689 団塊世代

奥平康弘氏とワイツゼッカーさんお二人の訃報。
九条の会では9人の呼びかけ人のうち5人が亡くなられた。
残った4人の方、大江健三郎、鶴見俊輔、澤地久枝、梅原猛。
80歳、94歳、85歳、90歳と高齢である。
全国の九条の会の数は7000を越したと以前にあったが、その中の活動の中心もやはり高齢の方が多いだろう。
定年過ぎて活動はしやすいが、やはり今後は若手が出てきて欲しいところ。
団塊の世代も70に近くなっている。
超高齢化社会を迎えてこういう政治的活動の主体も団塊の世代が多くなっていくのであろうか。
団塊の世代は死ぬまで活動を背負わなければならないかもしれない。
団塊の世代が生きてきた時代は常に脚光というか光を浴びていたような気がする。
ものを売るにもその世代に標準を合わせて商品が開発された。
高校や大学などに多くが入るのもその世代からだった。
いわずもがな卒業後は高度経済成長の担い手だった。
しかし、少子高齢化を迎えてなんだか厄介者みたいな世代になってきた。
しかし、暇をもとでに政治の活動を大いにやれるのじゃないか。
どうも今後は政治の季節である。
一番の課題は今後が戦前とならないように踏ん張ることである。
スポンサーサイト

688 POWER

時は止まってくれない。
無情というか非情というか。
恐怖の中にいる人は一瞬が張りつめている。
氷の刃の上に立っているかのようにきりきりしている。
ふとしたひと突きによって大爆発する風船を持っているような。
その一瞬の限りなき愛おしさをそっと掌のなかで包み込みながら死を待つ恐怖。
その一瞬を対岸にいてただ祈るだけの我ら。
その対岸の奧の奥にいて高笑いするやつら。
奧の奥、陰の陰にいる傲慢。
我らは歌う、POWER TO THE PEOPLE.
PEACE ON THE EARTH.
・・・・って、なんかボブかジョンみたいになってきた。

687 皿

ネコを追うより皿を引けということわざがある。
今回、IS側の横暴は許し難いものだが、振り返ってみれば首相の言葉が引き金になっているとすればこれも許し難い。
原因がこちら側にあるということはこちら側の原因となったものを取り除く必要がある。
やはり、米やイスラエルと一緒になってISをたたくと言ったふうにとれることがもとになっているのだろう。
いくら人道支援に回すと言っても、米やイスラエルと一緒にやると言うだけで敵対関係に見られてしまうのは誰が見てもそうだろう。
国会でも追求され始めたが、そうではないと答えながらも心の内では自衛隊派遣を視野に入れている事は間違いない。
しかし、自衛隊に戦闘能力・技術はない。
やるなら首相自ら内閣引き連れて行くべきである。
それはともかくこれをてこにして自衛隊の軍事派遣を認め集団的自衛権を認め九条改悪をよしとする世論が高まることがこわい。
九条の会に対抗して何タラの会か会議か知らないが1000万署名かを始めようとしている。
神●●庁の主体といっていい極右部分の勢力がやっていることである。
この勢力には神●という性質上自分もそうであるが「お宮さん」には多くの人の関わりがあって知らないうちに勢力内の一員と見なされてその活動等に巻き込まれる危険性がある。
よく見る必要がある。

686 真実は?

政府はやはり前から後藤氏など誘拐および身代金要求については察知していた。
しかし、外務省の言うこと聞かずのこのこと中東訪問とある。
完全に馬鹿ミスである。
そして最悪の結果を招いた。
そしてネットによると殺された湯川なにがしのニポンにいたときの仕事関係の人脈がおどろおどろしい。
名だたる人名が出てくるので驚く。
今後の展開としてこれらの人名も何らかの作用を及ぼすであろう。
今現在は解放に向けて少し動きが出てきたみたいだが錯綜していることは間違いない。
それにしても一部ネット報道(SNS)の今回の事件の裏の裏はまったくマスコミの伝えていることと違って陰謀に満ちているような感じ。
実は・・・・。
と書けない所があるほど。

685 格差対策

今日はアウシュヴィッツ解放の日。
70年を記念してか新聞やTVで流したので初めて知った。
その記憶は忘れてはいけないし、これからも伝えていかなければならない。
HK(話は変わって)通常国会始まる。
施政方針演説無し。
経済に対する方針は財務大臣が述べたようだが内容は知らないが、多分地方創生とか賃上げのことなどをいったのではないかと思う。
米のオバマは年頭教書でやはり経済対策を述べていたが、中間層に対する支援のための政策を実現するという風なことを言った。
格差対策をするということでそれはそれで結構なことだ。
ニポンはまだトリクルダウンを信じているのか単なる賃上げを奨励しているに過ぎない。
大企業は春闘においてもそれを受け入れるようであるが、大部分の中小企業は及び腰である。
抜本的な格差対策は遠い。
ピケティが国会において演説をしたら彼らはどう思うだろう。
EUは金融緩和策をとるようである。
国によって国債の買い支えがハードなところとドイツや北欧など比較的楽なところがあるらしいが、これもまたどうなることか。
ギリシャの選挙結果もEUにとっては気になるところ。
ニポンも金融緩和を再びした。
米は期限を切って止めた。
米が止めたのでニポンやEUが代わりにやっているという話もある。
経済のことはよく分からないが、すでに借金まみれのニポンはこの先危ない気がする。
ピケティの話を信じるならば、上部10%に対する課税を増やすべきである。
そして中間層を底上げして循環を良くすることである。

684 取り返し

ピケティのニュース。
・フランスの勲章受章を辞退した。
・アホノミクスを批判した。
・ニポンにやってくる。
なかなか小気味いい感じである。
どこかで講演もあるらしいが行ってみたいものである。
が、いずれTVでもやるだろうからそれまでの楽しみにしておく。
HK(話はかわって)またまたアホぶりが暴露されている。
中東訪問の前に閣議決定された内容の文書と、実際に彼がおこなった演説内容が違っていた。
彼の言った演説では反ISに対する援助という形しかにとらえられない内容だった。
それ故にIS側は怒ったのだと。
首相ともあろうものが内容を正確に伝えないという大失態だったのである。
米英に対する追従感のためについ本音的に出てしまったのだろう。
取り返しのつかない事をしたものだ。
償っても償いきれない事である。
責任のとりようもない事である。
即刻にでも議員を辞めるべきである。

683 単純さ

遂に恐れていたことが起こる。
一人虐殺された。
官邸の無策である。
いまだにテロには屈しないといってるからだ。
首相は米に電話して協力を頼むとか言っている。
それは「まさに」火に油を注ぐようなことである。
その行為がどういう意味を持つことかも分からないのだろう。
これまでどことも戦争をしたり、戦闘で人を殺したりまた殺されたりしなかったということの重みを理解していない。
これを好機ととらえて戦争のできる国づくりを腹の中では思っているのだろう。
ニポンはこれまで戦争をしない国として認められてきたのに、なんだこれからは戦争もするんだという風に思われてしまうという重大な過ちを犯そうとしている。
世界の中で戦争をしないという名誉ある地位を「まさに」地獄へ落とそうとしている。
国に対する重大な裏切りであり犯罪ですらある。
「(戦争のできる国へ)この道しかない」
それしか頭にないから他のことが目に入らないし、頭に思い浮かばないのだろう。
(テロには屈しない×命は守る)というのは矛盾でしかない。
政治の世界は複雑怪奇かも知れないが、単純に考えることこそ正解の道は近い。
世界はもっと単純さを根本においたらもっとうまく行くのじゃないか。
いずれにせよ、首相についていっては命は守られない。
ことは確かだ。

682 前文4

何だか72時間過ぎたらメディアは静かになっていしまった感がある。
しかしまだ事態は流動的かもしれない。
政府はメディアを通して二人の命は必ず助けると言い続けるべきだ。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
国というものは自己中にならないで他国も尊重するべきである。
それが自国の主権を維持するもとでありどの国とも対等な関係を持つもととなる。
ここで政治道徳の法則とは何だろうと疑問。
前の文にある他国を無視しないと言うことだろうか。
政治道徳にはいくつかあってそれが法則化しているのであろうか。
ネットを検索するとかなり難しい論法が書いてあるのもあるが、やはり前の文の他国を無視しないことがお互いの主権を維持できるものであるというふうに理解すればいいみたいなことが書いてある。
道徳というのは個人のなかで終結するのでなく他との関係性において成立する。
と、とらえるならば相手を尊重する態度が自国にとっても認めてもらえることになる。
こういう関係を持つことが責務である。
しかし、「イスラム国」というのは、この関係を認めようとしていないのではないか。
自らの宗教的規律を絶対的と信じ、他の規律(政治道徳)を認めようとしないのではないか。
だとすると、規律がぶつかり合い、一方的な攻撃か、双方的な攻撃が生まれるしかない。
しかし殺人が合法であるという国は存在しないから、「イスラム国」にとっては孤立しかない。
孤立することはいいが、外に向けて発砲をするとなると無視できない。
それをどうするか。
発砲するなら発砲で返せというのは簡単。
でも、それをしないように考えていくのが21cの人知であろう。
教主を呼びだして議論、議論、議論の積み重ね。
その上で共通認識による政治道徳の共有をする。
と、簡単にはいかないか。

681 命の重さ

ネットの情報を見るといろいろな見方があるものだ。
後藤さんの正体にしても全く違った見方もある。
政府は命が優先といっているが、それは当然のことで、そういわないと何だこの政府はということになる。
反対にテロには屈しないともいうが、これは矛盾。
しかし政府はこれは矛盾しないと強弁する。
政府の本音は命優先といいながらも打つ手が無くて殺されてしまったという方向なのではないか。
小泉がやったように自己責任に帰させようと言う魂胆。
後藤氏が事前のメール映像でこの事による全責任は自分にあるといったのを残したのももともとそういうスタンスを政府筋から求められていたのではないかという疑惑もある。
しかしいくら本人が責任は自分にあるといっても、この大事件の責任は負いきれるものではない。
政府はどちらに転んでも事後について出来るだけ自分らに都合のいいように見られるための工作をしているに違いない。
「命は地球よりも重し」といった福田の言葉が紹介されていたが、現首相にとってはそんな気持ちはあるのかどうか疑わしい。
いずれにしても無事であることを祈る。

680 交渉人

3回目のプール。
今日も1500m歩いたり泳いだり。
FBを見ていたら、イスラム国との交渉に当たると名乗り出た人(常岡なにがし)に対して政府は断った、とでている。
どれほどの人かはよく分からないが、断られた人は怒っていた。
実際、藁をもつかみたい現実なのに断るのは他に策があるのかと思うが、あらゆる手立てというと一つばかりではないはず。
折角のチャンスを葬ったとなると重大なミスとなる。
と思っていたら又一人中田なにがしという人がでてきた。
イスラム国の教義はもはやイスラム教の教義を逸脱してしまっていると思われる。
普通といったらおかしいかもしれないが普通のイスラムの人たちは穏健な人であり、今回のことで誤解を生む恐れがあるといって迷惑がっている。
今、イスラム国と交渉を進めるチャンネルがないということが難しいところだ。
政府は命優先といいながらテロには屈しないといっているが、その矛盾をどう克服するのか。
私の思いついた案。
1、金を出すと首相がメディアに発表する。その上で交渉人誰か(外相か副首相)を決めた場所に派遣し、そこで相手の交渉人と交渉する。
2、スンニ派の教主に頼んで交渉を依頼し相手の交渉人と交渉する。
3、首相自ら相手の交渉人と交渉するために約束の地に出かけて交渉する。
・・・3は当然本人がいやがるだろうからしないだろうが、そのくらいの気持ちがなければ、国民の命を守るといった言葉は嘘っぱちになる。
・・・まああまりにも素人っぽい案だが時間との勝負、気になる。

679 命優先

ISISの人質身代金事件。
何だかつかみ所が無いというか謎の多い事件である。
すでに10月末に疾走したときに家族に身代金が要求されたと言うことでその時から政府内部は知っていた。
それなのに何をしていたのかということと、それ以上の要求を出してきてそれに対してあたふたしているということは何故なのか。
当のジャーナリストが政府の隠れメッセンジャーというか送り込まれた人という見方もある。
テロに屈しない=身代金は出さないということになると、命は救えるのか。
仏などは身代金を出して救出したと言われているが、果たして今度の場合出しても救われるのか。
英米のように金を出さずに見殺しにしてしまうのか。
非軍事支援だと言っても彼らにとっては敵対するところへ金を送られたら自分たちとしては気に入らないのは当然だろう。
私としては命優先。
金を出すべきである。
願わくば要求額を値切ることである。
しかしどっちに転んでも政権にとっては痛手になるだろう。
命を救って喝采されても米英からは疎ましく思われ、しかも集団的自衛権に傷がつく。
テロに屈しないと言う意味で見殺しにすれば国民の命を守るといった事に対して嘘をついたことになる。
そうなった場合にはどうせ言い訳を言うに違いないが。
ISISはこの要求をにぽん国民に対してもしている。
自分個人としては金を出せであるが、国民の代表たる国会議員の声はどうなのか。
政党の声が全然聞こえてこない。
どういうスタンスなのか今明確にしないと政府にまかせていては駄目だ。
後から政府の対応などをなじっても仕方がない。

678 懸念

IS=イスラム国が人質に2億ドル要求。
ほんとだとすれば思ったより早く危惧していたことが起こったということになる。
前のイラクでの見殺しを再びするのか。
危ないところだ。
新聞の片隅に海外派遣を恒久的に出来る法案を出すとある。
ISに乗じて国民的賛成が増えることを懸念する。
もう一つ懸念。
子どもの少ない学校の統廃合の規準のようなものの見直しとある。
我が母校は全校で10人程度。
これじゃあひとたまりもない。
学校がなくなることは地域に元気がますますなくなるということだ。
確かに少ない人数のデメリットはある。
しかし、しかしだ。
もしも地域に学校がなくなったら無くなった地区の住民は置き去りにされたような空虚感を持つに違いない。
農協の統廃合も進んでこれも空虚感を持つ。
格差が開いていくと同じで寂れたところはますます寂れさせられる。
住民にとって住んでいるところは替え難い。
フクシマの仮移転した住民の気持ちがよく分かる。

677 杞憂

終日雪が降り続いて10センチ以上積もった。
雪かきという労働が待っている。
一茶は「町並みや雪とかすにも銭がいる」と皮肉ったのだが、自分でやる分には金が要らない。
その分、自分の体力がいるというわけだ。
いずれにしても町中ばかりでなく田舎では余計に手間、暇、金が要るのだ。
田舎の町や村の年間の除雪費は億を超えることもあって、馬鹿にならない。
たかが雪されど雪である。
それはさておき、アホ首相の中東巡り。
自分の金でもないのに勝手にばらまいたりしている。
中東情勢に助けになるどころか反発を食らったり火に油を注ぐようなことになるのじゃないか。
ただ訪れて金をばらまきゃいいなんてもんじゃない。
世界の中で一番微妙で繊細で一触即発的な地帯である。
裏の裏を知り、歴史を知り、その上で対処しなければならない一番難所の地帯である。
アホ首相にそれが分かるはずがない。
あの地において積極的平和主義がどんな意味を持つのか。
まさに火に油である。
この前のトルコに原発を売ってきたみたいに今度は武器を売ってこようと言う魂胆があるのだろう、と思うのだ。
多分、専用機には武器企業のマーチャントが同行しているに違いない。
いずれそのうちにその影響で何らかのしっぺ返しが来るのじゃないかと危惧する。
「東京にテロ勃発」はやつのお陰で現実味を帯びてきた、と思うのだ。
杞憂でなければいいのだが。

676 脱原発再

きのうは阪神淡路震災から20年目の日だった。
思い出してみるとあの時刻にすごい揺れを感じて目が覚めたのだった。
揺れはいつもよりは長く続いたと記憶している。
新築したばかりの家だったので、建てたばかりなのに壊れないかと一瞬心配したが、そんなことはなかろうと半分気楽に構えていた。
今ではあの後の惨状やフクシマの震災のことを考えるとあのときそれが分かっていたならもっと心配しただろうと思う。
通勤の道々ラジオから流れるニュースが嘘ではないかと思いながら行ったのだった。
大阪や神戸には親戚や知り合いはいなかったのでそういう心配はしなかったが、もしいたならだいぶん心配しただろう。
その後東北の震災があって自分としては大きな震災を2度経験したことになる。
関東大震災や、濃尾地震、終戦間際の福井の地震、新潟地震、山古志村の地震など大きな地震は他にもたくさんある。
考えてみれば火山列島。
地震大国なのである。
建物崩壊も怖いがやはり今では一番恐怖は原発災害である。
アホ首相も自分と一緒で2度の大きな地震を体験したはずだが、アホなだけにそのこわさが実感できないらしい。
これから何度でも起きる地震である。
そう思わねばならない。
原発直下だってあるはず。
そう思わねばならないはず。
アンダーコントロールが聞いてあきれる。
原発をなくし自然エネルギーに変換していこう。
普通の人ならそう考えるのが常識だろう。

675 通学路

ベルギーでテロ発生を事前に防いだ。
EUではテロの予感がして政府は躍起になっている。
やはり悪のスパイラルに陥りそうである。
民主主義は役に立たないのか。
どこに問題があるのか。
主義ではなくて心と金なのか。
いずれにしても差別と格差をなくさない限り、スパイラルは回り続けると言うことだ。
今日は貰ったDVD「世界の果ての通学路」を見た。
ケニア、モロッコ、インド、アルゼンチンの少年や少女の通学の様子を撮ったものだ。
10キロ以上の道を途中のアクシデントや困難に立ち向かいながら一生懸命学校に行こうとする姿をおっていた。
象のいる平原だったり、崖道や山道だったり、草原を馬で行ったり、障がいのある兄を2人の兄弟が壊れかけた車いすを引っぱっていったり、「果て」という意味がよく分かる映画だった。
なかでも車いすの兄弟の喧嘩をしながらも奮闘する姿は胸を撃つ。
彼らに共通するのは学ぶ意欲だ。
夢も持っている。
先進国で失われつつあるものだろう。
ニポンで言うと、昭和20年代か30年代ぐらいまでのことか。
子どもの子どもらしさも見せていた。
マララさんが必死に訴える子どもに教育をというのはこの映画を見るとひしひしと伝わってくる。
子どもに教育というのは当たり前になっているからそのありがたみが分からない。
子ども自身も分からなくなっているのじゃないか。
・・・自分は学校まで歩いて1分の所にいた。
忘れ物をしたら休み時間に走って取りに行ってくる、というのはざらだった。
この映画をニポンの子どもに見せたらなんと言うだろう。
そんな世界があるのかとか大変だなあぐらいか。
やはり自分も一生懸命勉強せないかんなと少しぐらいは思って貰いたいものである。

674 前文3

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
3つの文章の中に「平和」という言葉が4つ出てくる。
それほど平和を大事にしたいという願いと決意があるということだ。
これは日本国民だけのものでなく「諸国民」と「国際社会」と「全世界の国民」の願いでもある。
この憲法を定めることによって日本という国だけは戦争をしないということを宣言する。
そして世界もまた等しく平和のうちに生存する権利があるということを呼びかけている。
専制と隷従、圧迫と偏狭を除去し率先してこれを行うことにより名誉ある地位を占めるとまでいっている。
これがほんとの積極的平和主義というやつだろう。
これは崇高な理想である。
この理想は崇高であるが故に破壊するようなことがあってはならない。
全世界の国民は恐怖と欠乏から免れているかというとまだまだ道は遠い。
名誉ある地位を占めたいと思うなら、平和的手段で恐怖と欠乏にあえいでいる世界の国民に手を差し伸べなければならない。
戦争のお手伝いなどというまやかしの主義で行うのは名誉ではない。
あほ首相はまた出かけて不名誉をまき散らしてくるのじゃないか。
出かけるたびに憲法における国民の願いを踏みにじるようなことをしてきて言うなれば世界の国民の敵役に回ろうとしている。
のじゃないか。

673 格差と公平

s-150116[1]

プール2回目。
今日は歩行と泳ぎで1000mぐらい。
パソコンがかまっていたらまた復活した。
復活したので前のブログに写真を挿入した。
夜は経済の話を聴講した。
資本主義の流れを聞いているのだが、今日はまとめ的な話。
1929年に恐慌が起こって以来、ケインズ経済学によって世界は進んできたが、やがてそれも行き詰まり、サッチャーに始まる新自由主義経済へと変わった。
このところフランスのピケティが言う資産を持っているものがサラリーマンなど資産のないものに比べてより所得が増えて格差は拡大するという事が分かってきた。
格差を縮めて行くには富裕層への課税を増やすことがいいと言っている。
しかし、反発や異論もある。
消費税についても若干学習した。
やはり逆進性が問題であると思う。
武田信玄は租庸は重からず軽からず、公平がいいといったそうだが、その伝からすると消費税は反するということになる。
いずれにしても資産のあるものがますます富裕になりそうでないものは貧乏を続けるという世界は公平でない。
となると、公平でない政治を続けようとする政権は打倒するしかない。
といつもこうなる。
ピケティをニポンの政治顧問にしよう。
・・・なるわけないか。

672 負の連鎖

s-デモ3

昨日からパソコンが調子悪く、作動しない。
ウィンドウズは起動するが、その後アプリケーションソフトが作動しないのだ。
それでセーフティモードで起動して文章を書いている。
前にもこうなったが、何度も起動させているうちにアプリも作動するようになった。
今回も何度もやっているがなかなかうまくいかない。
ブログのアップもセーフティモード。
なぜかメールソフトも開かないので都合が悪い。
仕方がないのでメールはアイパッドでやっている。
パリのデモが終わってまた状況が変わってきた。
スンニ派の教主?はあんなもん(風刺画)なんて無視すればいい。
といってわりと寛大というかまともな風である。
スンニ派でも過激なところとそうでないところといろいろあるみたいだ。
犯行声明はスンニ派でなくてイエメンのアルカイダが行っているが、ムスリムとは関係があるのだろう。
そして、「わたしはシャルリ」に対して「わたしはシャルリではない」という人も出てきた。
つまり表現の自由は大事だが行き過ぎた表現はだめだという考えの人である。
あるいは、デモに並んだ首脳に対してもネタニエフや幾人かのこれまでに戦闘行為を行った首脳に対して弾劾の意見が出てきている。
フランスの首相の国会での演説も、ブッシュの911を思い出せる。
これは戦争だといったのである。
悪い連鎖が始まらないかと危惧する。

671 教材化

s-デモ1

デモ5

デモの写真はやはり圧倒する。
各国首脳がさっと飛んできて参加するなど迅速さが素晴らしい。
ニポンで自国の首相が参加するようなデモはおよびもつかない。
実際パリに来なかった大国首脳は米、日、中などは来なかった。
ヨーロッパ諸国は殆どが来ている。
イスラエルのネタニエフやパレスチナのアッバスも。
ネタニエフが来たことは仏の大統領は来るなといったそうだがその気持ちも分かる。
イスラエルもパレスチナに対して結構ひどい仕打ちをして人を殺しているからだ。
このデモの高まりがいい方向に行けばいいが、911後にブッシュがイラクに戦争をしかけたみたいになると怖い。
復讐の連鎖が始まると泥沼だ。
すでにまた仏では戯画化した新聞が出たという。
キリスト教という西欧社会のマジョリティが少数のムスリムに対して上から目線で押さえ込もうとすることが反発を産む。
宗教に対してはフラットであるべきである。
「対しては」でなくて「対しても」であるが。
これらの写真は、いい教材になるのではないか。
何故人々が集まっているのか。
何故首脳がこれほどいるのか。
何を求めているのか。
何を示そうとしているのか。
宗教上の憎しみと復讐としての殺人について。
戦争と平和についてなど。
思いつけばいろいろな視点で学習になるのではないかと思う。

670 憲法学習

s-insist.jpg

パリの160万人デモ映像は圧倒的だった。
全土でも370万人。
WE INSIST からWE PROTESTへ。
しかしながら昨日も言ったように表現の自由、暴力否定、ひいてはあらゆる差別反対は激しく同調するけれど、やっていいこと悪いこと、言っていいこと悪いことの良識、倫理観、道徳観は必要である。
こと宗教に関しては。
成人の日、成人が感想を述べていた。
地元に帰って仕事をしたいというのが多かったのがうれしいといえばうれしい。
帰れるだけの条件を揃えているかと言うとそうでもないから。
話は変わるが、思ったこと。
「憲法」については確か大学では教養の必須科目だった。
今でも多分そうなのだろうが、思うに学生自らがしっかり学ぶことをしていれば憲法は守られるのではないか、
と思ったのである。
自分の時もあったが、講義を聴いてもあまり問題意識やそれ以上の突っ込んだ学習をしてこなかった。
ましてや全文を読み通したり、自分なりに読んでみるということもしなかった。
あそこでグループ討議や問題意識を持ってプレゼンをするような事をしていればもっと憲法に対して意識が高まったのではないかと思うのだ。
そういう意味で今後の大学の憲法学習に期待したい。
さらにいえば、この「憲法」必須科目を高校生レベルまで引き下げるといいのではないかとも思う。
高校では「政治経済」があるが、選択だったりする。
それを全生徒必須にしてみっちり憲法学習をするのである。
憲法の意義やら条文の隅々まで検証学習するのである。

669 宗教倫理道徳

今回のフランスのクアシ兄弟クリバリ事件。
宗教問題、移民問題、民族問題、格差問題、銃規制問題、表現の自由問題など多くの問題をはらんでいる。
特にムスリムという宗教の教義には通常人が入り込めない何かがある。
で、各地で数十万から何千人というデモがされている。
数年前のオキュパイ運動が世界に広がったことを思い出す。
そのデモの中心命題は表現の自由と反テロリズムだと思うが、筆者自身もそれに激しく同調する。
同調するが、しかし、それだけでいいのかという疑問もある。
その宗教をどう理解するのか。
ムスリムの宗派によるのかもしれないが、名誉を汚された事への復讐をどう見るか。
スンニ派の教義である。
崇拝するものを汚された事に対する怒りの気持ちは非常に分かる。
分かるのだがそれを復讐という形でどういう方法でどこまで実行して良いのか。
かつての西欧でも宗教戦争はあったし、日本でも同じようなことはあった。
イスラエル・パレスチナだって元はといえば宗教にかかわる。
未開の地といっては悪いかもしれないが、部族間対立も宗教的なものがある。
昔は槍や刀でやり合った。
今は銃によりより過激になった。
宗教に倫理や道徳はどうかかかわるのか。
倫理、道徳上してはならないことの一番上に来るのは殺人だろうと思うが、それと宗教の教義の関わりである。
人権を抑圧する宗教はやはり反対しなければならない。
しかし、それがその宗教の絶対的真理みたいに扱われていると、対立が起きてしまう。
すると問題は堂々巡りをする。
今後、戦争というものが宗教を巡って勃発するということになると、民主的話し合いなどというものは通用しなくなるかもしれない。
と思うのだが、複雑化する世界は単純な方程式ではすまされなくなるだろう。
と、やや落としどころの見えない話となってしまった。

668 介護

認知症ではないがトイレ介助が必要である認定2の介護者がいる。。
頻繁に行きたがるので昼間はいいとしても夜は大変。
朝方など1時間置きに行くのでついて行かねばならない。
睡眠がまとまってとれない。
やっと眠りにつけると思ったらまた起こされるということが繰り返される。
一人ではえらいので交代でする。
世にはもっと大変な介護者を抱えている方がおられると思うが心中を察するとお気の毒である。
老老介護になるとさらに悲惨な状況が予想される。
たまに介護に疲れて殺人が起きることもある。
あるいは虐待や心中といったこともある。
その気持ちはよく分かるがそこに追い込まれる前に手立てが必要である。
介護に必要な手立てはデイサービス、ショートステイ、ホーム入所、訪問介護など色々あるが、やはり大勢の人が関わりを持つことが必要であろう。
介護される人ではなく介護する人への支援である。
新聞によると介護に対する国の補助が何%か削られるようである。
ただ介護職員に対する賃金は上げられるという。
賃金上昇は結構なことだが、運営に対する補助を削るのは遺憾である。
職員は賃金は上がったが、さらなる激務になりかねない。
あるいはサービスの低下も予想される。
全体としてやはり弱者切り捨ての政策としか思えない。
防衛予算は増えるばかりで削られるのは弱者対策である。
国のあり方として本末転倒だ。

667 前文2

前文の冒頭は長い1文だったが、2文以降は少し短い。
それで今日は1文と同じくらいの長さで3センテンス。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
「厳粛」さがどれほどのものか当の議員達は屁にも思っていないだろうが、「権力」となるとさらに象にたかった蚤のごとく痛くもかゆくも思っていないだろう。
そんなものに権力をゆだねることは出来ない。
あくまでも権威は国民のもの。
何の資格もない権力者が与える福利は享受どころではない。
単なるお目こぼしを与えているに過ぎない事を国民は自覚するべきである。
人類普遍の原理たるという1文もその重さを彼らは読み飛ばしている。
ましてやこれに反する一切の憲法を排除するという一文に至っては完全に無視している。
まさに彼らが作る「自主」憲法というものは、この憲法に反している。
大体与党の議員たちと来たら、国民の代表と言えるのか。
殆どといっていいくらいの議員が2世や3世じゃないか。
世襲の議員なんて殆ど苦労知らずのお坊ちゃんかお嬢ちゃんばかり。
しかも自分が世襲であるということを誇らしげに語るノー天気首相に至っては笑止千万。
またいうが一度投げ出したようなものがのこのこと出てくるところに異常さがあるのである。
その異常さを気にもかけない周りも周りでやはり類は友を呼ぶ。
今日の溜飲、ネットで拾ったのだが、こんな命名をされた議員がいる。
命名「ドリル優子」。

666 誤植

今日はプールにデビュー。
泳ぐことはなれているのでおっくうではないがそれでも数年ぶりのプールだった。
腰が痛いのでそれの養生もある。
まず水中歩行をする。
始めに500m歩いて、それからクロールと平泳ぎを混ぜて500mほど。
それからその間に500m程歩行をやった。
サウナもあったので5,6分入っていた。
人数はそれほど多くなく快適に過ごせた。
これからまた通うことにする。
腰痛が良くなることを期待したい。
それといわゆる50肩。
クロールでは良く腕を回すので肩の体操にはちょうどいい。
結構女性のスイマー達がいた。
でも今時来られるのはおばちゃんばかり。
男もやはり定年過ぎのおじいばかり。
早く腰が良くなって山に登りたい。
それはともかく面白いギャグ発見。
赤川次郎がエッセイを出したみたいだがその中に、
「にぽんを取り戻す」には誤植があるといっている。
(誤)戻→(正)壊とある。
気づかなかったけどまさにその通り。
ちょっと溜飲が下がった。

665 平和感

孫一才、女児。
その肌のすべすべ感。
それにぷよぷよ感。
少し触るだけでたまらない癒しを得る。
憂鬱が飛ぶ。
いつまでも触っていたくなる。
日に日に知恵が付く。
まだ言葉は発しないが、うーう、ぱっ、ばあ、まんま、それに別れる場面になるとバイバイ。
目をじっと見ると秘めたる奥深い湖のよう。
その奥に何があるのか。
無限の可能性が潜んでいるように思える。
この子と一緒にあと20年は生きたいと思う。
と、私事を書いたが、これは平和だなあ。
この平和感を壊されないようにしたい。

664 鬱の曲

無力感に襲われている。
絶望感かもしれないが、とにかくやる気みたいなものが出ない。
このブログも何のために書いているのと思ったら思考停止に陥った。
答えが出てこない。
憂鬱というのだろうか。
書くこと考えることがおっくうになっている。
天気のせいだろうか。
人のせいだろうか。
世情のせいだろうか。
どれでもあるようなどれでもないような。
鬱の始まりなのだろうか。
悲しいときには悲しい曲を聴くと癒される。
楽しいときには楽しい曲を聴くといい。
鬱の時にはどんな曲がいいのか。
鬱のような曲は、、、。
アルヴォ・ペルトか。
アルヴォ・ペルトを聴いてみよう。

663 改悪続行

「改革断行の年」にするといっているが言い換えれば「改悪続行の年」である。
しかも経済を優先すると言っているが、格差が広がることについては何の音沙汰もない。
ミクスは失敗するだろうが、肝心の「憲法」さえうまくいけばそれで満足なのだろう。
小学生に起業の学習をさせようと企んでいるようであるが、子どもにまで金金金カネカネカネの学習をさせ、拝金主義を植え付けようと言う亡者の思いつきである。
それよりも子どもの貧困問題を何とかするべきである。
貧困になったことのないものが政治をするというのも問題だ。
大体が金持ちであって金持ちが金持ちのための政治をしているのだから。
お目こぼしを貧乏人にはやっておけばいいと言う封建主義時代の考えそのままである。
政治家には一般の会社員なみの給料をやるべきである。
あるいは生活保護世帯並みの金で暮らして貰う。
あるいは仮設住宅並の住宅で暮らして貰う。
など低所得者、原発避難者の生活を1年以上体験して貰う。
そして何の特権も与えない。
必要な経費は実費だけを与える。
などしたら少しは良くなるだろうか。

662 学ぶとは

子どもたちが帰ったら静かになった。
というかにぎわいが消えて寂しくなった。
また彼らも荒波の海へ出かけていったと思うと不憫でもある。
大河ドラマをなにげに見ていた。
吉田松陰の妹の話だが、第一回は松陰の事にスポットがあてられていた。
塾で教師をするのだが、学ぶとは何かということをしきりに口に出していた。
ただ知識だけを求めるのではなくて、何故ということを大事にせよ、云々と。
つまり知識でなく思考を大事にせよといっていた。
国のために学ぶのか、という言葉も出てきたが、当時の状況としてはそれはあるか。
しかしおのれを磨くためだ、という言葉も出てきた。
そしてその向学心に燃えた小田村とか言うやつと一緒に江戸に向かうところでおわった。
時代に流されるのでなく、事象、状況をよく見て考えること。
これは誰にとっても大事なこと、特に学びの途中にある児童生徒学生若者にはやって貰いたいことだ。

661 前文1

今日も名古屋まで行って来た。
伏見で○○ロールという有名なロールケーキを買ってきて振る舞ったら好評だった。
さて、根底から覆ると前に書いたが、まさに憲法にとっては試練の年。
そこで日本国憲法を少しずつおさらいして、試練に対抗していきたい。
といっても、学者や専門家ではないので素人の考えに過ぎない事は断っておく。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
前文は全部で7つの文からなっているが、これは冒頭。
主権在民と戦争放棄を述べている。
いきなり冒頭の1文に戦争はしないぞと言う決意を述べていることは、並々ならぬ決意の表れと見て良いだろう。
さらに言うならば政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こるような姿勢を見せている今の政府はこの憲法に違反する、といって良いだろう。
「正当に選挙された」代表者については、選挙の正当性の具体的姿は書かれていないが、今の選挙制度は「正当」なものではないことは明らかである。
すなわち小選挙区制のことである。
民意は正当に反映されていない。
だから小選挙区制は憲法違反である。
というのが、私の感想。
小選挙区制の弊害についてはおそらく40年以上前から言われてきたことであったが、案の定の結果である。
憲法違反の議員が憲法「改正」を言うのはもってのほか。
しかも勝手に解釈まで変えてしまうのはダブル憲法違反である。

660 平和の句

人間はみな死ぬものだ。
といっているのは蓮如さんばかりではない。
一茶も俳句で残している。
「送り火や 今に我らも あの通り」
一茶という人はほんわかやわらかイメージであるが、なかなかどうして世相や人生に対して風刺のきいた句をいくつも作っていらっしゃる。
某新聞の金子兜太・いとうせいこう選の「平和の俳句」がスタートした。
元旦の初出句は、
「平和とは 一杯の飯 初日の出」 浅井 将行(18) 愛知県西尾市
18歳ながら目の付け所が良かった。
ご飯が食べられるという日常を平和に結びつけている。
18歳ながら戦時中や戦後の食糧困難時の米のありがたさを彷彿とさせる。
銀シャリが食べられるということの幸福感は当時としては何物にも代え難いものだった。
そしてそれがずっと続いてきたが、いつしか食べられることが当たり前になって一杯の銀シャリのありがたさが忘れられ暖衣飽食となってしまった。
しかし、振り返ってみれば食べられることのありがたさは平和そのものなのである。
という、私的な感想であった。
自分も投稿したのだが、この句には遠く及ばない拙句であった。
のでここには掲載しないが、これから折々思いついたら投稿しようと思う。
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
12 | 2015/01 | 02
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
welcome
検索フォーム
リンク