627 治安維持法

治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の会長さんの話を聞いた。
長い名前なので途中に、のにをするという助詞などを入れると分かりやすいと教えられた。
それはともかく治安維持法といえば歴史上の出来事として一般人は浮かぶだけだが、いまだにその解決?はなされていないと言うことで驚く。
治安維持?と聞くと、言葉上は治安を維持することならいいじゃないかと思われ勝ちなのだが、主権在民でなく天皇制の元での治安維持とは天皇制に反対したり政権を批判したり戦争に反対したりするようなことを取り締まるのが治安維持であり、端的に言えば、そういうことを言ったり行動で示すものを弾圧するものだった。
戦後、その法律は破棄されて弾圧されたものは釈放などされたが、謝罪や賠償などは無かった。
そのために作られた同盟なのだが、いまだにその運動が続いていると言うことは政府はなんら手を打ってこなかったということだ。
他のヨーロッパやアメリカなどでは同じような目的で弾圧された人々への補償はなされている。
今また秘密保護法で国民の目と耳をふさぎ集団的自衛権の名のもと戦争できる国を目指し憲法改悪をたくらんでいる政府は、治安維持法下のニポンにまた戻そうとしている。
逆の道に戻そうということだ。
いつか来た道には戻りたくない。
というのが国民の基本的な考え方である。
実力で示したいものだ。
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626 石橋湛山

近くにシベリア抑留経験者の方がおられて、話を聞いたのだが、ある本を貸してくださった。
半藤一利著「戦う石橋湛山」という本である。
まだ数ページしか読んでいないが最後の方で櫻井よしこが解説を書いている。
半藤と櫻井の取り合わせに驚いたのでどんなことを書いているのかと思ってそちらから読み始めた。
その前に何故櫻井なのかというと、同じ高校の出身という縁で書いたみたいだった。
櫻井といえば右の論者でばんばんであるが、それなりの右臭い書き方をしているところもあるが、中に報道に対するかなりの思い入れを書いているところがある。
戦中の朝日の報道姿勢についてである。
櫻井は、「広島長崎に原爆が落ちた後の敗戦間際の頃、朝日の首脳部は『数日中に敗戦による戦争終結が到来するという客観情勢ははっきりと把握』していた。
しかしこのことを読者に知らせず、むしろ知らぬ顔をして、報復の一途あるのみ、とか軍当局を信頼せよといって国民に戦えと言ったという。
それはジャーナリズムの自己否定であろうか。」
という。
新聞、報道は真実を隠すことなく国民に知らしめるべきである。
と言っているのだが、現・ぼっちゃ魔が進める秘密保護法はまさに真実を隠してもいいという法律である。
右の櫻井にとっては、この法律をよしとするのではないか。
と思うと、上の解説とは乖離する。
のではないかと思うのだ。
・・・石橋湛山といえば俺等が小学生の頃総理大臣になった人だったがほんの数ヶ月で病気のためにやめてしまった。
という記憶がある。
半藤氏は彼が戦中からいわば反戦の論を張ったことを高く評価しながらこの評伝(のようなもの)を書いている。
読み始めたら興味が出てきたので読んでみることにした。

625 不戦決議

s-不戦決議2


28日は親鸞聖人の命日なのでお寺へ行ってお経を習ったり座談会をしたりする。
今日は報恩講も済んだし参加者は自分だけ。
雑談をして帰ってきた。
写真の不戦決議が掲示してあったので写してきた。
一億総火の玉だった頃はあまり深く考えられることもなく宗教界も戦争遂行に協力していたが、戦後きちんとした反省のもと不戦決議がなされたのだ。
文書化されたのはやっと1995年で戦後50年も経っていた。
戦時中は竹中彰元のような戦争に否定的な人もいたが、おそらく何の疑問をはさむことなく世の中の流れに乗ってしまった宗教界だった。
現代においては勿論どの宗教界も反戦の意識は持っているだろうが、きちんと前の大戦を総括反省及び今後の反戦不戦の意志を示したところはあまり無いように思う。
政治にかかわらなくても日頃このような宗教にかかわる人は多い。
宗教にかかわる以上、このような反戦不戦の意志を貫いて欲しいものだ。
政治の面になると戦争OKでは筋が通らない。
ところであの平和の党を自認する党はどうなのだろう。
あれで反戦不戦と言えるのだろうか。
口先だけで実質は戦争OKに傾いてはいないだろうか。
それじゃあ、平和の党じゃない。
いずれにしても宗教がどうあれ人間として反戦不戦は誰がなんと言おうと正しい道であり、それが片隅に追いやられるようなものであってはならない。
と、戦後の人間は自覚したはずである。
と、いうことを再認識しなければならない。
そう認識できない人は退陣すべきである。

624 脱戦争ポスター展

s-選挙行く?


フェイスブックに出ていたポスター。
まさに選挙に行かなかったら戦争に行くことになるかもしれない。
って以前には考えられなかったことだが、非常に現実的な話になってきている。
たった一人のやり方のために何千万の人が影響を被る。
いわば「生か死か」という極限状況になっているといっても過言ではないだろう。
ということを肌で身にしみて感じられるかどうか。
が問題。
しかし、現実的には保守の壁は固い。
昔からのひいきの引き倒しみたいな保守がいっぱいだから。
盲目的な保守。
苦痛を強いられてもいずれはよくしてくれるという期待感。
いわゆる自発的隷従という奴である。
保守の壁を崩すには、まだ頭の柔らかい若者層への働きかけが大事だろう。
うーん、でも今の若者層。
政治には無関心に見える。
戦争さえOKというものもいたりする。
そこでやはり論理や説得でなくて感性に訴えるということは一つの手であると考える。
この「脱戦争ポスター展」のポスターは感性に訴えるものがある。
フェイスブックの「脱戦争ポスター展」は若い人に見てもらいたい。

脱戦争ポスター展

s-ふざけんなポスター

623 差別

ハメリカでは黒人少年の射殺事件をめぐって争い?が起きている。
相変わらずのハメリカである。
依然として白人とカラードとの差別問題は続いている。
キング牧師などの公民権運動によって差別は一旦解消したかにみえたが、50年経った今も変わらない状態である。
大統領が黒人になってもこの有様。
民主主義の国と言いながら、この有様は何だ。
NKHがキング牧師のI have a dreamを少しニュースで流していたが、あれを見て白人たちは心に響くものはないのだろうか。
というか、ハメリカの上層部?の意識が多分古いのだろう、と思う。
特に司法関係。
大抵黒人に厳しく、白人に甘い判決を出したりしている。
のじゃないか。
日本のレイシズムも相変わらず。
沖縄差別も一種のレイシズムだろう。
アイヌのことで北海道人があらぬ発言を今だにしている。
コリアン差別もチャイニーズ差別も今に始まった事ではない。
人間誰でも同じだよという感覚、意識、考え、思想はハメリカの教育にないのだろうか、と思う。
いや、足元、ニポンでも同じことだ。
同和でやることはやっているが、深い意識の中にそれが蓄えられないということか。
差別は戦争の元だ。
やはり見過ごしてはならない。

622 芭蕉様

公民館報に載せる原稿を作った。
地元の通信なので地元の話題を書くと興味を引くかなと思い出来るだけ地元の話題を考えた。
それだけでは面白くないので今と昔の暮らしを比べるといいかなと思い、それも混ぜることにした。
さらにもう一つひねりを入れて芭蕉の俳句を取り入れた。
芭蕉の俳句にまつわって地元の話題を今と昔を取り混ぜながら書くのである。
難しそうに見えるが案外やさしい。
俳句だからその中の季語や575のうちの言葉を使って地元に結びつけるようにするだけのことである。
というか、自分で勝手に書くのだからそれらがあってもなくても気にせずに書いてみることにした。
芭蕉は勿論この地方に来たわけではないので、どこか知らない場所で詠んだ句でも引用せざるを得ない。
しかし、例えば鹿のことを詠んだ句があれば、今ではこの地方でも鹿の被害は大問題であるから引用できるというわけである。
これで2度目の投稿になるが、合わせて6句の俳句を取り上げた。
芭蕉の俳句は全部で1000句ほどだから、自分ではすべての句をエクセルに移して検索出来るようにした。
そんな事しなくてもネットでは全句が見られるし解説も読めるので無駄骨だったかもしれないが、どの句も読んだというしるしにはなる。
何かの役に立つと思って移したのだが、今回記事を書くに当たって少しは役に立っている。
検索で「野分」と入れるとすぐ出るし、季節ごとの検索や季語の検索も出来る。
しばらく芭蕉を使って書いてみようという構想も出来た。
のが最大の収穫かもしれない。

621 耳が変

今日も一人で森に入る。
昨日立てた支柱に10本ごとにペンキで印を付けてきた。
こうすれば30mごとの網張りも網をその場所においておけば早く片づくと思って。
それにいくつ網がいるかも分かる。
縁の下の力持ち的な仕事だなあ。
それはともかく、また耳の聞こえが悪くなった。
自分のしゃべり声が変。
毎日イヤフォンを寝るときつけて寝るがそれのせいかとも思うが、そうではないとも思う。
癖で耳をかいてしまい傷つけたかもしれないのだ。
我慢しようと思うが癖はなかなか直らない。
耳鼻科へまた行くことにしよう。
またかと思われるかもしれないし怒られるかもしれないが仕方がない。

620 ジャズライブ

s-jazz.jpg


今日は夜、岸ミツアキのジャズ・ライブに行ってきた。
久しぶりのジャズ・ライブである。
岸ミツアキ・トリオは毎年秋にこの町でライブを行い今回が6回目。
自分としては今回は2回目。
ジャズ仲間の友人と一緒に行く。
会場がステージのあるいわゆるそれ用に作られたようなところでなく、ピアノなど楽器を平場で取り囲むことが出来る会場でアト・ホームな感じ。
友人が早くに並んでおいてくれたお陰ですぐそばのいわゆるかぶりつき席で聞けた。
ドラムスに1m、ピアノに1.5m、ベースに2mという近さ。
ドラムスはやかましいかなと思ったが全然そんなことなくて逆にブラシでこする非常に小さな音まで聞き取ることが出来たのだった。
会場が小さいとはいえあの小さな音は後ろの人に聞こえたかどうか。
岸ミツアキは演奏の合間にしゃべくりを入れるのだが、これがなかなか。
本人も言っていたが、しゃべくりを聞きに来る人もいるくらいだとか。
それはともかく、演奏の方は分かりやすいメロディのものばかりで楽しめた。
アズ・タイム・ゴーズ・バイ、
ワーク・ソング、
テネシー・ワルツ、
ロバータ・フラックの歌った「やさしく歌って」、
コーヒー・ルンバ、
シャルル・アズナブールの作った「~の片隅で」(題名忘れた)
ブルー・ムーン
などなど、約2時間のライブ。
知っている曲が多かったので心で口ずさみながら楽しく聞けたのだった。
やはりごりごりのジャズでなくほんわか系のジャズでないと小さな町では受けないのかもしれない。
たまにはこういうのもほんわかしていい。
外へ出たら少し寒かったが久しぶりのライブに体の中は暖かくなっていた。
なんて。

619 気晴らしタイム

今日は小旅行に行ってきた。
富山、石川の北陸方面。
バスで行くと旅行という気がする。
じじばば主体で男が4人、女が14人。
3800円の昼食がメインの目的だが、海の幸がいっぱいで食べきれないほど。
無理して食べたら腹がえらくなった。
家に帰っての夕食はパスした。
今日は絶好の旅行日和、途中で止まったSAからは大日岳や白山がばっちり。
登山をするにも絶好の日になったに違いない。
冬に向け暮れ行く山々を眺めながら車中では飲めないので談笑か居眠り。
昨日まで仕事ガッツリだったので骨休めの旅行とする。
が、なかなかバスに乗っているのも楽ではない。
金沢の市場にも行ったがあの雑踏も疲れる。
バス旅行も朝の初めのうちはいいが、帰路になると疲れが出てきて家に帰るとどっと疲れが出る。
風呂に入って出るとやっとほっとする。
参加者は隣近所の知り合いばかりだが、親睦を兼ねてたまには旅行もいいかなと思う。
日ごろ、独り身の人や独居老人さんなどにはいい気晴らしにもなるだろう。
女の方には特に息抜きができていいかもしれない。
今日は朝早かったし疲れたので早く寝る。

618 愛着

午後から鹿の防護網を張るところのリード線を張ってきた。
今度の山は笹が生い茂っていて倒れると見えないくらいの茂りようだった。
それに間伐材がそこらじゅうに入り組んで倒れていてそれをどかさないと網が張っていけない。
次回は支柱立てだけしようかと思っていたが、笹薮刈りと間伐材どかしで済んでしまいそうだ。
肝心な作業はその次となる。
青いビニールひもを張りながら、途中のところで感慨にふける。
そこには昔10代のころすなわち小学生か中学生のころよく通った山道があったからだ。
その時分はまだ山の仕事が結構頻繁にやられていて人のよく通る道であった。
自分は親父がその道を通って山の中で薪を作る仕事をしていたので休みになると必ずといっていいほど手伝いに行っていたのだ。
荷車を引いたりもした。
坂だったので登りはロープで引っ張って登って行ったし、帰りは後ろから暴走しないように引っ張って降りてきた道だった。
その道は今は誰も通らない。
山を切り開いたその道は昔は平らだったが、今は雨水が流れて掘れていて深い谷のようになっていた。
50年もたつとそんなになるのだ。
50年たったその山道。
50年たった自分。
半世紀というその時間の長さを思う。
自分は変わっていないように思うが、その山の変わりよう。
その道の変わりようは確かに50年という長さを感じさせるものだった。
そういえばそのあたりに自分の所有する山林があったはずだが、50年も入っていないとどこからどこまでが自分の土地であったかは皆目見当がつかなかった。
およそこのあたりであることは予想がつくが土地の境目は分からなくなっている。
山に関してはそういう問題が多く発生している。
昔はどの家でも薪を取りに行ったり草を刈りに行ったり頻繁に山に出入りしていたが、今は全然そういうことがない。
のでどの家でも代が替わると山の土地の境は分からなくなっている。
どこにあるのかも分からないうちがあるのではないかと思うほどだ。
自分の子どもの代になれば完全にどこにあるのかも分からなくなる。
地図上には残るが実際にはないと同じことだ。
地図だけ地主ということだ。
山に対する愛着もなくなる。
山はますます荒れる。
困ったことだ。
・・・・。

617 しっぺがえし

今日は猪鹿無猿柵の網をみんなで張った。
初めの部分は急斜面で作業がしづらかった。
10人ほどでやったのだが、だんだん作業に慣れてきて最後のほうになるにつれて手際よくできた。
チーム作業はやはりそれぞれの得て不得手を生かしてやるとうまくいく。
し、自分がこれぞと思うものをやりだすと慣れてきて手際もよくなる。
張る人、結ぶ人、打ち込む人、周りをきれいにしていく人、運ぶ人などなどいわなくても自然に役をこなしていた。
山の中の作業なので熊が心配だが、大勢いると心強い。
今年は熊が頻繁に出る。
高山ではまた被害。
どんぐりなどが不作なので里に下りてくるみたいだが熊もかわいそうだ。
気候のせいだということは人間の生活様式の変化が原因だから、やはり人間が原因である。
しっぺ返しが来ているのだ。
しっぺ返しといえば選挙では今度こそしっぺ返しをしたい。
ものだ。

616 ユニバーサル・デザイン

今日も田起こし。
今日は上下とも寒さ対策で万全のかまえで行った。
寒いのは顔と足なのでフードつきカッパと足は雨カッパのズボンをはく。
耳も寒いので耳隠し。
完全に冬のかまえだがおかげであまり寒くなかった。
それはともかくあるメーリングリストのメールをみると、ユニバーサル・デザインのことが話題になっている。
教育の場にユニバーサル・デザインである。
簡単に言えば教育のあらゆるところで何でも統一しちゃおうといういうことである。
板書の仕方、教室の掲示の仕方、ノートの書き方などみんなおんなじことをしちゃおうということだ。
ある県で研究が進んでいるとかで、その県に向けて研修に行かされるところがあるという。
学力テストでNO.1の県だそうだが、研修に行ったものはその報告を立派にやるそうである。
特に若い教員はそれがいいことだと考えて帰ってくるらしい。
統一することはある意味必要悪みたいなところもあるかもしれないが程度の問題であり、何から何まで統一したら全体主義である。
個性埋没になるのではないか。
教師自ら考えることの大切さをなくしはしないか。
教育のマニュアル化が言われて久しいが、さも新しい用語に切り替えてやられているような気がする。
ロボットがやるみたいな教育になりそうだ。
学力テストの弊害はすでに忘れられて、新しい形での教育の全体主義化が始まっているのではないか。
と思う。

615 おばか天国

この前メンテナンスに出したトラクターが戻ってきたので、再度田んぼに入って打ち直しをする。
まったく2度手間になってしまった。
風が冷たいので上着を着込んで行ったがそれでも寒かった。
やはり10月のうちにやっておかなくては、寒くてやりづらい。
それはともかく、正式にやってしまった。
解散を。
自分のやること(消費税増税)がいいか悪いか問う選挙だそうである。
やることよりやってきたことをこちらは問う。
悪政の数々に対してどう思われているかを確かめるべきだ。
これからやることも悪いに決まっている。消費税は悪税であるから、悪いもいいもない。
それより識者の中には消費税上げるべきという人が多いのには驚く。
有識者会議なんてやっているがそう人ばかりを集めたようなもんだ。
いずれにしても金持ち大企業優遇の政治にはもう誰もが気づくべきだ。
このごろ思うが庶民も経済というものの実態に関心を持ち学習し、如何に世界の経済やニポンの経済が回っているかを知るようにしなければならないと思う。
日銀の総裁は金融緩和をまたもやったが、それは消費税アップを見込んでやったと国会で言ったという。
報道されない事実だそうだが、少しでも金回りをよくして景気浮揚を図ろうという魂胆である。
が、無駄な決断だったようであるし、一回前にしたのに庶民の金回りはよくなかったという経験は生かされないで、独りよがりの決断になってしまった。
という、反省もせずにひたすら経済をよくするといってはばからない経済音痴のおばかにはほんとに腹が立つ。
オスプレイを5機も買うことに決めたそうである。
1機100億円以上。
それこそそんな金は社会保障に回すべきである。
35人がだめなので40人に戻すというおばかもいるし。
いつの間にかおばかが移っておばか天国になったみたいである。
お馬鹿には利く薬はない。

614 尊厳

s-不戦決議

オキナワの尊厳を取りもどしたと琉球新報。
歴史的にも大きな意義を持つとも。
次はニポンの尊厳を取りもどす番である。
これだけ好き勝手にやられてまたも再選などは尊厳どころではない。
自己死である。
いや他己死である。
己の尊厳を守りつつ全体の尊厳を回復しなければならない。
全体の尊厳を回復することによって己の尊厳も守ると言った方がいいか。
首相一人が世界に示した馬鹿度を馬鹿ではない俺等がその馬鹿度をひっくり返さねばならないのだ。
いわば尻ぬぐいである。
GDPがマイナスになったのであわてふためいているがこれでバカドミクスはうそっぱちであったことになる。
嘘を隠すためにやる解散みたいなものだ。
これまでやってきた秘密保護法や集団的自衛権や改憲や消費税増税やなどなどを俺等がその本質をまたほじくり返さないうちに抜き打ち解散してチャラにしようと言う魂胆だ。
と思う。
写真は某寺院に張ってあった不戦決議。

613 勝つ

オキナワが勝った。
めでたい。
非常に目出度い。
かかわった人たち、みなさまご苦労様、おつかれさま。
そしてさすがオキナワ県民。
都民や府民と違う。
自分は何もせずただただ祈るばかりだったが嬉しいニュースだった。
今年のグッドニュースNO.1である。
胸のもやもやが少し晴れた感じ。
辺野古のこれからの道も勝ったとは言え撤回には相当な戦略も必要だろうが頑張って貰いたい。
一つのことが終わった。
でもまた始まりがある。
今度は打倒おぼっちゃま政権に向けてオキナワのようになりたい。

612 収集と聞き取り

今日は文化祭の展示の準備、それに報恩講。
展示準備は夕べもやったが今日は作品搬入とディスプレイである。
お寺もあるので他の人たちにお任せである。
毎年重なるのであっちへ行ったりこっちへ行ったり。
どちらにも申し訳ない気がするが仕方がない。
家にあった古い写真を展示して、その写真の年代を教えてくれるよう書いて置いた。
それと村にある昔の写真をデジタル化したいので提供していただきたい旨も書いた。
特に戦争時の写真などは貴重であるので欲しいところだが、あるのかないのかが分からないので出てくるかは疑問である。
写真はともかく戦争時の記憶はこれから無くなっていくばかり。
今のうちに収集したり話を聞いておかないと数年で消えていく。
写真ばかりでなく資料もあれば欲しいところだが村の人口も少なくなったし、残っている家は少ないかもしれない。
昨日の平和の俳句じゃないけれど書いて残すことは大事なことだ。
話は変わるが、某県では、解散に対してやめろと言う決議。
分からんでもないが、先駆けて特異なことをする。
以前も何かのことで変な決議をやったことがあった。
確か教科書のことだったか。
ライト的な行動をする県だ。
今日の言葉・・・半座を分かつ。

611 平和の俳句

とりもどそう とりもどそうから とりもどそう
某新聞で平和の俳句を募集することにしたというので、とっさに浮かんだのがこれ。
単なる言葉遊びに過ぎないが、これから真剣に作ってみようと思う。
俳句は以前に作ったことがあるが、311を境にすっかり気力が萎えてしまい作れなくなっていた。
今もあまり前向きな気持ちになれないところはある。
しかし、平和をテーマにした俳句というのは面白そうな気がする。
某新聞に載った金子兜太さんの句に重みを感じた。
<水脈(みお)の果て 炎天の墓碑を 置きて去る>
それにこれもまたどきっとする。
<戦争が 廊下の奥に 立ってゐた>渡辺白泉
ある公民館の月報が、<梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ>という俳句の掲載を拒否したということが少し前に問題になったことがあったが、とんでもないことである。
ということで、平和俳句に少し首を突っ込んでみようかと思った次第。
はてさて言ってはみたものの出来るかどうか。

610 不公平制度

解散風はいよいよどこもかしこも誰も彼もほんとにしだしたが、本音としては首相自らがこのままでは自分自身がまずいことになると自覚したからだろう。
勿論自分ではそんなことは言うはずもないが。
だからまず解散風を勝手に吹かしておいて裏で勝算をたくらみあちこち画策しているのだろう。
こちらにとってはあと2年も我慢するより早く政権打倒が出来るから願ってもないことだ。
ネックは小選挙区制。
何故野党どもはこれを改革しようとしないのだろうと思う。
誰が見たって不公平な選挙制度であり民意は反映されない制度である。
この制度は俺達が学生の頃から問題になっていた制度だった。
当時はこういう制度が出来たらどうなるか、だからこの制度はよくない、反対だという議論で終わっていたが、突破されてしまった。
やはり最低最悪の結果を招いた。
50%以下の得票率で50%以上の議席をとれるのは不公平にも程があるのである。
昔から強い保守系にとっては心強い味方になっただろうが、野党にとっては全く逆である。
裁判所は選挙制度についてとやかく言えないかもしれないが、少なくとも1票の格差が大きいことは認めている。
小選挙区制のひどさについては前にも書いたと思うが、不公平税制の消費税と同じで不公平選挙区制であり、民主主義の死をもたらす悪魔の制度である。
どうして、野党どもはこれをただそうとしないのか。
それはさておき、その不公平の中で如何に政権を打倒できるかが目下の難題である。
小選挙区制の前にまたも破れるか、それともそれを突破して優位に立てるか。
いずれにしてもなんとしてでも奴等は打倒しなければならない。
暗い新年を迎えるか目出度い新年を迎えるか。
師走はまさに忙しくなるだろう。
・・・って自分も解散モードになっている。

609 自然と生きる

新聞も解散の論評。
議員もそれにつれて動いているみたい。
すでに浮き足立っているのだろう。
そんな状態で変な法案を駆け込みでやって欲しくない。
というかすべて廃案にすべきである。
それはさておき今日は社会教育関係の大会に行って来た。
講演とシンポジウムがあり、固い椅子の上に3時間ほど座って聞く。
さすがに尻が痛くなったし、聞くだけだと眠たくなって途中うつらうつらとした。
子どもは地域で育つということがメインの趣旨であった。
まあそれはそうだがあまりお膳立てもどうかと思った。
ほったらかしであり、しかも見守りが必要が大切というのが爺の持論である。
あんまりやいのやいのといわんことである。
しかしこの頃はやいのやいのといわないと動かない子どももいることはいる。
自然と遊ぶなどということは今時の子どもにはない。
それはそれとして講演の中で「個体発生は系統発生を繰り返す」という言葉を使われた。
久しぶりに聞く懐かしいフレーズであった。
爺はこの言葉を井尻正二という古生物学者の本から学んだことを思い出す。
講演者の言わんとすることはうつらうつらで聞き逃したが、人は人となるにはその時期時期にあった育ちが必要であろうということだろうと想像する。
大事なのはやはり自然であると思う。
時期時期に自然に触れたり働きかけたりして自分の中に自然を取り込むことである。
エモーションを大事にしたいとも述べられたが、自然がその仲介をするのではないか。
と思う。

608 解散か

少し前から解散の話が出ていたが、ネットじゃどうも本気にしだしたみたいだ。
向こうは勝算あっての解散だが、今度ばかりは絶対にそうさせてはならない。
消費税もあくまで争点の一つだが、暴走内閣がやってきた秘密保護法やなし崩し憲法改悪が最大の争点である。

607 世界大戦

今年は第1次世界大戦(1914年)より100年目の年。
その後第2次世界大戦があって、世界大戦というものは無くなったが、第3次世界大戦になるのじゃないかという危機はあった。
というか冷戦の発展としての戦争だったのだが。
その冷戦もソビエトの崩壊により無くなった。
しかしこのところロシアの振る舞いがまた過去の米側勢力とロシア側勢力の対抗意識を呼び戻すような格好となっている。
そこへ中国の台頭、そしてニポンの出しゃばらなくてもいいのに出しゃばろうとする奴等の台頭、いまだにぎくしゃくするイスラエル、パレスチナ、イラン、イラクなど中東問題。
どこかがはじけたらまた危ないのじゃないかという危惧をする。
どこかがはじけたら連鎖的に世界が巻き込まれる危険である。
ハメリカのオバマ人気はかげりを見せて共和党の台頭である。
好戦的な党であることは間違いない。
国民はいやがっても議員はそうではない。
格差を解決する前に、戦争でガス抜き、一部だけがもうけるというやつである。
思えば古い体質そのままの構図である。
国の指導者にキレルやつがいたら終わりである。
頭が切れるのならいいが感情的に押さえられないキレルやつである。
ニポンのオバマさん、でなくてお馬鹿さんもそっちの系統なんじゃないか。
どう見ても頭が切れるようには見えなくて、感情的にキレルほうにしか見えない。
それはともかく、この間のスコットランドの国民投票、そしてそれに習うような今回のスペインはカタルーニャの自主的投票、香港の学生運動、台湾の学生運動、オキュパイ運動、金曜日デモ、九条の会など底辺からの動きは歯止め的には一定の役割というか暴走をいくらかでもくい止める力になっている。
キレルやつには勝たねばならい。

606 ベルリンの壁

鹿がまたひっかかっていたという。
それもまた全く同じところで。
参考までに見に行ってみたら、網が絡まり角だけ切り取られて巻き付いていた。
相当大きな鹿だったらしい。
網はぐちゃぐちゃにされていたのでまた直さなくてはならない。
それはともかく今日はベルリンの壁崩壊から25周年だそうである。
1989年11月9日にその事件は起こった。
政府高官の一言から一気に壁崩壊(自由な行き来)が始まったとされる。
自分はその時の様子はテレビ等で見聞きしているはずであるが、89年の日記の11月9日、10日を見てみたが、壁のことについては何も書いていなかった。
関心がなかったのだろうか。
仕事や職場の多忙な様子のみが書かれている。
当時の東ドイツの人々にとっては壁崩壊はそれこそ革命的な出来事だった。
一瞬のうちに「自由」が到来したのだ。
無血で行われたことは奇跡的でもあった。
やはりそれは人民の力であった。
「粛々とした」と言うフレーズがよく使われるがそれに近かったのではないか。
小さなデモから何十万というデモが行われるまでになっていった粛々とした力である。
当局はそれに耐えられなかった。
それに武力で応えていたら、悲惨な結果になっていただろうが、当時のソ連の加勢もなく上層部の判断が甘かったか適当だったか偶然の一言が蟻の一穴のごとく壁崩壊へと歴史を導いたのだ。
ということで香港の学生のデモはどうなるのだろう。
中国も同じ運命をたどるのか。
ニポンも同じ運命をたどるのか。
ニポン?て。
勿論政権崩壊である。

605 電磁波

ちょっとショッキングなニュースを読んだ。
IHクッキングヒーターのことである。
電磁波を出す器具なのだがその危険性に付いて述べているのである。
WHOの勧告では4ミリガウスまでが基準値(安全の目安)なのだがIHは200ミリガウス以上で非常に危険であるというのだ。
なのに何故ニポンではそれがあまり知られていないのか。
これを認めると莫大な費用がかかるからだと。
つまり4ミリを超えるものは他にもあるのだが、例えば高圧送電線の下だとか。
だとするとその下や付近に建てられている住宅は非常に危険であって、建て替えなければならない。
しかし、その補償費用は莫大になる。
IHにしてもすでにオール電化にしている家などでは使用している。
それをガスなどに戻すにはもし補償のことを考えるとこれも莫大な費用がかかる。
だから、官僚も電力業界もしらんぷりでごまかそうというのだ。
電磁波の影響はアスベストと同じようにじわじわと効いてくるらしく、今大丈夫だからといって使用を続けると将来ガンとかになる確率が高いらしい。
我が家はオール電化にして4,5年経っている。
補償はともかくなんとかせねばならない。
困った。

604 だまくらかし

川内原発をかわうちと言ったという大臣にはあきれるが、それはともかく。
県知事がやむを得ないと言って容認のニュース。
それに立地地元の容認。
周りの市民や市長などは反対か慎重派なのに、知事と地元で決めてしまった。
ニュースでは周りの住民と全国の市民は反対が多いことを報じていた。
この差に愕然とする。
地元は原発のお陰で暮らしが成り立っているので反対しづらいという。
では原発以外で暮らしが成り立つとすれば原発の容認には至らないだろう。
電力会社はここをよく分かっているというか利用しているに過ぎない。
他の原発立地地区でも同じである。
だとすれば原発以外で成り立つ暮らしをどう構築するかが大事であって、ここを何ともせずに目先の利益に走っているのが電力会社のだまくらかしであることを見抜かなくてはならない。
と、変な文章になってしまったが、同じく議会や首長にしたってそうだ。
だまくらかしでなく命を守る暮らしを優先しなければならない。
何度も言う(書く)が、金でなく命が優先なのである。
原発無しの暮らしの方策を考えるのが政治家のやることである。

603 音のにおい

クラシック音楽を聴いていると音楽家によってそれぞれ特有のにおいがあることが分かる。
その音楽の曲名を知らなくても、聴いただけでそれは誰の書いた曲だと分かるのである。
曲に癖が出てそれがにおいとなって出る。
一番よく分かるのはモーツアルト。
モーツアルトは非常によく分かる癖を持っているということだ。
他に分かるのは、ベートーヴェン、マーラー、ブルックナーぐらいか。
マーラーはモーツアルトに続いてよく分かる。
ブルックナーはその次くらいによく分かる。
ベートーヴェンも交響曲ぐらいはすでによく聴いているので分かってしまうが、あのきっちりとした重厚さみたいなものが特徴である。
バッハやヘンデルは分かりやすいところもあるし迷うところもある。
バッハだと思うとヘンデルだったりその反対だったり。
そしてバロックとなると誰がどれやらみな同じに聞こえたりもする。
それがどうしたと言われればどうしたもこうしたもないが、人の個性はそんなところにも出るのだということだ。

602 増長させない

昨日落としてしまったなたを探しに行ったら偶然にも見つかったのでよかった。
しかも入り口より少し行ったところだったので時間がかからずに済んで幸いだった。
以前にもトラクターの部品を田んぼで落としてしまい、探しに行ったら泥の中にもかかわらず見つかったことがあった。
それもやはり探し始めてすぐのところだったので幸運だった。
あんな広い田んぼでしかも水のついた泥の中であるから奇跡的といえる。
ということで落とし物をしても奇跡的に探し出せる能力を持った幸運な男だと自負したい。
それはともかく、ハメリカの選挙結果。
あまり関心は持たなかったが、民主党に嫌気をさした票が共和党に行ったみたいで前回のニポンの場合と似ていると思った。
ニポンは逆になったお陰でとんでもないことになった。
ハメリカも逆になったお陰でとんでもないことになるのではないかと危惧する。
きな臭さが増えた気がする。
ニポンのきな臭さがよけいに増えるのではないかと思ったりもする。
バカが調子づくのではないか。
そこで大事なのはオキナワである。
ここを落としたら増長することは間違いない。
友人が応援に行っているが、行けない自分としてはその友人を応援する。

601 落とし物

久しぶりに森に入る。
森閑としているとはよく言ったものだ。
間伐はしてあるが日が地面まで届かない森は暗くて寒々としていた。
熊防止に笛を吹きながら入っていく。
多分人が入ったのは何年ぶりかであろう森の中は雨に流された土が谷のそこここにたまり流れた後はつるつるしていた。
日が入らないので低い草木が育たず、雨が降ると土ごと流されることがよく分かる。
尾根までいって反対側の麓まで下りてそこから網を張るための道しるべとなるテープをずっと張ってきた。
というか伸ばしてきた。
カマとなたとのこぎりを腰につけて登っていったが、途中なたがないことに気づく。
どこかで落としたらしい。
悔しいので再度歩いたと思われるところを探してみたが見当たらなかった。
ヤブはないので見つけやすいと思ったが、道なき道だったので分からないのも不思議はない。
明日も探してみようかと思うが折角の作業が他のエネルギーに化けて悔しい。

600 パソコン歴

パソコンがクラッシュしてどうしようかと思ったが夕方回復した。
モニターも昨日うつらなくなり以前に使っていたのを出してきて交換した。
それは画面が小さいので不便である。
私のパソコン歴は自分では結構古い方だと思っている。
職場でパソコンをかまっているのは自分一人だけの時代からである。
初めに買ったのはシャープのモニター一体型のMZ1000とかいうやつである。
モニター画面はとても小さく今のアイパッドの画面より小さかった。
当時はBasic(ベイシック)言語でプログラムを作りそれを走らせて使っていた。
まだ基本ソフトはMS-DOSでカセットテープを使っていた。
Basic言語も解説書を読んで勉強した。
自分でプログラムを打ち込み、それが動くと喜んだものだった。
いわゆるパソコン中毒のようなものにもなり、プログラムを打ち込んだり改良したりして夜中の2時3時まで起きていて次の日はつらいということも何度もあった。
小学生向けの足し算、引き算、かけ算ソフトというかプログラムを自作して子どもたちにやらせてみたこともあった。
そのうちフロッピーが出来て、ウインドウズになってノート型パソコンが出来て、カラーでも出来るようになり、表計算ソフトで成績処理をしたりとだんだん高度になってきた。
その間にパソコンとは別にワープロ専用機が出たが、自分はパソコンのワープロソフトを使っていた。
ノート型パソコンも3台ぐらい買い換えたが今はデスクトップでウィンドウズ7。
某公民館ではウィンドウズ8のノートを買って使っているが7の方が使いやすく思う。
インターネットやメールをやり出したのは10年くらい前か。
パソコン通信というのもあったがそれはやったことはなかった。
ホームページは作ったことはないが、ブログを始めて今回600回目である。
祝600回。
毎回ネタには四苦八苦であるが、書き出すと案外すらすらいく。
つまらんネタばかりかもしれないが、読んでくださる読者には感謝

599 ゆっくりいそげ

九条の会。伊藤真講演会に行く。
はじめはそんなに早口ではなかったが、時間の関係上最後になるにしたがって早口となり立て板に水ごとくとうとうと話される。
さすが弁護士さんであると思った。
憲法の立憲主義を強調された。
それと九条のすばらしいところは積極的非暴力平和主義であるということ。
そして憲法改悪を阻止する上で大事なことは「想像力」であるとされた。
権力の危険性、戦争の悲惨さ、自分の生活がどう変わるかのイマジネーションである。
特に他者へのイマジネーションを持つということ。
最後に期待を述べられた。
それは憲法の理想に現実を近づけることを目指して主体的に生き、憲法を使いこなす力をつけようということだった。
あわてず、あせらず、あきらめず、ゆっくり急げと。

598 ミカラ・ペトリ

今日は終日雨、引越の荷物運びを手伝ってきた。
町中は車が駐車するのは難しい。
昔の通りだと道幅も狭くすれ違いも出来ない。
それはともかく、録画しておいたミカラ・ペトリのリコーダー演奏を見る。
女性リコーダー奏者である。
リコーダー奏者にはフランス・ブリュッヘンというすごい人もいるのだが、この人のリコーダーは聴いたことがない。
ブリュッヘンは今年の夏に亡くなったというニュースがあった。
友人にブリュッヘンを猛烈に好きな人がいて教えて貰った。
それはともかくミカラ・ペトリを知ったのは、キース・ジャレットとの共演盤に目が止まったからである。
キースのチェンバロとミカラのリコーダーのデュオである。
主にバッハ作品。
で、今回は夫君のリュートとのデュオであった。
8つの穴を縦横?に使っての演奏はやはり超絶技巧である。
目で見るとそのすごさが分かる。
今回よく見ると、彼女は譜面無しで暗譜で弾いていた。
いくつもの曲をすべて暗譜でやるのだからすごい。
といってもヴァイオリン協奏曲などでもヴァイオリン奏者は暗譜で弾くことが多いから暗譜は珍しいことではないかもしれない。
やはりバロックの曲がよく似合っている。
今回自作の作品も演奏した。
一本の単純な楽器であるがあそこまで弾きこなせたら面白いだろうと思う。
たいてい誰でもが学校で習ったことがあると思うがあそこまで弾けるものはそういない。
これも極めれば素晴らしい結果があるということであろう。
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