505 初穂

田んぼの見回りをしたら初穂が出ていた。
毎年だいたい7月30日前後に出る。
出るのは当たり前なのだが、今年の気候は少しおかしかったので初穂の観測も少しは変わるのかと思ったが例年通りだった。
今年は梅雨にしてもここら当たりは例年より雨は降らなかったし、気温もあまり上がらず寒いくらいの日が続いていた。
年寄りは7月に入ってもコタツに足を突っ込んでいた。
このところはいつもの夏天気だが、朝は寒いくらいの日もあった。
明日から8月だが半ばじぶんまでは暑いくらいの日が続いてほしい。
それから稲作にとっては台風も大敵だが今のところ影響はない。
少しかすりかけたものもあったが大事には至らなかった。
後は稲の病気と害虫(カメムシ)の心配。
特にカメムシは大量発生が危惧されている。
稲に付くカメムシはまだ見当たらないが、においの出るカメムシはここらあたりでもすでにかなり発生している。
去年は稲に付くカメムシは非常にと言っていいほど少なかった。
その反作用が今年は来ているのかも知れない。
薬は使いたくないが一斉駆除となると使わざるを得ない。
環境に影響のでないやつならいいがどうしても環境に影響が出る。
何かいい手はないか。
と思うが、素人では難しい。
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504 破棄

前にも書いたが何かことがあると決まって「丁寧に」説明するという。
丁寧に説明したら納得して従うか、反対が賛成に回るとでも思っているのだろうか。
最終処分場をめぐってもめている。
おそらくいくら丁寧に説明をされてもそれに賛成を示すものはいないだろう。
と言うことは原発立地体においてどんどん積み上がっていくということになり、やがてそこもいっぱいになり行き場が亡くなる。
そうすると原発を止めざるを得なくなる。
でも立地体にとってはあるいは原発会社にとってはそれも困る。
最後は海洋投棄かということになるが、国際世論が許さない。
にっちもさっちもいかないということになる。
「最後は金だ」といってひんしゅくを買ったやつがいたが、いくら金を貰ったって、毒をほしいやつはいない。
原発は破棄するしかないのが常識的な道だろう。
それが読めない狂気集団も破棄するしかない。

503 狂気

分からないのであまり書きたくないのだが、佐世保の事件。
生い立ちや家庭の事情もあるし、やはり環境がどうであったかが気になる。
本人の心の闇にどれだけ迫れるか。
迫った上で本人をどれだけ救えるか、まっとうな精神状態を持続し得るかが問われてくるだろう。
ここからは私見。
「殺してみたかった」が一種の狂気であるならば、それはおそらく一般的に誰でもが持っている狂気である。
だけどそれは普通は実践しうるものではない。
実践をとどめているものは何か。
理性である。
あるいはまっとうなと言っていい他者感覚であろう。
他者感覚にも弱い強いがあるならば、究極的にデッドエンドの所で発揮されるこれだけは駄目であるという究極的他者感覚であり、また究極的理性とでも言えようか。
そこがやすやすと壊されたのは何ゆえか。
そこが解明されなければならないと考えるのである。
いわば一線を越える、じゃなくて越えさせたものは何だったのか、である。
そこまで行き着くプロセスと要因であろうか。
いずれにしても人間の持つ狂気の恐ろしさを見せつけた事件である。
最大の狂気は戦争であるが、集団的自衛権を認めたり武器輸出3原則を緩めたりするような行為もまた狂気のなせる技だと言えよう。
今の政権は狂気集団である。
狂気は凶器でもある。

502 司馬

また録画でEテレの司馬遼太郎を見た。
戦後史証言プロジェクト「日本人は何をめざしてきたか」
司馬遼太郎も他者感覚を大事にしろと言っている。
三つつあるのだが、一つ目はいたわり。
二つ目は他人の痛みを感じること。
三つ目はやさしさ。
そしてそれらは訓練して身につけなければならない。
つまり自然には出てこないから努力しなければ駄目だと言っている。
「21世紀に生きる君たちへ」という本の中でいっているのだが、この三つは言い換えれば「他者感覚」に置き換えられる、のではないかと思うのである。
話は変わるが、司馬遼太郎と言えばその歴史観において独特の「史観」をもち、司馬史観などとも言われ賛否があるが、自分にとってなんと言ってもショックを受けたのは「龍馬がゆく」であった。
多分多くの人が同じだったと思うが、あの本を読んで坂本龍馬ファンみたいなものになった。
幕末明治にかけて龍馬が果たした役割は大きかった。
もしも暗殺されずに生きていたら、どうなっていたであろう。
政府の要人になっていたか、はたまた日本のみならず世界の要人になっていたか、政治の世界でなく経済の世界で生きたかなどと想像がふくらむ。
司馬の書ける技なのか、それほど坂本龍馬に対して思い入れがたくましくと言うか強く持たされるのだった。
彼の時代を見る目はいつも先端を行っていたし、未来を見る目も確かであった。
龍馬の他人を見る目、他者感覚はやはり不断の努力によって養われていた。
彼の人脈はあげればきりがないほど広いし時代の中枢にいたり重要な役割をする人ばかりだった。
出でよ第二の龍馬・・・・・って宮沢賢治風になるか。

501 他者感覚

昨日の丸山真男の続き。
丸山は晩年になって、しきりに強く言ったことは、他人ともっと交流せよということだった。
他者感覚を大事にしてほしい。
自分と同じような考えのものや同じ職種、同じ研究をするものとばかりかかわっていないで、他業種、文系のものは理系のものと交流せよと。
同類項とばかり議論しないで違う意見を持つものを大事にせよということである。
自分と違った意見、違った考えを持つものに対しても排斥するのでなく一度自分の中に取り込んで消化してその上で自分の意見と闘わせよと。
他者感覚がないために考えが浅かったり、独りよがりのものだったりする。
横につながれともいう。
他者を理解することあるいは共感してみるということだとも言う。
今の状況とりわけ政治の状況を鑑みるときこの他者感覚の欠如は多分にあるのではないかと思う。
数におぼれ少数をけちらし、自分が思うがままの状況である。
社会的少数者や弱者に対してどれだけこの他者感覚を自分の身のうちに入れているか。
ほとんど0じゃないかと思うのである。
丸山本人もこの状況を見たとき仰天するに違いない。
この他者感覚というのは勿論わたくし自身にとっても大切にしなければならないものである。
あるいは常にその感覚を意識の中に持ち働かせなければいけないということでもある。
自戒としてこの言葉は大切にしたいと思う。
以上丸山の著作も読んだことがないくせにEテレの特集だけ見ての感想であった。

500 民主主義

この前Eテレでやった丸山真男の特集を録画で見た。
戦後になって戦後の民主主義を説いて回った人である。
というか、自分は丸山の著作を一冊も読んだことはないから、詳しいことは言えないが、大学ばかりでなく地域地方へも出かけて民主主義について教えた人である、らしい。
60年安保も経験し、デモにも行ってみようかと同僚にいったとか。
しかし、東大紛争の時は、彼は沈黙のままだった、という。
多分一番肝心なときに黙ったままだったということだが、それが不思議。
その後定年前に東大を去るが、その後はまた地方行脚じゃないが地方へ出かけて講演やら勉強会やら一生懸命にやったらしい。
外国でも翻訳されて彼の政治思想は高い評価を受けている。
単なる机上の人でなく行動の人でもあっただけに、東大紛争の時の沈黙だけは解せない所がある。
しかし、彼からすると今回の政府のやり口はどう映るのだろう。
あるいはこの段階におけるニポンの民主主義についてどう思うのだろう。
人民に対してはかくも脆弱であり、はたまた政府においては反民主的であることに怒りを表すであろうか。
民主主義はプロセスであると言われるが、まさにそのプロセスが破壊されていくような気がする。
ただ一人の人間のためにそうであるとするならば、そいつをたたけば解決するが、プロセスにおける人民の脆弱性と無責任をどうにかせねば本当の解決にはならない。
その日はいつ来るのか。

499 棄民

16才で満州へ送られ開拓をし、その後シベリア抑留を経て帰ってこられた人の話を聴いた。
中国人を追い出して開拓をするということは知らされず、国策として土地を奪うために行かされたようなものだ。
戦争が激しくなると現地で召集され、戦争が終わるとシベリア抑留という国から見放された体験をして帰ってこられたのだ。
国は国民に対しては甘い話で釣って結局は最後まで面倒を見ることもせず棄民化したということだ。
帰国に際してもソ連からの帰国者ということで思想調査まがいのことをしたという。
国策という名の下の騙し(だまし)と棄民という反人道的なことが行われたのだ。
戦争は個人を守らないということがよく分かる。

498 続く

ウクライナに続き台湾やアフリカでも飛行機墜落事故。
ウクライナは誰が撃墜したかはっきりしない。
ロシアに責任をなすりつけようとしているが、ほんとにロシアなのかが分からないということだ。
それにしても撃墜したときのことについての現代の機器の発達ぶりに驚く。
曰く、電話盗聴による事故時の生の声がネットで流される。
これは別の事故についての音声をつなげたという説もある。
宇宙衛星による監視もある。
だがしかし、そんな発達した機器を使っても誰が何でもって撃墜したかは未だ明らかでない。
というか、わざと明らかにされていないのか。
つまり都合が悪いので隠しているとか。
いずれにせよ内戦にまでなったということが今回の事故を生んだ。
内戦を回避し話し合い解決という道をとれない人間のせいである。
こんなことを起こしてもまだ内戦状態を続けるという愚かしさをたたかねばなるまい。

497 気品

ちひろのカレンダーを懸けている。
ちひろの描く絵は愛らしさがいい。
特に女の子の絵はかわいい。
横顔が美しい。
つんとした鼻、つむった口、黒くかかれた目。
その横顔シルエットはほんとに美しい。
もう7月も半ばすぎてしまったが、カレンダーは1枚もめくられずにその横顔のままだ。横顔だとその子を客観的に見られるというか、いつまで見ていてもその子にこちらを見られることがないのでじっくり見られる。
正面だと一対一の向かい合いになってこちらが気恥ずかしくなる気がする。
正面からの絵が良くないということではないが、絵の持つ力というかじっと見ているとそんな感じがしてくるのだ。
横顔はりんとした気品がある。
ちひろ自身もおそらく気品に満ちた女性だったのだろう。

496 夕焼け

夕日や夕焼けはどこで見たって美しいものだ。
日本海に沈む夕日
宍道湖で見た夕焼け。
御岳山頂で見た夕日。
白山山頂で見た夕焼け。
伊勢の浜島で見た夕日。
箱根で見た夕焼け。
我が家で見る夕焼け。
何千何万という夕日夕焼けが毎日どこかで見られている。
それを美しいと思ってみるのは心に余裕があるからだ。
ガザで見る夕日も美しいに違いないが美しいと思って見ている人が今どれだけいるか。
ウクライナで見る夕日も美しいに違いないが美しいと思って見ている人が今どれだけいるか。
夕日や夕焼けを見ると一日が終わった安堵の気持ちが出るものだ。
ガザやウクライナで安堵の気持ちで一日を終わる人はいるのか。
坂本九の歌に「夕焼けの空」というのがあった。
40年くらい前のNHKの夕方の人形劇「新八犬伝」の曲だった。
その中で「夕焼けの空は君たちの血の色」という歌詞があった。
血湧き肉躍る若者の血の色という意味だったが、人はひとりぼっちじゃない、助け合って生きていこうじゃないかというような歌だった。
いわばその血の色は希望の色という意味だ。
好きな歌だったのでレコードを手に入れた。
ガザやウクライナで流れた血は希望の色なのか。
悲しみの色だ。
ガザやウクライナで夕日夕焼けを見ている人は悲しみの色として見ているに違いない。

495 愛

ガザのイスラエルとパレスチナ。
ウクライナの内戦とマレーシア機。
ごちゃごちゃだな。
国連もやっと動き出したようだが、多分聞く耳持たないだろう。
人の憎しみは愛よりも強いのか。
愛は憎しみの力に負けるのか。
愛は憎しみの力に及ばないのか。
憎しみは愛をも憎むのか。
寛容も寄せ付けないのか。
ALL YOU NEED IS LOVE.
LOVE IS ALL YOU NEED.
一分の寛容と一分の忍耐。
一分の愛を受け入れてみよう。
人間は愚かだが愛を受け入れて変える力も持っていると確信してみよう。
世界は変わる。

494 劣化

感性というのはどこから来るか。
というか、どのようにして生まれるのか。
それは、外部の一種の圧力により痛いのか熱いのか、そしてずんと心に響くものであるか、気持ち悪いものであるか。
その響き具合が感性となって現れるのではないか。
と勝手に考える。
理性はどうなのか。
それは判断基準であろうか。
外部の圧力により感じる善か悪か、正か邪かという判断の基準である。
それを決めるのは想像力と感性であろうか。
想像力が大きい。
想像力がないと理性は働かない。
自分が前線に立ち、銃弾や爆弾が飛び交う所にいるという想像力、そのときの気持ちが想像できるかどうか。
また自分が銃を持ち銃弾を発射するという想像をするということ。
自分はそんなところに行かないという想像力拒否ではない。
政治家はすべて前線に立ったとする想像をしてみるということが必要だ。
こんなことは言うまでもないことだが、現段階の政治家には言ってやらないと分からないのではないか。
と思うのである。
想像力イマジネーションについては何度も言ってきているが、この際、想像力検定を政治家にやらせるというのはどうだろう。
などと思う。
イラクで人質になった青年がみすみす殺された時は、政治家のイマジネーションの劣化を感じた。
命は地球よりも重いと言った政治家も昔はいたが今はどうか。
今の内閣は理性劣化内閣イマジネーション劣化内閣である。

493 戦争

イスラエルが地上での侵攻を開始した。
眼には眼、歯には歯じゃないけど、エスカレートするばかり。
非戦闘員たる市民の犠牲が繰り返される。
戦争指導者は安全地帯にいて命令するだけ。
この図が分かっていながら、やめられない人間の愚かさ。
ウクライナのマレーシア航空の撃墜事件もなすり合いをしている。
どちらがやったにしてもそのような武器を作った人間がそもそも居るのだ。
世界がイスラエル、ウクライナ問題で沸いているときに再稼働はやると言い、武器の部品輸出をさせ、TPPも合意に向けて加速気味である。
国民の知らないところでTPPは課税0に向けてやっちまうんじゃないかと気がかりである。
どさくさに紛れて一気にやるというショック・ドクトリンである。
非核3原則もそのうちに反故にしてしまうんじゃないか、と心配する。

492 心理

親露かウクライナか知らないがとんでもないことをする。
旅客機をミサイルで落とすなんて。
大韓航空機事件を思い出す。
ミサイルにしてもロケット砲にしても爆弾にしても機関銃にしてもそれを持つものにとっては使ってみたい心理が働くだろう。
どんな道具だって持てば使ってみたくなるものだ。
ましてや戦場にあってはそこが戦場であるからこそ武器弾薬が使われるに決まっている。
使うものにとっては命が破壊されるというイマジネーションは浮かぶことがないのだろう。

491 倫理

再稼働OKのサインを出してしまった。
やはりこの国は狂っている。
ドイツの倫理委員会みたいに世の中を人間の生活する場として「人間」をもっと重視する国にならないとこの国は破滅するだろう。
「命」よりも「金」を重視するのですか、といった知事がいたがまさしくその通り。
経済優先の国なのである。
政治は経済を中心に回っているのである。
大企業を中心に回っているのである。
経済の話を聴いてきた。
日本ではある年の統計を計算すると賃金に見合う労働は8時から働いて9時20分までの80分だそうである。8時間労働して後の6時間40分の労働はすべて企業が取ってしまうということである。
今はその企業には税金を少なくしていこうという政治の意向がある。
労働者側からすると踏んだり蹴ったりという奴である。
政治家も資本家も倫理をわきまえないというか知らないのが多くなって、ますますのさばるということか。
この夏はしかしまだ原発0で回っていく。
それでも再稼働OKなのだから、どうにかしているとしか言いようがない。
再稼働OK派はイマジネーションが貧困すぎる。

490 毒

ヒルというのは血を吸うのとは別に何かを注入するのだろうか。
昨日ヒルに吸われた口(傷口)がかゆいのとは別に回りがぼんぼんに腫れたようになって透明の液体が出る。
指の方はしびれたようになって曲げることが出来ない。
ネットで調べると血液を凝固させない成分を注入するので血が止まらないと書いてあったり、わざと血を吸わせる医療行為に使うこともあるとか。
ミツバチの針をわざと体に刺して医療行為をするのを見たことがあるが、ヒルにそんな事をさせて同じようなことをするとはびっくりである。
薬は一種の毒であるが、蜂やヒルでも一種の毒ということか。
毒をもって制すというか、良薬は口に苦しというか、災い転じて福となすというか、逆の発想というか、正攻法でなくて闇討ちというか。
クマのやり口も正攻法でなくまったく闇討ち的な仕業である。
言ってみればキタナイ汚いやり口であった。
キタナイやり口には鉄槌を下すしかあるまい。

489 血

山に入って笹藪を切っていたらヒルに食われた。
家に戻ってみると長靴の中に10匹ほど入っている。
そのうち1匹がすねの所の血を吸った。
幸いというかまだ吸い始めだったのであまり傷は深くない。
うかつにも右手の薬指の関節の折れ目の所もでかいやつにやられて、こちらは血がどんどん出てくる。
塩をすりつけてティッシュで巻いていたらやっと止まった。
ヒルの傷跡はなかなか治らずいつまでもかゆい。
一ヶ月ぐらい続くこともある。
その間かゆくてたまらない。
ヒルにやられたくらいの血で往生するが、銃で撃たれたりして出た血となるとその比ではないだろう。
「血を出せ」と迫られて、遂に「ではそうします」と言った馬鹿総理にヒルの百匹でも与えて血を吸わせてみたいものだ。
それも銃で撃たれるのに比べれば大したことはないのだろうが。

488 寛容

イスラエルとパレスチナが危ないことになっている。
ウクライナとロシアも危ないことになっている。
宗教問題、民族問題、領土問題が複雑に絡んでいる。
しかし一人間としてどうなんだろう。
やはり一筋縄ではいかないか。
一人の人間の寛容と忍耐、我慢があれば憎しみの連鎖は無くなるのではないか。
肉親を殺された当事者は、その手を下した犯人に対してはどうしても極刑を望むのか。
その気持ちはよく分かる。
だがその気持ちの中に1分でも寛容の心が芽生えることはないだろうか。
国と国との問題と一対一の人間同士の問題では同じようでもやはり量的?質的に違うのだろうか。
国と国との場合、やはり為政者の心の持ち方が大事であろう。
彼ら自身に寛容の心の持ち合わせがないとどうしても憎しみの連鎖は続くだろう。
パレスチナ問題は、解決しかかるとどこからかまた振り出しに戻ってしまう。
パレスチナはアメリカの問題でもある。
ウクライナはロシアの問題でもある。
血を流さずに解決する方向をねばり強く追求していってほしいと思う。

487 一回性

昨日の感動の尾を引いている。
あのばしっどしっずずんという迫力が耳の奥から離れない。
やっぱり生の力はすごい。
レコードやCDもいいが、思うにクラシックでもジャズでも聴くにはライブが一番。
次がライブの映像作品、3番目がCDやレコードの類だろう。
なんと言ってもライブは一回性というそのときにしか味わえないものが詰まっているところがCDやレコードと違うところだろう。
一回性にはスリルも含まれている。
今までCDなどで聴いてきた音楽と違った感じはないだろうか。
あのドキドキ感がスリリングなのである。
そして視覚に訴えるということもある。
音楽は純粋に音だけで楽しめばいいのであるが、楽器や演奏者を見てどこからどんな音が出ているかということを見ることもある意味楽しみの一つでもある。
邪爺としては演奏者のスタイルや美形かどうかということまで見てしまう。
ジャズのライブではやはり視覚というものは大事な要素である。
ピアノなどは手の動きを見るとその速さなどに驚くことがある。
昨日のマーラーの2番ではステージ上の演奏者の音だけでなくステージ袖の控室に居る演奏者の音を鳴らせるという技法もあった。
遠くから響くラッパの音というイメージである。
そんなことはCDでは分からない。
数十人が指揮者のもと音を合わせるということはやはり簡単なことではない。
それがうまく合わさった時には聴く方も気持ちがいいし演奏者も気持ちがいいものだろうと思う。
高揚した気分が残る一日だった。

486 マーラー2

久しぶりのコンサート。
マーラー2番、小林研一郎、名フィル。
最初の出だしが好きなところ。
じゃかじゃかじゃんである。
そして最終楽章の盛り上がりは素晴らしかった。
岡崎高校の合唱団が出たがコーダでは張り裂けんばかりの声を出し、楽団もフォルテのいくつもつくやつですごい迫力。
ドキドキする。
胸が高鳴りつい涙ぐんでしまうほど。
一昨年だったかにインバル都響の2番を聞いたがあれに負けず劣らず迫力がありほんとに感動した。
「坊ちゃん」風に言うと、腰を抜かす程ど迫力に圧倒されたのだった。
合唱が歌い出す少し手前の辺からオルガンが鳴り響くが、オルガンが使われているとはうかつにも知らなかった。
その後、ぶんぶんとオルガンが通奏のように鳴っていた。
小林研一郎こと通称こばけんはピアノとフォルテの落差大きくメリハリのある指揮で落差が大きい分フォルテのところがど迫力で演奏会場が割れんばかりの大音響を発したのだった。
終わってから拍手鳴りやまず、こばけんはいつもの例で聴衆に向かってあいさつを兼ねた今日の出来具合を述べるのであった。
「自分の予想に反した」出来で素晴らしい楽団だったと誉めていた。
岡崎高校は有名な合唱の力のある高校らしい。
帰り際に外を歩いていたら会場の前にその高校生達がいたのでとても素晴らしかったと誉めておいた。
最終楽章のすばらしさはやはり生でないと味わえないのかも知れない。
これで2回2番を聴いたがどちらも素晴らしかった。
いやーよかったよかった。
シニア割引であの演奏はおつりが来るほどだった。

485 斬新

台風一過いい天気になった。
しかし、蒸し暑い。
草刈りと草取りをした。
炎天下でやったので汗でぐしょぐしょになった。
水分補給が欠かせない。
BSで時代劇を見ていたら音楽担当が近藤等則こんどうとしのりだった。
懐かしの名前である。
40年くらい前に一躍有名になったのだったが、そのサウンドが新鮮だった。
近藤等則IMAとか近藤等則チベタン・バンドというバンド名で独特のサウンドを出していた。
今回の時代劇の劇伴でも同じようなサウンドであった。
トランペットにイフェクトをかけてエコーをかけたりするのである。
番組の最後には本人が時代劇の格好をしてトランペットを吹く様まで出してくれた。
「秘太刀馬の骨」とかいう藤沢周平原作の劇であった。
この作りもなかなかこっていて漫画っぽくもあり舞台的でもあり、いろいろな面で普通の作りとは違っていて面白かった。
近藤等則の斬新さに合わせたのか斬新な劇に近藤等則が合わせたのか、どちらかというと劇の方が斬新的であったように感じる。

484 防災

先日地域住民が一体となって防災訓練をした。
いつもは9月にやるのだが今回は事情があってこの時期にやった。
いつもは区ごとにやっているのだが今回は村中でやった。
7つの区がある。
1次避難場所にまず避難してその後2次避難場所へ移動するというものだった。
その際安否確認カードというものを使ってそれぞれの世帯の人数確認をした。
やはりどの区も高齢者の一人世帯とか女性の一人世帯とかが増えている。
そういう場合隣近所の助け合いが大事になる。
いわゆる共助といわれるものだが、日頃からお互いに話し合ったり情報を共有しておかないと共助もうまくいかない。
区で集会などを開いたときには時々そのことについて確認しあうことが大事であろう。
今後東海地震や東南海地震などの災害が起きることは確実である。
また原発の再稼働も容認しているような政府だから、原発災害についてもどうすべきかを考えておく必要がある。
しかしもし原発災害が311のときのように起こったら、まず避難は困難だろう。
それにだとするともう終わりということになるのではないかと思う。
原発はドイツみたいに廃棄すべきである。

483 言葉

前にも書いたと思うが、政治家の言葉は言葉として正真正銘その意味は正しくなければならない。
政治家でなくてもそれは同じだが、特に政治家はという意味である。
「平和を守ります」といったら必ず「平和」というものを守らなければならない。
「平和を守ります」といって戦争をしていたら意味がまるきり違う。
平和=平和であるべきものが平和=戦争ではないということだ。
九条に戦争はしないと書いてあるのに、勝手に戦争はできると読み方を変えるのは言葉を軽く見ている。
というかまるきり言葉というものを裏切っている。
ジョージ・オーウェルの小説の中の政治家の言葉も全く同じだった。
意味が意味をなさなくて反対の意味に読み替えなければならないという風刺をしていた。
現代の我が国の最低責任者の物言いも同じじゃないか。
俺の税金を使って外国を飛び回り、解釈改憲をして平和を守るのだといっているが、それがまさにオーウェルの小説並の大嘘な物言いである。
おいおいそれは違うだろうと言われた方も言い返せばいいものを同調しているとは情けない。
それこそ見識を疑われるというものだ。
今回豪州では勝手にEPAなるものでTPPの前哨戦とも言うべき関税撤廃に向けた関税を安くすることを約束してみたり、全くもって分別ないことをする。
酪農家はみんな怒っているぞ。
これからてめえ一人で豪州牛肉を買い込んでメタボになって階段から落ちて死ねといいたくなる。
いずれにしても言葉をないがしろにするものは言葉によって破滅するだろうということは言っておきたい。

482 FAST

知り合いがこの前、脳梗塞で入院した。

仕事を一段落して家に帰ってきてTVをつけたがリモコンが思うように指が動かない。

手先や足先がしびれたようになった。

歩くのにしびれを切らしたときのように足がぐらぐらで歩けない。

食べたものを吐く。

しゃべろうとしたが、「ぬるま湯」というのがはっきり発音できない。

などの症状が出て自分で携帯から119をする。

息子がちょうど来たので家の電話で119をする。

ということで、気がつくのが早く救急車も早く来て病院でも検査の後応急措置も早くでき1週間あまりの入院で退院してきた。

脳梗塞はFASTだといわれる。

Face顔がゆがんだようになる。

Action身体の動きがおかしい。

Speech言葉がうまく発音できない。

Time早く気がつき早めの対応が大事。

ということで彼はこのFASTがそのまま当てはまった例と言える。

早い対応がとにかく大事だということだ。

481 七夕

年に一度の七夕。
年に一度の健診に行った。
悪いところはいつもの通り。
尿酸値は下がったのでよかった。
食事と運動を心がけることが大事である。
50肩はなかなか治らない。
半年くらいかかるといった人もいるが注射と貼り薬でぼちぼちやるしかないか。
くまはまたオセアニアなんか行って集団的自衛権の容認をアピールしているようであるが、おみやげ付きだから言われる方もリップサービスか何かでいいんじゃないのというくらいで人ごとだからどうってことないのだろう。
てことがわからんくまだろう。
どうせ行くなら中韓に初めにいったらどうだ。
税金使って飛び回るようなことは慎んで貰いたい。
遠くの親戚より近くの隣人。
って知らないだろうな。

480 良心

今日はまた一休み。
昼から昔のというか現役も含めて歓送迎会に行って来た。
二人退職。
組合員は年々減るばかりだが、県の状況を聞くと今年あたりは結構若い人の加入があって何十人もの人が加入したと聞く。
組合?それ何?て感じで先入観がなくなっているかも知れないとも聞く。
それはそれで結構だが、それならなおのこと若い人を沢山加入させて元気になってほしいと思う。
戦争をする国造りが進んでいる今、教え子を再び戦場に行かせないというスローガンを持ち続けてほしいし、それならばなおのことそれに立ち向かえる教師は団結していないと力にならない。
と思うのだ。
命を大事にといいながら戦場に行かせていたら元も子もない。
今後、馬鹿なおぼっちゃ魔政策が意に反して進んでいったら教師の良心はぐちゃぐちゃにされ死んでしまうだろう。
あるいは良心のある故にやめざるを得ないかも知れない。
今の「戦争のできる国」政策はまさに教師ばかりでなく多くの民の良心を踏みにじるものになる。

479 長谷川如是閑

今日も草取り。
腰と足が痛い。
せっかく楽になったと思ったのにまた逆戻り。
それはさておき、コーメーはしっかり歯止めをかけたと言っているが、そもそも立憲主義を壊すようなルール違反を何も反省していない。
それに公約破りも言っていないし、以前に言っていたことと逆のことをしながらそれには触れない。
多分これで奴らは滅びるだろう。
新聞で長谷川如是閑の戦争絶滅法案のことを書いていたが、そのオチもあることが分かった。
正しくは戦争絶滅受合法案というのだが、こんな法案は通らないことは分かっているので、これが通るような法律案を作ってほしいと言っている。
如是閑のコラムの文は、「『戦争を絶滅させること受け合いの法律を採用させること受け合いの法律案』を起草して貰わねばならぬ」という文である。
大正時代の雑誌に載せた文だが、当時から戦争を嫌う思想はあったということだ。
如是閑は皮肉って書いたものだが、その後8年経って日中戦争になったらしい。

478 自負

3日ほど田んぼの草取りをしたら足腰が無茶苦茶痛くなってしまって座ったり立ったりするにも痛たたたたとなる。
が今日一日休んだら結構回復した。
あと一枚残っている田んぼがあるがこの田んぼが一番草が生えていて一日では済みそうもない。
田んぼに入って腰を曲げて草を取って立ってまた一歩進んで腰を曲げてをやっていると気が遠くなりそうである。
気が長くないとやっとれん作業だ。
休んだお陰で楽になったが、後の一枚を思いやるだけでも腰が痛くなりそうだ。
いかにも肉体労働である。
きっと毎日続けていると慣れてきて少しは楽になるのであろうが、時たまやるからよけいに足腰が痛くなり疲れるのだろう。
矢継ぎ早にやってくる悪政にも慣れというものがあると怖いものだ。
あきらめムードが漂うと危険である。
今回の集団的自衛権は矢継ぎ早にやってきた悪政の最高点でるから、刺激が大きい。
刺激が大きすぎるくらいだから、ちょっとひるむが大きいからこそ反発も強くなければならない。
悪政軍団に比して反発勢力はいまのところ半数を超えている。
だから押し返す力も決して小さくはないという自負を持つべきである。

477 異常性

彼らに子どもや孫はいないのか。
それらが戦場に行くことになるという想像力が働かないのか。
自分たちの子どもや孫は特別な計らいで行かなくてもいいようにできる法律でも作るつもりなのか。
今日のクローズアップ現代は菅がでてしきりにニポンが「生命、自由及び幸福追求の権利を根底から覆す明白な危険」が及ぶときと言う言葉を言っていた。
女性キャスターはあまりにも何度も言うので苦笑していた。
クマが出したあのお笑いの例示、邦人である老人や母親や赤ちゃんがハメリカ艦船で救助、をまたも出して得々と説明していた。
この42年間で海外旅行者や海外在住の邦人がすごく増えた。
その人達が戦争で危険な目に遭うことになったらどうするのか、と言っていた。
しかしその42年間に邦人が戦争行為で人を殺したり殺されたりしたことはなかったという事実は何も言わなかった。
何よりただの一内閣において勝手に解釈を変えるという異常性について説明はなかった。
ただ世界の情勢の変化に対応するということを言うのみであった。
今後関連法案を作成してその中で丁寧に説明していくというが、いくら説明したって合理的な理解が得られるような話はできないだろう。
「丁寧に」といういつもの言葉の白々しさよ。
間違ったことを丁寧に言われたって間違いは間違いで正しくはならない。

476 反・命

教育において命というものは一番だった。
一番大事だと教えてきたのだった。
この頃は避難訓練といわずに命を守る訓練と言っている。
自分の命は自分で守りましょう、という。
いじめも命を大事にする一環の教育だろう。
「道徳」でもそれは大事な一角を占めている。
「教育基本法」が改悪されて愛国心が強調されだした。
「愛国心」は極端に言えば「命を捧げよ」のことだから反・命である。
九条に変な意味を付け加えたから反・命である。
戦争ができるということは誰かが命を捨てねばならないことだから反・命である。
命を大事にすることや命を守ることと戦争は相容れない。
「命を守ります」「国民を守ります」というのなら、九条改変は矛盾する。
その矛盾が奴らには理解できないらしい。
その矛盾が理解できないと言うことは、自分の命は大事だが人の命はどうでもいいと思っているに違いない。
自分は助かりたいし戦場には行かないが、他人が行って自分を守ってくれるし、他人がそれで死んでもかまわないと思っているのだろう。
想像力のない奴らである。
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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