1325 キューバの原爆忌

s-ゲバラ

1959年7月15日、キューバ革命からわずか半年後にゲバラはヒロシマを訪問して献花した。
写真の立っている方がゲバラだと思われる。
当時ゲバラは日本ではそんなに有名ではなく、新聞で扱われたのも朝日だけ。
それも小さい記事。
政府は池田勇人通算相が応対だけだった、という。
なお、カストロは2003年にヒロシマを訪れた。
キューバでは首都ハバナで毎年八月の原爆忌に犠牲者を追悼する集会が開かれている。
20年以上続いているという。
地球の裏側の小さな国でそんなことが行われているなんて驚きである。
「平和の小道」という名前の通りでは子どもたちの平和の絵のコンテストをしたり、子どもの書いた文章が飾られているらしい。
その文章がなかなかのものだ。
「平和を願うこと、平和に生きることは子どもたちの権利です。世界ではたくさんの戦争が行われていて、その場所に生まれなかったことはよかったけれど、そこにいる人々を想像するべきだと思います」(ホアン・13才)
「今でも核兵器を作っている国はなくさなければ行けません。私たちの未来は私たちで作るもの。悲劇は繰り返されてはいけません。」(マルガ・13才)
というようなどこかの国の首相に聞かせたいような言葉が並んでいる。
「原爆は落とされなくてもよかった。犠牲になったのは子ども、女性、お年寄りなど罪のない人ばかり。核兵器は命も自然も愛も全て奪ってしまうもの。なくさなければならない。」(ジョランダ・14才)
と、大人が言うようなことも言っている。
キューバでは、このように子どもたちは学校でヒロシマ・ナガサキについて学んでいるという。
以上「世界」11の記事から知ったこと

「ゲバラから 平和の願い 連綿と」
「原爆忌 地球の裏で 続けらる」
「平和とは 子どもの声に 寄り添って」
「戦争を 想像すること なくす道」 字余り
「なくしたい 戦争したい その心」ABへ 1030
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1324 スタンディング

s-スタ1

今日は初めて最北の町でスタンディング。
天気よく寒くなくて幸いだった。
総勢7人でやった。
5人くらいかと思ったが二人も多くて幸い。
30分、国道沿いで通行の車をめがけてスタンディング。
スピーカーでのトークも4人でおこなった。
その後、町内を40分ほどビラ配りをして回った。
今回は、国連の核兵器禁止条約にAB日本が反対したこと。
それにAB内閣の元での改憲反対が55%、賛成が42%という世論調査。
それに南スーダン情勢と派遣問題について話した。
「手をふって 行き交う車に 笑顔する」
「手をふられ 手をふり返し 訴える」
「北の町 街宣の声 こだまする」
「久しぶり 街宣の声 熱帯びる」1030

1323 愚挙

信じられない愚挙だな。
核兵器禁止条約に反対のAB日本。
世界の不思議。
世界のお笑い。
世界の馬鹿。
世界の怒。
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、ビキニの日本がこんなことをして。
ABの並々ならぬ意地でもクソでも核依存がこれで鮮明になった。
鮮明にならずとも分かっていたことだったが、世界に対して堂々と表明とは世論に対してせせら笑いをしているようである。
これでもABをヨシとする日本人に忸怩を超えて激怒するしかない。

「核依存 麻薬の如く AB政府」
「大麻吸い 依存になったか 核容認」
「核禁止 世界の流れ 乗らぬ馬鹿」
「愚挙だらけ 核容認の 被爆国」1029

1322 若山牧水

急に寒くなってきて秋と言うより冬近しの感じ。
10℃前後はやはり冬に近い。
今日は着るのも数えたら4枚着ていた。
真冬並みである。
台所には電気ストーブ。
こうなったら石油ストーブに替えなくてはならない。
やはり冬に向かうのは苦手。
夏に向かう方がいい。

政治・政情もまさに冬に向かっている。
厳冬期が来るかも知れない。
あのじいちゃんの忸怩たる思いは晴らすことが厳しいかも知れない。
今日は雨も降っていろいろ考えていたら暗くなってしまった。
気持ちが暗くなったのである。
こんな時は若山牧水のうた。
かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の國を旅ゆく
うまいこと書くなあと思ううたうた。
「寂しさは 裏に哀しさ 秘めている」 悲しさでも
「忸怩たる 思いは晴れず 歌を読む」
「コスモスの 花一片に 宿る哀」 1028

1321 もったいない

「なしか!」の焼酎ラベルをFBで公開したところ、100以上の「いいね」がきた。
じいちゃんの怒りはやはり浸透している。
というかあの忸怩たる思いは大勢の人が持っているというわけだ。

今日は柿取りの最後。
取ってから皮を剥いて干す。
いくつぐらいやったか数えてみたらほぼ500個。
そんなにたくさんどーするの。
子どもにやったり親戚にやったりと皮算用をする。

子どもの頃はそんなに干し柿もなかった。
皮を剥いたその皮も干して置いて、しばらくしたらおやつ代わりに食べたものだった。
今はそんなことをするものは誰もいない。
飽食の時代、期限が来たものは捨てられる。
カツの横流し問題があったが、ホントは全て捨てられるものであった。
「もったいない精神」は復活しているが、実際は期限が来たら捨てるという。
まあ、ブタなどの家畜の餌として捨てられるのはまだしも、焼却したり肥料にしたりするのは、「もったいない」からははずれるのじゃないか。
「柿の皮 干せば立派な おやつだよ」
「もったいない 言いつつ捨てる 後ろめた」 後ろめた?あるかな
「飽食と 言いつつ捨てる エコ信者」
「片や飢え 片や飽食 この地球」1027

1320 経済か改憲か

今日はまた柿をとった。
この前取ったのは300個ぐらい。
今日はまた150個ぐらい。
みんな干し柿にする。
高い枝の柿は取りにくいので枝なり切ることにした。

午後からは、「世界」11読書。
松尾匡「なぜ日本の野党は勝てないのか?」という論文を読んだ。
その松尾氏の著作本も気になったのでアマゾンで注文してしまった。
そのアマゾンを開いたらこの前買ったアンドラーシュ・シフのベートーベンのピアノソナタのCDが並んでいたので気になって、全8枚あるうち1枚は持っているので7枚をこれまた注文してしまった。
半ば衝動買い。
アマゾンの戦略にまんまと引っかかったというわけだ。
一度何か買うと、似たようなものを並べて置いて売りつけるというやつだ。
消費者心理をうまく衝くマーケティングだ。
ボブ・ディランも買ったので、ボブのCDも違うのが並んでいた。
しかし、あまりに多くなるのでこちらはやめた。

それはともかく、松尾氏の論の中で、若者がジミントーを選ぶのは、これから就職や経済がうまくいくようにどうしてもすがりつくようにしてジミントーを選ぶのだという。
つまり生活のためである。
アホノミクスがうまくいこうがいかまいがまずは自分の安定のためであると。
憲法改正や原発再稼働よりもとにかく「ケーザイ」優先なんだそうだ。
反対に定年過ぎてそこそこ金持ってるやつは破綻したアホノミクス・経済よりもやはり改憲が気になるというわけだ。
これは今後の街宣のアピールにも生かさないと。
と思ったわけである。
ジミントーはそれをうまく利用して「ケーザイだ経済だ」といいつつ、裏で改憲策動をやっているという訳だ。

「ケーザイに 目眩ましされ ジミントー」
「若者は 改憲よりも 経済だ」
「ケーザイの 裏でうごめく 改憲策動」 下5は「改憲案」でも 字余り
「政治とは 表の顔と 裏の顔」
「勝ち馬に 乗ったがいいが 戦場へ」 1026

1319 武器使用

s-なしか

夕方、食事をしにいった店に面白いものがあったので写真にした。
なかなかやるじゃないか、「なしか」
大分の麦焼酎のラベル。

「アメリカも 嫌いだがなお 嫌い日本」 字余り1
「じいちゃんは 戦争に行き 反戦だ」
「じいちゃんが 怒る日本は またいくさ」
「自衛隊 遂にやるのか 武器使用」
「武器使用 やれというのは ABのばか」
「自分らは 現地に行かずに やれという」 1025

1318 戦争加担者

東京福岡の補選で連合の態度がいかん。
共闘に共産党がいるのが面白くないという。
狭量な態度だ。
未来が見えていない。
マクロな感じでものが見えない。
としか思えない。
こうなると野党側というより与党側のほうだ。
ABの戦略にまんまと乗っかった。
というかだまされている。
しもじもは知らないが幹部達の頭は労働者というより完全に資本家側だ。
資本家側すなわち与党側すなわちAB側。
市民連合に「連合」はいらない。
しもじもは幹部を追いつめろ。
おまんら戦争になっても協力するのか。
要するにしもじもはしっかりせいと言うことである。
ぼやぼやしてると戦争加担者になってしまうぞ。
どころか戦争に行かされるぞ。
一億総戦争加担者、
一億大政翼賛会だ。
やっぱり過去に盲目だな。
「資本家と 連合するのが 連合だ」
「AB戦略 連合さんは こちら側」
「過去知らず 連合という名の 翼賛体制」 大幅字余り
「連合と 言う名の大政 翼賛会」 やっぱり字余り
「共闘を 分断している 連合」 584
「しもじもが 目覚めぬ限り 翼賛だ」 1024

1317 弁円済度

s-弁円済度

報恩講で御伝鈔を聞く。
その中の弁円済度という話を解説された。
板敷山の山伏弁円(べんねん)がやってきた親鸞がやけに人気があるのをねたみおどしてやろうと思って画策をするがうまくいかない。
本人自らが親鸞の草庵を尋ねると、隠れるどころか静かに応対した。
それに対して弁円はおどしたことを後悔し親鸞の教えに帰依してしまう。
その時持っていたおどすための弓をおり、刀杖を捨て、つけていた山伏の頭巾をとり、黄色の柿衣を脱いだという。
人を救うために武器を持っていたのだが武器で人は救えないことを悟ったのか。
救ってくださいといわれて関東にやってきた弁円であったが弓矢や刀で人をおどしてそれでおどされた人を救ったとしてもおどしてやった人たちは救えないという矛盾に悩んでいたが親鸞によってその武器を捨てたのである。
うーん、それって九条の精神と一緒じゃんと思ったのである。
武器を捨て、相手が武器で襲ってきても戦わない、殺されてもいいという精神。
それが山伏弁円がしたことである。
ABにも聞かせたい話であった。

「弁円の 九条魂 よみがえれ」 下五は「永遠に」でも
「弓かたな それでいのちは 救えない」
「武器捨てて いのち投げ出す 心意気」
「政治家は 言葉の武器を 持つことだ」 武器は武器でも
「ノーベルの 願いはマイトの 平和利用」 字余り
「武器持てば 試したくなる その怖さ」 1023

1316 どこ吹く風

s-together.jpg

ボブ・ディランのCDが来たので聞いた。
Together Through Life というの。
どっちかというとぎんぎんのロック。
1曲目のBEYOND HERE LIES NOTHIN' と言うのが聞きやすい。
歌声は全くのだみ声。
何を言ってるのか余り聞き取れない。
歌詞カードがついていないので、余計分からない。
タイトルを見ると、どれも意味深なものばかり。
ネットで歌詞を見ることにした。
1曲目の歌詞を見ると恋の歌だった。
CDのカバー写真を見ると上半身裸の男とどんな格好をしているのか分からない女が車の中で変な体勢でキスをしている。
この1曲目の歌詞とこの写真がどうもマッチするようだ。
ディランは文学賞をもらったのに何もリアクションがないみたい。
「失礼だろ」と与える側は怒っているみたいだが、なんともディランらしい対応とも言える。
最終的に賞を受け取りにストックホルムまで行くのか。
それともそんなものはいらないと無視するのか。
ある週刊誌は「どこ吹く風」と揶揄っていたがまあそんなものだろう。
今さら名誉も勲章もいらねーやという口だろう。
金は持ってるし。
「え、俺がか 風に吹かれる ボブ・ディラン」と前に作ったが、変えてみた。

「え、俺がか どこ吹く風の ボブ・ディラン」
「恋の歌 だって作れる ボブ・ディラン」
「だみ声も 賞をもらえば 光り出す」
「その歌詞の 裏には深い 意味がある」
「ノーベルも 舌を巻いてる マイト・ガイ」1022

1315 国際反戦デー

s-学徒出陣

新聞1面の新聞名の下にいつも今日は何の日というのが出ているので見ている。
今日は10/21なので、国際反戦デーと出ているかと思ったら、志賀直哉忌とだけ出ていた。
国際反戦デーはどこへ行ったのだろう。
もうないのか。
ネットで調べてみたらあるにはあるがどうも衰退したようだ。
国際とあるが日本だけのものである。
そして奇しくもこの日は1943年に最初の学徒出陣壮行会が開かれた日でもあるとある。
元は1966年に総評がベトナム反戦のためのストをしたことから始まる。
そのベトナム戦争当時「じってんにいいち」として俺等もデモをしたものだった。
その時歌ったのが、「国際学連の歌」だった。
もう今の学生さんはこの歌を歌い継いでいないのだろうな。
聞いたことがない。
歌詞の中に、「我らの友情は 原爆あるもたたれず」というところがある。
原爆とはまた物騒な訳をしたものである。
この歌はネットで見ると、作詞作曲とも外国人がしていて、訳詞を東大音感がしているのだが。
当時、「原爆」という語を気にかけて使うことに余り敏感でなかったらしい。
と思う。
「反戦デー 復活するより 消えてよし」 だが、逆だ
「毎日が 反戦デーと なった今」
「学連の 歌の染みこむ 我が身体」
「反戦を また呼び覚ます その野望」1021

1314 思い上がり

沖縄高江では機動隊の暴言が問題になっている。
土人だのシナ人だの昭和の昔のえらい古色びた言葉が出てきた。
土人はロビンソンクルーソーの話の中に出てくる言葉だった。
のであまり差別的な言葉だとは感じにくいのだが、悪罵を投げつける意味で使われたとするとやはり、差別的表現になるのだろう。
シナ人は石原がよく使った言葉、チャイナ=シナという発音から来ているのだろうが、戦前ではやはりさげすむ言葉。
若い機動隊員がそんな言葉を使うとはどこで覚えてきたのか、聞きたくなる。
一応国民から税金をいただいている公務員という立場から、また国民を危険・危機・不利益から守ると言う立場の人間がそんな言葉を投げつけるとは言語道断である。
また大阪の知事はそれを擁護するようなことをいったというがそれも言語道断。
上に立つものはどうも自分の立場を間違えているようである。
ABにしろ知事にしろ、「公僕」という立場を忘れている。
奴等の内部でも思い上がっているように思われているから気をつけようという言葉まで出る始末。
選挙で選ばれたからといって王さま気取りするんじゃない。
「強行採決」発言もあきれたもんだ。
と思う怒の一日でした。
カメムシは少し減った気はするがまだいる。
うっとうしい限りだ。
カメムシとカメムシ軍団は去れ。
「強行発言 思い上がりで 自滅する」 字余り
「この頃は 当選すれば 王気取り」
「AB軍団 思い上がりの 人ばかり」
「受かったら 上にヘイコラ 下は無視」
「機動隊 民に牙剥く ただの犬」1020

1313 なれの果て

ネットのニュースやFBを見ていると新聞・テレビでは見られないさまざまな情報が得られる。
まさかと思うようなことや、そんな意見もあるのかと思わせるようなことも。
信じる・信じないは別にして、嘘も入っているだろう。
深いー真実もあるだろう。
後は自分の眼力がどれだけあるかでその情報の善し悪しが決まる。
眼力を確かにするにはやはり日頃の努力が必要である。
努力とは、多くの情報を自分なりに得続ける。
各種の事柄に通じること。
それにはやはり論文、評論、その他各種の文章をしっかり読むことだろうか。

ABを評して以下のような文があった。
・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的

自分的にはこの評はかなり当たっていると思う。
ひと言で言えば自己中か常識はずれ。
行き着く先は独裁。
ヒトラーかそれ以上。
ではないかと思う。

「絶望も 常識もない ABの辞書」
「強行を したことが無い という無理」
「病気じゃない? 真面目な顔で 嘘をつく」
「嘘つきの なれの果てには 新ヒトラー」1019

1312 異常と不吉

今日はなんと異常なものを見てしまった。
といってもたいしたことはない。
カメムシの大発生である。
昼ごろ家に帰ってみるとガラスの窓にカメムシがいっぱい止まっていた。
そして次から次へと飛んできては窓に取り付くのである。
それでヨーグルトの容器に水を入れて少し洗剤を入れてピンセットも使ってその中に落とし込んでつかまえる事をした。
ものの10分で50匹異常は落とし込んだか。
それを3回ほど繰り返した。
だから150匹異常はつかめたことになる。
なんと気持ちの悪いこと。
カメムシの佃煮状態。
疲れたので休んで夕方またつかまえだしたらまた100匹以上はつかまえた。
こんなことは生まれて初めてである。
異常である。
何かあるのじゃないかと不吉な気もする。
カメムシが多いと大雪が降るとかもいうがどうなるか。
夏の間は田んぼ見回りしても殆どカメムシは見なかったのに。
といっても稲のカメムシは種類はちがうのだが。
明日もまたこんなだと思うとホントに気持ちが悪い。
まさにABの異常さがカメムシにも伝わったらしい。
カメムシABは早く退治しなければならない。
「異常さが 異常を呼んで 不吉となる」字余り1018

1311 あきらめないぞ

On lache rien(オン・ラシャ・リアン)
「あきらめないぞ」という歌を知った。
フランスではこの歌でデモの時ひどく盛り上がっている。
歌の力だね。
今日は、「世界」11を読んでいて、
感動ポルノ
貧困ポルノ
という言葉を知った。
感動ポルノは、
健常者が障碍者を勇気や感動を得るための道具として使っていることである。
手がない女の子が口にペンをくわえて絵を描く姿を見て、「自分の人生は最悪だけど、下には下がいる、彼らよりましだ。」という感情のことだ。
アメリカのTEDでステラ・ヤングさんが使った言葉。
感動の仕方が問題なのだ。
24時間テレビで障碍者が賢明に生きる姿をスタジオでタレントが涙ながらに見るという。
そういうことを指している。
NHKは24時間テレビに対して「検証!『障害者×感動』の方程式~笑いは地球を救う~」をぶつけたという。(8/28)
NHK大阪やるじゃないか。
貧困ポルノは、生活保護受給者がパチンコしたりタバコ吸ったりすることを、貧困に安住しているとして非難の声が挙がった。
貧困のくせにそういうことをしてもいいのかという、そのことが貧困ポルノという。
感動ポルノと貧困ポルノは、しかし、用法に置いては正反対的であることは注意である。

「感動も 仕方によっては 差別になり」字余り
「貧困を ビジネスにする ABポルノ」
「貧困を たたいて笑う 心の貧」字余り
「貧困の 敵が見えずに なぶるやつ」 1017

1310 市民の力

久しぶりに興奮した。
新潟知事選勝利。
なんと言っても市民の勝利だろう。
原発再稼働、TPPの流れが変わることを願う。
民進はレンホウが応援に駆けつけたが党として共闘に加わらなかった事は悔やまれることだろう。
若干乗り遅れというか共闘にみそをつけた。
共産党と一緒にやれないなどというアホを言ってる場合じゃないことが分かっただろうか。
東京福岡補選に弾みがつくことを願う。

「風穴を あけたみなもと 市民力」
「うそこいた 党への不信 票に出る」
「全国の 支援野党に 実を結ぶ」1016

1309 解散風

s-together.jpg

ボブ・ディランのCDが100倍の売り上げ。
ソニーの株も馬鹿売れだとか。
そしてボブ自身の賞に対するコメントがいまだにないとか。
授賞式には行かないだろうとか、もう早々と伝説的な行動になり始めている。
もうすでに何億も持っているボブが賞金9000万をもらったところで何するのだろう。
多分、全額何処かへ寄付するだろうなーとか。
人の金ながらゲスな勘ぐりをする。
小生もつい1枚のCDを注文してしまった。
アメリカ、イギリスで共に人気1位になったアルバムである。

と、ディランのことはさておき、「風に吹かれて」をもじって、「解散風に吹かれて」と佐藤正明漫画家は描いていた。
うまいものである。
何だ、今時解散って。
稲田のぼろが出始めたし他のぼろがもっと出そうであるが、そのぼろが余り出ないうちに解散しようって話か。
切れるABならやりかねない。
切れる=頭の回転がよくすごく賢いこと
切れる=感情的ですぐ頭に血が上ること
ABの場合は二つ目に決まっている。
「よく切れる 俺のことかと ABがいい」
「切れるとは お宅の場合 やじのこと」
「自己都合 解散風を 吹かすやつ」1015

1308 テンペスト

s-bobud.jpg


「テンペスト」というボブ・ディランのアルバムから同名の曲を聴く。
13分余りの長い曲。
歌詞をよく見ると、タイタニック号の沈没のことを歌ったものであった。
4行の詩が延々と45番まである。
このアルバムの中では最長の曲であり、メロディも覚えやすくていい。
タイタニックが沈んでいく様子がいろいろ書かれている。
いわば死の物語である。
絶望の物語とも言える。
The watchman he lay dreaming
Of all the things that can be
He dreamed the Titanic was sinking
Into the deep blue sea

45編の中でwatchman=見張り番が4回ほど出てくる。
横たわって沈み行くタイタニックの夢を見るというのだ。
この見張り番が夢見るというのは沈み行く船に乗りながら沈んでいく船の夢を見るという。
絶望の上に切望を重ねるようなものだ。
タイタニックを、今の世界、今の地球にイメージしているのかも知れない。
詩は暗喩の世界である。

「沈み行く 今を夢見る 見張り番」
「絶望が 横たわっている 夢の底」
「海深く 人生模様 沈み行く」1014

1307 ボブ・ディラン

s-ボブ

文学賞はボブ・ディランというニュース。
驚きとやや苦笑とやや微笑とやや喜びという複雑。
一応彼の初期からの音楽をリアル・タイムで聴いてきた身にとっては、上のような感想だ。
彼の詩と行動がその賞に値すると言うことだろう。
特に文学賞だから詩である。
恋の歌もあるけどちゃらちゃらしたものはない。
やはりちょっとした哲学的なもの。
社会事象を扱ったもの。
が多い。
フォーク・ソングからロック的フォークまで音楽的にも変革・変遷をしていった。
声の質も変わったことがあった。
あのだみ声からなめらかな声へと。
「風に吹かれて」「時代は変わる」「ライクアローリングストーン」から「レイ・レディ・レイ」へそして「ハリケーン」へ。
そして、最新アルバムではジャズの曲を歌っている。
すべて他人の曲であるがゆっくりとした曲ばかり。

「答えは風に吹かれている」
The answer is blowing in the wind.
「答え」と「風」という取り合わせが詩的であり文学的である。
のだ。
写真は好きだった「ジョン・ウェズリー・ハーディング」

「え・俺がか 風に吹かれる ボブ・ディラン」
「反戦歌 今や立派に 文学賞」
「その歌で 時代を変えた 今詩人」1013

1306 秋終わる

s-れんげ

ひとつの田んぼにレンゲを蒔いた。
二つの田んぼにはすでに蒔いて芽も出てきたのだが、この田んぼは乾くのが遅くなかなか蒔けなかった。
今日も一部長靴がめり込むところがあったが無理矢理蒔いてきた。
この田んぼのレンゲは芽が出るかどうか分からない。
うちじゃあもうコタツも入れているしこの頃はめっきりで朝夕は寒いほどだ。
だから出ないかも知れないが種が残ってしまうので仕方なしに蒔いたのだ。
写真はすでに芽が出た田んぼ。
青々としている。
これで冬を越して春にはすくすくと伸びていくのだ。
秋の作業が終わりコンバインとトラクターの倉庫への入れ替えをした。
まだトラクターで田んぼを起こさなければならないが。
秋のうちに一回土をひっくり返して土に空気を混ぜたり藁が土に混じって腐るようにしておくのだ。
それでホントの1年の田んぼ作業の終わりである。
終わりであるが来年に続けて置くようにするのがミソ。
来年もこうすればやらざるを得ない。
穫れた新米はこれまでに、量はそれぞれだが10人の方に送ったり運んでいったりした。
美味しいと言ってくださるので有り難い。

「秋終わり いのち育てる 土に礼」
「田んぼまた 土色にかえり 山眠る」
「田仕事の 終わりは始め 土起こし」1012

1305 衝突

びっくりである。
ABが「戦闘」のことを「衝突」といった。
お宅等がそう呼ぶことはわたしらは「衝突」というのです。
だって。
「戦闘をどう定義づけるかということについては、国会などにおいても定義がない。大野さんの定義では"戦闘"となるかもしれないが、我々は一般的な意味として衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と発言。
南スーダンのジュバというところに稲葉防衛相が視察に行ったのだが数ヶ月前かにそこでドンパチの戦闘行為があったのにそれはAB等の言葉で言うと「衝突」だと。
ジュバでは7月に大規模な戦闘が発生し、市民数百人や中国のPKO隊員が死亡した。
戦前の「撤退」を「転進」と言うがごとしである。
明日の新聞では大きく取り上げられるだろう。
か?
戦争法を平和安全法だと言ったり、武器輸出を防衛装備移転といったり、言葉で戦争を覆い隠そうとしている。
ことがまたも出てきたと言うことだ。
川柳がいっぱいできそうである。
悲しいことだ。
ばからしいことだ。
怒りのことだ。

「日本語の 破壊がまたも アベ政治」
「戦闘は 衝突ですと いい逃れ」
「またしても 言葉が軽い アベの言」
「言い換えて 後ろでベロ出す 権力者」
「子どもでも 1足す1は 二と言える」 ん?
「またっすか わかんねえっす 意味不明」
「表現を 柔らかくして 実を隠す」 1011

1304 改憲隠し

10月10日というとやはり1964年の東京オリンピックを思い出す。
当時高校2年生。
かっこいい入場行進曲とラフな形の閉会式の選手の入場。
100mのヘイズ、400リレーでのヘイズのバトン投げ、女子体操のチャスラフスカ、回転レシーブの女子バレー、遠藤幸雄の男子体操、マラソンのアベベ、円谷幸吉などが思い出される。
赤痢にかかって隔離され小学校の隔離病棟でテレビを見ていたのだった。

今また2020の東京オリンピックで揺れている。
自分としては復興ままならないのにオリンピックはやめて欲しい。
ニュー新幹線もやめて欲しい。
そしてさらに大阪万博ときた。
これもやめて欲しい。
という立場である。
2020の東京オリンピックに向けてはゼネコン儲けでしかない。
税金がドンだけ流れるのか。
東電の尻ぬぐいまで税金だ。
五輪や万博で国民の関心をそちらに向け、その間に壊憲策動というわけである。
昔からの常套手段。
金は真剣に庶民のために使え。
「選挙では 争点隠し お手の物」
「オリンピック 夢の陰には 蛇がいる」
「万博も 柳の下を ねらってる」
「だまされない 改憲隠しの 大事業」1010

1303 スタンディング

s-1009スタンディング

今日は高校時代のミニ同窓会をした。
なんか病気のはなしや健康のはなしが出てくる。
歳だなーやっぱり。
シルバー川柳にあるように
「老人会 みんな名医に 早変わり」
「クラス会 それぞれ持病の 専門医」


終わってから街宣スタンディングに行く。
今日は人もまばらやる方も二人だけの寂しいものだった。
しかしやる方は熱い思いをぶつけたのだった。
と書いておく。
もう一人は、いつもながらスピーチがうまくて、ほんとに大勢の人に聞いてもらいたいものだ。
といつも思う。
今日も録音をし忘れた。
今度録音したらFBにアップしよう。
「クラス会 やっぱり話題は 持病だな」
「おのおのが 体にいいこと 自慢する」
「老いてこそ 第二の青春 謳歌する」
「聞くほどに 熱い演説 もったいない」
「戦争で 護る平和が あるものか」1009

1302 居直り大臣

知り合いの籾すり作業も終わって全ての秋の作業が終わった。
やれやれやっと終わった。。
これから米の注文者に配れるところは配って歩かねばならない。
あしたは3軒配る。
腰や肩が痛くなったのでまた整体か何処かに行ってこなくてはならない。

ABもさることながら取り巻きもひどいもんだ。
領収書の白紙問題。
地方議員は政活費をでたらめに使ったと言って自ら辞職するという事が連鎖した。
大臣どもは同じでたらめをしているのに反省するどころか居座り続けている。
常識がもはや通用しないのが大臣の席。
どころか法に触れないなどと言っている。
外国から見たら何という国だと思われるしもはや思われている。
「恥じ」という概念がそもそも彼ら彼女らには消え失せているのだろう。
そして強い「特権」意識があるのだろう。
てんでだめだ、人間的に。
政治家の無報酬を提案する人もいるが賛成である。
それか最低限の生活ができるだけの報酬がいい。
政活費はなしで。
「政治家の 金銭感覚 どす黒い」
「金もうけ する政治家に 退場を」
「大臣の 席はそれほど 魅力的」
「やめられない 大臣の椅子 離さない」
「つつかれて 居直り大臣 誰がした」1008

1301 カルチャー

今日は頼まれて小学校の子どもたちの作ったモチ米を玄米にしてやった。
少し残っていた稲わらをコンバインで籾にして、それを乾燥機に入れて2時間後に籾すり機で玄米にしたというわけだ。
その作業は約5分で終わった。
それを知り合いが精米所に持っていって白米にして、いずれの時に餅つきをして食べるということらしい。
学校のこととて全てボランティア。
つまりもちろん無償である。
子どもたちは刈った稲をはさにかけていて、ある程度乾いたところでその8割ほどを割り箸でいちいちすごいて籾にしたらしい。
気の遠くなるような作業を体験したものだ。
機械化は確かに手作業に比べればその何十倍も早く作業が出きる。
それは人の手に寄れば何十倍も人の手がいるということだ。
50人で仕事をしたとして、やはりそこにはおしゃべりがあり、お茶があり、お酒があり、すると歌もあり踊りもあり・・・ということになる。
絆が生まれ、文化も生まれる。
カルチャーはカルチベイト、すなわち農耕ということが分かる。
機械化でそれは全て失われた、あるいは失われる。
得たものは便利と時間。
時間があればそこに何かがまた生まれるはずであるが何なのだろう。
「農耕に 流れる時間 地味で濃い」昔をイメージ
「失った 絆と文化 戻らない」
「カルチャーの 失われた里 人いない」
「デジタルと 機械に頼る 反文化」1007

1300 川柳クラブ

s-サユリスト

今日はつきいちの川柳クラブ。
作った川柳に絵や写真をつけて色紙に書くというのをやっている。
そのうち各自いいのを選んで今度の街の文芸祭に出して展示することにした。
自分のはご覧の通り。
我ながら気に入っているのだが。
「サユリスト 小百合がいうなら 俺反戦」

以下これまで一月間で作ったもののうち良さそうなものを選んでみた。
・出るたびに チャンネル替える 怒り妻
・スピーチに 力がこもる 秋の街
・答弁が 答弁じゃない 議員流
・はいいいえ 答弁中は 使わない
・ピンぼけの 答弁やって 切り抜ける
・機械化が 奪ってしまう 助け合い
・進歩とは 何か犠牲の 上に立つ
・機械化が 農村人口 減らしてる
・かっこよく 死にたいくせに 駄々こねる
・気になるは 民の心と 秋の空
・政活費 飲み代になり 生活費
・知恵もなく もんじゅの名前 泣いている
・ああそうか 思いついたの 数日後
・核実験 するより飢えた 民救え

1299 緊急事態

台風18はどうやら温帯になったし進路も少しずれていくみたいなのでよかった。
台風といえば思い出すのは戦後最大といわれる1959年(昭和34)の伊勢湾台風。
当時6年生だった。
台風という自然的力の存在を意識づけられた最初で最大の台風である。
夜にすごい風が吹きまくり音がすごかった。
家はみしみしするし気持ちが悪かった。
朝起きたら近所の友だちの家の大屋根が吹き飛んで無くなっていた。
その後、テレビはまだ無かったが、新聞等で名古屋方面がひどかったことが分かる。
そのひどさはやはり尋常ではなかった。
高波と堤防を超えた水が0メートル地帯を襲い、死者数は5千人を超えた。
その後の自然災害で大きいのは阪神淡路大震災と東日本大震災で共に地震である。
AB政府はこのようなときに「緊急事態条項」を使って、勝手に政府が政令を出して政治が行えるようにしたいと願っている。
しかし上記の3つの災害の時にそういう条項があったとして非常に都合がよかったことがあったのだろうか。
答えは「否」である。
高速道路は緊急事態だから通る車は制限されたがこの条項があったわけではない。
原発による避難もこの条項があったためでもない。
ABの本音はそんなときでなく、中国と北朝鮮をにらんでのことである。
国民の人権を一時的に縛ってしまって自分が権力者として文字通り君臨したいのである。
ヒトラー化を本気で望んでいるのである。
中国や北がああだからといって、ABの挑発に乗っては行けない。
臨時国会でABが画面に出るたびチャンネルを切りたくなる。
「出るたびに 投げつけたくなる この衝動」
「出るたびに チャンネル変える 怒り妻」
「本音はね 別のところに みえみえだ」
「緊急と いえばそれから 独裁だ」1005

1298 素地

辻本清美議員の質疑がよかった。
「憲法を変えてもらわないと困るという声が、国民からあがっているのか」
「憲法のここを変えないと支障をきたすという省庁があるのか」
「国防軍にしてほしいという声がどんどんあがっているのか」
「国民の人権を制限して表現の自由をなくしてほしいという声があるのか」

「民の声」だよなー。
しかし今更ながら、こんな国会議員(AB一族)を選んだ「民」を恨めしく思う。
というか、いいのか「民」。
と、また、別の声。
それは「小選挙区制」の「民の声」にすぎない。
うーん、
でもやっぱり
「長いものに巻かれろ」
「強いやつにつく」
「おまかせ」
「無関心」のせいだと思う。
それがこの国の素地。
街宣してて迷惑そうに無視して通り過ぎていく観光客。
手渡そうとするチラシにいらないというジェスチャー。
「素地」を塗り替えるにはどうしたらよかんべ。
「街宣に のっぺらぼうの 素地に泣く」  分かるかなー 1004

1297 作品番号111

ベートーベンのピアノソナタの最終曲32番作品番号111を聴いている。
もう何十回と聞いたので慣れたかというとまだ慣れない。
といっても第1楽章約8分は4、5回聞いて慣れたので、少し聴けばああ111だと分かる。
第2楽章18分は手強い。
初めの3分の1ぐらいはだいぶん慣れてああ111だと分かる。
何しろ寝ながら聴いているのでそのくらい聴くと寝てしまうから後が分からなくなるのだ。
で意識して集中して半分ぐらいから聴く。
それで3分の1から3分の2ぐらいまでは少し慣れた。
で最後の3分の1がまだまだなのだ。
この18分の曲を一音一音を集中して聴こうと思うのは相当きつい。
つい他ごとを考えてしまい音に集中しなくなる。
この第2楽章18分は底流には決まったリズムがありところどころにきらっと光るメロディが表れるのだが、どちらかというと意識の流れというか即興の演奏曲に近い感じがする。
何か物語を作りながら聴くと聴きやすい気がする。
初めの部分はこうだ。
ある老人がとぼとぼと歩いている。
初めはとぼとぼだがそのうちリズミカルに歩き出す。
そしてあるところで急に怒ったように走り出す。
これが初めの3分の1の物語。
ベートーベンは何を思いながらこの18分を書いたのだろうと想像してみる。
なにかそういう物語を思い浮かべながら書いたのではないと思うのだ。
現代的にいえばジャズの即興曲。
キース・ジャレットのソロを聴いているのに似ている。
「秋の夜の ソナタの音の 散りていく」
「走り行く ピアノの音に 目覚めるや」
「沈み行く ピアノの一音 脳の奧」
「薄れ行く 意識の底の ピアノかな」1003

1296 街宣・スタンディング

s-街宣1

1ヶ月ぶりぐらいの街宣だった。
その間、やれる人はやっていたのだが、こちらは運動会やら敬老会やらで行けなかったのである。
今日は女3人男1人の4人でやった。
踊りが終わったので観光客はぐんと減った感じ。
バス停の近くで1人の女性の方がカンパを届けてくださった。
有り難いことだ。
緊急事態条項のミニチラシも受けとってくださる人は少ない。
スピーチは、ABの相変わらずの改憲志向の糾弾、稲田防衛大臣の泣きべそ、沖縄高江の警察権力の横暴ぶりなどをした。
カンパを届けてくださった方はスピーチをじっと立ち止まって聴いてくださった。
1人でもこういう方がおられるとやはり力が入るものだ。
人数は少なくてもやはり続けていきたい。
今後は女性向けの話と若者向けの話を中に入れたいと思った。
戦争でつらい目に遭うのは女性、それに徴兵でもされれば若者になる。
それに一般市民が犠牲になるのも現代の特徴だ。
そのこともしっかり入れていきたい。
「スピーチに 力がこもる 秋の街」
「立ち止まる そして思考が 今だいじ」
「虚しくは 響いていない この街宣」 1002
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