748 ハラスメント

またもパソコンがクラッシュしてしまった。
何度やっても起動がうまくできない。
それでセーフモードでやっている。
ハラスメントが問題になっている。
ハラスメントは差別である。
略してハラ。
澤藤統一郎さんがいろいろなハラスメントをあげている。
マタハラは今問題になっているやつ。
ほかに、セクハラ、パワハラ、モラハラ、スクールハラスメント、キャンパスハラスメント、アカハラ(アカデミック・ハラスメント)、アルハラ(アルコール・ハラスメント)、スモハラ(スモーク・ハラスメント)、マリハラ(マリッジ・ハラスメント)、ドメハラ(ドメスティック・ハラスメント)、ドクハラ(ドクター・ハラスメント)、レリジャス・ハラスメント、はてはオキハラ(沖縄ハラスメント)、テンハラ(天皇ハラスメント)、ヒノキミハラスメント(日の丸君が代ハラ)、アベハラも。
憲法13条14条違反である。
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747 ほころび

孫のお守りに外へ行ったら、夕方から目のかゆみが始まって最悪の状態。
これでは運転も出来ない。
医学が進んでいるのに花粉症はきっぱりと治る薬がない。
自分は目のかゆみが収まる薬の臨床実験に立候補するので、誰か早く治療法と薬を発明してくれといいたい。
これはかなりの福音になる。
経済的にもかなり儲かるのではないかと思う。
ブログで花粉症のことを書くのはもう何度もになっていると思うが、毎年毎年思うことである。
ネコを追うより皿を引けと言う言葉があるけども、その伝で行けば、山の杉や檜の花粉も飛ばない研究をするとか、いっそ早く切ってしまうとかそういう施策も欲しい。
それはともかく沖縄。
知事が出した停止指事書を予想されたとはいえ大臣が一時的無効とした。
防衛省対農水省だから身内の判断である。
いわば出来レースである。
何が何でもである。
何度もいうが民意無視の民主主義違反。
国会でイシバが民主主義に云々と言ったそうだが民意を無視して民主主義もないだろう。
何が何でも押し通して米への土産にしたいAB。
しかし、文科大臣の金の問題でまたほころびが出始めた。
さくらのつぼみがほころび始めたが、政界の悪のほころびも満開となって早く散って欲しいものだ。

746 第十四条

第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

国民は平等であり差別されない。
差別されないに、二つの修飾語。
①「人種、心情、性別社会的身分、門地により」差別されない。
②「政治的、経済的、社会的関係において」差別されない。
と読んだのだが、ほんとは①のカッコにおいて②のカッコ的に差別されないと読むのがいいのだろうが。
しかし、現状は①的にも②的にも差別はあって、是正はされていないと見るのが妥当であろう。
人種差別、性差別、心情差別!あるじゃないかまだ。
政治的差別、経済的差別、あるじゃないかまだ。
経済的差別はこのごろ格差問題があり顕著である。
・・・・世の中憲法14条違反のほったらかし。
だと思うのである。

745 第十三条

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
個人という言葉が重要である。
1億人いても1億分の1として尊重される。
一億人の個人がいるのだ。
たった一人でもその命は地球よりも重いのだ。
ニポン人ならば外国にいても命も自由も幸福追求も最大に尊重されるのだ。
自己責任という言葉によってほったらかしにされるということはないのだ。
何をおいてもまず政治がしなければならないことはこの個人を徹底的に守り生かし尊重するということだ。
今は逆に逆に個人を尊重しない方向へ政治が動いているのではないか。
25条にも関係してくるが基本的人権すら守られない世の中になりつつある。
生活保護のこと、派遣社員のこと、ブラック企業、残業代0・・・など個人の生命にかかわることがないがしろにされていく。
幸福追求という言葉はいい。
誰もが等しく幸福追求が出来る世の中であって欲しい。
しかし、格差が開くばかりで下のものは幸福追求が出来ない状態である。
世の中違憲状態であるということだ。

744 第十二条

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
憲法が国民に対して保障するもの、それは自由と権利である。
ただ保障されているからといて安穏に構えていてはならない。
努力が伴う。
下手をするとその自由や権利を奪われるかも知れない。
だから常に自覚して保持するようにせよと言っている。
しかしまたそれを濫用もしてはならない。
俺の自由だ、俺の権利だと言って他人に迷惑をかけるようではいけない。
自由や権利には責任が伴うと言っているのだ。
今のAB政権下の自由や権利はどうだ。
彼らに都合の悪い事に対しては自由や権利を阻害しようとしているのではないか。
都合の悪い報道には圧力をかける。
今日はKNHの某キャスターが最終放送だと言って番組を降りた。
辺野古の問題では座り込みやデモに対して規制をかける。
・・・・・
が、そもそも俺らの中には、世間に対して自己規制が働きすぎて自由や権利をしまい込んでいやしまいかという懸念もある。
昔からの保守体制、腐れ縁、しがらみ、長いものには巻かれよみたいな風潮が自らの判断能力にたがをはめてきたのではないか。
そのために当然あるべき自由や権利をしまい込んでしまってはいなかったかと思うのである。
今の状況は、ここから一歩踏み出さないと、しまったあの時こうすればよかったと言うことになりそうである。
いつも言うことだが人民の覚醒である。
ちゃらちゃらした番組、下ネタに付き合うときではない。
それは彼らの思う壺。
ちゃんとした自由や権利を今こそ自覚的に学習し、そして行使し自己規制を取っ払うべきなのである。
ということである。
まず、俺は戦争は絶対いやだと公言することだ。

743 追悼アバド

久しぶりに音とも会を開いた。
今日はYouTubeの音源をアンプを通して聴く。
それとクラウディオ・アバドの追悼と言うことでいくつか聴く。
その他持ちよりのCDを聴く。
YouTube音源はそれなりにいい音がするものもある。
ヴェネズエラのシモン・ボリバル管弦楽団のデュダメル指揮のマーラーの2番。
若い楽団員のキレのよい音が素晴らしかった。
インバル都響もよかったが迫力ではこちらが上かも知れない。
全曲聞けるところが素晴らしい。
おいらが聴かせたのは小曽根真の30年くらい前の彼が20才くらいの時のピアノソロ。
みずみずしくて美しいメロディを奏でる若き作曲家という感じ。
それとやはり30年くらい前にWOWOWで流してくれた米の番組「ナイト・ミュージック」からいくつかのヴォーカル。
パティ・オースティン、フィービー・スノウ、アル・ジャロウ、ダイアン・リーブスなど特にむちゃくちゃ熱唱気味の画像を選んでみた。
アバドの曲でひどく胸にぐさっと来たのはルチェルン音楽祭でのマーラーの9番。
その終楽章。
曲が終わっても静寂が1分くらいか。
聴衆もそれだけ曲を聴き入って、終わった後の静寂さえも音楽の一部となったのだった。
アバド自身への追悼の曲ともなったのでなかろうかと思える。
これは映像と共に名演奏と言える。
藤原清登の「鳥の歌」もよかった。
カザルスの曲だが久しぶりにいい音を聴いた。
ABなんか「鳥の歌」の良さなんかわからんだろうな。
今日はピエール・ブーレーズの90才の誕生日だそうだ。
ブーレーズはおいらの若き日のアイドル?だった。
「幻想」が印象に残っている。
今日は音楽あれこれ。

742 文学的想像

2冊読書完了。
いとうせいこう「想像ラジオ」
高橋弘樹「指の骨」
「想像ラジオ」は、311震災をテーマにしたもの。
杉の木のてっぺんに置き去りにされた主人公の想像のラジオをもとにリスナーや本人の体験をラジオで伝え合うというものだ。
ラジオが始まるのが午前2時46分というのが象徴的。
家族(妻)との連絡がつかない本人の苦悩とそのうち連絡がついた後の安心、でもあちらとこちらという物理的に連絡不能な場所にいるという悲しさ。
悲しみを悲しみとせず、淡々としたモノローグのなかににじみ出る悲しさがある作品だった。
「指の骨」は全く戦争体験のない作者が書く戦争文学と言うことで話題。
主人公の体験が、作者の想像だけで書かれているところがすごいのだが、米兵を銃弾で殺すところとか、周りの戦友たちが飢えや病気で死んでいくところなどかなり悲惨であるはずなのだが、それがあまり悲惨さもなく淡々といわば軽く表現されているところがなんというかこれまでの戦争文学と違うところか。
野戦病院が主な舞台なので余計にそうかも知れないが、銃弾飛び交う戦場と言うよりもねっとりと時間だけが流れる静かな戦場が舞台なのである。
その日常は死と隣り合わせの日常で毎日誰かがマラリアや風土病で亡くなっていく。
ある意味それも戦争の悲惨を描くものである。
あるが、死の日常化に慣れてしまって淡々とした筆致が故にやや消化不良というか不満が残る。
現代の日常の生活の中にある殺人事件とあまり変わらない作風である。
と思うのである。
日常の今ある生活体験の表現をニューギニアあたりの悲惨だった戦場に持っていったという感じなのである。
しかしそれも戦争の内実でありそんな日常にしていい訳はない。
文学的想像だと言ってしまえばそれで終わりであるが。
ところで菅は「我が軍」を世界はすでにそう見ていると居直りを決め込んでしまったが大問題である。

741 折る折れる

思いついて先日貰ってきた紙折り機を使えるようにした。
といっても、ゴムローラーのゴムが減っているので100%うまくは折れない。
かも知れない。
通電してスイッチを入れればモーターが回り紙が折れるというものであるが、通電してもモーターが回らない。
それで、ゴムローラーの回るところの横に取っ手をつけて手動装置にしたのである。
この取っ手づくりが大変だったのである。
こういう作業は好きなのでいろいろ工夫してうまくいった。
うまく行ったときは嬉しい。
今度、通信を折るときに使ってみようと思う。
ヤフオクで紙折り機を探したらあるにはあるが、しっかりした物は3万以上20万、30万する物まである。
安いのをねらったが高くなったので負けてしまった。
ゴムローラーが新しい物が手に入れば、この手動式もまだいけるのではないかと思っているが、果たしてうまくいくだろうか。
沖縄では県と国の押し合いが始まった。
法律で民意を無視するか法律が負けて民意が勝つか。
沖縄には「折れる」ことなく戦い抜いて是非とも勝ってほしい。
「折れる」ことはないと思うが、とにかくあきらめないで。

740 目鼻口耳

朝起きたら目に点眼薬、鼻に点鼻薬、耳に点耳薬を指す。
そして午前中歯医者に行って歯石取りと詰め物のとれたのを入れて貰うことをした。
顔中の穴という穴に作用をしたというわけである。
今日はとりわけ眼がかゆく花粉が非常に多いと感じる。
特に昼間、用事があって外にいることが少し多かったので花粉が体内に入った。
ひたすら氷で冷やしてかゆみを抑える。
それはともかく、ABが答弁で「我が軍」と言ったそうな。
本音がぽろりと言うところか。
それともわざとか。
誰もが当然のごとく言わないことをわきまえもなく言うところがABのABたる所以(ゆえん)だろう。
一回言ったので慣れたごとくにこれから何度も言われたらたまらない。
野党、突っ込めよ。
沖縄知事は辺野古作業の中止を勧告したが政府は対抗姿勢。
民意を民意とも思わない傲慢姿勢だ。
と、どこまでもとどまることを知らない傲慢ぶりがまだ続くかも知れぬが
目にもの見せてやり、
鼻をあかしてやり、
口から泡を吹かせてやり、
耳を覆いたくなるほど反ABの声を響かせてやろう。

739 第十一条

第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第3章国民の権利と義務は10条から40条まで31条ある。
11条は基本的人権を国民に保障している。
基本的人権とは、「平等権」「自由権」「社会権」「請求権」「参政権」である。
平等権とは、差別されない権利である。
自由権とは、自由に生きる権利、すなわち精神の自由、身体の自由、経済活動の自由である。
社会権とは、人間らしい最低限の生活を国に保障してもらう権利、すなわち生存権、教育を受ける権利、労働基本権である。
請求権とは、きちんと基本的人権が守られるように国にお願いする権利、すなわち国家賠償請求権、裁判を受ける権利、刑事補償請求権、請願権である。
参政権とは、政治に参加する権利、すなわち選挙権、被選挙権である。

738 安保法制

安保法制にかかわって自党と公党が歩み寄ってますます戦争に近くなってきた。
今日の新聞はその危険ぶりを全面で扱っていた。
彼らの党の中にもはやブレーキをかける大物がいなくなったのも大きいと伝えている。
彼らこそ、まず戦争が行われている世界の現場へ出かけていって弾の下をくぐって欲しいものだ。
机上の論だけでは駄目である。
いつもいうように原発だってフクシマの現地に寝泊まりして再稼働や新設について考えて欲しいのだ。
しかしこうも矢継ぎ早に悪法を連発されてはそれについていくのがえらくなる。
中身の本質を見極めるまもなくどんどん進められていく。
いわば考える間も与えないで決めていくやり方。
これもショック・ドクトリンだ。
しかし、どうせ彼らのやることだからその本質は見え透いているのだが。
とにかく9条破壊のための工作である。
相手はもはやなりふりかまわぬ勢いである。
こちらも機敏な反応が大切であるが、ますます機敏さが求められる事になってきた。
機敏さと大量動員、大量宣伝工作である。
そして地元ではカミングアウトじゃないが俺は九条改悪反対するぞという顔を見せていくこともこれからはして行かねばならないだろう。
全国では100を越える地方議会がABのやり方に対して意見書を出しているとか。
俺達の議会じゃ無理だろうがやれという請願ぐらいは出してもいいだろう。
思いつく限りありとあらゆる手を尽くして阻止に向けての活動をしていきたいものだ。

737 第十条

ここからは「第2章国民の権利および義務」の章である。
第十条  日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
法律で定めるとなっているが、その法律は「国籍法」である。
その第2条によって子どもは親の国籍を取得するとなっている。
国籍を得ることによって、ニポン人として憲法に定められた権利を有し義務もあるということになる。
つまりは役場に戸籍があり、それで学校に行けたり、選挙権があったり、保険に加入できたり、さまざまな恩恵も受けられる。
義務としては納税の義務や子どもに教育を受けさせる義務などが発生する。
外国人が日本国民になるには帰化の方法がある。
この頃有名なのはドナルド・キーンさん。
帰化すれば参政権もあり、立候補も出来る。
現在国会議員として帰化した人は、蓮舫、ツルネン・マルティさんなどがいる。
他には、孫正義、伊集院静、C・W・ニコルなど
スポーツ選手にはサッカー、野球、相撲など帰化した人は多い。
逆に外国に行って外国籍を得る人もいる。
よく問題になるのは国際結婚して出来た子どもの国籍が問題になる。
とくに離婚した場合である。
話は飛ぶが、今日は地下鉄サリン事件が起きて20年の日。
新聞テレビは特集していた。
あんな事件は許されるものではないが、その後に残した負の面もある。
治安維持の上での盗聴法だとかいわゆる共謀罪とか個人の権利を脅かす法律である。
国籍の面では指紋押捺制度が問題だったがあの制度は反対も多かったせいもあり改善された。

736 百万

s-「憲法改悪阻止100万人集会」実現プロジェクト


友人からのメールで知ったのだが千葉県の鴨川九条の会が百万人集会の提案をしている。
全く同感である。
以下にその提案の抜粋。(最後部分)

 私たちはこの美しい里山の中で、ただ静かに暮らしたいだけです。しかし放射能によって足元の大地も水も空気も汚され、傷ついた子どもたちの細胞は声も立てられずに呻いているというのに、額に汗して働くことのない者の利権のため、若者の命が戦場に駆り出されようとする今、私たちは人間の尊厳をかけ、すべての生命の尊厳をかけて立ち上がる時が来たと思うのです。この国は、破滅に向かって突き進んでいます。この危険な政権をこれ以上延命させてはなりません。南房総の里山から、兄弟姉妹に呼びかけます。子どもたちの未来のために立ち上がり、ともに一つの歌を!首都東京に100万人の地鳴りを!
 呼びかけ:鴨川9条の会「憲法改悪阻止100万人集会」実現プロジェクト

60年安保が33万人であったといわれている。
それ以上の大集会プロジェクトである。
やるとしたら来年になるとかかれているがいずれにしてもやるしかない。
今年も手をこまねいているわけには行かない。
少なくとも数万から数十万の集会をやるべきだろう。
あるいは全国各地で何十か何百かの集会を何回も開くことが政権打倒の力になるだろう。
そして百万である。
百万の暁には必ずや駆けつけようと思う今日である。

735 かゆい

目のかゆみが異常にひどくなった。
かゆいのでどうしてもかかずにはいられない。
薬はないのでアイスノンみたいな冷たいのを目に当てるだけ。
少しは楽になる。
寝るときはそれをして寝るのだ。
昨日異常に温かかったのでそれで一気に花粉が増えたみたいだ。
昨日も外で過ごした時間があったし、今日も少しあったのでそれがいけなかった。
しばらく外出は控える。
それに洗濯物は外に干さない。
明日は耳鼻科と眼科へ行って薬を貰ってくる。
眼がかゆいと考え事もしづらくなる。
今日はこれで終わり。

734 憂鬱

油断してたら来た。
花粉症。
鼻の奥がつんとして痛い。
日中、外へ出ていろいろしたからだ。
ああ、憂鬱になる。
これからがもっとひどくなる。
憂鬱といえば政治の世界はもっと憂鬱。
歴史知らずのお馬鹿議員が今度は八紘一宇ときた。
にぽんを取りもどすのよ戦前のにぽんに。
キョーイク勅語もよかったし、ねえABちゃん。
てなことだ。
よく議員になったものだ。
入れる方も入れる方だ。
鬱になるから話題を変えよう。
ときどき買い物に行くのだが、連れ合いがスーパーのカードを作ったので持たしてくれた。
レジでカードを出せばすーと通れるので確かに便利。
しかし、現金で買うのとカードで買うのではやはり現金の方が安く済む事が分かった。
カードだと現金を出さなくてもいいのでまあいいやと思ってついつい要らないものまで買ってしまい勝ちになるのだ。
だからカードで買うときは前もって買うものを決めておきそれ以外のものは買わないようにすることが肝要だ。
と、今日は買い物して分かったことを書いてみた。

733 気候変動

s-20150302035014SODPF02[1]


バヌアツがサイクロンでひどい事になっている。
最大70mの風速だった。
今年に入って大きな気候の変動を思わせるものは、北米をおそった大寒波。
ナイアガラの滝が氷ったとか海の水が氷ったとか。
なんと大波が氷った写真が出ている。(写真)
信じられないような写真?である。
マサチューセッツではこれまでに経験したことのない大積雪、爆弾低気圧が発生したとか。
その他の国では、チリの山火事。
とかアフリカの干ばつ。
バングラデシュのサイクロン被害とか。
うちらも12月の積雪は近年になかった大雪だった。
と言うわけで、この気候変動に目を向けた人がいる。
気候変動vs資本主義を著したナオミ・クライン。
This Changes Everything: Capitalism vs. The Climate.
少しばかり英語でかじったが、要するに気候変動と資本主義の関係を述べたもの。
資本主義の影響によって気候が変動するのか、気候の変動によって資本主義が影響を受けるのか。
後者を思いつくのが普通だろうが、前者的に考えることは新鮮である。
中国のあのスモッグは開発することから来ている。
それによって気候は変動していないか。。
アマゾンの森林を伐採して作物を作ろうとしていることが気候に変動を及ぼすことは容易に考えられる。
などであろう。
ナオミ・クラインといえば「ショック・ドクトリン」の著者。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」以来の環境に対する大作本だとか。
いずれ翻訳本が出るだろう。

732 暗い時代

今日3月15日は1925年に治安維持法ができてそれが1928年の3月15日一斉に牙を剥いた日である。
一斉に全国の共産党員などを検挙し弾圧したのである。
小林多喜二がそれによって亡くなった。
この前、多喜二が亡くなった日の枕元に集まる人々の写真が新聞で紹介されていた。
悪魔の法律である。
今また秘密を漏らしたり知らせたりすると弾圧する特定秘密保護法が出来た。
どちらにしても暗い時代に向かう法律だ。
AB路線は今やすべて戦前回帰である。
それに立ち向かうべく今日は東京で九条の会の集会が行われた。
珍しくも某国営放送でそのことがちらっとニュースで流れた。
これからそういう集会をばんばんやって行かなくてはならないだろう。
今の集会の自由、言論の自由、思想の自由のあるうちにだ。

731 ブル4

今日は久しぶりにクラシック・ライブ。
インバル都響のブルックナー4番だった。
インバル都響は2回目。
前は横浜でマーラーの2番を聞いたのだった。
これは噂通りのすごさだった。
それで今日はブルックナー。
ブルックナー開始と言われるトレモロで始まる。
ブルトレというのか。
殆ど聞こえないくらいのトレモロだった。
しかしヴァイオリンを見ていると確かに弓は動いていた。
そして金管が緩やかに主題を奏でると弦もクレッシェンドしていくのだった。
なかなかいい。
楽章は4楽章構成。
好きなのは1楽章3楽章4楽章の順か。
2楽章もいいがブルックナー得意のアダジオ風で(アンダンテだが)聞き込む程にジワリと良さが分かってくる楽章だろう。
何だかうっとりしてしまって少し眠りかけた。
ブルックナーの特徴は金管を使うことだと思うが、ばりばりと鳴るトロンボーンやチューバ。
それにほんわかとしたホルンのメロディが美しい。
フォルテの所は金管が引っぱる感じ。
インバルは都響に根付いてしまった。
マーラーもよかったし、ブルックナーもなかなかのものだった。
誰かに似ているなと思ったらイツァーク・パールマンだった。
どちらもイスラエル出身。
イスラエル出身の音楽家は結構いるもんだ。
それはともかく、今度は7番を聴きたいものだ。
次は5月のマーラー2番である。

730 書く

この2年で1日だけ休んで毎日書き続けてきて730到達。
2年前の3月13日にブログを始めたのだった。
ネタ探しには参るが、それでもパソコンに向かうと何やら書き始めてしまう。
ほんとに困ったときは音楽のこと、山のこと、本のことなどを思い浮かべる。
それもないときは単なる日常の日記。
ボーとしていると何にもない。
この頃は憲法に逃げることにした。
あまりにも政治がひどいのでついその話になってしまうがABが悪いからだ。
もっと守備範囲?を広げなくてはと思う。
スポーツは弱い。
野球も相撲もサッカーも見るのは好きだが誰がどうしたとかの話題はからきし駄目。
教育関係ももっと書かなくてはと思う。
ABの教育路線は危ない。
と、まあ書いてみたがまた暫くは相変わらずの線で書き続けていきたいと思っている。
書くことの意義は、やはり自分の思考を深めることが出来る事だろう。
と言っても、人が見れば何だこんなものと思うかもしれないが。
他にも書くことの意義はあるだろうと思う。
書くことによって分かってくることがある。
書くことによって思考が分析できる。
書くことによって新たな発見がある。
書くことによって思考が鍛えられる。
書くことによって自分が鍛えられる。
いくつかMLに入っているがよくメールを書いて来る人はえらいと思う。
書くことを勧める。

729 冷血

辺野古がまた動く。
民意は全く反対の意志を示しているのに、法律に沿ってやるのだと言う。
法律>民意という考えである。
思えば辺野古ばかりでなく原発問題にしても安保法制にしても民意は二の次で無視され続けられている。
法律という建て前をとって法治国家だからという言いぐさで無視するのである。
しかし法律は民意に寄って作られているはず。
すなわち国会で作られているのだからそれは民意が反映しているはず。
だから直近の民意による法律改正が出来るのならばその民意に添った法律が出来るはず。
だとすれば現在の民意は現在の法律に勝るものである。
すなわち民意>法律も可能なわけである。
法治国家と言って民意を無視するのは、政治家として冷血である。
おごりでもある。
そんな政治家はいらん。

728 集団催眠

もう4年もたってしまったのか。
フクシマの復興はほど遠い。
2時46分黙祷のサイレンが鳴る。
そっと当時のことを思いやると共に原発の廃止に向けての気持ちを新たにする。
大江健三郎氏が原発廃止を最後の仕事とすると新聞に出ていた。
メルケルもフクシマに学んでドイツは廃止を決めたのだと言って帰る。
AB一族郎党・支持者は集団的催眠にかかっているのではなかろうか。
再稼働・新設への道は悪くないという催眠状態だ。
戦前の一億国民的催眠。
いわば国民が反対することにゴリ押しの反対をする。
反対の反対をする。
反国民政治である。
某党は反対ばかりをすると言うくせに自分たちは国民世論を欺く事をする。
そちらの方がよりひどい反対でる。
そして自分たちに反対するやつは非国民といって脅すのだ。
もはや戦前である。
といってもいいのではないか。

727 被害と加害

今日は東京大空襲の日。
忘れてはならない。
10万の市民の死と100万の市民の被災。
あの空襲を指揮した米のルメイという軍人が戦後日本から勲章を授けられたと知った。
なによそれ。
殴ったやつを誉めるのか。
さすがにというかヒロヒトは自分からは手渡さなかったそうだが。
時の首相は栄作佐藤である。
何を考えているんだか。
空襲と言えば、東京ばかりでなくそこら中の都市や町がやられた。
戦闘員でなく一般市民がやられたわけである。
しかも戦時の法律によって空襲があっても市民は逃げ出すことは出来なかった。
戦えあるいは火を消せと言う命令があったのである。
空襲する方も悪いが、される方の対応も無茶であったわけである。
ニポンは空襲されたが、ニポン自身も中国に対して市民に対する無差別爆撃をやっている。
中国中部の重慶にやった。
人道に対する罪である。
被害と共に加害の事実である。
東京大空襲、逃げるなと言う命令のもと亡くなった人たちへの国家の賠償が求められている。

726 直視

メルケルが来て講演した。
「過去を直視しないと駄目よ」
と言ったらしいが、ABにはどういう事か理解できなかったろうな。
と思う。
歴史は専門家の判断にまかせるとか何とか言うくせに自らはねつ造、ねじ曲げを平気で行っている。
言うこととやることが一致しないばかりか平気で嘘をつくのが常態化している。
政治家が歴史や文化や教育に口出しをする事がゆがめるもとになるのであってそれはタブーと認識しなければならない。

725 第九条Ⅱ

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第二章は九条のみである。
天皇が一章に来たのは帝国憲法を引きずったところや連合国の思惑があるからだが、第二章に戦争放棄を持ってきたことは、この憲法の並々ならぬ思い入れがある。
新しく憲法を作るということの重大さはやはりその時代のもっとも先鋭的というかこれぞ反映したいということが先に来るものだろう。
戦争が終わってその戦争の苦しみを思うときやはりもうやらないぞと決意すること。
これが新憲法の初心である。
憲法の前文と呼応しているような文である。
「希求」という言葉が目を引く。
のぞみもとめること。
平和を強く求めるということだろう。
しかも「誠実に」という形容詞がついている。
ただやたらにとか無茶苦茶「希求」するのではないのである。
「武力行使は永久に放棄」だから、千歩譲って自衛のため正当防衛的な武力行使は仕方がないとしても、積極的に行使をするというのは出来ない。
と、思うがABは勝手にそれを壊してしまった。
陸海空軍も保持しないといっているのに自衛隊はある。
「軍」という言葉を使うと憲法違反になるから「隊」にしているだけであって、全くの言葉によるごまかしである。
それこそ子どもにも分かるが、AB一族はどこまでもごまかしで通そうとしている。

724 第九条

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

九条を解説するには少し荷が重い。
しかし、今一番大事なところであり、又この憲法の最重要部分でもあると考える。
ので避けるわけには行かない。
章の名前はズバリ第二章「戦争の放棄」
単純明快である。
これを解釈だといってひねくり回すのは、戦争がしたいためだと思われても仕方がない。
ましてや一個人の考えで勝手に解釈を変えてしまうなんてもってのほかである。
沖縄は辺野古基地を巡って大きな山場に向かっている。
国として3度目の沖縄蹂躙である。
おきなわんちゅーは復帰したときに九条があるので復帰したといっている。
しかし、裏切られた。
そして又の裏切りである。
それならヤマトより独立して九条を生かすとまでいっている。
九条を持っての沖縄独立だ。
井上ひさしの「吉里吉里人」にもそんな所があった。
九条に惚れて惚れて惚れ抜いておれたちがそれを受け継ぐんだというような事を吉里吉里人が言っていた。
今日はここまで。

723 魂胆

昨日の新聞で防衛装備庁を新設するとか。
武器輸出3原則を変えて防衛装備移転3原則などという言葉に代えてやりたい放題のわざだ。
まさに戦争販売人の役所である。
九条のある国がそんなことを行うなんて考えられない。
まさに戦争お宅たちの考えることだ。
また今日はシビリアンコントロールを崩す法律改悪の話。
文民優位を軍事部門と同列に格下げをするという。
しかし首相や防衛大臣が文民だから大丈夫だという言い訳をしている。
集団的自衛権をつかって自国が攻撃されてもいないのに他国の応援で自衛隊を出すということも言い出している。
いろいろなことを一挙に出してきて一挙に片づけようという魂胆だ。
ショック・ドクトリンである。
片方でやれアホミクスだ、やれオリンピックだ、地方創生だとしょうもない事を並べて騒ぎ立て、その裏で着々とほんとにやりたいことをやろうとしている。
AB等のやりたいことは、とにかく九条壊しである。
その上で戦争できる国であるが、九条は国民の反発も強くていっぺんに出来そうもないので、回りからせめて九条を骨抜きにしようという魂胆である。
いずれにしてもとんでもない。
とんでも官邸団である。

722 教育統制

教育再生会議が学校制度を変えようと言う。
すべて地方にまかせると。
人事権まで学校ごとや地方でやれという。
すでにやっているところもあるとか。
これも新自由主義の方式だ。
規制緩和および民営化路線である。
都市部の大きな学校?に大きな力というか金もそうだがもろもろが集中していくだろう。
田舎部の小さな学校は取り残されるか消滅していくということだ。
そしてどんどん愛国教育を浸透させようというのがねらい。
教育による統制が始まる。
まさに戦前回帰。
組合には跳ね返す力を付けて戦ってもらいたいし、現場の教職員が何よりも跳ね返す勇気を持って欲しい。
言わねばやられるということだ。
政治が教育に介入することは許されない。
それが戦後の反省であり始まりだった。

721 残念

何故か夕べは殆ど眠れなかった。
午前1時を見、2時を見、3時を見、4時を見、そして5時も見てそれからうつらうつら7時15分頃まで寝たのだった。
腰の痛いのはだいぶんよくなった。
その薬のせいだったかも知れないと思う。
普段は12時頃ふとんに入ると5分もたたないうちぐらいに寝付ける方だから異常だった。
但し、コーヒーを午後に飲んだりすると寝つきにくいこともあるのだが。
それはともかく今日はちょっとしたサプライズの電話があった。
中身について書くことは控えるが、生涯初めての経験となることだった。
しかし、これはある事情があってぽしゃるだろうと思う。
名誉?なことなので残念である。
と書いたって何の事やら分からないだろうが、ぽしゃった暁には発表することにしよう。
まあ何というか日の目を見ようで見えなかったという話である。
もう一度それはともかく前に戻って腰痛は少し収まってくれて有り難かった。
MRIとレントゲンを撮ったが、あれはどちらで椎間板ヘルニアだと判断するのだろうかと思った。
両方必要なのかも知れないが見せられた画像はレントゲンだったような気がする。
しかし、なるほどよく分かる画像で納得は出来た。
カイロプラクテクと整体の違いは何だろうと思う。
これで整形外科も合わせて3種類の医療行為を受けたわけだがどれがほんとによく効くかは分からない。
人によってそれぞれ違うものだろうと思うが自分にとっては整体と今回の外科的な行為、といっても写真を見て患部に注射をしただけだが、がよかったのかと思う。
いずれにしてもよくなればそれでいいのだが、やはりいろいろな施術があることは分かった。
花粉症もまだまだピークは続く。
檜になったらさらにひどくなるだろう。
いつも書くように早く夏が来ればいい。

720 責任

病院行ってきた。
第4頸椎と5番目,6番目のところの椎間板が出っ張っていてそれが神経に障っていて痛むということだった。
画像を見るとそれがよく分かる。
それがさらに進むと椎間板ヘルニア。
まだ大丈夫だといわれたが、まだまだ痛い。
それで一応痛み止めの注射をした。
今後重たいものを暫くは持ったり出来ない。
春の農作業では肥料を背中に負ってするのでそれが出来そうにないということになる。
誰かにやって貰わねばとなると困る。
それにしてもこれほど痛くなるとは思っても見なかった。
座っても痛いし、寝ても痛い。
腹這いは比較的楽。
薬を貰ってきたので痛みは少しずつ引くはずであるが早く引いて欲しい。
それはともかく、13才の少年の痛ましい事件には胸が痛い。
ほんの少し前に和歌山の小5の少年事件があったばかりなのにまただ。
13才の少年の事件に隠れて和歌山の小5の事件のことが薄らいでいる。
どちらにしても未成年による事件で痛ましさも同じ。
被害者はともかく犯行におよんだ当事者たちのことも気になる。
また捜査関係者や学校や身の回り、家族等の対応も非常に気になる。
13才の場合、警察は事前にどちらのことも耳に入っていたという。
事なかれ主義、見て見ぬふり、人間関係の薄情さ、薄らぐ地域の人間関係などなどが重なった結果なのか。
責任逃れが重層化して起こってしまったことなのか。
こんなことを書いている人がいる。
責任は下へ下へと下りていって最終的には自己責任へとたどり着くと。
ABの責任は、大臣か党の関係者か国会議員の責任となり、それを支えた一般民衆のものとなり、ついには個人の責任に帰すと。
またもや大臣たちの献金問題で揺れているが、同じくこれも下へ下へと流れていく。
「俺は知らないよ,知らなかったよ。」
で終わるのだ。
責任は知っても知らなくても上に行くものだろう。
忘れるな。

719 腰痛

この間、油断して米の袋30㎏をいくつかと肥料20㎏の袋を移し替えたりしたら腰痛がひどくなってしまった。
いつもの整体に電話したら、自分自身が少し体調を崩してやれないということだったので他の治療をするところに行かなくてはならない。
どうも重たいものを持つといかんということが分かった。
というかそれは前から分かっていたが、ついやってしまうのがいかん。
それはともかく、3月はやはり年度末だけあって退職した身にも多忙がついてきた。
いくつか役を貰ったらその役のまとめがあるのである。
会計処理、事業まとめ、来年度計画・・・・
それらの印刷、総会の案内、学校からは卒業式2つ、参観一つ、役場からは会計処理のやり方の説明会議一つ、お寺の会議一つ、九条の会の会議、公民館の会議二つ。
それに学習会一つにコンサート一つ。
腰痛の処理にも行かねば。
腰痛が少しでもよくならなければいくつかの会議、仕事などは出来なくなるかも知れない。
腰痛は馬鹿にならない。
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