839 傍聴

s-梅
写真はこの間とった梅の木の梅。
この梅の木は実がブドウみたいに付いていた。

新聞つぶせの発言でまた開き直るやつが出てきた。
ヒャクタにしろ懲りない面々ということか。
新聞がつぶれる前に君らがつぶされるような気がするけど。
といっても新聞はつぶれないけど。
維新の議員が志井議員や菅議員らと一緒に演説台に上がったので「処分」は笑う。
まあ維新にしてみれば面白くないことだろうから気持ちは分かるが、敵に塩を送ったか。

今日は念願の議会傍聴をしてきた。
戦争法案に反対する意見書をどうするかを見るためであるが、予想したとおり賛成者は一人で否決されてしまった。
反対意見者は世界平和は大事であって日本だけが一人平和であってはいけない風なことをいった。
世界平和は勿論第一に大事である。
しかし日本だけが平和であって悪いということはない。
日本は戦争の経験から率先して平和の道を選び世界の模範者となったし、その平和を戦争することなく広げていくべき努力をするのが大事な役目だと憲法前文には書いてある。
前文を百回ほど読み込んでみて欲しいとそれらの議員には言いたい。
というか読んでいて当たり前なのだが、自民党が言ってることだから無理にでも否決したいがために変な理屈(理屈にもならない理屈)を言うだけだ。
情けない。

反対の意見書は否決されたが。その後に出された慎重審議を求める意見書はあっけなく可決された。
傍聴者がこの間はたくさんいたし、むげには出来なかった結果か、まあ反対は出来ないけどこのくらいならいいだろうと言うくらいのお茶の濁し方か。
馬鹿にしている。
しかし、これまでの請願は何でも否決の癖からは一歩前進か。
情けない議会だ。
というか良識か良心がないというか。
非核平和都市宣言の街が泣く。
ここで思いつきの平和の俳句一句
「平和とは 戦争がない ことである」
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838 第41条

第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第4章は「国会」である。
41条から64条まで全24条ある。
国会は国の権力の最高機関である。
内閣より高い。
最高責任者は俺だといったものがいたが、その責任者にしたものは国会なのである。
これが民主主義の基本である。
決して国会を軽視してはならないということだ。
立法が行えるのは国会だけ。
だから立法府と呼ばれる。
内閣だけで勝手に法律は作れないということだ。
逆にいうとだからこそ変な法律は作れない。
作る限りは議論を尽くして誰でもが納得できる法律を作るということだ。
誰かに有利で誰かに不利な法律を作ってはならない。
そのためには議論をする限りは少数意見も大切にし、出来る限り全体が納得できる法律にしなければならない。
そして法律は必ず憲法に則ったものでなければならない。
憲法にはずれるような法律は当然作ってはならない。
安保法制はそこのところが全く不完全。
多くの学者や専門家が憲法違反だといっている。
だとしたらもう議論するまでもなく立法を取りやめねばならないはずだが、出した方は憲法違反ではないと言い張る。
無謀なやり方である。

BTWまたいうがヒャクタは今度は開き直ってつぶさないかんのは本気であると言い始めた。
何という傲慢。
何という開き直り。
文学者としてもう文学者とは言えないのではないか。
それと、会合に出た参加者のテレビ出演放棄。
出演したら攻められることが分かっての辞退に決まっている。
自分たちの非道、無智、暴論を今になって自覚。
負けを認めたのと同じ。
これじゃあますます安保論議はまずくなる。
ということだ。

837 第40条

第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。
特にえん罪による無罪判決を受けた人は当然のことである。
袴田さんもそうだしこれまでにえん罪はいくつもあった。
えん罪でとらわれた人は、無罪判決の後その期間の補償を求めることが出来て当たり前だが、罪を着せた人に対する逆の罰則規定はないのだろうか。
警察であったり、ニセの証人だったり、検察だったり、果ては裁判官にしてもみんなえん罪に荷担した人である。
調べてみると以下のようである。
誤認逮捕は違法ではないと。
誤認逮捕は、現行刑事裁判制度においては逮捕制度に内包された、当然に起こり得る状態である。
そのため、たとえ被疑者の無罪が確定し、なおかつ真犯人を特定できても原則として違法行為ではなく、逮捕者側にはいかなる罰則や処分もない。
と、なると何だか警察などのやり得?みたいな感じ?になる。
逮捕された方は非常に何というか迷惑極まりない事態であり不名誉な事態である。
やはり何らかの罰規定みたいのがあってもいいと考えるがどうだろう。

BTW自分らに不都合なことを書く新聞等は懲らしめないかんとか言い合った某党の議員らは党から処分を受けたが、また言うがそれだけでは済む問題ではない。
ABは人ごとのようにいうが、これぞ党の本音が出たと言えるものであるとすると、議員としては処分どころでは済まないのではないか。
第一、当の議員らは、安保法制の議論をしている国会に迷惑をかけたみたいなことを言ってるようだが、全く認識が浅い。
憲法の「表現の自由」の間違った認識の元に議員活動を行っている。
それに国会に迷惑をかけたという程度ですまそうという魂胆が浅い。
謝るべきは自党の党首やら国会にではなくて、国民に謝るのが第一であろう。
こんな認識のもとに議員をしています、この認識は間違っていました、と国民に向かって陳謝するべきことなのである。
そして議員を辞めるなりして責任をとるべきなのである。
まさにこのままだとやり得である。
たとえ議員であってもやり得で終わらせることは出来ない。
まだいけしゃあしゃあと議員を続けるようであれば彼らに対する信用は地に落ちる。
そんな議員を選んだ国民も地に落ちる。
37名だったかの議員には即刻退場願いたい。

836 第39条

第三十九条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。
こういう条文もあるんだと考えさせられる。
一回無罪となったものは、その件に関してはあくまで無罪で責任を問われないということだ。
あるいは犯罪を犯したとしても、その犯罪について責任を問われるのはあくまで一度限りで、何度も何度も重ねて責任を問われることはない。
傷害事件を起こして一度罰を受けたのなら、それで責任は問われたのであり、時間が経ってからまた罰を受けるようなことはない。
無罪とされたのに、ねちねちといつまでも疑いの目を向けられたり懲らしめられたりするのは出来ないということである。
ここをわきまえないと人の人生はいつまでも苦しめられる日が続くことになる。
無罪なのにいつまでも苦しめられるのは、人権侵害ということになる。

BTW某青年局長は更迭された。
マスコミ批判をした3人も厳重注意だとか。
それだけで済むのか。
政治家としてのその姿勢はあまりにも傲慢である。
いわば民主主義のイロハも分からない人たちなのである。
ヒャクタなにがしという自由人に「つぶせ」といわれて相づちを打っているようでは、憲法も何も分かってないことを暴露したようなものだ。
政治家失格なのである。
ABは俺が言ったのじゃないと他人事のように言って、まるで責任を転嫁している。
あの「後ろから鉄砲を撃つてしまった」という表現は全くその通り。
局長としては自分のなしたことの意味は分かっているみたいである。
だったら責任も自分できちんととって見ろと言いたくなる。
党内部はぐじゃぐじゃである。

835 圧力

ヒャクタ発言が物騒だ。
沖縄の地方紙をつぶせとは、とても許せるものではない。
後からあれは冗談だ、ギャグだとごまかしているが、本音が出たということだろう。
しかし物書きの端くれとして新聞やメディアに対してあのような物言いは天に唾を吐くようなものだ。
自分に気に入らないことを書くからと言って排除しようとするのは民主主義を冒涜するものだ。
まるで戦前のようだ。
しかしヒャクタを呼んで話を聞くような議員どもの有り様もまた噴飯もの。
新聞に対して経済的に圧力をかけようと言う発言もヒャクタと同じだ。
あれらがABの支持グループだとは変に納得、言わずもがなの無知蒙昧集団である。
弾劾されて当然のお人たちである。

834 傍聴

梅ちぎりをした。
今年はあまり豊作ではなかった。
しかし家族分あれば十分なのでよしとしたい。
しかし南高梅が思いの外少なかったのは残念だ。
あまり手入れしなかったのでしかたがないか。
市議会の安保法案に対する意見書の議論は、どうやら慎重審議を要求する意見書に落ち着きそうだという。
議会始まって以来の多数の傍聴者で委員会は緊張気味に進んだらしい。
で、全く無視する訳にもいかず、かといって反対の意見書にもするわけにも行かず、「慎重審議の意見書」となったようである。
あとまだ本会議があるのでその時も「意見書案」が示されるだろう。
文案もこの先練られていくだろうが、やはり戦争を危惧する意見書になるようにして欲しいものだ。
今回、意見書を出すことに少し前向きのなったことは一定の進歩である。
大事な請願はやはり大勢が押し掛けて見守ることが彼らに政治家としての良心を目覚めさせる効果があるようであることが再認識できたことである。

833 どちら?

s-こまいぬ

金持神社でみた狛犬。
犬というだけあって、犬である。
あのもじゃもじゃした毛がなくてのっぺりしている。
我が地の近くにある神社の狛犬はもっとすらりとして細長く、山犬ではないか。
あるいはオオカミではないかという伝えもある。
狛犬というのは神社の警護に当たるという意味で作られたものである。
と思うのだが、昔から、犬は人間と仲間のような親しい間柄だったのだろう。
神様を守るための動物としてその玄関脇に置かれたのだ。
と、私の勝手な解釈、思いつきなのだが、念のためにネットで調べると、あれは片方が獅子で片方が狛犬であるらしい。
もじゃもじゃの付いているのは獅子だったのである。
しかしどちらももじゃもじゃが付いているのもあるし、どちらももじゃもじゃがなく単に犬らしきものがいる場合がある。
いずれにしても神の守護動物として飾られているらしい。
今日は、安保法案破棄を願う意見書を出してもらう請願を審議する委員会に傍聴する予定であったが、やんごとなき事情が出来て断念した。
誠に残念至極、断腸の思いであった。
審議のほどはまだ情報がないのでどうなったか分からないが、紹介議員一人と、賛成に回る議員が一人いる。
いつもははい否決で、簡単に決まってしまうことが多いが、今回は賛成議員が一人いることもあり、若干希望がもてる。
この議員、保守系の人だが賛成に回った勇断を評価したい。
国会では村上誠一郎議員が一人安保法案に反対を表明し気を吐いているが、それと同じだ。
保守ばかりの中で賛成を述べるのは勇気のいることだろう。
しかし、よく考えれば賛成は良識のなせる技であり、常識的に考えれば賛成になるのは当たり前。
地方議員として国民に一番近い立場にいるのだから、民意を汲むのは一番汲みやすい。
そして、命の危険から守るという最低の役割を果たすには地方の議員からである。
それが出来ない議員ならばくそのフタにもならない。
とこれは前にも言ったか。
安保法案を進めるABの守護犬となるか、それとも国民を戦争から守る守護犬となるか。
今日の請願にどういう立場をとったかで分かるのだ。

832 破滅

s-金持神社

沖縄慰霊の日。
ABは口先だけの基地負担軽減をいう。
口先だけだ。
つまり嘘をつくということだ。
沖縄の民意も踏みにじり、安保法制での民意も踏みにじり、嘘とごまかしで強行突破の構えである。
長引けば長引くほど彼らもぼろが出ることが分かっているから早くけりを付けて参院での採決が出来なくても衆院での再採決で決着を付ける構えだという。
それもまた姑息なやり方であり、批判されて当然なことである。
嘘とごまかしと姑息と厚顔。
恥も外聞もなし、やりたい放題というわけである。
押す力が強ければ押し返す力も強くなる。
こうなったら、首都へは一回は行って来なくてはならなくなるかも知れない。
と、毎日こんなことばかり書かなくてはならない。
鳥取のことをまた少し。
金持神社という所へ連れられて行ってきた。
読み方は「かもちじんじゃ」。
しかし、その字のごとく金持ちになれるかも知れないということで、金の欲しい人がよってくるらしい。
金が欲しいというか一攫千金をねらう人である。
金の欲しいというお札がいくつもかけてあった。
そして金が授かったという御礼の札もたくさんかかっていた。
宝くじで1等が続けて3回当たったとか6億円ロトが当たったとか、そんなのが百以上かかっていた。
当たった後、どんなくらしをしているのか知りたいが、幸せなんだろうか。
自分も500円を振り込んで来たので一度試してみようと思うが、もし当たったら、全額寄付にして社会的にこうしたいという事業に当てるのだ。
人生は一攫千金でなくてこつこつやっていくのがいいというのが経験から学んだことだ。
変な夢を見ると破滅的なことにもなりかねない。
と、いつかもこんなことを書いていたかもしれない。
ABの野望も一攫千金的なところがあるのじゃないか。
ということは必ずや身を滅ぼすということだ。

831 たたら

s-たたら

鳥取の日野町根雨、「たたらの楽校」で見たたたら製鉄の製造法の模型。
両側で男たちが足で踏んでいるのがたたら。
ふいごで風を送る機械である。
ずっと踏むのも疲れるので番子と呼ばれる代わりのものがいてこれが「かわりばんこ」の語源となったとされる。
中国地方はたたら製鉄のあるところだった。
ここ根雨では近藤家がこれで財をなしたとあった。
昨日の意見書の数のことだが、反対が181、慎重審議が53、賛成が3だった。
圧倒的に反対が多い。
これからも反対の意見書が増えるだろう。
そういえばニュースを見たとき、賛成の金沢市議会の元自衛隊員かしらんの議員が賛成の理由を述べるところ(相変わらずの環境の変化論)を時間を取って流していたが、最も多い反対の立場の議会の映像は取材もしなかったのか1秒も流さなかった。
明らかに国営放送的恣意的一方的放送であり断じてその報道姿勢は許されるものではない。
自治体ばかりでなく、反対の意見書をだす団体も順次増えている。
日弁連も出したし、学者の会もそうだし、このところ歴代内閣法制局長官などの意見も反対の立場である。
(環境論)は単なるおどしである。
そんなのに乗っかる政治家なんて元が出来ていない。
あくまで外交努力、話し合いが基本である。
遂に95日の国会延長。
延ばせば延ばすほど反対の意見は強くなるだろう。
ABがたたらを踏んで逃げ出すまで徹底的にやりたいものだ。

830 レッド・アクション

s-DSCF9249.jpg

車窓から見た鳥取の大山。
生憎雲に隠れていた。
新聞を見ると女性たちのデモンストレーション「レッド・アクション」が一面を飾っていた。
戦争を抑止するのに女性の力は大なりだ。
夫や息子や恋人を戦地に送らないためには女性の声をである。
与党は会期延長をやろうとしている。
伸ばせば伸ばすほど反対の声は大きくなり、どうしようもなくなったABらは強行採決に持ち込むだろう。
維新の党などという腐った党がいくら対案を出したところで戦争に向かうことには変わりがない。
ひょっとしてあのABのことだから世情を見て突然の辞任などということになるかも知れない。
これは全く思いつきの予測だが大山の山じゃないけれど雲隠れかも知れない。
BTW全国の自治体が意見書をあげだした。
昨日のニュースでやっていたが驚いたことに賛成の立場で意見書を出した自治体が3つあった。
一つは金沢市。
いいのか金沢市。
市民はきっと怒っていることだろう。
250いくつの意見書の中でそれでも反対と慎重審議を求めるが残りであった。
反対とはっきりしていた方が多かったようだ。
我が市も近日中に審議をするみたいだが傍聴に押し掛けてみようと思う。

829 STOP

s-DSCF9246.jpg

一晩泊まりで鳥取へ行って来た。
そのとき岡山・真庭市でみた看板、「STOP戦争法案」
裏にも違うポスターがあったのだがそれは撮影できなかった。
某自眠党も戦争法案はいいとでもいうようなポスターはあるのだろうか。
それと某「平和」の党の不公明党のポスターにもそういうのはあるのだろうか。
見たことがない。

828 よい戦争

国会前座り込みで瀬戸内寂聴さんが話したとニュース。
「戦争によい戦争なんてない」と。
全くその通り。
何処かが攻めてくるから戦争にする。
米がやられそうだから助けてやる。
米が戦争しているから弾薬を運んでやる。
みんな戦争で人殺しだ。
人殺しは悪いとなれば戦争は悪いことだ。
ということが、ABには分からないということだ。
戦争をするつもりはありませんといったって、つもりだけであっていつ心が変わるかも知れないことだ。
それよりも前に憲法は戦争を禁じているのに、その禁じ手を勝手に破ってしまってこれも憲法の範囲内とはよく言えたものだ。

827 意思表示

安保法制に反対する学者の皆さんの賛同者が4800人を超えている。
高村発言が火を付けた感じである。
ついでにおいらも賛同署名した。
市民としては6000人を超えている。
まだまだ賛同者は増えるだろう。
高村は火に油を注いだようなもんである。
宗教団体も東本願寺をはじめキリスト教系など反対声明。
地方議会も請願を受けて意見書を出すところが増えてきた。
慎重審議もあるがはっきりと反対の意見書もある。
我が地の県議会や市議会はどうするのか。
我が地の市長はどちらかというと反対の意思表示をしたみたいだが市議会はどうするか。
請願を採択して意見書をだすかどうか。
意思表示といえば岸上大作の短歌を思い出す。
前にも書いたが60年安保後に自死した。
「意志表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ」
俺達は今声ある声を背に敢然と怒濤のごとく怒をもってABに向かわねばならない。
討論ではABはもう完全に負けている。
意味もないことを繰り返すだけでやつ自身が破綻している。

826 義務

18歳選挙権が決まった日となった。
これから否応なくというかますます政治教育が必要になる。
そのとき、偏向しているなどといったらはり倒す。
BTW高村は学者は憲法擁護義務がないから好きなことが言えると言ったという。
俺達は憲法擁護義務があるんだとも。
よくわかっていらっしゃるが、だからそんな義務はいらないとでも言っているのかとも思うが、そうでもないらしい。
義務は義務で尊重するものだと思っているらしい。
しかし現実の対応と来たら逆じゃん。
理屈にも何にもならない事実を述べ立ててあたかもそれが真実のごとく振る舞おうとしている姑息さはどうなんだ。
嘘であり、ごまかしであり、勉強不足であり、知ったかぶりであり、ぶりっこであり、まっとうな政治家ではない。
学者は政治家に憲法を守らせることが大事なんであって義務なんてそもそもないのだ。
そこんとこ所さん頼むよ。
じゃなくて高村知っとけよ。
と思った次第。
いずれにしても言えば言うほどぼろが出る。
AB一族の知の底は全く浅い。
ふっと吹けば吹き飛ぶくらいのものだ。
こんなん首相にしている一族、よく恥ずかしくないな。
と、また言うが。
ドンがアホならヒラも同じか。
しかし、早晩倒れるだろう。

825 愚弄

安保関連法案:「国民を愚弄」「珍妙な引用」 長谷部・小林両氏の与党批判詳報
ということで新聞、ネットが書いている。
政府に都合のいいこと言ったら専門家、そうでないと素人と侮蔑するとも。
そして法案は廃案にしろと。
廃案の仕方まで言っている。
高知でも意見を聞く会があって、6人中5人が反対だと。
賛成は知事だけだった。
てことでだいぶん風向きが変わってきた。
ここに来て若者、青年の反対の動きも目立ってきたとも。
全く結構なことだ。
でもまだ油断はならない。
いずれにしろ、廃案と打倒ABである。
私事:今日は一日あちこち走り回った日だった。
某市から米を定期的に買ってくださる方がいて今日も10㎏送った。
九条の会の通信を20軒ばかり配ってきた。
床屋へ行った。
病院へ行って紹介状をもらってきた。
図書館へ行って本返し。
某道の駅で買い物をしようとしたが定休日で無駄足を踏んだ。
ホームセンターで買い物、しかしここも目的のものはなく無駄足。
公民館で雑事。
床屋では政治談義。
今の安保法制論議は政府はまったく暴走だ。
いずれ倒れるだろうと言っておいた。

824 33万

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1960年の今日、最大規模の反安保デモが行われた日である。
その数は33万という。
そして樺美智子さんが圧死した日でもある。
この時代はまだロウドーシャが力を持っていた時代で全国的なストがその前後にあった。
またこのときは学生も運動に多く参加していた時代であった。
その中での樺さんの死である。
父親の樺俊雄氏(中大教授)の手記
《「私も社会学者研究会の同僚と一緒に国会に行っていた。その帰りラジオで女子学生がデモで死んだとニュ-スを聞いた。まさかとは思ったが何か気になって国会に戻り、聞いてまわるとどうも美智子らしいとわかり病院に駆けつけた。美智子はかって羽田デモで検挙された時父親として注意したがその時は全学連の戦術の誤りしとて話をした。しかし、今度の場合は違う。全学連だけの問題ではない。国民全体が政府に対して心からの願いを訴えようとしているのだ。その意味で私は美智子が国民の犠牲になったものだと考える。しかし、親としては悲しい。美智子はここ1週間ばかり徹夜で日本史の勉強を続けており、世の中が正しくあることを常に念願していた。親の目からみると3人の子供の中で一番かわいく勉強もよくしたし、家事の手伝いもよくした。学校では積極的で、正義感にかられると情熱的な行動をする性格であったらしく、羽田への参加も責任感といったようなものが働いたのだろう。」》
この60年安保を境に労働運動や学生運動はだんだん衰退していった。
一時70年前後のベトナム反戦の学生運動は盛り上がったにせよ。
それからも衰退していった。
しかしここに来て労働者はともかく市民という形でやっと目覚めというかたちでデモなどが行われるようになってきた。
やはり青年、特に大学生の力は大きい。
香港の雨傘革命にしても同じだ。
この1、2ヶ月33万には及ばないにしても、いや及んで欲しいのだが、5万6万ぐらいは行って欲しいものだ。
なんだかうずうずしてきた。
倒す。

823 2万5千人

国会前行動に2万5千人があつまったという。
昨日は横浜で1万6千人の集会。
日に日に運動が高まっている。
昨日今日は土日で数が集まったが、普通日でもそのくらい集まれるといい。
3人の学者が違憲の意見を述べたらABらが慌てだした。
今夜はハシモトと会談で抱き込もうとしている。
G7も落ち着かなかったようで、砂川判決を持ち出して反論する。
しかし、それは、集団的自衛権のことは触れておらず、またまた勝手な解釈によってだまくらかそうとした。
高村も、学者のいうことで平和が守られてきたのではないといったり、平和を守るのは学者ではなく俺達政治家だといってみたり全く聞く耳持たない。
それなら何故呼んだということになる。
都合の悪いことをいうやつは封じ込めようとするのはあまりに民主主義を逸脱している。
し、民意を無視する思い上がった行動だ。
まあいずれ運動の力によって崩壊するだろうが、まさにその崩壊までもって行かなくてはならない。

822 オーネット・コールマン

オーネット・コールマンが亡くなった。
フリージャズの草分け。
しかし、全然訳が分からないわけでもない。
近年はというか晩年はとても分かりやすい音楽だった。
といっても自分は1枚しかCDは持っていないから当たっていないかも知れない。
ゴールデン・サークルのトリオ版。
スエーデンでやったやつ。
ドラムスがチャールズ・モフェットで気持ちのいい太鼓をたたいている。
今日は、にんにくの皮を剥きながら倉庫のステレオセットでそのCDを聴き直した。
足が自然にリズムを刻む。
ビデオに録画したオーネットもあるがこちらはパット・メセニーがゲストで出てきて、素晴らしいプレイを見せる。
あの粘り着くようなギターの音色が一発で好きになってしまった。
オーネット、ジャズの革新者であり努力家。
サックスだけでなくトランペットやヴァイオリンも出来るマルチ奏者だった。

821 スト・デモ

地元の「平和行進」に行くつもりだったが都合が悪くなっていけず残念だった。
国会は今度は派遣法改正案でもめている。
そもそも派遣という労働システムがおかしいと我は思うのだが。
企業にとっては人件費の節約になりいいのだろうが、だから働く側のメリットはないということだ。
安定性のない労働はすなわち労働者のためにはならないと言うことだ。
国会議員も一回当選したら3年で辞めるようにしたらいい。
こんな法律があること自体が労働者寄りではなくて企業寄りの政策である。
と思うのだが、どうなのだろう。
組合が力を持っていて労働運動が盛んだったならばなかった法律だったかも知れない。
全国的規模のストライキでもやっただろう。
その労働者による全国規模のストは今こそやるべき時であるが、いかんせん弱体化の組合ではそれが出来ない。
一昔前だったらこの「戦争法」を前にして少なくとも連日のデモはやっていただろうし、波状ストぐらいやる構えを見せていただろう。
いまはロードーシャがあまり全面に出ず何とか会議だとかが仕切ってデモをやる。
それでもいいが、やはり戦術としてはストが一番効果があるのではないか。
今、それが出来ない以上、集会やデモの人数や回数を大幅に増やしていくことが大事である。
また、全国規模の集会も大事だが、地方でのさまざまな取り組みもやっていきたい。
ということで平和行進にいけなかったことは残念だったが、街宣やビラ配りなどやらなくてはと思う、今日この頃である。(きっこの真似)

820 だだっ子

我が地区の人口調査をした。
やっとデータが揃ったので終日かかって入力を行う。
少子高齢化は予測通りだが超が二つか三つ付くくらいの数字になった。
20年前に900人ぐらいだったのが500人ほどになってしまった。
四半世紀で半分減ってしまったということだ。
何とかしようと思っても何ともならないが、手をこまねいているのもだめだ。
人口ばかりでなく、他の面でも問題は山積みである。
そのうちプロジェクトを立ち上げねばなるまい。
と思うのだが、また音頭取りをやらされそうである。
というか、もうその入口に入りかかっている。
少し考えて計画を作ろうと思う。
まずは代表者を何人か集めること、それにそれらの会員を集めてまずはKJ法でもやるか。
BTW合憲だという憲法学者はたくさんいると言った官房長官だったが、やっと3人の名前と10人くらいはいると言う。
笑止千万、10人くらいなんて数の内に入らないだろう。
反対する学者は200人を超えている。
ほんとに傲慢であり不遜であり我が儘であり強弁でありだだっ子である。
ほんとにこいつらに道徳のドの字もない。
もひとつ許せないのは文官統制を緩めたこと。
戦前回帰も甚だしい。
しかしここで一気に風向きを変えていきたいものだ。

819 第三十八条

第三十八条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
○2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
○3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

強制的な供述、自白は駄目であるということ。
そういうのは有罪とならない。
机をたたいてお前がやったんだろうといわれて、恐ろしくてはいそうですといっても罪にはならないということだ。
自白のみに頼る操作はときにえん罪を引き起こす。
執拗にお前がやったんだろうと言われ続けると心理的圧迫からやっていなくてもはいそうです、となってしまう。
とにかく自白のみに頼る捜査は気を付けなければならない。

818 流れ

ネットや新聞などを見ると、風向きが変わってきたとか潮目だとかいう。
オウンゴールしたなどと皮肉るものも。
自党が推薦した参考人までも憲法違反だ、立憲主義を逸脱しているといわれては立つ瀬がないだろう。
まさに飼い犬に手をかまれたみたいなもんである。
バカ首相は開き直って憲法の範囲内だと訳の分からないことを言い出すし、街頭演説で訴えようとしても帰れコールにあうし、さんざんな目にあっている。
会期中に収まらないという状態になってきたとも。
それはそれで結構なことだが、まだまだ油断はならない。
どんな暴挙に出るか分からない。
まずは数を頼んで強行採決。
これが一番危ない。
その他の暴挙があったとしても採決だけは許してはならない。
今一番やることは、集団的自衛権の九条違反と立憲主義違反を攻めること。
それに会期延長を止めること。
反対国民勢力は毎日街宣とデモを繰り返すこと。
それにメディアが反対論陣を連日流すこと。
であろう。
地方では出来る限り街宣である。
地方議会も反対の意見書をどんどん出すべきである。
という流れになってきたか。

817 第37条

第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
○2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
○3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

通常、裁判において被告となるものは悪いイメージが浮かびがちであるが、刑が確定しないうちはたとえ被告といえども通常の人と変わらない。
そして、その悪イメージの強い被告に対しても憲法は上記のような権利を与えているのだ。
金がない場合でも公費による弁護も可能であり、あくまで人として見捨てないということだ。
裁判所は公平であるべしとある。
そして迅速にそして公開で行わなければならない。
また被告自ら証人を審問したり自分のために強制的にでも証人を求める権利がある。
そしてまた、いかなる場合でも弁護人を頼むことが出来る。
人を殺傷したなどの極悪人でも無権利ではないということだ。
この章(第3章=国民の権利および義務)はいろいろな「権利」のことをうたっているのだが、誰もが考える最低最悪の極悪人でさえも権利=人間としての権利を持つことが出来るとしているのだ。
残り3条でも、裁判になるような場合での権利のことが出てくる。
悪いことをしても守られている。
が、だからといって悪いことをしてもいいと言うことにはならない。
BTWまた少年事件。
川に入れといって、結果溺れたと。
胸が痛む。
加減を知らぬ。
命をもてあそぶ。
学びは真似だが、ほんとに真似になっている。
単なる真似だけ。
学びがなかったのが悔しい。

816 読み方

昨日のブログの題を「生」とした。
それは「せい」と読む。
のだが今日開いてなにげに見ると「なま」と読んでしまった。
生ビールを連想してしまったからだ。
それで昨日の文を全部「なま」として読み進むとなんだかおかしくなってきた。
「なま」に向き合う生き方。
「なま」を充実させるには「なま」に真剣に向き合う。
せめぎあいのなかに「なま」がある。
って。
「平和安全法整備法案」「国際平和支援法」の「平和」と言う文字も「戦争」と読めばしっくり来る。
でも、ほかにこんな読み方をしてみたら面白いかも。
平和→武力
平和→威嚇
平和→おどし
平和→おまえらいてもうたるで
平和→どづいたるで
平和→しょんべんちびるなや
「国際しょんべんちびるなや支援法」だ。
って「平和」がかわいそうになってくるな。
そんな意味で「平和」を使うなと。
ことばのまやかしには俺らはひっかからない、
ぞ。

815 生

OB会に行ってきた。
退職者の集まりだが、みんなそれぞれ第二の人生を歩んでいる。
のは当たり前だが、平凡に歩んでいるというよりそれぞれが個性的な生き方をしている。
のも当たり前だが、特に病気になった人(歳を取っているから確率は高い)の生き方は、なんというかビビッとしている?というか普通の人のほんわかしたというかだれたようなというかそういう生き方でなくて切れ味鋭い刃物のような生き方をしている。
死と向き合うというより今の瞬間の「生」に向き合いながら生きている。
という感じを持った。
「生」に向き合う生き方を我も少しでも見習おう。
そして実践しようと思った次第。
「生」を充実させるには「生」に真剣に向き合うことだろう。
生きていることを忘れている今があるとしたら、生きているということを感じる自分が大事だ。
人生は向こうから我に問いかけてくる。
といったのはフランクルか。
これでどうだこれでどうだと問い返してやる。
するとそれじゃだめだそれじゃだめだといってくるだろう。
そのせめぎ合いの中に生がある。
のかも?と思うのだが。
さしあたり、ああいやだな、めんどくさい、その仕事。
という気持ちに向き合うか。
って何を書いているのか分からなくなってきた。
「生きる」ってめんどくさいものだ。

814 辞せよ

報ステでやっていた中谷防衛相のこと。
過去の集団的自衛権に対する見解は、全部憲法を逸脱するなどの答弁や書籍の表現も同じようであった。
変質したのかと問われたら、憲法の範囲内だと言っていた。
誰が見ても考えても変質に他ならない。
つまり一貫しないと言うこと。
つまり嘘つきと言うこと。
つまり国民を欺くと言うこと。
だ。
と言うことは、国民をなめている、馬鹿にしている。
ということだ。
即刻辞めてもらいたい。
AB以下嘘つき内閣であり、嘘でもってこの国を塗り固めようとしている。
歴史に残る悪行集団である。
これで退陣しなかったら世界の笑いもの。
に、国民がなると言うことだ。
ああやだやだ。
もう化けの皮が剥がれたのも同然。
潔く辞めてもらいたいものだ。

813 good news

そういう政治家がいたのだった。
一昨日請願書を持っていったある議員がその請願を受けてくれることになった。
その本人から直接話は聞いていないが、請願者の代表として記名した人からその旨連絡が来た。
近頃にないgood newsである。
勇気ある決断に拍手を送りたい。
殆どが保守党の議員の中で、党に逆らってまでやるということであるから四面楚歌みたいなものである。
ニセ平和の党の御仁は自身の党がブレーキ役を果たしていると胸を張ったそうだが、全然分かっていらっしゃらない。
この上、意見書を採択せず、反対までして否決したら、上には弱く下には強い市民の敵だと見なすことにする。
戦争になっても守ってくれない軍隊だったように、彼らもまた戦争になっても守ってくれないくそ議員となりはてたという訳である。
政治家としての一番の使命は何ですかと聞きたいものだ。
まさか否決に票を入れた人が「国民の意見、意志を大切にして、国民の命と暮らしを守ることです」などと答えたらはり倒す。
この請願に同意する議員は何人いるか注視したい。
ところで、国会では参考人質疑を行ったが、招聘者3人ともが、法案は憲法違反だと述べた。
与党としては当てがはずれた形で大恥である。
敵の失敗を笑う。
何だか少しこちらに風が吹いてきた感じがするが、まだまだ油断はならないし、力を緩めることは出来ない。

812 請願

昨日のブログで意見書を載せたが、何故そんなものを載せたかというとこうである。
昨日、友人と二人である議員に対して戦争法に反対する市議会からの意見書提出の請願を行った。
議員は自分はその趣旨には賛同するが、意見書の案があるとさらにその請願は受け入れやすくなるといった。
意見書ぐらい請願文を読めば出来そうなのに受け取りたくないので言い逃れに聞こえた。
また、自派の請願に対する拒否の意向が見え隠れもする。
議員のなすべきことの何はさておいてもあるいは究極的にこれだけははずせない大切なものは、国民の命を守ることである。
国民の命を守るとは、戦争になることを避けることである。
戦争になるかも知れない法案に対して何もいわないことは政治家の死である。
と思うのだが、自分だけでも反対の意思表明をする「勇気」のある政治家はいないものか。
村上なにがしという自民党の政治家は一人でも反対している。
そういう政治家が地方議会にもいないか。
国会が決めることだから俺ら地方は従うだけなどというふぬけた議員は辞めてもらいたい。
・・・ということでふぬけた議員に読んでもらいたい意見書を作ってみた。
と、いう訳である。
まあ少しふざけた内容になっているが、ふざけたといっても真面目にふざけているのだ。
どうせだから怒りも混ぜておいたのだ。
それはともかく、戦後最大の危機である今日、一般国民よりも政治に近い各層の議員がこの危機を何もしないでいることは上にも書いたように政治家の死である。
村議会、町議会、市議会、県議会など全国の地方議会の動きが待たれる。
しかも少なくとも慎重審議、出来れば廃案を意見するものでありたい。
何もしない議会は国民の意志と離れていると見てよい。
上にも書いたように議会として出来なければ個人として意見を表明して欲しいものだ。
当然、戦争法反対の表明である。

811 意見書

AB内閣総理大臣
某衆議院議長
某参議院議長   殿

  某県某市議会

戦争法(平和安全法整備法案+国際平和支援法案)を廃案にする意見書
 
貴内閣の提出した上記の法案について速やかに廃棄および議事の停止を求める。

理由
(1)2014年7月1日にAB内閣の閣議決定した「集団的自衛権」容認は、戦争放棄を定めた憲法九条に違反し、また一内閣による決定という暴挙は立憲主義に反する。
(2)「集団的自衛権」容認を元にした上記の法案は(1)の理由からも憲法違反と言える。
(3)戦後の内閣が一貫して集団的自衛権は認められていないと言ってきたのを、自分の欲望だけでひっくり返すのは言語道断である。
(4)国民世論は各新聞社等の調査によっても戦争法に反対の声が賛成よりも倍近く多く国民はこの法案に大多数が反対である。某毎日新聞によると反対50%、賛成20%
(5)内閣は、他国にいって武力を用いることはないといっているが、後方支援といえどそれは戦争に荷担することであり、九条の精神からしても到底認めることは出来ない。
(6)軍隊が国民を守らないことは沖縄戦や「満州」棄民などを見ても明らかである。
(7)ABは嘘つきであり、審議中の態度もヤジを飛ばしたり逆質問をしたり悪ガキ同様で品格がない。
(8)ABや中谷らの答弁はころころ変わり全く一貫性がなくいたずらに時間だけを費やして、審議を無駄にし、時間がかかったふりをしようという魂胆が見え見えである。
(9)ABは単なる単細胞で歴史認識が全く0である。
(10)ABは自民党員というより単なる右翼である。
(11)ABは国民の税金を使って外遊しまくり、国民の税金を使って勝手に国民が認めもしないのに外国に援助として与えている。
(12)勝手に道徳教科化をして国家主義を注入しようとしている。道徳の必要なのはAB自身である。
追記:この法案に「戦争になった場合、又は荷担する場合など軍事力を持って他国を威嚇、侵略などを行う時には、その決定に荷担したものあるいは命令を出すものおよびその家族がまず最初に前戦に参加する」ことを決議するならば、渋々ながらこの意見書は取り下げる。そうでない場合は上記に記したように全11法案を廃棄し、集団的自衛権の行使容認を取り消すよう強く求める。

810 第三十六条

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
単純に考えても死刑は残虐な刑罰にあたらないのか。
という疑問が湧く。
刑の執行の仕方に残虐性を見るのだろうか。
例えば、毒殺、銃殺、刺殺、電気椅子、ギロチンなどの方法は残虐性があり駄目。
しかし絞首刑は残虐性がないからよし。
ということになるのか。
絞首刑だって残虐に変わりはないと思う。
だとしたら、残虐性というのはどこで決まるのか。
死をもって刑に処するということはどんな方法であれ残虐であるとしか思えない。
それでネットで調べてみた。
死刑は憲法違反ではないかという訴えはすでに1948年に出されていて、最高裁は死刑制度は憲法違反ではないという判決を出している。
・もし、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想しているといわねばならぬ。
・「社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性」は承認されているとした。
・死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法は駄目である。
世界の死刑制度を調べるとおよそ3分の2の国は死刑制度を廃止している。
まだ存知しているのはアメリカ、中国、日本など58カ国。
流れとしては廃止の方向だ。
さて自分の身内などが殺された場合、あるいは罪もなき人が不当にも殺された場合、犯人に対して当然憎悪の念が湧くだろうが、死を持って償えという気持ちに対してそれを否定することは出来るだろうか。
死をもって償うことは駄目ですよ。
他の方法で償ってもらいなさい。
と言えるかどうか。
最高裁は「国民全体の感情が死刑を忍び得ないと云う様な時が来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上裁判官が死刑を選択しないであろう」・・・
と述べていて、「国民感情」をよりどころにして止めてもいいと言っている。
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