏だった。
パーカッションのリズムは心臓の鼓動に連動して人間の心を浮きだたせる。
思わずからだが動いてしまうところがいい。
多分音楽はリズムから産まれたのだろう。
そこからメロディに行き、ハーモニーに至る。
地域のお年寄りたちも見に来ていたが、躍動するリズムに心が騒いだに違いない。

131027 弊害


地区のため池の清掃作業に行ってきた。
周辺の草刈りや堰に溜まった木ぎれ、木の葉、土砂などを取り除く。
このため池の水で地区の田んぼは稲作が出来るので感謝の意を込めての清掃である。
3年ほど前に堤防の大改修をして水漏れはなくなった。
このため池で小学生の頃泳いだことがある。
足は底につかないから命がけで対岸めざして泳いだ。
今はもちろん遊泳禁止。
写真を見ると水はだいぶん少なくなっているので、これよりかなり深いと思えばやはりぞっとする。
周辺は杉やヒノキなどの常緑樹ばかりで景色的にはよろしくない。
周辺だけでもいいからそれらの木は切って、広葉樹の木を植えたいものだ。
秋になると紅葉してそれが水に映ってきれいじゃないか。
いずれにしてもこのため池周辺ばかりでなく、山の針葉常緑樹は思い切って半分は切って広葉樹にしたいといつも思う。
森林組合は計画的に間伐をしているが、なかなか半分までは切らないし、面積も相当あるからいつまでも常緑樹が残る。
この頃大雨が降るとすぐ川が濁ってくる。
杉やヒノキの常緑樹ばかりがあると、山の地面はふかふかにならずにすぐ土砂が流れて川にはいるからだ。
今や木は切っても外国産に押されて儲からないし、林業従事者も減っているし、農業と一緒で山へ行く人は今やほとんどゼロ。
それに高齢化によりますます山へ行く人は少なくなっている。
自分の所有する山林の隣の地主さんとの境や場所さえも分からなくなってきている。
間伐材を集めて薪にして売ろうとしているグループもあるが、間伐した材木をほったらかしにするよりはいいと思うが、山から集積してくるのだけでも相当の労力がいるから多分もうけは少ないだろう。
しかしやるだけえらい。
農業も大変だが、林業も考えればもっと大変である。
少子高齢化の弊害は自然環境にも弊害をもたらすということだ。
いい策はないだろうか。

131026 疾走感

新聞を見ていたら吉増剛造の名前を見つける。
40年以上前に学生のとき、友人に教えてもらって知った詩人。
第2詩集「黄金詩編」が出たばかりのころだった。
その詩集は後で第3版を買っている。
残念ながら初版を手に入れることは出来なかった。
詩集で3版が出ることは珍しいからかなり人気があったのだろう。
それにしてもその「黄金詩編」はすごかった。
パンチを食らったような読み応えだった。
実際、言葉はパンチがあり暴力的でたたきつけるようでつっこんでくる感じできらきらしていてがちがちしていて疾走する感じ。
そのころ「ユリイカ」とか「現代詩手帖」という雑誌をきざっぽくも読んでいたが、吉増剛造の詩が載るのを楽しみにしていた。
ほかにも好きな詩人はいたが、吉増の文体はやはり一種独特でどうだと言わんばかりの迫力があった。
ような気がする。
その後、年に1冊ずつぐらい詩集が出たが7,8冊は買った。
しかし、だんだんその暴力的な疾走感はなくなっていった。
のでその後は買っていないし読むこともなくなった。
何故あんなにあの疾走感が気持ちよかったのだろうと考えると、やはり若さのせいか。
音楽で言うとぎんぎんのロックみたいなもんである。
文化功労者だそうである。
おれはそんなもんいらねーやとかいって辞退するとまたかっこいいんだがな。

131025 秘密

今日は終日雨だったが警報が出たにもかかわらずそれほど降らなかった。
一日、グレート・サミッツのブルー・レイのDVD化をしていた。
ブルー・レイ・ディスクを見ると、録画可能時間は地デジだと180分、BSだと130分と書いてあるが、ほかに秘密があるのか、それ以上でも録画できることがやっているうちに分かった。
ビットレートかなにかしらんが何かの段階があるみたいでそれによって録画可能時間が長くなったりするみたい。
当初、すべてを録画するには10枚では足りないと思ったが、楽々10枚におさまった。
またDVDだと最終処理のために一手間いるが、ブルー・レイはそれがなかった。
ってこんな事書いてもなんのこっちゃであるが。

今日数学教室があってまた確率のお勉強。
エドガー・アラン・ポーの黄金虫から、宝の在処を記した暗号文解読をした。
これも文字に秘密があって数字や記号をアルファベットに変えるときに最初確率を使った。
みんなでやっていたら次々と文字が分かり解けてしまった。

もう一つ秘密を教えてもらった。。
1セント硬貨の裏のリンカーン記念館の秘密。
答えはばらさないがすごい彫刻技があった。
そして日本の1円硬貨と1セント硬貨の違いの秘密も教えてもらった。

秘密といえば特定秘密保護法案。
がむしゃらに通そうとしている。
これは憲法無視の暴案である。

そういえばオバマはドイツのメルケルの電話盗聴をしたことがばれて総すかんだが、エドガー・アラン・ポー、じゃなくてエドワード・スノーデンのCIAの秘密暴露の功績が大きい。
スノーデンは今んところロシア滞在中らしいが、先頃その秘密暴露の功績が認められてなんやらの賞をもらったそうだ。
いわゆる内部告発賞である。
それは政府等の秘密を暴露したものばかりがもらえる賞だと言うが、ほんと言えばノーベル賞ものである。

特定秘密保護法案が通ったとしても、スノーデンみたいに心あるまた勇気ある誰かがその特定の秘密をばらしてくれないかなと期待する。
そして、みんなが真似して内部告発しまくりになったら、その保護法も骨抜きになるような気がする。
今日は秘密という言葉をいくつ使ったかな。
以上。

131024 呪縛からの解放

昨日書こうと思っていたが、書けなかった。
我が県の知事は学力テストの公表に反対しないみたい。
教育長は慎重な構えだが。
あの文科でさえも今のところ公表はしないといっているのに。
ちょっと識見を疑う。
昭和30年代の学テの問題を認識しているのか。
熊一派もそのうち公表に前向きになる可能性は高い。
何もかも規制緩和の呪縛にとらわれている。
経済特区にしてもしかり。
首切りの自由にできるところって一体ナニ?
よくも堂々とそんな事が言えると思うのだが、もはや怖いものなしなのか。
バカにしているのか。

このままで行くと未曾有の経験したことのない大混乱が起きるのではないか。
そのときそら見たことかと言ってみても責任者はもういない、あるいはいても責任なんかとれない状況、あるいは責任といってもどんな責任の取り方があるというのかという状況が生まれるだろう。
と、未来の悲観的な予想を述べたところでくそのふたにもならないが。
上が何を言ってこようが、現場はそれどころじゃないといってかわす事が隠れた対策ではなかろうか。
と、結論がへんな事になってしまったがとりあえず今日はこのくらいで。

131023 家畜的盲従

友人に教えてもらった伊丹万作の詩に感銘を受けた。
戦争ではだますやつがいればだまされるやつもいると。
だますやつはもちろん悪いがだまされるやつだって悪いんではないかと。
批判力、思考力、自己の信念もなくただ単に言われるままの自分が悪いのだと。
それを家畜的な盲従だといっている。
家畜的盲従!
もう一つ、教えてもらった辺見庸さんの講演の言葉にも刃物を背中に押しつけられた感がした。
辺見さんが言うには「現在は戦時」であると。
そして日本は今ファシズムの中にあると。
さらに日本は「あらかじめファシズムの国」なのではないか。
と。
辺見庸さんの本は割と読んできた方であると思っているが、さすがの分析である。
ファシズムの中にあってプロパガンダに流され家畜的盲従に陥ることは世界を俯瞰的に眺めればよく分かる。
しかし、自らがその渦中にある場合は多分盲従になるだろうという予測はできる。
何で東京が暴言じじいを選び、大阪がハシズムを選ぶのか。
そして大衆が熊を選ぶのか。(注:熊=ベア)
万作さんの言う批判力、思考力、確固たる信念というものが欠如しているのではないかと忸怩たる思いがする。
ここを突破しなければならないんだろうな。
すべての悪の根源は小選挙区制にあると思うが、その前に小選挙区制であろうと無かろうと、このことを突破することが最良の道であるのじゃないか。
と、思う。
と、えらそうなことを書いてしまったが。
昔、「バック・ツー・ザ・フューチャー」という映画があったが、その中で、過去のある一部分を故意に動かしただけで未来が暗黒の時代になっていくという事を発明家のダグ?がいっていたが、今まさに故意に歴史をある方向に持っていこうとしている転換期になっているのじゃないか。
空恐ろしいことである。

131022 記憶

日記とブログと毎日二つに記事を書いている。
日記はその日に何をしたかを書いているので、後から何かを調べるときに便利なことがある。
たとえば床屋へ行ったのはいつとか、あの本を読んだのはいつだったかとか、稲刈りを始めたのはいつだとか。
ブログの方は気づいたことや思ったことを書くことが多い。
それにしても毎日思い出しだし書いているのだが、記憶力がかなり落ちている。
何かをもとに一つの事柄が思い浮かぶとどうにか事柄がつながっていくが、思い浮かばないと何をしたかがほんとに分からない。
今日の事はどうにか思い浮かぶが、昨日、その前のこととなるととんと分からない。
ブログの方は時事ネタが多いので新聞などを参考に書けるが、人まねではおもしろくないので自分なりにひねって書くのはなかなか骨が折れるが、脳の活性化にはいいだろうと思って書いている。

国会が始まったが、追求すべき事はたくさんある。
一部見ただけであるが、政府の答弁はやはりごまかしが多い。
某党の笠井氏の追究は鋭く問題を追求していたが、答弁が的はずれで真摯な態度でなくバカにしているとしか思えなかった。
新聞では秘密保護法案のことで元毎日記者の西山さんの弁を書いていたが、やはりとんでもないことになるといっていた。
2,3日前のテレビを見ていたら偶然アーサー・ビナードさんが出てきて、秘密保護法案はだめだ、阻止しなくてはといっていた。
秘密といいながら都合の悪いことを隠そうという意図は見え見え。
そのうち治安維持法みたいなモンを出してくるのじゃないか。

131021 大工仕事は楽しい

今日は外の水道のところの物置台を改造した。
電気ノコ、電気かんな、電気ドリル、それに普通ののこぎり、かんな、金づち、のみなど一通りの大工道具があるのでいろいろなものが作れる。
ものを作るのは楽しい。
板もたくさんあるし、ねじもいろいろ買ってきていろいろなものを作ってきた。
一番大がかりのものは倉庫の入り口に古いガラスサッシを入れたこと。
あと、箱、棚、台、電線巻き取り機、水路の水止めなどなど設計図書いたり作り方を工夫したりすることが楽しい。
素材は、木材、金属、竹、布、土など、それらを使って普段使うものを作る。
しかしやはり素人の域は脱しない。
のこぎり一つ切るのもまっすぐに切るのは難しい。
のみの使い方も難しい。
最終的には倉庫の2階を改造して音響装置をおいてリスニング・ルームを作ること。
それから、モミジの太い木を切り倒したのでそれを使って何かモニュメントを作ること。
それから、かっこいい椅子を一つ作ってみたい。
夢は広がるがこれから農作業もあまり無いので作れるチャンスである。
何から始めよう。

131020 現場

雨の中を今日は資源回収の日だった。
ひところは廃品回収といったが、今は資源回収という。
廃品回収じゃない! 資源回収です!
と、誰かが言っていた。
雨の中をみんな手分けして積み込んでいた。
そのあと、お楽しみ、おもしろスポーツ体験教室。
ゲーム感覚のおもしろいスポーツを3つ。
誰がこういうのを考え出すのか、やはり考えれば思いつく素晴らしい人がいるものだ。

さてと、教育は問題山積みだ。
現場はいま自分が退職した頃よりさらに過酷な状況になっているようだ。
教師の退庁時間夜の7時8時は当たり前。
この前国道沿いの中学校の前を通ったら夜10時頃というのに電気がついていた。
などなど具体的なことは省くが、大まかにいえば新自由主義の大弊害。
教師も子どもも大犠牲というわけだ。
改革と見せかけて、教育委員会制度の見直しとか、道徳の教科化とか、竹富町の教科書介入とか、現場を知らない政治家か官僚か知らないがいらぬ事を押しつけてくる。
強制と命令によって上からの押しつけを強め、道徳という衣をまとい愛国心を押しつけてくる。
戦前回帰、国民統制の時代再びという思惑が見え見えの事である。
代議士もインターンやったらどうだ。
最低半年くらいの現場研修、教育実習をする。
前にも書いたが、代議士はみんな福島のフクイチ近くの仮設に住んでそこから国会へ通えと。
頭で分かるんでなくて体で理解する事が彼らには大事だ。

131019 dioxin in okinawa

BS朝日を見ていてびっくりした。
沖縄のサッカー場で工事のため?掘り返していたらドラム缶が何本も出てきた。
ひしゃげたり穴のあいたりしたものがあったが、ベトナム戦で使った枯れ葉剤らしいということが分かった。
二つの機関で調べたが、沖縄防衛局は除草剤だという。
もう一つの沖縄市(だったか)が調べたら245T(ニーヨンゴーティー)、2378???という猛毒のいわゆるダイオキシンがでた。
それは紛れもなく枯れ葉剤。
枯れ葉剤というと戦争で使うもの。
除草剤というと単なる農薬みたいなもの。
になるそうだが、もとは一緒。
当時のベトナム戦の兵士たちの証言もありそれは枯れ葉剤に間違いない、ということだ。
このニュースは8月に沖縄でトップニュースで扱われたものだが本土では完全無視。
あるいは故意に無視されたニュースだった。
埋められたところは元兵士の証言によると普天間の飛行場もあるという。
埋められて漏れ出たダイオキシンがあるとすると大問題だ。
健康に及ぼす影響はベトナム戦で使われた枯れ葉剤が妊婦等に及ぼした影響を見ればよく分かる。
男でも癌になる可能性は高いし、現に元兵士等は沖縄での訓練のために山の中でそれをまいたり、道路を造るためにまいたりと自分たちでも今現在癌を引き起こしている。

日米の地位協定(4条)によると、もし米が沖縄から撤収するようなことがある場合、使っていた土地などはそのまま残すか、いわゆるもとのままに復帰して返さなくてもいいことになっている。
4条の1
合衆国は、この協定の終了の際又はその前に日本国に施設及び区域を返還するに当たつて、当該施設及び区域をそれらが合衆国軍隊に提供された時の状態に回復し、又はその回復の代りに日本国に補償する義務を負わない。
2 日本国は、この協定の終了の際又はその前における施設及び区域の返還の際、当該施設及び区域に加えられている改良又はそこに残される建物若しくはその他の工作物について、合衆国にいかなる補償をする義務も負わない。

全く不平等で理不尽な協定である。
本土が知らんぷりも情けない。
意図的な知らんぷりだろうが、だとすれば罪はなおさら重い。
し、歴代某政党の重大な罪である。

131018 有朋自遠来

不亦楽乎  謝謝
稲沢より米を持ちに来てくれました。(稲、米、餅)
It's rice to meet again.(rice=nice)

このところの問題は米のデフォルト問題だったが、どうにかチキンレースにオバマは勝ったようで一時的に回避された。
茶会による茶番みたいな結末か。
でも、安心は禁物。
勝ったように見えても裏でどんな取引があったか分からない。
オバマは表面上は改革路線に見えるが、結構ブッシュ(藪)以上にひどいことをやっているとも聞く。

それは亦さておき、台風が亦やってきそうな気配。
今度も大雨が怖いとも。
できれば伊豆には行かないように願いたい。
日本海に抜けるといいのだが。

131017 JINJIN

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映画「じんじん」を見てきた。
大地康雄主演の映画。
北海道の絵本を町おこしの材料にしてやってきた取り組みが背景になって作られている。
しかしその取り組みの様子はあまり描かれていない。
幼い頃に別れた子どもとひょんな事で再会し、子どもが父親に対して持っていたわだかまりのようなものが「絵本」を媒介にして氷解していくというような話だった。
その「絵本」がなかなかうまく描けていた。
大地康雄のひょうひょうとしたしかも脂ぎったような演技がなかなかよかった。
「ミンボーの女」のホテルマンや「恋するトマト」の主役が思い出される。
この映画によって読書が大切だということはあまり前面に出てこないが、それは言わずもがな事である。
どちらかというと親の子に対する気持ちはこんなに熱いというところが感じられる。
いずれにしてもこの北海道の絵本を町おこしにという発想を面白いというだけでなく、実際に詳しくどんな風であるかが知りたくなってきた。

131016 X, NOT A or Z

これもまた敬老会のネタ探しで読もうと思ったのだが、やっと今日読んだ。
鎌田みのる「○に近い△を生きる」
ご存じ「がんばらない」の人であるが、今回は○や×でなく△を生きるということを提唱。
別の言い方だと「別解力」といっている。
最高の解や最低の解でなくてもよし、ほかにもあるよといいたいらしい。
あるいは正論や正解でなくてほかの解もあるよと。
がんばらないの変則的な言い方にも聞こえるのだが。
要はがんばるときはがんばってがんばりすぎない。
正しい答えを得ようと思ってなかなかそれが得られなくてもそれに近いか違ってもうまくいく答えがあるよ、というようなことか。
あまり我がへなへな心にはずしんとは来なかった。

それはともかく「生きるために最も必要なものは、働く場所があることと、愛する人がいること」ということが鎌田流の思考のベースにある。
医師としてのイノベーション力と行動力・実行力は敬服に値するし、医学のみならず他の分野における知見もさすがである。
マララさんの国連演説も早々と書いていたり。
イスラエル兵に息子を殺されながら、イスラエルの心臓病の子どもを助けるために、脳死状態になった自分の息子の心臓を提供したパレスチナ人の父親のエピソードを「アハメドくんのいのちのリレー」という絵本を作ったということを書いたり。
チェ・ゲバラのことを書いていたり。
働く場所=雇用、愛する人=若者の結婚について取り上げて、・・ノミクスを批判的に書いていたり。
引きこもりや不良少年?の生き方について書いていたり。

が、なんだかちょっと待てよ、とのどに骨が引っかかったみたいな違和感もなきにしもあらず。
それは何だろうと思うが、新自由主義というものに根本的に抗っていないような気がする、
ところがあるのではないかと感じるからか。
間違っていたらごめんなさいだが。

131015 染みついた本質

昨日書いた五木寛之の「生きる事は面白い」の中に新美南吉の「手袋を買いに」の事が出てくる。
五木寛之流の感想である。
はしょってあらすじをいうと。
雪の降る寒いときに母親狐が子狐に手袋を買ってやろうと思って町へ行くのだが、途中で昔人間から怖い目に遭わされたことを思い出し、子狐だけに買いに行かせるのである。
子狐は誤って母親が人間の手に変えてくれた方でなくて、狐の手の方を差し出してしまい店主に狐であることを見破られるが、店主は銅貨が本物であるので子狐に手袋を売ってやる。
帰ってきた子狐は、人間は怖くないという。
それを聞いた母狐は、ほんとに人間はいいものかしらとつぶやく。

どうしてそんな怖い人間のところへ母狐は子狐を一人で行かせたのか、とか、
どうして片方だけでなく両方の手を人間の手に変えてやらなかったのか、とか
お金が木の葉だったらどうなっていただろうか、とか
作者の意図を離れて問題視する人がいて?前は教科書教材として有名な作品だったが、このごろははずされているらしい。

で、それはともかく五木寛之氏は別の観点を指摘する。
それも又作者の意図をはずれるものであろうが。
売ってくれた店主の本質に現代資本主義の根深い人間疎外が透けて見える気がすると、いう。
それはひねくれた感じ方だと承知した上での感想だと断っているが。
つまり店主は子狐が銅貨を持っていなかったら売ってくれたのだろうか、
あるいは木の葉の偽物だったらどうしたのだろうかと。
そのことの中に、つまり店主の優しさの背後に、近現代に生きる私たち人間の本質が見え隠れするというのだ。
それは、金を出せばモノを売る、という本質であると。
資本主義的人間の本質を鋭く映し出していると。
金なんか無くても売ってやる、
金が偽であっても売ってやるという優しさから離れて金がまず第一であるわけだ。
新美南吉はそのことを無意識的に表現してしまったというわけだ。
で、五木さんは現代の資本主義的人間の「金」さへあればという例で、
パレスチナとイスラエルの両方に武器を売る者を例として出している。
両方に武器を売るやつって誰だ?

131014 五木寛之本

敬老会でしゃべる挨拶のネタはないかと思って五木寛之「生きる事はおもしろい」を読んだ。
ネタにしようと思えばできそうなものもあったがやめた。
五木寛之本との出会いはかれこれ40年ぐらい前か。
新卒2年目か3年目の夏にほとんど毎日五木寛之の本ばかり読んで、そのころ出ていた小説全集みたいなものを全部読んだ。
23,4冊あったか。
これだけ集中して一夏に読んだのはあれが初めてで最後だった。
しかし、五木の物語作りは面白くてその後、新刊が出るたびに買って読んだのだった。
しかしこの10年ぐらいはもう買わなくなった。
その後、五木はエッセイの方にも力を入れだし、宗教もの、旅ものが多くなった。
それで、読むのも読まないのもあるがこの頃読まないのが多くなってしまった。
40年ぐらい前に読んだ「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「青年は荒野をめざす」「デラシネの旗」など題名のかっこよさもあるが中身も実に面白かった。
その後、「朱鷺の墓」「青春の門」などなど。
「戒厳令の夜」というのも手に汗を握って読むほど興奮した。
年をとってからはエッセイでは宗教ものが多くなったが、小説では「蓮如」や「親鸞」などがある。
現在新聞連載で「親鸞」完結編。
しかし読んでいない。
単行本になってから読もうと思っている。
92になるおふくろは激動編上下2巻を買ってやったらこれまでに2回繰り返し読んで3回目を読んでいる。
その間にほかの本も読んでいるが、よく読むと思って我が親ながら感心する。

131013 里の秋

地区の敬老会に出席。
主催者代表の挨拶をする。
初めてのことなので緊張する。
今年高齢者になったばかりの1年生だから1年生が先輩に挨拶するようなモンである。
式は順調に進み、余興も盛り上がってみなさん喜んでいたみたいでよかった。
いつもの民謡グループは芸能祭で欠席のためほかからリクルートしてきた。
フラダンスやらAKBやらちょっと色っぽくちょっと若っぽくしたところが受けたみたい。
いつになってもほにゃらららである。
女性コーラスで「里の秋」を歌ってもらった。
しんみりとしたいい曲だが実は深い、、、じゃなくて隠れた部分がある。
これは以前に何かで読んだのだが、確認のためにネットで調べてみた。
この歌は3番まであるが、1番2番の歌詞を見てもその意味深なところというか不思議というか疑問に思うところがある。
ああ かあさんと ただふたり
くりのみ にてます いろりばた
とか
ああ とうさんの あのえがお
くりのみ たべては おもいだす
とか
何故ただ二人だけなのか
何故父さんを思い出すのか

3番はあまり歌われない。
3番は舟に揺られて帰ってくるお父さんに対して無事で帰ってきてと祈る
と言うような歌詞。

つまりこの歌全体は、戦地に行ったお父さんが無事で帰ってくるのを待つ歌であった。

しかもホントは3番4番まであって、3番は作り替えられた今の3番なのだが前の3番と4番はいわゆる戦意高揚みたいな歌詞なのだった。
軍国時代に作られた歌でそういう手のものはほかにもあるみたいである。

131012 読解力

今日は籾殻をたんぼで焼く。
じわじわと燃えていくのだが、煙が独特の匂いをかもす。
なんとも田舎くさい懐かしい匂いがする。
今夜中燃えつづけて明日には灰になっているだろう。
鹿が燃やしている田んぼに来て糞をしていた。
今夜は煙が出ているので来ないだろう。
それにしてもやっと秋らしい涼しさがやってきた。

それはともかく、教授のHPからの又書きだが、OECDの行ったPIAACの結果で読解力が一番になったと。
それを朝日のコラムで「だからコントロールや聖域の裏の意味もみんな知っている。甘く見るべからず。」
熊のいう「コントロールできている」の言葉の真相はどうなっているのか、消費増税の配慮の本質は何か、これらを国民は見抜いていますよという風刺です。・・・
うまいことを言ったものだと思う。
まさにその通り。
「コントロールできている」は、「コントロールできていない。」
「聖域は守る」は「聖域は守らない」と読めばいい。
物言えば唇寒し秋の風じゃないけど、熊がしゃべればしゃべるほど秋風が吹く。
ヒットラーは嘘は大きいほどいいと言ったそうだが、熊は嘘はたくさん言った方がいいとでも思っているのか。
次々と大言壮語=嘘を並べているのじゃないか。
その嘘に慣れっこにならないようこちらも気をつけなくちゃいけない。
水俣も終息していると述べたそうだが、これもやはり認識不足。

131011 確率で学ぶ

数学教室に行って来た。
今日は確率の話。
数学の考え方で1合同2回り道3ブラックボックスという3つのことがあることが分かった。
そのうち回り道というのを使って確率の学習だった。
あれ、3についてはコメントがなかった?

世の中多くのことが確率で計算・予想・計画・理解・実行されているんだろう。
天気予報、くじ、事故、マーケティング・・・etc
戦争もそうかもしれない。
勝つか負けるか。

スイスは徴兵制、是か非かで国民投票。
そしたら徴兵制続行が多かった。
実に73%。
これは現在徴兵制が敷かれているもとでの結果だった。
無くなることへの不安が多かったからかと思う。
もしこれが徴兵制が無くて新たに作ろうという投票だったら、どうなったのだろう。
多分、無しのままでよかろうということになるのじゃないか。
変わるということへのアゲンストの気持ちはどちらかというと強いのじゃないか。
変わらないでいいという気持ちが多いと言うことだ。

核拡散防止条約(NPT)に署名して来なかった日が一転して署名することにしたという。
米の核の傘のしたにある限りは政策上合わないと言うのが理由だったらしいが、ここに来て一転したのは何故か。
どういう確率でそう判断したのか。
それとも世論に押されたためか。
まあどういう理由にせよ署名することにしたのはいい判断だろう。
しかし、原発を持ちつづけようとすることは変えようとしない。
口には出さないが、原発で出たプルトニウムが核兵器の原料となることを思えば、自ずから持ち続けようとする意図は分かる。
と、このくらいのことは素人でも分かることだ。
署名に転換したからといって欺くことはできないのだ。

131010 涙に涙する

経済同友会の重鎮だった品川正治さんがこの夏に亡くなられた。
「世界」誌上に「戦後歴程」という題で自分史を連載中で楽しみに読んでいた。
完結はしなかったが発表分は一冊にまとめられた。
九条の会に積極的に参加され自らも講演を400回もされたと言うことだ。
11月号で小森陽一さんが追悼文を書いている。
その中で、品川さんが語られたことが紹介されているのだが、読んでいて思わず涙が出た。
中国の戦線に送られまさしく銃弾の中をかいくぐられているのだが、幸いにも生き延びられ復員する時のことが書かれている。
以下引用。「私」というのは小森さんのこと。
「そして1946年4月に上海から復員船に乗って、日本に帰ってきたとき、しばらく船内にとどめおかれた際に、4月17日に公表された日本国憲法草案の全文が新聞に掲載され、指揮官の命令で、はじめから終わりまで大声で音読させられた体験を語られたのだ。第九条を読み終わったときに復員兵全員が泣いたという、あまりに劇的な日本国憲法第九条との出会い方に、私は相槌を打つことさえ忘れていた。」

また品川さんの子どもが生まれたとき、産まれたばかりの赤ん坊の耳もとで憲法九条を唱えつづけたという。
「憲法九条が子守歌がわりだったよ、と言う言葉に胸うたれる響きがあった。」

また品川正治さんの講演の始まりはこうであったと。
「戦争を起こすのも人間。それに対して、それを許さない、と戦争を止める努力をすることができるのも人間。おまえはどちら側に立つのか。それが自分の戦後の座標軸です。」

131009 おばかさんピラミッド

雀の集団がいてちゅんちゅんちゅんちゅん鳴いてやかましい。
ひところ雀が減ったという話があったが、また増えてきたのか。
見ると何十羽という群れで飛んでいる。
自然の変化はある日突然変わるか徐々に徐々に変わるかどちらかだが雀の場合は突然のほう。
赤とんぼは最近あまり見ない。
稲につくカメムシは今年はとても少なかった。
天候異常のせいか、なんなのか。
今日は新潟で猛暑日記録。
35度以上だったということ。
台風のせいだと思うが、異常である。
2,3年前にうちの周りにアトリという渡り鳥の大群が来て大騒ぎだった。
空が真っ黒になるくらい。
地面に降りると足の踏み場もないくらい。
数にしたら何十万か何百万だったらしい。
鳴き声もうるさく1羽では聞こえないが、それだけの数だとさすがにうるさい。
水道の水が流れる音のような、しゃーと言うようなしゃかしゃかと言うような音がしていた。
朝どこかへ出かけて夕方戻ってきてそこら辺の山の木にとまって鳴いていた。
何週間かいていなくなったが初めての経験だった。
これも何かの環境の異変が呼び起こしたものかもしれない。
自然環境の異変は原因を突き詰めれば結局「人間」となる。
人為の変化である。

それはともかく至るところで新自由主義の弊害がある。
80年代90年代から始まったものであろうが、その弊害の原因が分かっているにもかかわらずまた同じ道を追求しようとする1おばかさんがいてその1おばかさんを持ち上げる2おばかさんたちがいてその2おばかさんたちをさらにもちあげる3おばかさんたちがいてピラミッド状態のおばかさんたちグループなんだが、1,2はともかく3おばかさんたちがおーこれはおかしいぞと思わない限り2や1がこけないおばかさんピラミッドをどうにかしなくちゃいけない。

131008 おばけのTPP

24号が近づいてきた。
やっと雨が降りそうだ。
川の水もだいぶん減ってきた。
畑もからから。
野菜たちはやっと一息つける。
25年ぶりに出会った人から手紙と写真が届いた。
のでお礼の返信をしておいた。
それにしても25年。
お互いにあまり変わりはなく、まるで昨日別れた人みたいだった。
長くて短かった25年。
これからの年月ももっと早く過ぎ去るのだろう。

さてと、昨日は日のできレースを書いたが、米の方はチキンレースがはじまった。
共和と民主のどちらが折れるかみたいな。
TPPもチキンレースみたいなモンである。
誰がどれだけ持ちこたえてレースに勝つかみたいな。
それにしても、オバマケアは日版の国民皆保険なのに何故反対するのか。
そしてその保険だが、TPPによって日の保険制度が壊されようとしている。
オバマが自分で真似しておきながら日に対しては壊してくるとはこれ如何にである。
いわゆる自由診療という混合医療制度を持ち込んで日の保険制度をぐちゃぐちゃにしようと言うものだ。
自由診療は保険の利かない高額な医療。
だとすると、それは金持ちにだけされる診療になり、金持ちでないものは病気にもなれないことになり不公平だ。
病気は誰でも治したい。
ここにも自由という名の新自由主義が入り込む。
治したかったらもっと働いて金稼げ、稼ぐ力がないのは自己責任である。
と、いうわけだ。
TPPは新自由主義のお化けである。

131007 嵐の前の静けさか

今日は10月にしては珍しく暑かった。
30度を超えたところもある。
こんな天気はいつまで続くのか、それに雨もなかなか降らない。
やっと台風24が来そうで雨も来そうだが、晴れた空は長かった。
嵐の前の静けさならぬ最長不到の晴天日だった。

それはともかく、今日の一番の驚愕・憤怒・やっぱりはTPP.
関税の完全撤廃に前向きに検討する?ときた。
党で根回しし政府でOKというできレースみたいな。
どちらにしても公約破り。
熊は意気揚々と乗り込んでオバマがいなくてもちゃんとついていきますよーやっていきますよーみたいなしっぽふりふりでほかの面々には苦笑されているのじゃないか。
オバマがそれどころじゃないことをあんまり分かっていないのじゃないか。
イランもシリアもオバマはいまんとこなんもできない。
ま、それは幸いなことかもしれないが。
今、米の中はぐちゃぐちゃになりつつあって、そのうち暴動かもしれない。
すると政治も経済も悪循環に陥り、特に経済面ではひどいショックが来るのじゃないか。
ある人は嵐の前の静けさであると言っているが、そうかもしれない。
米の財政破綻がすでに近隣にも影響して財政破綻寸前に陥ったところもあるらしい。
まだ、米の覇権が上辺だけ続いているように見えるが実質はいつ転んでもおかしくない。
同じくすでに財政破綻している日も、TPPなんかやっておれば間違いなく実質的財政破綻になるだろう。
世界同時不況同時財政破綻ということが幻想でなく現実として立ち現れてきているのだ。
と、自分なりの予想を書いてみたが、間違っているだろうか。

131006 プロパガンダに惑わされるな

babyの名前が決まりほっと。
このごろの変な名前でなくてほっと。

ちょっと気にかかること。
式年遷宮とやらの報道、過剰で異常じゃないか。
一宗教法人?のためにあれだけの報道って何か訳がある?
みんながみんなその”神”を信奉しているわけじゃない。
それなのにみんなに続けとばかりにお祭り騒ぎしている。
式年は現代版「ええじゃないか」運動を連想させる。
集団ヒステリー状態でほかの考えを麻痺させるみたいな。
心情操作(信条操作)じゃないか。
五輪報道も同じだった。
五輪や式年に浮かれている間に、TPPが行われ福島がかすんでいる。
のじゃないか。
一種のショック・ドクトリン。
まあ昔からの常套手段でもあるのだが。
一大ブームをつくり大事なことから目をそらさせる。
五輪を使い式年を使いこの次は何を持ってくるのか。
いずれにしても見え見えのブームには乗らない。
人が浮かれているときは冷めている。
ようにして裏に隠されているものを見るようにしたい。
と思う。

131005 ほんとにいいの

今心配なのはTPPと米のデフォルト危機
密室作業のTPPっていいのか。
デフォルトは財政破綻みたいなもの。
オバマが来なくてもごり押しの米に言いくるめられてしまう。
国民の知らぬ間に米の経済活動停滞阻止のためのTPPが進展するのじゃないか。

予算が通らないとなると財政支出が行われない。
国債も返せない。
銀行が破綻。
給料不払い。
個人消費減速。
財政収入も途絶える。
市民サービス停止。
病院閉鎖。
うんぬんかんぬんで経済活動が大幅にダウン。
2008のリーマンよりひどい経済ショックが来る?
この大混乱が恐ろしい。

131004 a new born baby came I became a real grand-pa

てな訳で今日のバックは赤
文字通りほんとの爺になった。
顔見た途端にぐっと来て言葉が出なかった。
言葉を出そうとするとうわずってしまう。
年取ってさらに涙もろくなったと実感。
自分の子どもではないが、やはり生まれたてのbabyには人間思い切り純粋な気持ちになれるみたいだ。
戦争も原発も格差もない時代になるようにしていかなくてはならない。
と、babyを見て強く思わざるを得ない。

それはさておき、今日の新聞を見ると、変な議員が変な質問をして教育長がそれにのっかるという噴飯なことが載っていた。
ヒノキミが、ある教科書では公務員への強制の動きがあると書かれていることに変議員が噛みついたというわけだ。
教育長は、ヒノキミを指導することは不当でも違法でもない。記述が誤解を生むならさけるための資料を作りたい、と述べた、と。
変議員はどうせ変な会の差し入れ、じゃなくて入れ知恵を受けての発言だろう。
前にもこの議会は変な会の入れ知恵を受けて変な決議をしたことがあった。
強制の動きってそもそもみんな強制じゃないか。
ごく当たり前のように、そして反対をすれば処分などの脅しをかけてやっているのが、何故強制でないのか。
歌いたくないやつは歌わんでもいいとなぜ寛容になれないのか。
というより、そもそも強制というのは憲法違反。
だと思う。
自由=強制がまかり通るあべこべな変な国にはやはりしていきたくない。

131003 道徳的な敏感さ

今日は社会教育に関わる大会であるところへいく。
開会式でヒノキミだった。
いきなり歌わせられる。
何故歌うのか分からないし、いわば強制的にやることの不条理に憤激。
沖縄出身の歌手は指揮と歌までやらされて多分いい気分はしなかっただろう。
しかし結構大きな声で歌っていた。
一番辟易とするはずのうちなんちゅーがなんちゅーこっちゃ。
営業だから仕方がないのだろうか。
歌についてはやはり主催者側の配慮不足の感が否めない。
その後彼が歌を交えながら講演をしたのだが、なかなかいいことはいうが、先の態度からすると素直になれないワシがいた。

「世界」9で佐藤健生氏が言うには、戦後の日本とドイツの過去への向き合い方で最も違いを感じるのはセンシビリティの問題であると。
ドイツではそれを「道徳的な敏感さ」という言葉で表現されると。
ドイツと日本を比べるとドイツの方がかなり強くそれを持っていると。
たとえばドイツが過去において加害の対象であった国でどう振る舞うべきか、自分の行動を相手はどう受け止めるのかを想像した上で行動しなければならないと。
たとえばワルシャワの混雑した市電の中で子どもたちを連れたドイツ人の女性教師が、「降りなさい、早く、早く。」と大声で叫んでいるのをワルシャワ市民が眉をひそめていたと。
つまり、過去において、ユダヤ人を連れてきて早く降りろと言っていたことを思い出させる言葉なのである。
日本の若者が韓国のオモニから日本語で説明を聞いた後、「日本語がお上手ですね、どこで習ったのですか」という質問をした。
彼は日本がかつて統治した時代の皇民化教育を知っていれば発することのできない質問であると。
このような「道徳的な敏感さ」は政治家のみならず一般市民も持っていなければならないものであると。
特に若い世代は過去のことは過去の人の責任だとするのでなく、歴史をきちんと学び「知る」ことが責任だと述べている。

いきなりのヒノキミには辟易したが、いまだに問題だと感じている人もいるのだと想像するセンシビリティがほしかった。
のである。
でも今や当たり前のようになっているこの悪しき慣習をうち破るのは困難である。
しかし人知れずとも不条理を感じる心だけは失いたくない。
と思う。

131002 談話三題

ネットを見ていたら河野官房長官談話を撤廃する署名活動をしている団体があった。
どこの団体がそんな活動をしているか想像がつくと思うが、どうも熊にしてもひいきの引き倒しというか歴史認識に我田引水?的なところがあるのじゃないか。
まあいろいろな主義主張はあるからあっても不思議じゃないが、何だかなーである。

談話は戦後50年になるころから3つ出されている。
一つ目は、河野談話で1993年。
二つ目は、村山談話で1995年。
三つ目は、菅談話で2010年。
三つ目は案外知られていないかもしれない。
河野談話は、簡単に内容を要約すると、慰安所の設置・管理などについては軍の関与を認め、慰安婦の募集については、甘言、強圧等による本人の意志に反する事例がたくさんあり官憲が関与した事例もあったことを認めた、というもの。
村山談話は、アジアの人々に対して「多大の損害と苦痛を与え」、それは日本の「植民地支配と侵略」であったという歴史的事実を初めて認め、「痛切な反省」と「心からなるお詫びの気持ち」を述べた、というもの。
菅談話は、「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられました」「この植民地支配がもたらした多大な損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」というもの。
これらの談話は自民・社会・民主の歴代政府、官僚、学界、、国民の努力でつくり出された共通の歴史認識である。以上参考「世界」9和田春樹論文から。
熊は初めの頃はこれらの談話、特に村山談話については見直したいことを言っていたが、オバマに注意されるとトーンダウンした。
しかし本音は変わっていない。
知事崩れの石頭じじいや威信2万%凋落傾向のハシズム市長などの発言も嘲笑を買っているが、いずれにしても3談話は重大な歴史認識として認識せねばならない。
立場上的にも総理たるものは、これを受け継ぐべきものでなければならない。
和田氏は「これを否認するものは総理大臣であれ一般大臣であれその職にとどまることは許されない」といっている。
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