809 自覚的

今日は映画会。
満蒙開拓団の話、「望郷の鐘」。
敗戦時の開拓民の逃避行を描いていたが、帰国後、残留孤児問題に精力的に取り組む山本慈昭という人の話だった。
再会した娘とジャガイモを食うシーンは涙が出た。
満州の話は色々あるが、無理矢理作り上げた国はもろい。
そして、軍隊は自らの国民も守らないということが如実に分かる事例である。
誤った国策に翻弄された国民の悲劇は二度と繰り返してはいけない。
映画のシーンで山本慈昭が残留孤児を二度と出さないためにだまされない国民にならなくてはならないと熱く語る(講演会)場面があったが、まさしく今の現状にぴったりの訴えであった。
ふざけた説明で国会論戦をし、時間だけ稼いではい上がりということに持っていこうとしている。
まさにだまされないぞ。
見抜いているぞ。
と一人一人が自覚的に判断出来るようにしていかなければ。
まだまだ戦いはこれからだ。
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808 聞く耳

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今日は昼前、花祭り。
子どもの象引きの面倒を見る。
赤ちゃんから小学生まで25人ほど来る。
他地区からの参加もあり、ようやくこれだけの数。
普段は大勢の子どもの声を聞くことはないが、今日は久しぶりににぎやかな声を聞いた。
おときの時になると子どもたちは競ってご飯をお代わりする。
子どもらしくてよい。
第一ご飯を食べることがよい。
ご飯、ご飯、ご飯である。
但し五目ご飯のことである。
昼から永代経。
あまり暑いので気分が悪くなられた方があって一時中断。
説教者も暑くて自然と語りも熱くなる。
水を飲み飲み熱弁であった。
いつかもひかかったのだが「宗教は自己否定である」というの。
それはともかく、話の中でABの傲慢さに触れられたのでなかなかやるのう。
人の言うことを聞く耳持たず、自分が一番だといっていばっている。と。

807 歌声

地元の公民館で歌声の行事「うたおまいかい」が夜にあった。
朝は覚えていたが、夕方になってすっかり忘れてしまっていて、夕ご飯の後、今夜は何かなかったかなとふと思ったら歌声があることを思い出す。
それで30分ほど遅れたが駆けつけた。
昼間にやるとなかなか来られない人が多く、夜にやることにしたのだが、残念ながら今回も出席者は少なかった。
せめて20人ぐらいは期待していたが、半分以下であった。
現役の人たちは昼間は無理だしと思って金曜日の夜にしたのだが、思惑はずれだったということだ。
次回は土日の昼間にしようと思うが、ピンポイントで呼びかけをしようと思う。
歌は昔の懐かしい歌が多く思い出しだし歌詞を見ながら歌うのであるが、一人でなくみんなで歌うので中にはハモって下さる人もいて楽しい。
伴奏者もピアノ、ギターともプロ並みにうまいので楽しい。
司会者兼指導者も話術巧みで盛り上げてくれるので楽しい。
自分らにとっては青春の歌が多いので若返ったようで楽しい。
大勢いると知らない人もいるが友達になれて楽しい。
歌集を見て「心騒ぐ青春の歌」がなかったので少し残念。
この歌が歌いたかった。
「ゆきやかぜ ほしもとべばー わがこころは はやとおきちに」
という古い?歌詞のほうが好きだ。

806 早期退陣

今日は会合が3つも重なった。
一つ目に出て2つ目は30分弱出ることが出来た。
3つ目は勿論不可能だった。
BTW(久しぶりに使った、バイ・ザ・ウェイです)文科省がつまらぬことをする。
やっと世間的にも通用し始めた「子ども」を「子供」にするといいだした。
どさくさ紛れのキタナイやり方である。
もひとつBTW、にわかに注目のロヒンギャ問題。
人権問題である。
ミャンマーの少数民族である彼らが難民化しているということ。
またBTW、国会審議でABの無智、無茶ぶり。
ネットを見るとそれがよくわかる。
特に無智ぶりは群を抜いている。
よく総理が務まるものだ。
もう馬脚は出ているが、あれじゃあ普通のじんだったらもう退陣だろう。
あんなのを頭に置いておくなんて何度もいうがよく下っ端のもんは恥ずかしくもないもんだ。
癌と一緒で早期発見早期治療が大事だ。
もう発見したから治療=退陣に専念すべき。

805 第三十五条

第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
○2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

勝手に人の家に押し入ってものを調べたり持っていったりは出来ないと、官憲や警察の横暴を許さない条文である。
裁判所の令状いわゆるテレビなどでよくやる捜査令状である。
正しくは 捜索差押許可状という。
31条からの35条までの条文を読むと、個人を非常に大事にしてくれる条文だと感じる。
逆にいえば警察などの官憲の無茶横暴を制限するものであることが分かる。
戦前の警察や特高警察の横暴を思い出す。
あの横暴さを反省総括しての条文であると考えられる。
オイコラ警察じゃなくてきちんとした制限を自覚した警察官憲であって欲しい。

804 最大限

s-えびね

パソコンが復活した。
今までセーフモードでしか動かなかったが、今日思い切って再起動したところ復活したのだった。
カメラの画像を取り込んでみたらうまくいった。
それでまたエビネの画像を載せた。
うちの庭の片隅にあるやつである。
少し色が茶色っぽい種類である。
白いのもあるがそれはスズランに押されて小さくなっている。
それはともかくいよいよ戦争法案の審議が始まった。
ことは国会議員だけにまかせておく訳にはいかない。
草の根の力が必要である。
今、各地でその運動が繰り広げられているがなんとか持続的にしかも大々的にやって、廃案にまで持って行かなくてはならない。
戦後最大の危機であるので最大限の努力をして行かねばならない。

803 第三十四条

第三十四条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
逮捕に続く拘禁あるいは抑留のことである。
これらのことを官憲がするには裁判所からの許可が要るということである。
逮捕するときの逮捕状と同じく拘禁するには拘留状というのが必要である。
またその理由は、弁護人などの立会いのもとでの法廷で示されなければならない。
「法廷で」というのが大事なところである。
すなわちまだ罪が決まったわけではないから罪人ではなく通常の一般人であり、一般人が非公開の密室で拘留されることは出来ないのである。
だから公開の場での一番公平なところ、すなわち法廷で示さなければならないということである。
抑留と拘禁の違い。
抑留は、逮捕に引き続く身柄の拘束で、比較的短期のもの。
拘禁:比較的長期間、刑務所や留置場などにとどめて身体の自由を拘束すること。
勾留:裁判所または裁判官が、被疑者・被告人の逃亡または罪証の隠滅を防止するため、これを拘禁する強制処分。
だそうです。
シベリア抑留は長い間のことだったが、事件の事となると短くなるんだ。
いずれにしても、暗いイメージの言葉だ。

802 自然

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念のためにいじくっていたら、カメラの画像がパソコンに取り込むことが出来た。
ので昨日撮った「えびね」の映像を載せる。
ご覧のようにえびねが群生している。
まさに圧巻とも言うべき映像だ。
このような群生が何箇所にも見られて、それも驚きだった。
実は近所に居ながらこの山に分け入ったのは人生始まって以来の初めてのことだった。
えびね(ラン)の愛好家にとっては奇跡の図だろう。
っていいすぎか。
なのでみんなには緘口令を敷いた。
あるものは根こそぎ持っていくものと聞く。
うちにも庭にえびねはあるがこれほどではない。
種類も少し違う。
すずらんに混じって咲くが、近年はすずらんの繁殖がすごく、負けてしまうのではないかと恐れている。
ので、すずらんを少し掘り返して居場所を作ってやろうと思う。
ネットで見たら、えびねもすずらんもオークションに出ている。
中には数千円もするものもある。
自然のものは自然に置く。
これが一番である。

801 作業土産

今日は地区の皆さんと山に鹿よけの網張り作業を行った。
最近、田植え後の田んぼに鹿は一回も入っていなかったが、今朝見回りに行ったら1匹の足跡があって入られていた。
今回の網張りもなんだか張ってみるだけで効果のほどはクエスチョン。
いくらいろいろあれこれ対策を講じても一時はいいが鹿もそのうち学習して効果はなくなる。
まあ気休めにやっておくという気がないと頭にくるだけだ。
しかし、金額は相当かかっているのでどうにか効果が長持ちしてほしいと思う。
今日は半日で作業は済まず、午後もやったがそれでも完了せず、明日も1,2時間やることにした。
今日のお土産というか作業のときにびっくりしたこと。
途中の山の一角に「えびね」の群生地を発見したことである。
何十という「えびね」が今を盛りと咲き誇っていた。
写真にとってきたのだがパソコンの不具合で載せられないのが惜しい。
復活したら乗せることにする。

800 精神年齢

このところで奥田英朗の本を2冊読んだ。
「ナオミとカナコ」それに「田舎でロックンロール」
DVを受けている友達を救おうと完全犯罪を企むが見る見る失敗に終わるという話と、文字通り著者の趣味のロックの話。
エンターテインメントとしては面白かった。
ロックのほうは70年代のシーンが語られていて自分も好きだったので、歌手の名前など見ても知っているのばかりで面白かった。
ただ、こちらはジャズに流れていったので途中からは名前は知っていても音楽自体は分からないのもあった。
それにしても奥田はよく聴いていたものだ。
大体70年代を網羅していたが、BSTやCSNYなど出てこないので不思議だった。
忘れたのだろうか。
奥田は結構ギターフリークということが分かった。
それに自分と同じで聴く事はするが、自分で演奏するのはからっきしだめみたいである。
読んでいたら、また昔のロックを聴いてみたい気になってきた。
年寄りのじじいがロックなんてと思われるかも知れないが青春を一緒に過ごしたものは、年とっても変わらないということだ。
年をとっても精神年齢は若いままなのかも知れない。
ということで、まずは何を聴こうと考えたときに、おいら的にはCCRかと思ってしまう。それに「イージー・ライダー」でかかっていたステッペン・ウルフの「ワイルドでいこう」がいいか。
サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」か「哀愁のヨーロッパ」か。
ほかにはレッド・チェッペリンにT・レックス、レオン・ラッセル、キャロル・キング、ピンク・フロイド・・・・。
ビートルズにボブ・ディランにポール・サイモン、エトセトラエトセトラ。
とこのくらい聴けばまたジャズがよくなるだろう。
この間買ったキース・ジャレットの「クリエイション」も聴かなくちゃならないし。

799 政治家話法

党首討論の内容を見ていると、まったくABならやりそうなことがいっぱい。
ポツダム宣言やカイロ宣言を知らないときた。
自らの不勉強ぶりや馬鹿ぶりをさらけ出したということだ。
しかも聞かれていることに全うに答えていない。
東大話法ならぬ政治家話法である。
間違っていると認めるかと聞かれているのに、回り持った言いかたでしかも間違っているとも間違っていないとも言わないという。
そして「いずれにしても」で、いかにもまとめたような言い方をする。
筋違いなことを言っているのに「いずれにしても」はないだろう。
小学生でもあれと思うだろう。
ABが答えたことは全世界にも伝わっているはずだ。
ということは世界の笑いものだろう。
いいのかジャパン、そんな首領をもって、歴史認識やはり全然ないじゃないかと。
「つまびらか」でないのなら、つまびらかにせよ。
その上でもう一度同じ質問に答えてもらいたいものだ。
ところで一緒くたにし提案してきた平和安全法制整備法案だっけ。
それはこういうもの、一応覚えのために(といっても覚えられないけど)。
・武力攻撃事態法改正案
・重要影響事態法案(周辺事態法を改正)
・PKO協力法改正案
・自衛隊法改正案
・船舶検査法改正案
・米軍等行動円滑化法案
・海上輸送規制法改正案
・捕虜取り扱い法改正案
・特定公共施設利用法改正案
・国家安全保障会議(NSC)設置法改正案
こんなもんいくらなんでも一緒くたというのは議論できるのか。
あっちへ行ったりこっちへ来たり。
やはり無茶だ。

798 第三十三条

第三十三条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
現行犯逮捕は出来るがそれ以外は令状を取らないと出来ないということだ。
逮捕令状というやつだ。
よくテレビではそういう場面を見かけるから理解は早い。
テレビでは犯人が逃走しないように用意周到で臨んで令状を出す。
あるいは犯人を見張りつつ携帯で部下などに令状を取ってこさせたりする。
司法官憲とは裁判所のこと。
警察の横暴を防ぐために裁判所で逮捕の可否を判断し令状によって警察の逮捕を認めることになる。
戦前のようなおいこら警察みたいな横暴さを少しはこれで取り除いたということだろうか。
民主警察などというが、このごろは少し疑問のあることもある。
一方では民に取り入りながら、一方では民を取り締まるという二律背反的な役柄とはいえ、やはりどちらかというとお偉方の番犬みたいな存在になりつつあるのではないか。
真の民主警察をめざして内部で意識改革をしてほしいと思う。
のである。
今日から安保法制の国会審議始まる。
野党には力の限りを尽くしてほしい。
議論で負けてはならない。
もともとが違憲な法制に負けていいはずがない。

797 第三十二条

Noカード

第三十二条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

誰かにあるいは官憲に一方的に罪を着せられたり拘束されたりは出来ないということ。
争いごとが起こったら、第三者に裁定してもらうことが出来るのである。
それが裁判であり、場所は裁判所である。
裁判になるほどの争いごとはあまり個人にとっては名誉なことということか自慢できるようなことではない。
が、お互いに譲れなかったり、必ずどちらかに落ち度があってそれを明らかに出来なかったりしたときは第三者に頼むしかない。
裁判にもちこまなくても、仲裁をしてくれるシステムもある。
それは「調停」と呼ばれるものでいきなり裁判に持ち込むより当事者同士の言い分を調停者がとりなしてくれるというものである。
離婚調停など家庭に関するものや、土地の境界問題など民事的なもの、労働事件を扱う労働関係のものなどがある。
いずれにしても、何か関係者の間で問題が起こって解決できないときは裁判や調停によって解決できるということである。

796 第三十一条

第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない
たとえ警察であろうと勝手に命や自由を奪ってはいけない。
もちろんそれによる刑罰も科すことは出来ない。
それをしようとするには、法律に基づいてしなければならない。
という基本的人権の基本を述べている。
戦前の特高警察のようなことは出来ないということだ。
単なる予測や憶測などで証拠もないのに捕らえたり監禁したり出来ないということだ。
このごろ警察による冤罪事件は後を絶たない。
続く32条や33条34条35条ともかかわるが、一人の人間を拘束するにはそれなりのハードルがあり、もしもこのハードルが越すことが出来なければ拘束することはできない。

795 マーラー2

s-屈しないカード

またマーラーの2番を聴いてきた。
これでインバル、コバケンに続き3回目。
今日は秋山和慶指揮・中部フィルの演奏。
出だしがすきなのだが、今日は少し線が細かった感じ。
音が丸い感じで切れがないというか鋭さがなかった。
しかし全体にまとまった感じでとても丁寧な演奏ぶりだった。
ソプラノとアルトの歌手が最初は楽団の後ろ右端に居て歌い、最後の楽章になって前に出てきたり、真ん中の後ろ扉が開いてその中から楽器が鳴り出したり少しこった演出がされていた。
合唱団は2階席でこれも丁寧な歌いぶり。
秋山さんの指揮は丁寧でめりはりあり。
最終楽章の盛り上がりはいつも感動するが今日もよかった。
最後部分はもう少し長いと思っていたが、あれと思う間に終わった。
2階席だったので楽器の位置が分かりその演奏振りも見えて参考になった。
銅板?を3枚吊り下げてそれをたたくというそういう楽器の出番があったが始めて見た。
マーラーは偉大。
よくぞこんな曲を作ってくれた。
何度でも聴きたい曲である。
ところで今日のFBからのニュースによると沖縄では3万5千人の集会。
その写真がすごかった。
「屈しない」というカードと「NO」というカードをもった人の写真が大迫力。
すべての人がそのカードを掲げていた。
これを真似しないと。
本文とは関係ないが急遽拝借してここに載せることにした。

794 スリル

今日もオール4月号でIWGP。
今回はユーチューバーというのがテーマ。
ユーチューブに動画をアップしてその読み込み数をもとに金を稼ぐという、そういう職業じゃないけどビデオをとる人が居るらしい。
100万人が見ると10万円入るというような設定らしい。
で、たまねぎを全部生で1分で食べる動画をアップするとか奇想天外なことをビデオ化して人気を得るらしい。
今回のトラブルの解決もあまり劇的な感じではなくてあまりぱっとしなかったが、どうなるんだろうというどきどき感はまずまず。
そして今回の音楽は、立派にクラシック。
グールドのテンペストと来た。
それにピアノソナタの2番3番とか出てきた。
詳しく言えばベートーベンのピアノソナタ「テンペスト」をグレン・グールドで聞くということだった。
ゆうべB・B・キングを見ていたら、涙が出てきた。
スリル・イズ・ゴーンを違う演奏で二つ見た。
the thrill is gone だがいまやthe thrill is come となってしまった。
それも「あらし」のようなthrill。

793 IWGP

s-BBKING.jpg
久しぶりにIWGP(池袋ウエスト・ゲート・パーク連作)を読んだ。
今回は「オール讀物」1から。
廃校になった小学校を貸し出しアートギャラリーみたいにしてアートを見せるという設定で事件が起こり、それをマコトが解決していくといういつもの流れ。
最近、その流れや事件性があまりなんていうかぱっとしない感じがする。
なのであまり面白くない。
だがいつものパタンで小説中に挿入される音楽に興味があったのだが、今回はマコトが構えてCDを聞くという設定がどこにもなく、どこからか流れてくるクリスマス音楽だけが挿入されていた。
ジェームズ・テイラーの「ウィンター・ワンダーランド」という曲のみ。
しかもクラシックでなくてポップスである。
J・テイラーは今もそれなりに活躍しているが70年代ポップスでは結構有名だった。
キャロル・キングの「君の友だち」(You Have A Friend)などぐらいしか知らないが。
ソフトな歌声とギターがそれなりに人気があった。
4月号でもIWGPが出ているので今夜読むことにした。
ところでB・B・キングが死んだ。
彼の「the thrill is gone」は絶品だった。
いくつか録画DVDがあるが、ブルースは彼から好きにならされたというか、「ルシール」と命名された彼のギターによってそのブルース・フィーリングを知ったのだった。
まさにブルースのキングだった。
Blues Boy King Is Gone! 今夜はそのキングを見ることにしよう。

792 蹂躙の日

昨年の7.1と同じく今日も5.14の憲法蹂躙の日として歴史に残るだろう。
勝手に閣議決定して九条を壊してしまった。
安保法制である。
首都に居たら官邸前へバズーカもって駆けつけるところである。
首都圏の人は何人かは官邸前に集ったようであるが、これから毎日何万人もの人が官邸前を占拠すべきである。
国会周辺も何万人で占拠すべきである。
議員どもが国会に入ることが困難になるようにすべきである。
しかしよくもよくも絶対に戦争に巻き込まれるようなことはありませんと言えたもんだ。
戦争が出来るようにしているのに巻き込まれるも何もないもんだ。
後方支援だというがその支援をするということは相手方にとって言えば自分らに戦争を仕掛けていると同じことだということが分からないのか。
分からないとすればとんでもない馬鹿か能天気である。
ていうか、もともと馬鹿か能天気であるから、いまさら馬鹿も能天気もないが。
とにかく首都から離れている身としては、首都の反対行動を支持しつつ見守るしかない。
それと地元で出来ることを考えるしかない。
全国規模の大集会があれば参加もしたい。
地元で出来ることは広報活動、デモ、議員要請、議会要請、市長要請、などか。
いずれにしても一人じゃ出来ないから九条の会や各団体などと共同してやれるようにしたい。
相変わらず「丁寧に分かりやすく」説明していくなどと言ってるが、そんなもんいくら丁寧にしたって本質は戦争が出来るようにすることだからそんな言辞は無意味である。
というか、「丁寧」にも「分かりやすく」にも出来るわけないし、やろうともしないだろうが。
とにかく、国民が分からないうちにさっさと仕上げてしまいたいという魂胆だからそれに乗らないようにしつつ、廃案に持っていく努力をするべきである。

791 アレルギー

下腹部の辺りがかゆいので昨日皮膚科の医者に診てもらった。
患部を見せたら、パンツを見せよといったので見せたら、そのパンツのゴムはだめですよといわれた。
パンツのゴムが黒かったので、そういうのにはタールが混じっていてそれがかゆみの原因になるという。
綿パンツにせよと言われたのでうちに帰って綿のブリーフに替えた。
いっそうちの中では何もはかないで裸でいるほうがこのごろはいいかもしれない。
某有名女子アスリートや某女優などはうちの中では裸でいるらしい。
じゃ、俺も真似して裸でいるかと言ったらやめてくれと言われたのでやめた。
花粉症がようやく終わって、目のかゆみがなくなったと思ったら今度は体のかゆみ。
つくづくかゆいのに悩まされるわが身。
痛いのよりましかもしれないが、かゆいのも困る。
これはアレルギー性のものだから自分は諸種のものに過敏であるということだ。
ABには前からアレルギーであった。
このアレルギーを治すにはもととなる物質ABをなくすことである。

790 第三十条

第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

国が成り立つにはやはりお金がないと回っていかない。
だから義務として納税があるのだが、税金にもいろいろあり。
簡単に言えば直接税と間接税。
税の負担はそもそも公平でなければならないはずだが、いまやその公平性は崩れてしまっている。
直接税では、所得の多いものからはたくさんとり、低いものは少なくていいのだが、これが崩れている。
いわゆる累進課税というの。
それにこのごろ悪評なのは法人税の低減化である。
企業に有利な税制で、大企業ほど儲けが多くなりがっぽりもうけてちょっぴり納税。
儲けのうちのいくらかはくそ政治家に回っていくのだろうと勘ぐる。
輸出企業は消費税分がまた還元されるとかで二重の儲けだときく。
不公平もはなはだしい。
その消費税ほど不公平なものはない。
子どもや路上生活者からでも取るという血も涙もない税制である。
そして、納税は義務だが、戦争を認めるような国には税金は納めたくない。
と思うのは自分だけか。
自分の納めた金が人殺しのために使われるのは絶対にいやである。
また、税金から政党交付金なるものが戦争を認めるような政党にまわされるのもいやである。
税金は公平に負担し、どの国民にも公平に行き渡るように、また、戦争などに使われることのないよう使われるべきである。

789 まやかし

また言葉のまやかしによる法案を作った。
「平和」という字を入れればごまかせると思っているのか、馬鹿にするのもいい加減にしろといいたい。
いわく「国際平和支援法案」。
それと一括で済ませようというこれも馬鹿にした「平和安全法整備法案」。
九条改正どころかすでに九条をないがしろにしている。
しかし世論調査にも驚く。
支持率が支持しないより支持するのほうが上回るとは!!!
だから馬鹿にされ、なめられるんだよ。
だから「平和」という文字にだまされるんだよ。
「くそのふた」という言葉があるが、こーめー党というのはまさに「くそのふた」にもならん。
がっかいも何をしているんだか。
それでいいのかガッカイスト。
人殺しを認める宗教といわれてもおかしくなくなるよこれからは。
と今日の新聞を見て思ったことでした。

788 資格

翁長知事と中谷防衛相の会談から翁長知事の発言。
・・・あらためて申し上げるが、沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない。全部戦後、米国に銃剣とブルドーザーで強制的に接収をされて今日に至っている。海兵隊ももともと沖縄にいたわけではない。
・・・自ら奪っておいて、普天間が世界一危険になったから新辺野古基地へ移設させる、嫌なら沖縄が代替案を出せという考え方のどこに自由と民主主義、人権という価値観を共有する国々と約束する資格があるのか。

この前の馬鹿首相のときにも聞かれた発言だが、この発言を聞いてもなお居直り続けるやつらの心境が分からない。
知事も言ってるように「固定観念」が頭を支配しているのだ。
それと民意を理解しようとしない上から目線のおごった考え方に基づいている。
そして感情を理解する能力もないのだろう。
とにかく米国に媚びへつらい、優秀な?ポチぶりを見せたいだけだ。

787 希望

「世界」で連載中の小熊英二の「生きて帰ってきた男」が最終回。
小熊の父親(小熊謙二)の個人史であるが、読み応えがあった。
生きて帰ってきたというのは、戦争からの帰還のことである。
しかも、シベリア抑留という過酷な体験からの帰還のことでもある。
帰還後の戦後の歴史も波乱に富んでいた。
結核療養所ぐらしから生計のためにさまざまな苦労をする。
スポーツ店で生計を立てていくのだが、それはうまく成功して終わる。
定年後の人生は社会に対するいろいろな活動にコミットしていく。
環境問題や戦後保障問題、シベリア抑留と朝鮮人の保障問題など。
裁判にまでかかわる。
この辺のことは最終回で詳しく出てくる。
小熊英二が父の晩年に聞き取りをしたのだが、最終回最後の文を抜書きする。
   さまざまな質問の最後に、人生のさまざまな局面で、もっとも大事なことは何だったかを聞いた。シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか、という問いである。
「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
そう謙二は答えた。

786 第二十九条

第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
○2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

財産権という言葉は通常あまり聞きなれない言葉である。
つまりは私有財産を認めるということである。
しかし、第2項では時としてそれが制限されることもあるよといっている。
すなわち公共の福祉に適合しないときは制限される。
山の中の農地を車の行き来するのに便利なように拡幅したいが、いくつもの所有者が入り組んでいる。
そのとき、みんなが便利になるようにするため(公共の福祉)俺はいやだというのは制限されるということか。
でもそういう例はいくらでもある。
一人でも反対があると行政は手を引くことが多い。
逆に無理やりごり押しでやっちゃうということもある。
公共事業の場合によくあることだ。
道路、港湾、ダム、空港などこれまでにごり押しはいくらでもあった。
現に辺野古もそうだ。
成田空港もそうだった。
ごり押しの場合もそうだが、いわゆるやっちゃう場合は第3項にあるように補償をする、と書かれている。
金を出すからやらせろというわけである。
戦時を想定したとき、この第2項第3項をもとに私有財産をごり押しで没収するということが問題になったことがあった。
第1項と2項3項は矛盾したことが書かれている。
財産権は侵してはならないが、公共の福祉のためなら侵すことが出来ると読めるのである。

785 第二十八条

第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
前条で個人としての勤労の権利と義務をうたった。
今度は団体としての権利である。
団結権、団体交渉権である。
団結や団体交渉をするにはもちろん一人では出来ない。
組織を作ることが必要である。
それが普通は組合というものである。
近年組合離れが進んでいる。
近年というよりもうかれこれ20年も30年も前からと言えるかもしれない。
8時間労働や労働環境の改善はもとより労働者の賃金がよくなるのも交渉なしではままならない。
先人たちが営々として勝ち取ってきた8時間労働制がなんだか簡単に崩されようとしている。
しかも残業代もなしというから馬鹿にしている。
従来ならば大ストライキで闘うところだろう。
春闘などもストなしばかりである。
ストも団体交渉権、団体行動権のうちのひとつである。
という意味で、若い人にはよく学習してもらいたい。
ストは悪いものというイメージになってはいないか。
そうではない、それはれっきとした権利なのだと。
デモが一般市民としての権利ならばストは労働者の権利なのである。
話がストに行ってしまったが、そもそもストが悪いイメージとして広がったのは、旧国鉄時分のストからだろう。
ほんとは市民として労働者の権利を認め、支えなければならないのに、通勤できなくて困るからやめてくれという気持ちが働いた。
当局もそれに便乗した。
昔々の全国一斉ストライキ(21ゼネスト)の挫折もあった。
マッカーサーが止めたやつである。
あのときから労働者に対する風当たりは強くなったのではないかと思う。
いずれにしても勤労者、労働者の権利としての団結権、団体交渉権はもっと活用すべきものである。
堂々と出来ることなのである。

784 読書計画

「世界」4をろくに読まない間に5が来て、5をまだ半分も読みきらないうちに6月号が来てしまった。
読みたい論文が多いのだが、なかなか前に行かずに遅れてしまう。
一日1論文はと思うのだがそれが出来ない。
ほかにも単行本で積んであるのがあり、こちらにも手が回らない。
雨の日などは読書に最適なのだが、体が疲れていてすぐ眠たくなり馬鹿みたいに早く時間が過ぎていく。
夜はテレビを見ることが多く、控えようと思うがつい見てしまう。
新聞は、今のところ気になるのは大体目を通しているので読み足りないことはない。
ということで、読書の改善計画を立てねばならない。
立ててもうまくいくかは分からないがやるだけはやってみよう。
まず、矢張り時間をとることである。
夜のテレビは半分に減らす。
一日1論文は続ける。
単行本は、雨の日などに一気に行く。
・・・ぐらいか。
今のところの、単行本は、
水島朝穂「ライブ講義 集団的自衛権」
藤井貞和「言葉と戦争」
中山智香子「経済ジェノサイド」
源田有史「希望の作り方」
・・・まだあるがとりあえずこれだけはやる。
図書館で借りたい本は例の奥田英朗の本。
速読の技術を身につけたい。

783 仕事

好きな詩人の一人、吉野弘詩集から

   仕事
   停年で会社をやめたひとが
   ────ちょっと遊びに
   と言って僕の職場に顔を出した。
   ────退屈でしてねえ
   ────いいご身分じゃないか
   ────それが、一人きりだと落ちつかないんですよ
   元同僚の傍の椅子に坐ったその頬はこけ
   頭に白いものがふえている。
 
   そのひとが慰められて帰ったあと
   友人の一人がいう。
   ────驚いたな、仕事をしないと
        ああも老け込むかね
   向い側の同僚が断言する。
   ────人間は矢張り、働くように出来ているのさ
   聞いていた僕の中の
   一人は肯き他の一人は拒む。
 
   そのひとが、別の日
   にこにこしてあらわれた。
   ────仕事が見つかりましたよ
       小さな町工場ですがね
 
   これが現代の幸福というものかもしれないが
   なぜかしら僕は
   ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
   いまだに僕の心の壁に掛けている。
 
   仕事にありついて若返った彼
   あれは、何かを失ったあとの彼のような気がして。
   ほんとうの彼ではないような気がして。


この詩では仕事が人間を元気付けるというところを描いているのだが、最後になって吉野はその逆説というか、いや人間とはそうではないという奥深い気持ちを表現している。
げっそりやせた顔の絵を壁に掛けて、それが本当の人間であると。
それこそ本当の人間なのだと。
仕事にありついて若返ったのは何かを失ったことと同じというのは理解に苦しむが、仕事を得ることがほんとうの人間性を失うことだと詩人の感性ではそう思えるのだ。
最後の3行の捉え方は、非常に示唆に富む。
私はまだ分からない。

782 第二十七条

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3 児童は、これを酷使してはならない。


勤労は権利であると同時に義務である。
納税と教育を受けさせる義務で3大義務なのだが、勤労だけは権利でもあるのだ。
納税の義務がある限りは働かないと納税できないから義務のほうが大きいということか。
働く義務であり権利であるといっても、やはり昨今の「働きよう」は権利らしくもなく義務らしくもない。
勤労にはやはり「働く喜び」がなければ人間として生きる喜びがない。
就職の厳しさ、残業、非正規社員、派遣社員、成果主義、ワーキング・プアなど喜びからは遠いイメージの言葉が幅を利かす。
「働く」というよりも「働かさせられる」イメージの言葉である。
それによって第2項の勤労条件も使用者側の都合のいいような法律がまかり通る。
勤労条件、たとえば週8時間労働などは、長い歴史の上に先人たちが勝ち取ってきた尊い条件である。
いとも簡単にそれが壊されるようなことがあってはならない。
第3項の児童労働はあってはならないが、実際はどうだろう。
よく問題になる女性のサービス業ではそういうことがままある。
「酷使」という言葉にひっかかるが、「酷使」でなかったらいいのか。
酷使は第3者によってやらされることであるから、自分自らがやることはかまわないということである。
たとえば、高校生などがIT技術を使って会社を立ち上げることとか、そういうことは問題にならないということか。
それはもかく、5・3集会で大江健三郎氏がABを呼び捨てで批判したとあったが、さもありなん。
呼び捨てにしてもいいほどのことをしているということだ。
しかしそんなやつを祭り上げている集団もいつも言うことだが情けないとしかいいようがない。

781 第二十六条

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
○2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

今日は憲法記念日。
各地で憲法集会。
横浜では3万人の大集会。
ほかでも九条の会を中心に多くの人が集まった。
また自主憲法を作りたい勢力も大会を行っているが1000万署名をするということである。
笑って見過ごすわけには行かない。
新聞では大々的に憲法にかかわる記事を載せている。
秀逸は中日新聞、といっても他紙は見ていない。
美輪明宏さんの記事、社説、発言欄、見開き両面(2ページ)の特集(安保政策)など読み応えがあった。
というところで、久しぶりにまた憲法の条文を書く。
今日は、教育を受ける権利である。
すべての国民は等しく教育を受ける権利を有するが、但し書きとして「その能力に応じて」とあるのは、個別的に教育を受ける権利を言っている。
障がいを持っている子どもも障がいにふさわしい教育を受けれるということか。
第2項は義務教育のこと。
よく間違えるのは、子どもは義務で教育を受けなければならないと考えること。
それは間違いで義務は保護者に向けられた義務であって子どもに対してではない。
子どもが学校に行きたくても行かせないのは憲法違反だということになる。
自分はこういう教育が受けたいんだと思ったらそれは権利として認められるのだ。
もうひとつ2項には大事なことが書いてある。
義務教育は無償である、ということ。
これは小中学校で授業料を取らないということだけが守られているが、副読本、教材費、修学旅行費、給食費など本来これらも無償にすべきものが有償の学校が多い。
わずかに給食費をとらないようにしている学校もあることはある。
外国では日本では有償のものがすべて無償で行われているところもある。
軍事費を増やしたり社会保障費を削ったりしている馬鹿な政府では無償化でできないだろうが、当然、無償化にできるはずである。
憲法をしっかり生かすならば当然の権利として無償化は要求してもいいことなのである。

780 穴

おととい書いた「泳いで帰って来い」というのは、奥田英朗の本「泳いで帰れ」の真似。
北京だったかオリンピックで日本の野球チームが負けてしまったので、チームに泳いで帰って来いと悔し紛れにいった言葉である。
今度また奥田英朗が連載を始めると書いてあった。
このところしばらく奥田の本は読んでいないので、読んでいない本があったら図書館で借りて読もうと思う。
今日、頼まれて知り合いの田んぼを代掻きした。
時々後ろを見てはやるのだが、あるとき偶然ふと見たら掻いたすぐ後に30センチぐらいの穴があいて水がずぼずぼと吸い込まれていく。
後ろだったのでよかったが、前だったらタイヤが落ち込んで出られなくなるところだった。
このあたりはよく地面に穴が開くところである。
1mくらいの穴が開くこともある。
石灰岩質の上にあるので地面の下はすかすかしているらしい。
入っていった水はしばらくするといっぱいになってそれ以上は入っていかなくなったが、仕方がないのでそのまま作業を続けた。
幸いというかその穴は田んぼの畦際に開いたのでほかのところは作業ができた。
満杯にしておいた田んぼに夕方行って見ると水がなくなっていた。
やはりあの穴の中に全部吸い込まれたのだった。
あれだけの水が地下の中に入っていったということだ。
そしてその水はどこで出てくるのだろう。
それはともかく、水がないと田んぼはできないので、その穴の周りを板などで囲って水が入らないようにしてまた水を満杯にしておいた。
明日はその穴をほかから土を持ってきて入れなければならない。
厄介な仕事である。
ABはでかい穴を作って平和という水を全部吸い込んで、戦争だけを残そうとしている。
という変な比喩にしたが、その水が入っていってしまわないように防護をしなければならない。
と、また変な比喩をした。
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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