717 花粉症

昨日は思わぬ雪が降ったが今日は穏やかな晴れ。
田んぼの表面もわずかながら黒い土の表面が現れだした。
花粉も飛び始めていて、この頃の予報は「多い」がつく。
しかし、我が身体には眼のかゆみ、鼻水、鼻づまりの症状は出ていない。
ひょっとして花粉症を撃退したか。
だといいんだが、この前耳鼻科で貰ってきた薬を飲み始めた。
これは耳鼻科の薬だから眼のかゆみには効かないだろう。
と思うが、気休めに飲むだけだ。
耳鼻科で貰った他の薬もあるので、血圧の薬も合わせて朝は4錠も飲んだ。
昼は2錠、夜は3錠だ。
ずっと以前に花粉症に効くという漢方薬を取り寄せて飲んだこともあったがさして効かなかった。
自分には眼のかゆみをなくす薬があればよいが、なかなか朗報を聞かない。
薬学部の諸君、および眼科医師を目指す諸君、
花粉症の眼のかゆみを鎮める薬を早く作ってくれ。
林野庁(ってまだある?)の諸君、
杉や檜の伐採を勧め(進め)、落葉樹の山を作る施策を進めてくれ。
学者の諸君、
伐採した木をバイオ発電その他に利用する手立てを研究開発してくれ。
云々かんぬん・・・・
花粉症憎しの言でした。
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716 第八条

第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
財産のことについて触れられているが、皇室がその財産をやったり貰ったりするときには国会の議決がいると決められている。
何故そのような規定があるかというと、以下ネットから。
「莫大な財産を保有した大日本帝国憲法下の皇室から、日本国憲法の定める象徴天皇制とそれを支える皇室・皇族への転換に伴い、皇室に再び巨大な経済力が集中することを防ぎ、また、特定の者と皇室が経済的に強く結びつくことを防ぐため設けられた規定である。」
とある。
しかし、財産として右から左へ動かすような場合、いちいち国会の議決をするわけではない。
それは「皇室経済法」という法律で規定されている。
では財産というものはどういうものか。
不動産関係でいうと、
皇居はもとより、赤坂御用地、那須御用邸、葉山御用邸、京都御所、御料牧場などがある。
その他、桂離宮、修学院離宮、陸墓など。
あれと思うのは、正倉院も皇室財産である。
合計15の財産である。
明治神宮や伊勢神宮は違いますよ。
財産のことについては第八十八条にもその規定がある。
またその時に予算のことなどについて記すことにする。
日本国憲法第一章 天皇 の項はこの条文で終わり。

715 第七条

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使   の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

国事行為については第三条で述べたとおりだが、ここでは具体的な国事行為を示している。
国事行為を行う場所はどこだか知らないが、多分、皇居だろう。
それと天皇自ら国会議事堂に来ることもある。
そのため天皇の休むところとか議場の近くに特別の間がある。
衆議院の解散の時は議長が詔書を貰ってうやうやしく持ってくる。
明治憲法下の名残だろうが、特別な間として豪華に装飾されている。
玉座とか呼ぶものもある。
要するに特別に貴賓者として祭り上げられているのだ。
皇室典範の二十三条には、
天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。
2 前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。

と書かれており敬称を付けなければならないとされている。
天皇さんでは駄目、皇太子さんでも駄目なのである。
余談だが、彼らには名字がない。
七には栄転授与とあるが、要するに勲章である。
その勲章を辞退する人はえらい!
これまでに辞退した人は、文化勲章では、
河井寛次郎
熊谷守一
大江健三郎
杉村春子
国民栄誉賞を辞退した人は、
福本豊
小関裕而
イチロー
であった。
イチロー、やるじゃないか。

714 第六条

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

総理大臣は国会の指名だが、最高裁長官は内閣の指名である。
だから最高裁の長官は内閣が好き勝手に指名できると言うことだ。
それは時の内閣に都合のいい人物が指名される恐れもある。
意図的恣意的な人事になる可能性があるということだ。
3権分立とはいえ、その点は問題があるところである。
国民は衆議院選挙の時に指定された裁判官の信任不信任(国民審査)をする機会はあるが、長官についても同じである。
天皇は総理大臣や最高裁長官を任命すると言っても形式だけであって、任命責任はない。
3権の長としての総理大臣と最高裁長官は天皇に任命されるが、衆議院議長と参議院議長は任命はされない。
天皇は国会が指名した人物を総理大臣として任命するとき、私情をはさむ余地は一つもないが、こいつは気に入らんなーとか思わないのだろうか。
多分私情としてはそういう場合もあるだろうが面白くないだろうなーと思う。
ABもその口じゃないかと思うのだが。・・・・

713 第五条

第五条 皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
摂政などと聞くと摂政関白の豊臣秀吉を思い出すが、現憲法になってからは摂政になった人はいない。
と思うがどうだろう。
天皇がよれよれになって動けないときとか、あまりに幼少にすぎて仕事が出来ないときとか、特別な場合にのみ適用されるのだろう。
皇室典範を引いてみた。
第十六条 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。

やはり予想したとおりであるが、「精神、身体に重患」が生じたときなどとは、考えてある。
昭和天皇が重体の時は摂政がおかれたのだろうか。
そんな記憶はない。
病気の間に国事行為がなかったのかもしれない。
いずれにしても天皇家の問題であって国民にはそんなに影響はない。
しかし振り返って思い出してみるに、昭和の時のあの「自粛」騒ぎは辟易した。
自粛、自粛、で世の中が暗くなっていった。
国民は自粛しなければならないのか。
象徴であって持ち上げるものではない。
と思ったものだった。

712 第四条

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

昨日に続く条文であるが、ここでの肝要は国政に対して口をはさむことができないと言うことである。
また、何かの理由で仕事が出来ないときは誰かに委任することが出来るということである。
その委任先は身内の皇族であろう。
いつか誰かが皇族にたいして皇族を止めませんかという本を書いた。
その本を読んだことはないが、題名だけ見ると戦前では考えられもしなかった刺激的な題名だ。
ネットで見ると、その本の題名は、具体的な名前を挙げて皇族止めませんかとある。
実際、皇族は自分たちがしている仕事について、そんな仕事なんてイヤだとか、皇族なんてやってられんねーよとか思ったりはしないのだろうか。
自ら皇族おーりたということにはならないのか。
やっぱりならないのだな。
前に戻るが、国政に口をはさむことは禁じられているのだが、例えば彼らの誕生日とかに談話が出るが、結構遠回しながら政治に対してもの申しているのではないか。
リアルタイムの政治に対しての苦言である。
それでもって時の権力者が政治の方向性を変えるということはないけれども、国民の目からすればよく言ってくれたみたいな感じになる。
特にAB政権になってからはその言葉はよく耳にする。
天皇自らも現政権の危うさを感じているということだ。
今日も次期ジュニアが誕生日メッセージで、戦後70年を振り返って歴史を正しく振り返るとか戦争体験を伝えていくことを述べていた。
ところがABは脳天気だから何にも感じていない。
それとも知っていて無視を決め込んでいるか。
口では持ち上げるくせに、実際は屁とも思っていないのだろう。
陛下ではなくて屁以下か。
と書くと、畏れ多くも・・・。
と言ってネトウヨが飛びつきそうなので止める。
というか屁・以下はABであり、AB自身はネトウヨ以上のウヨだ。
とまた愚痴になってきたので止める。

711 第三条

第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
国事とは第七条に十の事が述べられているが、この条では助言、承認、責任はどこにあるかということが規定されている。
内閣がすべて取り仕切ると言うことだ。
自ら進んで活動を計画したり行動したりは出来ないということは、すべてお仕着せの行為として行動しなければならないということである。
極端に言えば内閣の傀儡みたいなものである。
某屁垂れ党の草案では、「承認」という言葉が、天皇に対して「礼を失する」からという理由で「助言と承認」は「承認」を省き、「進言」という言葉一つにしている。
現行では天皇の地位というのは上も下もないはずであるから「承認」となったのであろうが、某党はそれがやはり気に障る。
どうしても祭り上げたいという気持ちがはたらいてしまうのであろう。
ここで一つ疑問。
国事というのは十のことであるが、国事以外のことはどうなっているのか。
いわば私事にあたるものである。
やはり皇室典範で決められているのか。
皇室典範は、「皇位継承」、「皇族」、「摂政」、「成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓」、「皇室会議」について全37条からなる。
これによるとあまり私事にわたることは書かれていない。
もっと細かい法律があるようである。

710 虚構

加藤周一は生涯に3回の天皇制論を書いたそうだ。
1946年、1957年、1975年と。
そしてだんだんとその論調は穏やかになっていったらしい。
1957年には、こんなことを言っている。
「世界にも類例のない大がかりで、陰鬱な、社会的虚構」
46年は、ここには引用しないがかなり激烈で若き激情がみなぎっている感じ。
75年は英文。
57年のすぱっと言い切ったような引用文は、読んでみて噛みしめれば噛みしめる程、なるほどと思わせる。
・大がかりある。
・陰鬱である。
・社会的虚構である。
まずそこらの小さな劇場で繰り広げられるような小さな仕組みではない。
おいそれと楽しく陽気に語り合えるような仕組みではない。
語り始めるとだんだん声が小さくなっていくような秘密めいた感じの仕組み。
そこに言ってはならないような空気が産まれる仕組み。
フィクション的に作られたような仕組み。
現実の外にでもあるようなある種の普通ではない仕組みである。
という感じ。

709 陰と陽

昨日、皇位について男であろうが女であろうが・・・と書いたが、皇室典範を調べたら以下のように書いてあった。
皇室典範 第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
男でないと駄目である。
だとすると、やはりこの条文こそが憲法違反(第14条・・・性別による差別)である。
と、考えるのはどうも誤りである。
第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
天皇は国民ではないからと読める。
天皇は国民ではない!のだ。
だとすると彼らは何?
皇族という類の人間なのであった。
国民は、人種、・・・云々で差別されないが、皇族は差別の範囲外なのである。
しかし、よく考えれば、皇族と国民とは別種族ということは皇族は国民からは差別された対象であるという風に考えることも出来る。
よく陰の差別と陽の差別とか言われるが、要するに天皇あるいは皇族というのは憲法上に表された陽の差別対象であるということである。
しかしこの差別は「差別」としては認知されないで来た。
いわばタブーであったのである。
改憲と言うとき、この天皇制というのは一つのとげである。
改憲派は元首化して帝国憲法状態に戻そうとしている。
非改憲派にとっては、このままかそうでないかというところが微妙である。
だから大まかに3つの道、すなわち、元首化、このまま、廃止があるということだ。
当分はこのまま状態だろう。
私の意見は差し控える。

708 第二条

第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
この条文についてそんなに口をはさむところはないが、「世襲」と「皇室典範」がミソ。
男が世襲するべきで女では駄目なのか。
元から誰がなろうと興味はないが、男だけなれて女では駄目だというと男尊女卑であり、男女同権の民主主義が泣く。
この憲法にも男女同権はうたってあるから矛盾もする。
だから男だろうが女だろうが誰がなっても良いと理解するのが当然といえば当然。
男にこだわる必要はない。
「皇室典範」は国会が議決とあるから、国民がこうと思えば決められると言うことだ。
すると天皇制云々についても口を挟めると言うことか。
「世襲」という言葉で思いついたのは、この言葉を自分らにも使って欲しいのは与党のへたれ国会議員の面々だろう。

707 戦争と人間

古処誠二(こどころせいじ)の本3冊を続けて読んだ。
「ルール」「分岐点」「接近」。
全部で800ぺージほど。
いずれも日本が米を相手に戦争をしていたときの話で、生々しい前戦の話が物語として現れてくるというものだ。
作者は戦後生まれで実際の戦争経験者でない人で元自衛隊員である。
あまりに生々しいところがあり、よく調べて書かれていると思う。
実際の歴史上の前線での出来事などを参考にしながらのフィクションである。
「接近」は沖縄戦の過酷な状況を描いている。
しかし、実際の沖縄戦とフィクションとしてのこの物語を考えるとき、すっと入れないものを自分の中では感じる。
何故だろうと考えてみるに、事実の重みを物語にしていいのだろうかということである。
兵隊と住民のスパイではないかという疑心暗鬼と殺し合い、自決などがあるわけだが、それらをフィクションの枠の中に入れて描くということに、何か事実を冒涜しているような感覚が自分のなかにあるのだ。
戦争を扱った小説は戦後にたくさん出ているし、戦後生まれの人が書いているのもいくつかあると聞く。
内容はいろいろだがこういう小説をどう思うか。
人間の愚かさ、非道さを知るということが一番大きなことかも知れない。
単に平和の大事さにくくれないもの、それはやはり人間というものを考えさせるものであろう。

706 第一条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
憲法の条文の中で一番作為的なものを感じる部分である。
帝国憲法下の天皇と新憲法の下での天皇の地位は天と地の差だが、そもそも新憲法になって天皇制を温存したことが作為を感じる。
事実恣意的な考えの基での温存だった。
戦争責任を考えたとき真っ先にやり玉に挙げられるのが天皇だったからそれが免れたのは恣意的としてか考えられない。
天皇が訴追され戦争責任を問われ、天皇制の廃止となると国民の暴動でも起きると思ったか、マッカーサーとしては訴追を止め逆に象徴として残し戦後の動乱をより静かなものにしたかった、あるいは露骨な融和策としての温存だったのだろうという見方が一般的である。
事実そのようになっていった。
日本国民の総意に基づくとあるが、国民はその言葉に飲まれた形、イヤがおうにもそういう形、望んでなくてもその形を受け入れさせられたと言うことだ。
いわば上から目線での「総意」である。
「象徴」とはしるしのこと。
その地位は高いものでも低いものでもない。
この意味は大きい。
簡単に言えばえらい人ではないということだ。
しかし、国民の意識の中には「えらい人」のイメージがある。
これは払拭しなければならない。
この条文で見逃してはならないのは最後の部分、「主権の存する日本国民」という言葉である。
主権は国民にあって天皇にはないということだ。
そもそも天皇制は必要であるかということが一番大事だが、まずは新憲法にはそれがあると言うことで感想を書いてみた。

705 値段

ものの値段は需要と供給によって決まると教えられたが、そうであるのかないのか分からないものもある。
新幹線の初発の切符がオークションで375万円?だったかには驚いた。
あるいは骨董の価値というのはどうして決まるのか何十万何百万という値には驚いたりする。
あるいは美術品も同じである。
自分は好きな詩人の初版本をオークション等で手に入れてきたが、昭和初期の作品はやはり高かったが、買ってしまった。
しかしこの頃、その詩人のやはり初版本が自分が買ったよりいやに安く売られていたりすると高く買った自分としては安く売りやがってと思う。
安っぽく売られるのが悔しいのである。
話は変わるがそれにしてもこの頃の本の値段は高くなったなと思う。
なので欲しくても我慢して図書館で借りる。
若者の本離れもそうだし、全体に本が売れなくなったというのは値段のせいもあるかも知れない。
中古本をネットで買うとピンからキリまであるが、この前、古処誠二の本を文庫本で買ったのだが一冊1円で3冊買った。
送料のほうが高かった。
本に申し訳ないような気がする。

704 我らこそ

今日は娘の結婚式。
男親としては寂しい限り。
しかしこれで子ども3人とも独立してくれてやれやれである。
来たり来る世の荒波に飲み込まれることなく果敢に生きていって欲しいものだ。
とくにABの波に飲み込まれないよう時勢を見定め見極め戦争に行く波は跳ね返していって欲しい。
という、前世代の我らこそそうならないようにして行かねばならない。

703 俳句と漫画

新聞を見ると、世界情勢の欄は、ウクライナ、ISIS、パキスタン、ミャンマー、ボコハラムと戦闘行為ばかりである。
ABもますます前のめり状態。
そんななかで今日は平和の俳句の1月分の他の作品が一面一杯に180句。
壮観である。
おそらく何千句と寄せられた中の一部だろう。
我が街からの応募句もあり嬉しい。
自分も思いついた限り応募し続けよう。
と思った次第。
もう一つ、新聞の風刺漫画が面白かった。
佐藤正明・作「売れるかな」
ピケティの本を使ってr>gを揶揄している
r=reform(改革)
g=general opinion(総意)ときた。
本当は
r=return on capital(資本収益率)
g=growth(経済成長)なのだが。
民意を聞こうとしないABを風刺したもの。

702 耳鼻科

耳鼻科受診。
一昨日の夜それまで聞こえにくかった耳が突然また聞こえるようになった。
といってもまだ完全ではないが若干回復したと感じた。
聴力検査の結果もやはり改善が見られ昨年6月に受診したときの値に近かった。
ということで流行る耳鼻科の先生は、地元の病院に移れと紹介状を書いてくれた。
ということで音楽好きの拙者としては嬉しいことだ。
ということで車中では思い切りジャズを流して楽しんできた。
この間買ったボブ・ディランも流してみた。
ということで帰りに好きなパンを買ってきた。
やはり音楽を普通の状態で聴けることは有り難いことだ。
耳鼻科にかかったついでに花粉症の薬も出して貰った。
はや始まっているらしい。
どちらかというと鼻より眼の方が辛くなる自分としては耳鼻科の薬はあってもなくてもという感じだがついでだったので貰ったのだ。
しかし、毎年毎年この花粉症には苦しめられる。
今年は昨年よりもひどくなると予想もあり憂鬱である。
冬から夏にすぐ移行できないのかと思うくらいである。

701 反意語



大好きなデコポン。
ウクライナは16時間の合議の結果、停戦に合意したようである。
やれやれである。
しかし、完全合意でもないようであるし、うわべの合意かもしれない。
9月の停戦合意も破棄されたから安心は出来ない。
メルケルは相当疲れたみたいだった。
世界を見ればまだまだあちこちで銃火薬が火を噴いている。
ムスリムに対する誤った考えによる破壊。
無智による破壊である。
無智による殺戮である。
BTW今日は国会。
大改革と大見得を切ったAB。
大破壊の間違いじゃないか。
無智による大破壊。
このごろますます「しっかりと」「きれめなく」「ていねいに」という言葉が鼻につくようになった。
彼らが使うとき、反意語としてとらえた方がよさそうである。
「しっかりと」「きれめなく」「ていねいに」の後に「~しない」とつける。
この言葉を自らは使用したくなくなった。

700 平和賞

憲法九条にノーベル平和賞をという運動が起こされて昨年は盛り上がったが、今年もそれが続いている。
それに続いて、韓国の団体が同じく憲法九条に平和賞を推薦するという運動が盛り上がっている。
隣国でこういう運動が行われるとは少し驚きだが、やはりニポンのかなりの右傾化を心配してのことだろう。
それについて「世界」3で韓国の李富栄という人が「私たちはなぜ憲法9条をノーベル平和賞に推薦したのか」という題で寄稿している。
本題は「『民主主義と平和』日韓共通の価値がひらく東アジアの未来」。
元首相とか元国会議長、元最高裁長官、元監査委員長、元国家情報院長、元大臣、大学名誉教授、大主教など50人の知識人が名を連ねている。
これは与野党問わず保守も進歩も混じった人たちであるという。
推薦文は(抜粋)、「憲法9条が現内閣の『解釈改憲』で骨抜きにされる危機に直面しており平和憲法が無力化されれば日本の民主主義は危機に陥り、朝鮮半島をはじめとする東アジアの平和も脅かされる」としている。
一番の危惧はやはり集団的自衛権の容認である。
もう一つ平和賞関連では、長崎の原爆被爆者の谷口稜曄(たにぐちすみてる)さんと広島原爆の被爆者でカナダ在住のセツコ・サーローさん、それに日本原水爆被害者団体協議会が推薦されたという。
推薦者は、「国際平和ビューロー」(IPB、ジュネーブ)。
この団体は1910年に同じく平和賞を受賞した団体。
谷口さんは被爆当時16歳で現在86歳。
ずっと前に長崎に行ったときご本人から直接お話を聞いたことがある。
あの背中にやけどを負った少年の写真があるがあの方である。
九条も谷口さんたちもどちらも受賞をして欲しいものだ。
現内閣には反平和賞が望ましい。

699 危機だらけ

世界に目を向けると「イスラム国」やパレスチナやボゴハラム問題とかがあるが、ウクライナ情勢も非常にきわどい事になってきた。
オランドやメルケルが一緒にモスクワに飛びプーチンとあって、その足でウクライナに飛びポロシェンコとあって会談の途中でプーチンに電話させて仲介したという。
そしてメルケルは9日にまた米へ飛んでオバマと会談するという。
米がウクライナに武器援助をし、露がウクライナ東部を支援したらEUとしては何らかのとばっちりを食らう。
NATO加盟のEUとしては米につかざるを得ないが、すると露に対して戦うことになり近隣の国としては得るものよりも被害の方が多くなるという危険がある。
ひいては世界大戦になる恐れもある。
ということでメルケルやオランドが動いたのだが、米はどうするか。
米は好戦的な共和党がこの頃強くなっているのでオバマが押さえきれるかどうかと言うところが微妙。
すでにイラクに米の陸上部隊を出すとも言っている。
もうあちこちで危機が起きていると言うことだ。
それにニポンまで集団的自衛権だとか言って後方支援までするといいだした。
とんでもないことだ。

698 ごり押し

「世界」3からの受け売り。
自衛隊は日本の北方シフトから南西シフトに変わった。
尖閣のためである。
それで予算をそちら方面に重点的に回している。
予算はなんと4兆8千億円。
補正予算を合わせると5兆円を超す。
5兆1911億円。
軍事費が1兆円を越えたのは1974年。
2兆円突破は1979年・
3兆円突破は1985年。
4兆円突破は1990年。
1997年ピークに4兆9414億。
それ以後横ばい、2003年以後微減10年続く。
2013年(第2次AB内閣)から微増に転じる。
自衛隊や基地問題については、辺野古移設、与那国島基地、佐賀空港問題の3つがある。
いずれも地元の意見すなわち民意無視のごり押し政策をやっている。
佐賀などは民意を聞く前に予算をつけているという。
また集団的自衛権シフトとして、自衛隊の機構改革がある。
陸上自衛隊の「陸上総隊」と「水陸機動団」の新設。
これは前者が司令部、後者が実働部隊。
この実働部隊は米の海兵隊と同じく殴り込み部隊である。
まさに戦争をしようとせんばかりの「改革」である。
そしてこれから安保法制懇が具体的法律をあげようと言う魂胆。
民意も何も辺野古みたいにごり押しでやろうという戦前の軍みたいなやり方である。
九条がありながらの軍事費の増大は問題。
どころか憲法違反じゃないか。
と思う。

697 残虐ゲーム

face to faceという言葉があるが、話す時は顔を見てということ。
顔を見ることによって人間を感じ、またその顔の奧にある心までも感じることが大切であるということを言ったものだろう。
イラク戦争の時もそうだったが、今回のISISに対する空爆なども無人機でやっている。
顔の見えない戦いなのである。
ロボットによる人間の殺戮なのである。
人対人で戦争をやると言ってもそれは肯定し得ないものであるが、ロボットによる人の殺戮となるとこれほどまた非道なものはない。
も一つある方のHPで教えて貰ったのだが、戦争ゲームというものがあるらしい。
テロリストを追いつめて殺すとか、逃げ惑う市民を機関銃で撃ったり、自分がテロリストになって相手を殺すとか、中には相当残虐なシーンもあるらしい。
そういうのが1億5000万本も売れたのもあるという。
グランド・セフト・オート
コール・オブ・デューティー
こういうゲームで遊んだ若者が実際にISISにはいると見ている人もいる。
米欧で良くある銃の乱射事件などもこういうゲームの影響があるのじゃないか。
YouTubeで流されたパイロットの残虐シーンもこういうゲームの中のものと似ているらしい。
仮想空間の出来事を現実空間の出来事にリンクさせてしまうところに恐ろしさがあるというわけだ。
ゲームによる刷り込みと洗脳である。
どうすべきか。

696 へたれ文

 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 ②我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する
 ③日本国民は、と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 ④我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 ⑤日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

某党の前文をここに載せるのも憚れるほどいやだが引用してみた。
数字は筆者がつけた。
何だか見るからにちゃちで下手くそな文章である。
現憲法の前文をおかしな文章だと言っていたもと小説家の爺がいたが、よっぽどこっちの方がひどい。
というか、彼は文章家のくせしてわからんはずがないが、結局気に入らないからそういったのだろう。
①文では天皇を戴くという言葉が目を引く。
これが彼らの一番の言いたいことだろう。
戦前の帝国憲法回帰である。
出だしが日本国であって日本国民ではない。
統治されるという述語の主語は国家であって国民は統治される客体となっているということだ。
②文では述語を見ると、発展し、・・・占めており、・・・増進し、・・・貢献する、となっている。
これこそ文章上のつながりが変である。
最後の「貢献する」は、前の述語と比べて奇異な感じがする。
これは「貢献してきた」とするのならば意味は通ずる。
ここに「平和主義」という言葉が出てくる。
これが後に出てくる「積極的平和主義」につながるのだろう。
③で目を引くのは「和を尊び」である。
聖徳太子の「和をもって貴しとなす」からもってきてくっつけたようなもの。
それに家族までくっつけている。
日本国民のあり方を言っているのだが、みんなこれに逆らうなよと言っているようなもの。
個人の生き様を自由でなくてこれに従えと狭めている。
もっとも狭めているのは愛国心をもてということ。
④もそれに続いて国を守ることを述べている。
⑤は「伝統」を「国家」と結びつけて懐古的。
全体に格調高さが全然ない。
全く致命的じゃなくて恥命的なへたれ文章である。
へたれ文なので一気に載せてみた。

695 前文5

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、・・・・・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに・・・・・主権が国民に存することを宣言・・・・・。国政は、・・・・・権威は国民に由来・・・・・権力は国民の代表者がこれを行使・・・・・福利は国民がこれを享受。・・・・・これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて・・・・・。われらは、平和を維持し・・・・・名誉ある地位を占めたい。・・・・・全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する。・・・・・いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
憲法の前文は103条からなる憲法全文のエキスが表されると言っても良い。
前文の最後の文はそのエキスについて国民が全力で達成するように決意を述べている。
国会議員は代表としてその理想と目的を達成すべく努力しなければならないのである。
AB一族はこの前文が邪魔で仕方がないのだろう。
偏向的な改憲案を出してきて、なし崩し的に変えていこうとしている。
いよいよその改憲策動の日程まで言い始めた。
九条死守側としては一秒たりともおろそかにせずどうにかして彼らをあきらめさせその策動を跳ね返して行かねばならない。
正念場である。

694 立ち往生

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こんな写真がFBに載ったので撮ってみた。
懐かしのBeatlesの屋上でのライブ風景。
この映画は封切りの時何回見たことか。
これはGET BACKを歌っているときのものだろう。
思えばBeatlesと共に歩んだ人生だった。
多分80%以上の歌は口ずさめる。
(BTW)シリア、イラク、ヨルダンは泥沼化し始めた。
復讐の連鎖で報復合戦。
米や英が手を出し、イスラエルやレバノンの報復合戦もあるし、死の日常化が進んでいる。
難民も続出。
冷静さが求められる。
ABも反省もなく前のめり気味。
投票を来年だとかいっている。
香港の学生や台湾の学生みたいに若い奴らが立ち上がって欲しい。
そうか60代団塊が数にものをいわせて首都を立ち往生させる。
ぐらいの事をしなければ危ない。
と思う。

693 刷り込み

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ボブ・ディランの新譜を買った。
何十年ぶりかのディラン買いである。
一回通して聞いてみた。
全部スローなバラード。
シナトラが歌ったのをカヴァーしたとある。
バックの楽器が静かなのでディランの声が良く聞こえる。
シナトラの渋さに似ているし、ルー・リードの低音とも似ている。
このだらだらメロディは慣れないと全然面白くない。
1曲目のI'm a Fool To want Youはビリー・ホリディで良く聞いたナンバーだがビリーのあのしゃくり上げるような歌い方が耳に残っていて、ボブの方はそこまでしゃくり上げないので少し違和感を感じる。
しかしこれはこれで魅力的。
あと知っているのは「Autumn Leaves枯葉」と[Some Enchanted Evening 魅惑の宵」のみ。
とにかく全編スローなバラード。
真剣に聴くと結構疲れる。
はっきり言って一回聴いた限りでは面白くなかった。
もう1枚「テンペスト」というのも買ったがこちらは速いテンポがあり、乗れるが、メロディはイマイチ。
ということで2枚とも評価は3の下というところか。
でももっと何回も聴いていると少しは上がるかもしれない。
(BTW)責任は自分にあるといったみたいだが当たり前だろう。
それをどうとるかが問題。
でも分かっちゃいない。
とるどころか居座り、しかもさらに危ない方向へ持っていこうとする。
テレビなどでは「改憲」「九条を変える」「憲法改正」という言葉が頻繁に出るようになった。
今日は7時のニュースでも5,6度いった。
こんなに頻繁にいうと洗脳されてしまって、憲法は「改正」するんだという方向に行ってしまう気がする。
いわゆる刷り込みである。
「改正」だからいい方向という思いこみは自然的に生まれる。
若年層よだまされるな。
「改悪」が本当である。
こちらのプロパガンダも進めて行かなくてはなるまい。

692 一つ覚え

国会質問で中東訪問とそこでの発言が影響なかったかと言われると強情ばってテロ国に気遣う必要なんかないという。
普通の感情の持ち合わせのないやつだ。
気遣うという言葉は使ったが、そもそも気遣ってなどいないのだ。
気遣っていないが故の見殺しだったと言われたくないための強情はりだ。
なんか見え見えの感じである。
しかしその発言が故のニポン人民への「テロ」が心配とてまたぞろ変な法案やら自衛官派遣やら武力による対策をやろうとしている。
自分で罠にはまってしまったようである。
歓迎すべからざる事である。
戦争へ戦争へと自分で道を造りながら国民の命を守るとはよく言ったものだ。
おまえが蒔いた種だと強く言ってやりたい。
ほんとに腹立たしい。
(BTW)やっぱり「テロ」「テロ」と言い過ぎじゃないか。
FBで知ったが米ではボストンマラソンの爆弾殺傷のことはテロとは言ってないそうだ。
単にBombingだけでTerorismという言葉がない。
「テロに屈しない」ばっかじゃ「テロリスト」と言われた奴等は反感するばかりであろう。
「戦争行為はしない」「武力攻撃はしない」「武力は使わない」と百万遍でも言うことである。
米や英の尻ばっかくっついて一つ覚えかご機嫌伺いみたいに「テロ」「テロ」言うのは、ポチである。
独立国家じゃない。
ということを自ら表しているようなものだ。
とまた、愚痴っぽくなってきたので終わり。

691 呪縛

ピケティ教授がクローズアップ現代に出る。
経済や政治の問題が難しいと言って人任せにするのは良くない。
一人一人が意識的に経済のことや政治のことにそれなりに関心を持ってそれなりに知識を持って世界を現状を見ていくことが大事である。
というようなことを言っていた。
全く同感である。
それによって矛盾を感じ世界にもの申す事が出来るのである。
特に若年層に対してそれは望まれることである。
富裕層はその若年層の無関心と無智を望んでいるのだ。
一つの考え方には必ず一定の支持層と一定の反支持層がある。
ピケティの格差論にも支持する人もいれば疑いの目で見る人もいる。
しかし現在の資本主義が続く限り格差は広がるとした彼の意見は全く否定もできないほど自信に満ちているのではないか。
と、思う。
(BTW)ISISというのはテロリストというよりオカルト集団だな。
オウムと一緒で狂信的で他の考えを一切受け付けないという。
そして世界が自分たちの宗教になってしまうまで殺戮を繰り返すという。
とすればテロ撲滅でなくオカルトからの呪縛を解く心理的反撃をするべきじゃないのか。
すなわち爆撃や銃撃による戦争行為でなくかれらの心に何らかの心理的作用を及ぼす反撃である。
と、思った次第。

690 悪夢

恐れていたことが現実となる。
拉致されていた後藤さんが虐殺された。
見殺しにされたといってもいい。
奴等には宗教はあっても道徳や倫理はない。
人間性というものもない。
ただ野獣性だけだ。
銃を持って人を殺すことがほんとに宗教に帰依し信じていることなのか。
世界が自分らのものになるまで銃を向けるとはナチと一緒じゃないか。
そもそも後藤さんを見殺しにしたのは、外務省の反対を押し切ってまで出かけた首相の所為である。
首相の責任は地球ほどいや地球以上に重い。
事件の全容解明と首相の責任追及を望む。
今後、これを契機に集団的自衛権の名のもと米英などにくっついて戦争する方向にもっていこうとする事が危惧される。
また世論がテロやっつけろで戦争OKになることも危惧される。
九条をこそ武器にして平和外交を進めるべきである。
いずれにしても今回の事件をどっちに転ばせるかせめぎ合いがあるだろう。
「テロに屈しない」という言葉は禁句。
ニポンは「戦争はしない」「武器は使わない」という言葉を使うべきだ。
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