352 とんでも官邸団Ⅳ

とんでも官邸団の内輪話また;
配役:とんでも総理(ベア=クマ)、ガス官房長(ガス)、やぶにらみ幹事長(ヤブ
クマ:(普通に)何だかこの頃、世の中も国会も騒がしいな、ガス君。
ガス:ははは、それはあんたのせいでがすよ。
ヤブ:そうそう。あんまり本音を言っちゃうとこうなりますでごじゃいますよ。
クマ:(楽しそうに歌うように)本音は正しい。私は間違ったことは言わない。最高責任者たるもの清く正しく美しくがモットーなのだ。美しい日本は美しいのであって正しい日本は正しいのであって・・・
ガス:正しくないのはシューキンペーとパククネちゃん、と言いたいのでガスか。
ヤブ:まあまあ二人とも、それはそうでごじゃいますが、その「最高責任者」が引っかかってますでごじゃいますよ、今回は。
クマ:(断固として)私は最高責任者であって誰からも最低責任者とは言わせない。気分は最高ーなのだ。いえーい。
ヤブ:いやいやそういう話じゃなくて、(誰も最低とは言っとらんに、ぶつぶつ)、わたしらで決めることが、立憲主義に反すると言われとるんでごじゃいますわ。
クマ:(不思議そうに)え、なに、その立憲主義って?
ガス:それはね、あくまくん。あなたは憲法に縛られとってですね、あなたが憲法を縛るモンではないということでガスよ。
クマ:(青筋立てて)なになに、私が何を悪いことをしたというのだ、縛られる覚えはないぞ。
ヤブ:えーとね。まあその辺のところは、こんどの新しい法制局長官に任せましょうでごじゃいます。
クマ:(安心したように)そうだった。新解釈を頼んであるから後は突き進むだけー。こういう家庭教師がいると助かるなー。るんるん。
・・・・とんでも官邸団は昔懐かしい暗黒の世界を再び引き寄せようと他愛もない会話を進めるのであった(ちゃんちゃん)
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351 反政治

Gerry Stoker

前に(2/3)ジェリー・ストーカーのことを書いた。
世界2からの引用であるが、人々が政治に対して無力感や幻滅を抱いて政治から遠ざかっていくと彼は言うのである。
それには4つの原因があるというのであるが、これをめちゃくちゃはしょって意訳的にまとめてみたい。

まず1つ目は、人々が不平等の拡大によって個人社会、消費社会の社会変動の波に飲まれ、政治の枠組みから外されていると感じてしまう。
・・・俺んたらーはもう政治にはなんもしてもらえんし、俺らーも政治には何の期待もシンゾーという気分になるのだ。

2つ目は、教育水準が高まり、情報が多く得られるに連れて、あらゆる権威に対して批判的になる。
そして関心は断片化し、政治に対しては限定的になる。
・・・おめんたら政治家は勝手にやってろ、好きなことしやがって、俺んたらーは出るときは出るが、今んとこはかんけーねーよって感じだ。

3つ目は、政治家の人生経験のなさと狭量化、政治から利益を得ようとする特殊な集団や圧力集団から支配されるようになることによって公共的な中身を欠いた政治家が増える。
それにより政治から遠ざかることになる。
・・・おまえんた政治家は2世や3世ばかり増えて、まさに政治屋だ。そしてコネや金で動くやつばっか。誰のために政治やってんだ。だから政治家なんて大嫌いなんだよ。

4つ目は、統治機構の複雑さ故に政治の責任があやふやになる。
そのくせ政治家の失敗は自分らではなく、富裕層と結託して庶民にそのつけを廻そうとする。
それで庶民は政治にそっぽを向く。
・・・おまえ等のやったことで誰か責任をとったやつがいるか。これだけ格差が出ているのに自己責任だのと抜かして、まさに責任転嫁じゃないか。そして嘘とごまかしと脅かしで俺等を馬鹿にしやがって。嘘つきは泥棒の始まり、じゃなくてこのごろは嘘つきは政治家の始まりといってるぞ。

かなり極私的まとめだがちょっと怒りを込めて意訳してみた。ストーカー氏の言わんとするところと離れたかもしれない。

350 蕪山1069m



今日は板取にある蕪山(かぶらやま)1069mに登る。
9時40分に登り初めて12時37分頂上着。
3時間近くかかった。
頂上に近づくに連れて雪があったからだろう。
登り始めには株杉といって縄文杉みたいにすごく大きな木が何本も立っていた。
4,500年は経っているそうである。
そこここに雪が残っていて滑りやすい。
頂上に近づいたらさすがに登りづらくて軽アイゼンをつけて登った。
頂上は広く木が切ってありこのあいだの納古山と同じく360度の景観が望める。
今日は快晴のいい天気だったが、昨日と同じくpm25の影響で遠くの方がかすんでしまってよく見えないのが残念だった。
近くに高賀山、そしていつもの御岳、乗鞍、白山などが見えた。
でもかすんでいて明瞭には見えない。
あのpm25がなかったらほんとにはっきりと見え絶景に違いなかった。
頂上の雪は計ってみたら、4,50センチはあった。
しかし、以前の登山者が踏み固めていたので新雪のところを踏まない限り、ずぼずぼと落ち込むことはなかった。
気温もそんなに低くなく登りで汗をかいた身体には涼しくいい気持ちだった。
持ってきたおにぎりなどを食べて、写真を撮って1時半近くに下り始める。
帰りは途中から違う道を通って下りてきた。
カモシカが2頭いた。
約2時間半で登山口着。
花粉が飛ぶので暫くは登山は中止。

349 悪行の数々

世界3を読んでいたら、神保太郎という人が、12月までの悪行の数々を書いていたので参考になった。
それ以後も含めてコピペ的に羅列してみる。
 1,3月、日銀総裁取り替え、金融緩和断行
 2,4月、「主権回復の日」に万歳三唱
 3,7月、96条の先行改正を提唱するも、姑息との反発でいったん取り下げ
 4,9月、集団的自衛権行使に道をつけるため、内閣法制局長官のすげ替え
 5,9月、フクイチの汚染水はコントロールされていると断言。五輪招致でおおボラ
 6,10月、NHK経営委員に元家庭教師などお友達人事断行
 7、11月、日本版NSC設置
 8、12月、消費税を8%にする
 9,12月、特定秘密法案をスピード採決
10,12月、防衛大綱閣議決定、武器輸出3原則の見直し示唆
11,12月、仲井真がびっくりの振興予算をつけ辺野古への移設同意を要請
12、12月、突然靖国参拝を決行する。米は失望する
13、2月、自らの息のかかったNHK会長や経営委員がとんでも発言
14,2月、教育委員会制度を首長の思い通りになるよう変えようとする
15、2月、最高責任者は私だと馬鹿なことをいう。立憲主義無視
・その他、原発再稼働容認、インドやトルコに売り込む
・公約にないTPPを進めようとする
・武器輸出3原則の見直し、紛争国へも輸出解禁をしようとする
・国会軽視、閣議で決めて行くと思い上がったことをいう
・河野談話を見直そうとする
・積極的平和主義などというごまかし言葉を使う
誰かもいっていたが、一内閣でやっとひとつのことをやれるかやれないかということを、これだけ大量に一内閣でやれるものすごさは例がない。
決めれるうちに決めてしまえという強引さ。
これはいわば、ショック・ドクトリンである。

348 翡翠

久しぶりにウォーキング。
半分くらい歩いたところで前方に近所の知り合いの女性(1才年下)が歩いているのを発見。
間の距離7,80m。
追いつこうと思って一生懸命早足で歩く。
だが、何故?
相手はゆっくり歩いているように見えるのだがなかなか縮まらない。
とうとう最終ゴールまで歩いても追いつけなかった。
自分より少し背は小さいしそんなに早足には見えなかった。
自分の足幅が短いのか。
確かに短足は自他共に認めるが、それにしたって女性の足だし追いつけないとは情けない。
でもまあ、最高速度の早足で歩いたし、少し汗ばむ程だったし運動にはなった。
ということでこの頃、できるだけ早足で歩くことにしている。
以前は40分かかったところ、35分ぐらいで歩けるようになった。
で残りの5分を距離を伸ばすことにした。
毎日同じところを歩いていると飽きてくるものだが、でも少しずつ季節の移り変わりを感じる。
今日は川沿いを歩いていて、一羽のカワセミが弾丸のごとくまっすぐに飛び行くのを見た。
久しぶりのカワセミ君である。
あの姿を写真に納めようと思うがなかなか難しい。
あっという間に飛びさるからカメラを向ける暇もない。
自分の方向に向かって来るのなら撮れるかもしれないが、なかなかそううまくはいかない。
カワセミは翡翠と書くように青く光る羽がほんとに美しい。

347 リーダー



久しぶりに北へ向かった。
昔の私の通勤路である。
毎日40分かけて8年間通った道。
今日は晴天で雲がなく北の山々の冠雪が美しい。
教育フォーラムというのに行ってきた。
最後に講演で岩手陸前高田の長洞元気村の事務局長をしている村上さんの話。
311の直後の長洞地区の苦境とその後の活動の様子を聞く。
一言でいえば自治会としての助け合いがきちんとなされたので一つにまとまり工夫しながら活動が発展してきたということであった。
一言では言えないほどの経験したことのない災害を生き延びてこられたのだが、苦境に立たされたときの人間の有り様がどのようであらねばならないか考えさせられた話だった。
やはりそこにはリーダーが必要であると思った。
バラバラになりそうな集団を理知的にまとめていけるリーダー。
ただ引っ張るだけでなく、民主的な方法でやっていくということである。
長洞の人たちは自治会長などを中心に全員集会などをして集落作りに取り組んでいる。
最後にどうしても集団に入ろうとしない家もあったということも話された。
食料調達でそのとき地区に残っていた米を供出してもらったのだが、その家にも配るのかという問題が出たとき、村八分の話などをして配布をすることにしたのだそうだが、一種のわだかまりのようなものが残ったという。
その家の方は後日、他所へ移って行かれたそうである。
子どもたちの話がもっと聞きたかったが、直後の様子などを話された。
直後は道路の寸断もあり学校へは通えない状況だった。
そのとき、子どもらは自分たちで教え合いの学習を始めた。
子どもたちの様子を見て大人達が未来を感じ励まされたという。
特に高齢者。
高齢者に関わる話もされたが、高齢者を好齢者と呼び活動に喜んで参加できる仕組みや活動内容を工夫している。
逆境だからこそ負けず強くなる人間がいるということを311を通して知った。
しかし人間は所詮弱いもの、一人では生きていけない。
助け合いの中で集団を作りリーダーを中心に未来を切り開くこと。
昔からやってきたことだろうが、今現在の政治状況という逆境を思うとき、おいらたちはどうすべーかを考える。
負けない自分と負けない集団を作ること。
そして理知的リーダーをつくること。
出でよ新たな時代のマルクスよ。
出でよ新たな時代のコペルニクスよ。
出でよ新たな時代の宮沢賢治よ。
って岩手の宮沢賢治を思いだしてしまった。

346 標的の村

映画「標的の村」を見てきた。
沖縄の東村(ひがしそん)高江(たかえ)の住民が自分たちの村にヘリパッド(オスプレイなどの訓練基地)を作るというので反対行動をする。
官憲は住民を裁判に訴える。
これはSLAPP(スラップ裁判)と呼び、権力者が権力的に弱者を訴訟で訴え弱者の権利をいわば弱めたりないがしろにするというもの。
アメリカなどでは法律で禁止されているが、日本にはそれがない。
そして普天間にオスプレイが来るというので他の住民、支援者、市民等と共にゲート前に座り込む。
これを官憲が強制排除する。
これらの沖縄で現実に起こった出来事をドキュメンタリーとして作った映画である。
当初沖縄のテレビ局で制作され沖縄では放映されたが、本土ではそんな出来事があったのかもほとんど知らされないままだった。
軍隊は住民を守らなかった。
警察は市民を守らない、国は国民を守らない。
ということが沖縄では未だに続いていると言うことだ。
まさに捨て石。
辺野古移設問題もアメとむちであった。
もう一つ、高江の村民達はベトナム戦当時、村にベトナムの村に似せた家々を作り、ベトナムの黒い農民服のようなものを着させられ、アメリカの兵隊たちとゲリラ戦の模擬訓練をさせられていたということも映像として出てきた。
銃を持って撃ち合うようなところも出てくるのだ。
軍の高官らしき奴がにたにた笑ってそれを見ている。
なんとおぞましいことをやらされてきたのか。
知らないということはやはり罪である。
知らないということは許されない。
本土の人間こそ見るべき映画である。
いずれ我が地においても上映を計画しようということになった。

345 NHK

NHKのモミイやヒャクタやハセガワの妄言や居直りみたいな発言に義憤を感じるので意見をメールで出した。
即刻退任せよという趣旨。
初め680字ぐらいになったが、400字以内で書けというので400字にした。
ここには初めの下書きを載せる。

この度の籾井会長発言、百田委員発言、長谷川発言は放送の公平中立をうたったNHKの服務基準から鑑みて明らかに基準からはずれた発言・行為と見なさざるを得ない。この3氏の発言について経営委員会は見解として「•経営委員としての職務以外の場において、自らの思想信条に基づいて行動すること自体は妨げられるものではないと認識している。」としているが、経営委員の立場を離れれば何をしてもいいというのは間違っている。経営委員はいわば公人であり、職務を離れていても経営委員としての立場はついて回るものである。一人の人間としてこれはこれあれはあれという区別は付かない。経営委員としての立場を離れたら、不偏不党、公平中立の基準を離れた行動をしてもいいという考えは国民・視聴者を愚弄している。長谷川委員は、「常識を疑ってみる目」を持って委員になったと言われるが、NHKの不偏不党・公平中立の立場であるという「常識」をすでに「疑って」いたということだろう。とんでもないことである。百田委員は、「自分は個人的信条にもとづいて行った行為は問題ないと考えている」と述べているが、これも自分の立場をわきまえない発言であり、到底一般の国民・視聴者には受け入れられない発言である。すでに諸外国(イギリス、ドイツなど)からNHKの体質の変化について警戒の念、警告、揶揄などが発せられている。NHKは政府のいいなりの国営放送になったのか、右に偏向しているのではないかという懸念である。以上によって3氏については即刻退任を要求するものである。退任なき場合は一時的ながら受信料の支払いをストップする。

344 反戦俳句

今日の新聞のコラムはなかなか良かった。
コピペはできないが、そこから拾うと。
今日は小林多喜二の命日。
1933年2月20日に虐殺された日なのだ。
その日に対して詠まれた俳句。
「多喜二忌や糸きりきりとハムの腕」秋元不死男(ふじお)。
「きりきり」というオノマトペがいかにも恐怖を呼ぶし痛々しい。同感。
「冬空をふりかぶり鉄を打つ男」この句も秋元。
鉄は資本主義、打つは革命と言うことで特高に言いがかりをつけられた。
こいつは左だと思ったらどんな言葉もそんな風に言いがかりをつけられるだろう。
「冬空をふりかぶり」、「ふ」の頭韻がいい。
寒々とした空に向かって大きくハンマーをふりあげて今にもふり下ろそうとする構えが雄大でまた力強さを感じさせる。
そして立ち向かう相手は強固さと冷徹さを感じさせる「鉄」である。
「鉄」という響きがまたいい。
汗を飛び散らかせて真っ黒な肌を見せながら鉄に向かう労働者の力強さを感じさせる句である。
秋元も新興俳句弾圧の京大俳句事件で特高に検挙されている。
もう一句。
「戦争が廊下の奥に立つてゐた」。渡辺白泉(はくせん)。
彼もまた秋元と同じ時期に摘発された一人。
コラム子は今の日本が平和に向かうのか、小林や秋元の時代に進むのかとこれらの句を引きながら結んでいる。

おぼっちゃ魔の無茶ぶり。
今日も昨日も明日もといった感じだ。
国会答弁が言いたい放題。
NHKは会長などの発言でまさに国営放送化しようとしている。
奴らは個人的な意見でいっただけとかばうが、おぼっちゃ魔らの国会の発言も個人的な意見を押しつけているに過ぎない。
公人としての意識はない。

343 ハンナ・アーレント 6

映画「ハンナ・アーレント」を見ての文を書いてきたのだが、実物ハンナについては映画以上のことは知らない。
あの中に出てきた友人や夫やハイデガーなどについてはもっとよく知り得て鑑賞するともっと深まっただろうと思う。
あるいは彼女の書いた本や記事、あるいは彼女について書かれた本なども読んだ上で映画を見るとかなり違った感想になったかもしれない。
そういう意味では、この映画を撮った監督の思惑や主張などもまだまだ見切れていないのだろう。
この映画ではヤスパースのことは出てこなかったが、ハンナとヤスパースの関係もハイデガーとの関係と同じくらい彼女にとってはあるいは彼女を見る上では見過ごしてはならない関係らしい。
アイヒマンのことも、彼女が主張するように単なる悪の凡庸さを体現しただけの人物だったかどうかも見てみる必要がある。
哲学は考える学問であるが、ただ考えるといっても現実や社会状況をよく知るということもあるし広く深い思索が必要だ。
倫理、宗教、道徳などとも絡んでくるのだろう。
私にはとてもなれるものではないし哲学書を読みとる力もない。
しかし、やはり考えるという行為は大切だし、ただ単に見るのでなくしっかり見るということは考える基礎のこととして心に命じておきたい。
以上で「ハンナ・アーレント」は終わりにする。

342 ハンナ・アーレント 5

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映画「ハンナ・アーレント」に関わっていろいろ書いてきたが、少しそこからイメージが広がって、「暴力」に関心が向いてきた。
戦争は最大の暴力である、・・・ということは分かるが、これはよく考えると大きい問題である。
ハンナは「暴力」に対してどう思っていたのか。
ほかの人(哲学者など)はどう思っていたのか。
この問題は一筋縄ではいかないし深みのはまりそうなのでので、ここで書き始めることはやめる。
がいつかは書くかもしれない。

ここで話は変わって余談話
この映画では出てくる人物がハンナばかりでなくみんなと言っていいほど喫煙者であり、タバコを取り出して吸うところが非常に多い。
1960年代のリアルを求めたというのなら仕方がないが、あまりにも多いので映画であるにもかかわらずこちらまで煙たくなってくるみたいであった。
思考するにはタバコが欠かせないみたいな感じで考えるところでたばこを吸い出す。
ハンナも最後の圧倒的な講義の場面で、聴衆に断ってからタバコを取り出し、吸いながら講義を始めるのだ。
かなりのヘビー・スモーカーぶりである。
いかにもかっこいい感じがするが、現代においてはかなりの違和感のあるシーンにみえた。
ほかにも友人達と議論をするところや、レポートをタイプするところなど、考え事をしながらの行動にはタバコだったし、くつろぐところでもタバコだった。
ということで数えれば非常に多くのシーンでタバコが出ていた。
ネットでハンナの写真を探したら手にタバコを持っているものがあった。
やはり相当のヘビー・スモーカーだったみたいである。

341 ハンナ・アーレント4

卒論でアウシュヴィッツに少し関わって以来、この人類がなした最悪、最大の悲劇のことを気にかけてきた。
ハンナ・アーレントのことはあのジョージ・スタイナーもどこかで述べているに違いないが自分としては失念というか知らないままできた。
スタイナーがよく言うには、昼間はユダヤ人をガス室へ送る仕事を淡々としてきた人間が夕べにはバッハやモーツアルトを聴き家族と団らんしていた。
ガス室へ送るという行為以外はまさに普通の人間だった。
ということだった。
全体主義の中で突出した行為をする(たとえばユダヤ人を解放する)と言うことは、自分もまた死に至るという恐怖があるかもしれない。
だとすれば突出した行為はしない。
しないし率先してすることにより自己保身をする。
どっちに転んでも自己保身のため全体には逆らわないというのがフツーの人間だろう。
モラルの死である。
ヒューマニズムの死である。
だとしたら全体主義に至る前によく考えるべきだった、となるが、そこが歴史の流れの怖いところで人々は、考えることをやめさせられていくようになっていたのだろう。
ハンナの言うように、そこで人々が考える力を復活していたのならああはならなかったか。
歴史にもしもは禁句だが、だからこそそこから学ぶべきものがあるのであり、それを見つけなければならないのが後世の仕事である。
ハンナに学ぶとすればやはり人間は考えることが必要であり、全体の中に埋もれるのでなく、破滅に至るような反人間性に対峙していくための想像力を保ち続けることが大事であるということだろう。
と思う。続く

340 ハンナ・アーレント3

ユダヤ人排斥問題について。
いわゆるレイシズムと言われるがユダヤばかりでなくほかの民族にもある問題である。
中国におけるチベットなど他民族、
ヨーロッパにおけるアフリカ系やイスラム系、
アメリカにおけるアフリカ系やヒスパニック系や黒人など、
日本における朝鮮、中国人など、がある。
でユダヤ人にだけ絞って考えた場合、
それはヨーロッパにおいては長い歴史がある。
その歴史の最終局面においてのナチとアウシュヴィッツ。
その中のアイヒマン問題を思うとき、悪の凡庸の一人である普通の人アイヒマンもまた当たり前のごとくユダヤ人を排斥することに対してなんの問題も感じることなくいたのではないか。
収容所送りに対してなんの良心の呵責も感じなかった。
たとえハンナが言うように想像力を働かせて彼らがガス室送りになるとしてもだ。
それは長ーい歴史の中で差別がしみこみ沈殿し、独裁者がそれアーリアンは優秀、ユダヤは殺せと言ったときふつふつと湧き出てきて思考方法を変えることもなく命令に従うことしかできなかった。
あるいはまた、まさにユダヤ人を憎々しく思い、ガス室送りを得々としてやれるという心境じゃなかったのか。
ハンナ・アーレントのいう思考することにより人間性を保つということは、ここを突き抜けなければできない。
すなわちユダヤ人を人間とみる。
ユダヤ人も人類の一員とみる。
人間は誰も自由で平等である。
ということである。
モラルの根本は人間性を問うことである。
ヒューマニズムである。
自由であり平等であるかである。
と思う。続く

339 ハンナ・アーレント2

それによると彼女は彼アイヒマンを「悪の凡庸」banality of evilという言葉で見る。
アイヒマンは根っからの悪人という風には見ないで、彼は単なる普通の人、それがなんの疑いも持たずに役人として上からの命令に沿っただけで何百万というユダヤ人を殺してしまったという罪深いことに手を染めてしまった。
のであるという風にみたのだ。
つまりアイヒマンは普通の人であって何の考えや哲学も持たないでいたということ、それを悪の凡庸あるいは悪の陳腐とよんだのである。
アイヒマンは単なるちんけな野郎だったといったのである。
バッシングを受けたのは、アイヒマンを極悪非道な人物でなく単なる普通の人だったと言ったことより、迫害されたユダヤ人の中にもナチに荷担するような指導者がいたということを言ったからである。
そのバッシングは直接間接に彼女の手元に届き、大学からも追放されそうになる。
映画の終盤で大学から追放されそうになったとき、満場の講義室に置いて彼女が自分の考えを述べるところがある。
圧巻の演説であった。
人間は考えることによって人間らしさを身につけるのだ。
このことが彼女が一番言いたかったことだと言えよう。
哲学者らしい言葉である。
アイヒマンはただ従っただけで考えるという行為をしなかったから人間性に欠けると、だからあのような悲劇を起こしてしまったのだ。
自発的隷従という観点から考えるとまさしくこれも独裁が大手を振っているときの自発的隷従による結果としての悲劇である。
考えるということはただ思考するのでなく深く思考するということである。
その中には疑ってかかるということもあるだろう。
理論を突き詰めたり、想像力を働かせるということもそうだろう。
ただ命令に従って大勢のユダヤ人を収容所に送っていた人物にはそれが欠けていたのである。
考えることにとって人間性を保ち続けるというのはハイデガーの教えにもあったのだが、ハンナはそれを実行したに過ぎない。
彼女のアイヒマンレポートの真意は最後までもっとも身近な関係者である彼女の夫には理解されなかった。
それが悲劇といえば悲劇である。続く

338 ハンナ・アーレント

K市の病院へ行ったついでにG市の映画館へ行き「ハンナ・アーレント」を見た。
今日は最終日であった。
アイヒマン裁判を傍聴してその感想を発表したところ世間からひどいバッシングを受ける女性哲学者の話。
ハンナはドイツ系のユダヤ人。
大学教授で若い頃ハイデッガーの教えを受ける。
ハイデッガーは戦時中ナチに荷担した哲学者といわれる。
アイヒマンはちょうど1960年に南米で捕まってイスラエルで裁判を受ける。
私の記憶の中に少しだけそのときのことが残っている。
戦後今まで逃亡生活を続け、南米まで逃げて捕まったということに、逃げる方も逃げる方だが捕まえる方の執念に驚いた。
そして裁判の様子も映画のニュースか新聞かで見た記憶がある。
あのガラスで囲まれた被告席の写真があったと思う。
それはともかく、ハンナは裁判を傍聴しアイヒマンの姿、言葉などに接し、常人が思い描くような悪者であり情状酌量のない男としてのアイヒマンを見て取るのでなく、人間としての彼はどうだったのかを見る。続く

337 立憲主義

一国のソーリが立憲主義を知らないとは笑止千万。
何それ、おぼっちゃん、習わなかったの。
家庭教師は何やってたのだ。
それとも全くの無知。
この国の責任者は俺みたいなこと言って、遊びじゃないんだよ。
これでまた世界のお笑いもの。
恥ってモンを知らんのだなー。
どーしてこんなおぼっちゃんを祭り上げたんだろー。
祭り上げたモンらもお笑いモン。
恥を知れだ、何度もゆーけど。

オバーマが来るというので国賓だと騒いでいるが、おまえには失望した、おまえは無知じゃないか、おまえは全然歴史をしらんやつだ、馬鹿じゃないのと言われているやつに、国賓だと最上級のおべっかを使うってどこまでアホかおめでたいにも程がある。
そういうのも分からないへなちょこばっかりなんだなー、ガスもバシイも。
でもさすがに内部では勝手に解釈改憲を異論するやつもいて少しはアホさ加減が分かるのか、騒ぎ始めてる。
大いに騒いでほしい。

336 納古山



久しぶりの登山。
今日は加茂郡七宗町にある納古山633mのこやま。
朝9時に家を出て登山口着10時半。
中級コースを登る。
途中岩場があり結構急なところあり危険でもありそこが中級ということか。
岩場の上では視界が開けて東方面の絶景が見られた。
今日はいつものトリオでなく一人が行けなくて二人で登る。
雪が心配だったが樹間にはやはり雪が残り踏み固められて滑る。
道は中級は急峻なところもあり慣れないと怖いが、どうにか気をつけて事故もなく登れた。
途中半分くらい登ったところで20歳代ぐらいの若者二人に追い越される。
急なところをすいすい登っていく。
そして、4分の3ぐらい登ったところで今度は40歳代ぐらいの夫婦と見られる男女にまた抜かされた。
女性なのにすこぶる元気でやはりすいすいと登っていく。
今日は絶好の登山日和というか天気は快晴。
頂上近くになると汗でだくだく。とうとう上は下着のシャツ1枚で行く。
でも頂上間近で人がいるのでまた着た。
頂上着12時9分、約1時間半で到着。
頂上は360度の絶景。
少しだけ南方面がかすんで見えるだけで、空気が澄んで実に見応えのある風景だった。
御岳がここでも一番目立つ。
その横に乗鞍。
そして北アルプス。
西穂高、穂高、南穂高。
御岳より南には恵那山がでーんと構える。
そして北西の方角には白山がびしっと見える。
美しさでは白山が一番。
南の下界を眺めると美濃加茂市が広がりずっと向こうには伊吹山。
そしてうっすらと名古屋のツインタワーも見える。
人気の山とみえて頂上には我ら含めて12人いた。
山好きの人ばかりで話が弾む。
一人の方は近くの方で毎日ぐらいに登っているとか。
1月は28回登ったが、30にしたかったので1日に2回登って30にしたそうな。
70才ぐらいの人だったが、山登りが仕事みたいなものだと思った。
帰りは初級コースで降りる。
中級と合わせると周遊コースとなる。
今日は今年初めてで絶好の山登り日に登れて幸いだった。
写真は雪が美しい白山

335 立てない

またぞろお得意の「美しい国」。
よせばいいのに今日頃メッセージ。
この日を選んで出したみたいな。
極右まるだしもいいところ。
こんなに格差のある社会を作り出したのは誰だったのか。
誰のためにまつりごとをやっているのか。
すでに見放されているハメリカにまだなおしっぽを振るのか。
ハメリカのみならずEUにもアジアにも見放されているのではないか。
見放されているのは国民ではない。
リーダーたるあくまだ。
原発推進なら福島に行って住むくらいの気骨はあるのか。
戦になれば積極的に前線に立てるのか。
その上で美しい国を唱えろ。

なんだかやたら日の丸を門口に立てている家がそこらここらにあって気になる。
人に勧める人までいてよけいなお世話だ。
どうも隣が立てると自分の家も立てないとおかしいと思われるという田舎根性か。
隣組の腐れ根性だ。
多分これは田舎の風景だろうが、都会じゃどうなんだろう。
都会で軒並み立っていたらそれこそ気持ち悪い。
そうなったら終わりだな。
そうなったら美しい国になるのだろう。
あくまやだぼはぜやはじもとやいじばらやいじばの喜ぶ世界になる。

334 地道2

首都選挙の詳報を見る。
勝者マキゾエの票数は他の上位2候補を足しても少し上回る。
脱原発候補二人でも届かなかったということだ。
もし一本化していればもう少し無党派が動いて勝てたかもしれない。
総括をしっかりしてもらいたい。
アサヒの出口調査によると、タカ派ダボハゼ君の票数が案外多いのに驚く、と同時に恐怖。
年代別得票率を見ると20代ではマキゾエ候補以外に一番多いのはダボハゼに行っているのだ。
このダボハゼ・タカ派の候補者は若い人ほど得票率が高い。
これから改憲を支えていくのはこの世代かもしれない。
ヘイト・スピーチとデモをやっているのもこの世代だろう。
ということは若い世代への教育と言っては大げさかもしれないが、現状認識のさせ方を見直して行かなくてはならないだろう。
現代史や現代社会のレクチャーを分かりやすくやってやると言うことだ。
変な指導要領の解説を押しつけているが、そんなものにとらわれることなく大胆にきめ細かくというところか。
一番痛めつけられているのは20代ぐらいの若者である。
非正規・派遣で未来が暗い。
格差による底辺部は若者だ。

いずれにしても脱原発派は半数以上である。
若者を取り込めるように地道にやっていくしかない。

話は変わるが、尺八の人間国宝山本邦山氏が亡くなった。
あの70年代に出た「銀界」はすごかった。
菊池雅章(きくちまさぶみ)のピアノと山本邦山の尺八、その他ベースなどとのコラボでジャズだった。
ジャズに尺八が新鮮だった。
2011年の8月に名古屋で山下洋輔とデュオでやったのを聴きに行った。
今となっては生で聴けたのが嬉しかった。
少し耳の奥にその音が残っている。

333 地道

なんだかなーと思う。
首都の選挙。
投票率の低さに驚く。
この前書いたジェリー・ストーカー(Gerry Stoker) というイギリスの政治学者が言っていたこと、「民主政治はいいが同時に政治に対する反感が強まっている」ということの現れだろうか。
官邸前金曜日デモや国会包囲の秘密保護法阻止行動や原発の大集会など結構盛り上がっていたのにこの体たらく。
あの熱はどこへ行ったのだ。
もっと以前は革新知事革新都政といわれてさすがの首都だったのにいつの間にか右旋回。
詳しくはまだ最終確定数字が出ていないので何とも言えないがマキゾエ君かマスカキ君か知らないが、あくまらにほんとに受けているようには見えないが多分利用されるだけだろう。
脱原発の票は合わせてどれだけあったのかも気になる。
しかしいずれにしてもこのままじり貧でもいけない。
中央に向かう力も付けて行かなくてはならないだろうが、地方において中央に逆らう力を付けていくことがこれからのやり方ではなかろうかと思う。
って誰かも言っていたように思うが。

今日は九条の会でDVD「戦争をしない国日本」というのを見た。
参加者が久しぶりに増えて良かった。
前もって通信で宣伝したり呼びかけをしたことが大きかったか。
我が地元でも、電話がかかってきて行きたいという話だった。
これまでこんなことはなく、やはり心ある人は今の情勢に憂いを持っているのだと感じる。
ということで、ACT LOCALLYである。
地道に努力を重ねよう。
地道に。

140208 死刑2

全然降らなかった雪が今日は一日中降る。
冬らしい景色だがやはり寒いのはいやだ。
昨日まではからからで車のタイヤも普通タイヤに履き替えようと思っていたほどだった。
やっと夜の11時頃にやんでいたのでそれから除雪機で雪かきをした。
明日の朝新聞配達の人が難儀をするだろうと思って。
20センチ以上は積もっていた。

きのう死刑のことについて書いたが、憲法との関係で調べたら、1948年に最高裁で死刑は憲法に抵触しないすなわち合憲であるという判決が出ている。
それに1955年に絞首刑も合憲であるという最高裁判決が出ている。
絞首刑は残虐な刑罰とは認定しないということだ。
そして、裁判員制度が始まって、一般の人が死刑か死刑でないか判断せざるを得なくなってきたので、また憲法に照らしていいのかという議論、あるいは再度見直せという訴えが起こされているみたいである。
残虐という概念がどこまでがそうなのかということにつきると思うが、現在は世論の80%ぐらいは死刑を望むという結果が出ている。
それは被害者意識に立つからだろうが、被害者関係者でも生きて償えという考えを持つ人も出ている。
いずれにしてもあまり深くは論じられてこなかった問題みたいである。
国家による殺人としては戦争があげられるが、この国はそれを認めていない。
いっぽう同じく国家による殺人として死刑制度があるというのはどうなのか。
イラク戦争のとき、この国の首相は人質になった人に対してあれは自己責任だといって見殺しにしたことがあったが、あれはまさしく国家による殺人だった。
ほんとは起訴されるべきことなのではないかと思う。

140207 死刑

なにげに見ているものが実はよく知らなかったり分からなかったりすることがある。
スーパーで売っている牛乳パック一つの量はどれだけか。
これはたいていの人はすぐ分かる。
1000ミリリットル、すなわち1リットルである。
缶ビールはどうか。
好きな人はすぐ分かる。
350とか500ミリリットルである。
お茶のペットボトルはどうか。
500ミリリットルとかそれより小さいのもあるし、大きいのもある。
普通の大きさのプレーンヨーグルトの量はどれほどか分かるだろうか。
これはよく見ていないと分からないと思う。
これは量でなく重さで表してあるのだ。
正解は400グラムである。
ことほどさようなのであるが、憲法のことはどうだろうか。
だいたい大まかなところは読み通して理解しているつもりであるが、やはり法律の専門家と違って理解し得ていないあるいは見落としているところがある。
この前あれれそうなのかと思うことがあった。
第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
刑罰を与えるのは私人では出来ないから公人すなわち公務員がやるしかない。
詳しくいえば刑務所の職員だろうか。
死刑はどうなのか。
残虐な刑罰でないのか。
これは残虐な刑罰であると誰でも思うのではないか。
とすると死刑制度というのは憲法違反である。
でも何故このことが(憲法と絡んで)あまり問われてこなかったのか。
前政権のときに法相(女性)が死刑の刑場をメディアに公開したことがあった。
また死刑に批判的な政権(だったか?)なのに、死刑を何人か執行してしまった。
世論上は死刑賛成派が反対派を上回っているニッポンであるが、世界的に見て制度的には廃止に向かっている。
私はどうなのか。
身内の特に家族の誰かが殺されたらどうなのか。
どうも死刑だ死刑だとわめきそうである。
でもそれは私人としての立場。
死刑は国家による殺人である。
アムネスティは強く死刑廃止をいっているが、それを思うと共感するところもある。
やはり理論上?それに人道上も死刑は廃止すべきである、と思う。
そういえば某中日新聞で死刑確定者のことについての連載をしている。

140206 知れば知るほど

もみいかもみくちゃか知らないが、
ひゃくたかももたか知らないが、
はせがわか馳せあべか知らないが、
言ってることを知れば知るほどcrazyでmadでbrainsickでunbalancedだと思う。
狂会だなやっぱり。
shame on you, crazy yaro.
今や世界中の笑いもの、世界中のひんしゅく、ニギリスじゃ渡航注意まで出た。
ニッポンにはへんなやつがいっぱいいるぞ、危ないぞというわけである。
そう思わせたのはcrazy yaroとあくま集団なのだ。
五輪にあくまは出かけると言うが、ハメリカやニギリス、その他主要メンバーの大統領や首相なぞはボイコットしているから、あくまとしては行きやすいんだろう。
当地でばったりあっていやみを言われないし、誰にも突っ込まれるようなことはないと思ったのだろう。
それにさらちゃんやまおちゃんらに囲まれてにんまりしたいのだろう。
dirty-old-man あくまめ。

ゴースト・ライターが会見したが、18年間もよくぞと思う。
いわゆる良心の呵責に耐えかねてということだろうが、長すぎる。
小説も一旦作家の手を離れたら作品そのものが批判の対象になるように音楽作品もそうである。
しかし芸術作品はみなそうであるが、やはり書き手や作り手の信条や心情がその奥にあるとすると、名前が違うというのは問題である。
さむらごうち氏がどうでるか。
なにやら聴覚障害があるかないかも問題となってるようだし。
絵画などの偽物事件は数知れなくあると思うが、音楽作品は、特にクラシックの場合はあまり聞いたことがない。
他人の曲を変奏曲にするというのはある。
ポップスや歌謡曲なんかは少しはあった。
小説家も文章の盗用が問題になることはあった。
今回の事件にはまだまだ隠れた問題があるのかもしれないが、ちょっと首を傾げる事件だった。
「Hiroshima」のCDはプレミヤが付いて高くなるかもしれないというげすの勘ぐりをして終わり。
じゃなくて、あくまのくそ答弁もゴースト・ライターが書いたものである、終わり。

140205 ハズカシ狂会

なんだかあきれて物が言えない。
某ニホンハズカシキョウカイの経営委員。
某小説家と某大学教員。
お友達内閣にお友達委員だもんな。
歴史や権利というものを自分の都合のいいようにしている。
話にならないのでもうやめるが彼らにこそやめてほしい。
原発の話はするなというし。
だからハズカシ狂会のすることはよく監視して行かなくてはならないだろう。

話は変わって今日一番びっくりしたことは、作曲家佐村河内(さむらごうち)守さんのゴースト・ライター作曲家の件。
あの「HIROSHIMA」は、友達に借りて聞いたが、大変冗長で聞くのがえらかったが、それはともかく何故そんな人の作った作品を名前を変えてまで発表したのか。
またゴースト・ライターをつとめた人も、何故黙っていたのかと不思議だ。
作品としては名前で聞くのでなくて作品として聞くのでそれが良ければ曲がいいのだし名前は関係ないのであるが、そして、これを作った人はどんな人だろうという興味はわくが、あくまで曲は曲でそれがすべてである。
でも、現代のベートーベンなどといってほめそやしたことで、普通に驚くよりも驚き感のギャップは大きい。
佐村河内という人は、ほんとはどんな人なんだろうという謎が深まる。
佐村河内という人が自分だけで作った作品の感じはどうなんだ。
まあいずれにしても嘘を付いていたということの責任は重いものがある。

140204 外れた予想

昨年は稲に付くカメムシは非常に少なかったが、別の種類のあの臭ーいカメムシは大量に発生した。
片方が少なくて片方が多かったということである。
なぜだかは分からない。
あの臭ーいカメムシが多いと雪が多くなると言ってきた。
しかし、その言い伝え?は外れて今年の雪は非常に少ない。
異常気象とも言える。
我が家の除雪機も2,3回しか運転しなかった。
それも多くて15センチか20センチぐらいだった。
いつもだと30センチ、40センチの雪を除雪機でぶっ飛ばすことがあるが、今年はそういうことがない。
まだ、2月の初めなのでどうなるか分からないが、今までは異常だった。
しかし、日本海側はやはり大雪が降っている。
それに結構、いつもとは違って大雪になった地方もあるようだ。
だから全国的には平均していつもの冬かもしれない。
だが、この地域は暖冬みたいな物である。
車のタイヤもスタッドレスでなくても普通タイヤでOKのこのごろである。
寒いのもいやだし、あまり沢山の雪もいらないが、通常降るくらいは降ってほしいとも思う。
雪が少ないということは、地表に溜まる水も少ないということである。
春に必要な田んぼの水が少なくては困るのである。

140203 隷従・幻滅・対抗

ジェリー・ストーカー(Gerry Stoker) というイギリスの政治学者が、民主政治はいいが同時に政治に対する反感が強まっていると述べている。「世界」2
政治に対する幻滅があるというのだ。
その幻滅の形は3つ。
一つは、政治参加の減退。
二つは、政治に対する否定的態度の蔓延。
三つは、政治否定の直接的表現の広がり。
であると述べている。
そして、その原因を12個上げている。
そのことはまた今度取り上げるとして、前に書いたラ・ボエシの論である自発的隷従とどこか似ている、あるいは関係があると感じる。
そして、もう一人、ジーン・シャープ(Gene Sharp)という人がいる。
この人も政治学者であるが、彼の著書「独裁体制から民主主義へ」という本の中で、副題が「権力に対抗するための教科書」とあるように、権力に対抗するための方法を198考え出して論じている。
隷従と幻滅と対抗という3つのことが繋がってくる。
まだ読み切っていないので、読んだらまた書くことにする。
シャープの本は買ったが、ストーカーの本は高いので買わない。
が、「世界」2で小論が載っているし、解説もあるのでそれを読んでからにしたい。

140202 研ぐ

機械好きだった親父が残した機械の中にチップソー研磨機というのがあって、今日出してみた。
草刈り機の刃であるチップソーを研ぐ機械である。
初め見たときは、何だこれは、何をする機械なのだ、と分からなかったが、ネットを見たら使い方が分かる動画があったのでやってみた。
チップソーも二通りあって、のこぎりみたいに刃の向きが互い違いになっているのと、全部同じ方向に刃が向いているのがあるということがこの歳になって初めて分かった。
これまでは、刃の向きに2通りあるなんて事は全く知らずにやっていた。
この機械は、電動ヤスリを取り付け、チップソーを平らに置いて手で回転させながらヤスリに刃を当てて研磨するという物であり慣れると便利ということが分かった。

研磨することでついでにもう一つ。
チェンソーを研ぐヤスリがある。
チェンソーは切れる時はいいが、切れなくなると使い物にならない。あたりまえだが。
それでもうこれはチェンがだめになったと思って新品を買ったことがあった。
あるときベテランのチェンソー名人に聞いたら研げばいいと言われたのだった。
で、やり方を教わった。
こちらは機械はなくて手作業でやる。
ヤスリは丸い棒状になっていて刃の角度を記した添え物というかリーダーの金属板にはめて、その角度をあわせて研ぐという物である。
研ぐところは山の部分と刃の部分の2カ所。
それで時々研いで使うとやはり切れ味が良くなって切りやすい。

人間も時々鈍くなった感受性を研ぐことが大事である。

140201 裏

このごろの某中日新聞の読者投稿の時事川柳はなかなかいい。
(個人的な感想だが)以前はあまり読む気にもならない川柳が多かったが、選者が変わったのかずいぶん辛辣で的を得た作品ばかり。
感心するやら心強いやら、味方を得たような感じがする。
実物を転載したいところだが、それはまずいのでしない。
しかし、やはり見てる人はいるモンだと感心する。
題材は改憲、九条、秘密保護法、領土問題、原発、消費税などなど。
ほんとにうまいところをついている。

首都決戦はあと1週間となったが、どうも原発反対側の割れ方が気になる。
内部問題をあげるブログもあるが、いまさら感もあるし後戻りも出来ないのでどうにもならないがこのままじゃー・・・???という気がする。
それぞれ推す人たちに違和感を感じるのだ。
コイズミははなからすきくなかったが、どうも原発反対に名を借りた曲者じゃないか、わざと割らせるための作戦ではなかったかと疑う。
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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