1445 希望は崩壊7

今日から参院。
ABが赤坂で報道各社を集めて圧力をかけたという情報がでている。
さもありなんである。
「2017年2月27日夜、ABが東京・赤坂の中国料理店「赤坂飯店」で内閣記者会加盟報道各社の幹部と会食をした」
馴れ合いそして恫喝、おどしである。
恥も外聞もないのだろうか。
どっちもどっちである。
AB与党は国営のテレビ中継も拒否したというし、参考人の招致もいやがっている風だし。
どう見てもモリトモ隠しを堂々とやっているとしか思えない。
アッキーの講演料ももらっていないというが、もらった形跡の決算書のようなものも出ているし。
大阪府は小学校が認可されやすいような環境を直前にゆるめているし。
業者と官僚などが話し合っているようだし。
ABは国会休んで大阪へ飛んでテレビ出演をしているし。
その時、なにか大阪で仕組んだかもしれないし。
○ポンドはしつこいといいながら前は素晴らしいとかいっているし。
日本会議つながりだし。
疑惑満載だらけのモリトモかABトモかイナトモかしらんが、類は友を呼ぶみたいなもんで、疑惑がはっきりすればみんな崩壊に到りそうなことだ。
だからここで手を抜いては行けない。
今夜も国営はモリトモ問題を放映した。
国営が放映することは意義のあることだがABよりになっていることは相変わらずだ。
共謀罪は3月10日に閣議決定するとか。
こちらも手を抜けないのだが。
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1444 希望は崩壊6

さて勅語学校はどうなったか。
掘り出したごみを埋め戻したという。
子どもが掘り出せるような深さ(業者告発)。
もう無茶苦茶だな。
そういえば×ポンドのHPに×沼議員の言葉もあった(写真付き)。
政治家の介入は無かったといっているが、この「沼さん」アヤシイのじゃないか。
突っ込んでみる必要はあるだろう。
気がつくかな野党議員。
今日の国営テレビでは夜7時に勅語幼稚園の運動会の宣誓シーンや現場の様子なども映し出していた。
少しばかり国会の様子も出した。
ABの言い訳みたいなことしかうつさなかったけれど。
少しはテレビも関心を持ってきたみたいだが弱い。
舞台は参院に移るし、ちゃんと追及しきれるか心配になってきた。
こうなると世間の動きが大きく作用するだろう。
市民のデモや集会を大きくせねば。
街宣も。
スタンディングも。
野党は今最高に出るときだ。
ここでやらないと共謀罪も何も通ってしまう。

1443 希望は崩壊5

この土日でABやバッグポンド(訳すと?→○池)や官僚達の隠蔽は進んだかしらん。
明日からの予算委がどうなるか。
野党の皆さんは追及出来るか。
今日、かのバッグポンドのHPを見た。
検索するとブログもあってそこにはまだ削除されていないアッキーなどの写真があった。
HPにはライチスト議員の平沼(池だの沼がよくでてくるな)の写真と言葉が載っている。
この「沼さん」も参考人にしたらどうだ。
HPの最初ページには「あえて出る杭となれ!」とでかでかとある。
若干笑ってしまったがある意味結構なことだ。
自分たちにとってもこれからの運動は出る杭になることが求められる。
小学校なのに「生徒募集」とある。
よく知らないのだなと言うことがよく分かる。
29年度分の募集は終了とあるがちゃんとその人員だけ集まったのだろうか。
と疑問が残る。
「あえて出る杭となれ!」
この言葉は、「池」さんたちにつまり自分たちに向けられた言葉だ。
但し、出方がおかしいよな。
いびつというか、むちゃくちゃというか
「神道」小学校と銘打つが宗教じゃないといっている。
宗教じゃないことは分かるが、比べ方が変。
キリスト教とか仏教の学校があるがそれとはちがって神道だといっている。
宗教の学校と比べて宗教じゃないと言っている。(分かるかな)
大阪の知事も今頃あわてふためいていそうだが、日本会議つながりじゃないのか。
火消しにやっきになってるのじゃないか。
認可をするかしないかこれも見もの。
お隣の大統領は、百万、二百万のデモに押されて失脚寸前だが、我らもあのようにしたいものだ。
韓国もSNSでデモが広がったみたいである。
今週が山かも知れない。
そして産経読売のこの問題に取り組み始めたのは一見変だが、共謀罪から目眩ましの報道のような気もする。
こちらもゆるめてはならない。

1442 希望は崩壊4

アッキーが名誉校長を断り切れなくてなった。
しつこかったので成ったようなことを言う。
祭り上げられているのでほくほくとしてなったに決まっている。
主人もここの方針がすばらしいとかなんていっているくせして、今さらしつこいとは何だ。
いくらHPから削除したって事実は消せない。
今頃は必死に証拠隠滅をはかっていることは間違いない。
時間稼ぎだ。
官僚達も隠滅に勤しんでいることだろう。
しかしどこからか必ずほころびが出るはず。
野党、今こそしつこく追及し尽くして欲しい。
そして崩壊への道をたどる。
共謀罪もオキナワも南スーダン自衛隊も、何より壊憲策動も雲散霧消にして欲しい。
報道メディアも今こそ報道しなかったら後で泡食うことだろう。
トランプは閉め出しをし始めたが、必ずやしっぺ返しを食らうだろう。
あっちのメディアの方がさすがに進んでいるじゃないか。
とにかくこれで崩壊は始まっているという自覚にたつことだメディアは。
とろい食事会などに行ってる幹部は追放になるだろう。
個人的にはやはりSNSを使いまくることだ。
崩壊へ向けてSNSを使いまくろう。

1441 希望は崩壊3

ABも出席して今日は予算委員会ももめたようであった。
国営も午前中中継を行った。
その後ニュースでもこの問題を扱った。
が、ABの言い分を積極的に流す姿勢が見られる。
麻生はうかつにも「なに調子のいいこといってんだよ」と麻生らしい本音で質問者をバカにしている。
体質だね。
漫画になるよ、さすが漫画好き。
そういえばイナトモはカゴイケに感謝状だっけ?そんなもんを贈っている。
さすが日本会議つながり。
今頃あわてふためいている。
ABは逆切れみたいでつっかかっているし、明らかに狼狽している。
テレビの報道姿勢はともかく、新聞が弱い。
やはり弱点を握られているのか、料亭が物言ってるのか。
ジャーナリズム魂に欠ける。
ひどいよ。
ジャーナリストで孤軍奮闘している方は何人もいるが、やはり個人の力だけでは弱い。
俺等がこのメディアに対して尻をひっぱたかなければ動かないかも知れない。
かも知れないと言うよりやらなくてはならないし、メディアもひっぱたかれる前に動かないと戦前みたいになる。
のじゃないか。
議員も尻すぼみにならないように追及の手をさらに強めるべきだ。
官僚もやっつけたらいい。
誠意のない官僚、ポチ官僚というべきか。
国民に金もらってんだろう
ABからもらってるのか。
トランプはこのところどっかへ行ってしまった。
共謀罪もどっかへ行ってしまった。
しかし、共謀罪はしっかり廃案にしなくては。

1440 希望は崩壊2

相変わらず暗殺ニュースばかりである。
森友のニュースは国営も7時を見ていたら一番最後の方に少し持ってきただけ。
それも麻生があれは売却済みだから適正に処理をしたということを流す。
まさに政権寄りというしかない。
森友はHPからアッキーの写真や言葉を削除した。
さすがにこりゃいかんと思ったのだろう。
新聞もあまり書き立てないし、少しなりを潜めた感じだ。
大体ABが委員会に出てきていないことがおかしい。
何か裏工作を新たにしているのだろう。
としか思えない。
突然辞任を再度するのか。
も知れない。
というかそれが希望だ。
合わせて森友の学校も無くなればいい。
とんだ時代錯誤の学校だ。
とんだ時代錯誤の幼稚園だ。
元保護者なり寄付をさせられた人はその教育方針に違和感を抱かなかったのか。
それが不思議だし、不思議でないとしたら、世の中にはまだそういうのをヨシとする人がいることに驚く。
どちらにしても内閣崩壊を希望する。

1439 希望は崩壊

森友は日本会議だからABも内閣もみんなつるんでいるから簡単にはいかないだろう。
逃げれるだけ逃げる。
隠せるだけ隠す。
延ばせるだけ延ばす。
嘘の連発。
予算委員会みても官僚でさえ同じだ。
奴らも日本会議におどされてるのか。
AB一統におどされてるのか。
歯切れが悪い。
それにしても全くずさんでいい加減な取引があったものだ。
オキナワも南スーダンも原発もトランプも北も共謀罪もみんな霞んで見えるほど。
新聞テレビは報道が甘い。
東京新聞か報ステががんばっているぐらいか。
ここで追及しまくらないと議員は何してるということになる。
ABが崩壊してもいい問題だ。

1438 とんでも官邸団12

とんでも官邸団の特定秘密バラしちゃう12
ガス:あ、また、ガンタさん、入って来ちゃ駄目ですよ。
イー:ガンタじゃないんだよ、イワタでいいんだよ。
ガス:だってこの前ガンタって言ったじゃないですか。
イー:ちょっとおちょくってみただけだよ、ばーか。これからはイーちゃんと呼べ。
ガス:イ・ワ・タのイーちゃんすか。
イー:アキコのアッキーじゃ、かぶるだろーが、バカ名誉校長と。あったま使えよ。
AB:ああ、アッキー、じゃなくてイーちゃん。どーたの。
イー:どーたもこーたもねえんだよ。トランプとゴルフ遊びばっかして。テメーこんどは何もってった。
AB:うーん、それは秘密。
イー:あたいにも教えないってんなら、てめーの秘密バラしちゃうぞ。
ガス:何、何、知りたい、知りたい。
AB:それなら言うことにするか。まず金色の○○○ーム、10ダース、これ特別製。そして夫婦おそろいの7色のパンツ・パンティ・セット1ダース。金色のもあるよ。
イー:えー、それ、あたいにくれる約束だったじゃん、七色パンティ!  それで見返りに何もらったんだよ。
AB:ボクチンの大好きな兵器おもちゃー、るんるん。
イー:ふん、F35のことか。そんなもんくそのふたにもなんねえんだよ。それでトランプにサンキュー・サンキューと言ってたのか。
AB:ボクチン、英語は苦手だから、イエースとベリー・グッドとアイ・シンク・ソーとサンキューしか言わなかったもん。
イー:バカ・イエスマンだなそりゃ。少しはノーと言ってやれよ。
AB:一回だけノーと言ったら怒られちまったよ。
イー:なんでだよ。
AB:アッキーをちょっと貸せと言ったから、ノーと言ったら怒ったのさ。で、ボクチンにイバンカを貸すのならイエスだと言ったら、あっちもノーでおあいこさ。
イー:ばっかみたい、何やってんだろ、二人して。それで二人で向かい合って何か言い合ってるような写真かー。
AB:チキショー、やっぱりあの時イエスと言えばよかったな。そうすりゃ・・・むふふ。
イー:あたいの立場はどうなるんだよー。ったくー、油断もすきもありゃしない。
AB:そうだ、F35でちょっと秘密のマージンが入るので今度二人で温泉に行こうか。
イー:ばーか、それより大阪の勅語小學院とやらの問題はどーすんだよ。
AB:ははは、あれはメディアも押さえてあるしきみとこの国営テレビも押さえてあるから大丈夫さ。誰も知らない内に過ぎていくさ。もしもボクチンが関与しているなら首相も議員もやめると大見得切ったからみんなびびってるじゃないか、ははは。
イー:えらくバカにしたもんだな。その内地獄を見るかもしんないよ。
AB:地獄を見るよりイーちゃんのおケツを見たいよー。
・・・と相変わらずのおケツ狂いのAB官邸でしたー。

1437 西脇の雨

西脇順三郎の詩「雨」
やはり第一詩集「Ambarvalia」から「天気」「カプリの牧人」に次ぐ3番目の詩。


南風は柔かい女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔かい女神の行列が
私の舌をぬらした。

雨を「女神」にたとえている優雅さ。
ふくよかさが感じられる「柔かい」という形容詞。
雨の粒が「行列」と表現される新鮮さ。
そして、ぬらす相手の「青銅」「噴水」「ツバメの羽」「黄金の毛」「潮」「砂」「魚」「寺院」「風呂場」「劇場」。
この並びの計算された順番。
そして何より「ぬらし」「ぬらした」「した」という音のリズム。
「した」で韻を踏んでいる。
最後は「私=わたし=したわ」+「舌=した」+「ぬらした」という「した」の連続。
全体を通してギリシアとか外国の地名は出てこないにもかかわらず如何にも地中海的イメージを受けるところがすごい。
・・・今日は雨が降ったので思い出して書いてみた。

1436 自尊感情

北村年子さんという人の話を聞いてきた。
道親になりましょう。
道親とは地域のおじさんおばさんのこと。
自己尊重感を大事にしましょう。
自己肯定感とも言う。
前からよく言われたことだ。
人としてまず生まれたことを大事にしたい。
自分の良いとこを見つけましょう。
と言われて振り返るが、何とも照れくさい。
そのことを人に話すことなどとても出来ない。
話さなくても良いのだろうが、悪いところの方が目立つような気がしてならない。
過去のことで思い出すと自分がとてもいやになる。
あんな事しなければよかった。
悪かった、悪かった。
思わず自分の顔がゆがんでしまう。
忘れたいと思っても何かのきっかけでそのことが思い出されてしまう。
いいところがあるとしても帳消しになる。
良いところだけをどうだとばかりに吹聴するのが偽善的になる。
ということで、なかなか自尊感情が出来ない。
自己肯定感も生まれない。
でも、その悪いところを取り去ったいいとこだけの自分を許してくれるならばどうにか自尊できるのかなとおもう。
許してくれないだろうな。
・・・と自分のことはさておき、子どもらには十分自尊感情を持たせたいと思うのである。
苦しんでいる子どもたちには自分を大事にする気持ちを持たせる。
これが教育の最も大事な事だろう。
学力テストなんかして競争するようなことは自尊感情からは遠いことだろう。

1435 ゆるゆるぼちぼち

ここに政治のことは書きたくないんだが政治のことになってしまうか。
市民連合って何?
個人の市民の連合?
連合であって組織ではない?
連合であって組織でもある。
これまでのある組織の概念を破る組織。
個人の集まり。
いわば烏合の衆。
これが運動をする。
野党はいっちょう一つにまとまれと発破を掛ける運動だ。
一つにまとまれと言っても一つになるわけではない。
一つになるのだが一つではない。
4つあれば4つの一つということである。
烏合の衆が集まってその内ゆるゆるとぎゅっとまとまって行くみたいな。
ぼちぼちゆるゆる組織なのである。
というのが今日の結論。
87才の剣道の達人と話してきた。
7段。
そのお方、妻を亡くされて一人住まい。
タブレット端末を持って、HPは開設、フェイスブックもやる、ツイッターもやる、ラインもやってアメリカにいる孫ともやりとりするというその道の達人でもあった。
それで写真や動画も撮ってHPやFBに載せてHPの閲覧者も10万を超えているという達人ぶり。
負けてはおられないな。
575無理

1434 賠償金

2月は既に半月過ぎた。
そして花粉の季節がきた。
一番いやな時期である。
外に出るのがおっくうになるので中で過ごす。
中の過ごし方は読書しかないが、この前から読み進めている本がなかなか終わらない。
頭に入っていかないせいもあるし、すぐ眠たくなるせいもある。
眠たくなったら眠気覚ましに風に当たるのが良いのだけれど外へ行くのは駄目なので中で何かをするしかない。
やはり体を動かさないと駄目だが、室内では掃除をするぐらいが精一杯である。
掃除をしてからパソコンに向かったらやっぱり眠たくなってきた。
ので机にうつぶせて少し寝る。
・・・という風な生活をしているのだが、もうじき田んぼや畑も始まるのでその段取りもしなくてはならない。
あと、役目がら公民館のまとめや田んぼ関係の会計処理などもある。
そして役所へ出す書類も書かなくてはならない。
・・・とこんなことを書くだけは書いたが、実際の仕事はしていない。
からまだまだだ。
捕らぬ狸の・・・だが、今日は思いがけずもこんなことがあった。
米をある人に郵送したら配達の途中で米の袋が破れてしまった。
どこかに引っかけたので損害賠償をするといってきた。
郵便局は平身低頭で謝っていった。
賠償金は米の代金と同じだった。
それにこぼした米はどうすると聞かれたので引き取ると言ったらすぐに持ってきた。
殆ど汚れたりはしていなかった。
賠償金と元の米が戻ったと言うことで賠償金の分だけ儲かったということになる。
配達に落ち度があったといえばそうであるが何だか申し訳ないような気がした。
575が思い浮かばない

1433 陰謀

首領様の兄貴が殺されてぐちゃぐちゃしている。
首領様の差し金だろうというもっぱらの見方だが、その差し金に見せかける他の黒い影だって予想されないことはない。
CIAならやりかねないだろう。
陰謀渦巻くこの世界だ。
それによって得するのは誰なのか。
首領様の国ってそんなひどいことまでするのという世間の目をくらまして、それならやっつけてしまいなさいよ、みたいな論調に持っていきたいやつ(国)もあることは間違いない。
アメリカの虎は核使用までちらつかせているのじゃないか。
北の首領様よりそちらの方が怖い。
どっちもどっちだが、後先考えない虎の方が怖いかも知れない。
しかしそれにしてもこのところの国会は国会のというか政府のというか大臣の体をなしていない。
ABはそんなやつを任命しておいて恥ずかしくないのか。
一生懸命庇うところなんか見ていると同業相哀れむみたいな感じだ。
イナダやカナダの答弁ぶり、見ておれない。
やつらの頭の中はぐちゃぐちゃだ。
で、また一つつっこみどころが出てきた。
10分の1かで手に入れた国有の払い下げ土地。
ABの名前まで付いた学校が恐れ入る。
ドイツで言えばナチの名を付けた学校を作るようなものだ。
ちょっとこうなるとABの運命もこれまでかと思ったりもする。
私腹を肥やすような議員は即刻退陣となるよう是非突っ込んで欲しいものだ。
「不正して 学校作る 恥知らず」
「不正して 道徳語る 恥知らず」
「答弁が 出来ぬ大臣 何のため」
もっとうまい575が出来ぬものか

1432 戦争

2017年は1917年のロシア革命から100年の年である。
まだ百年というかもう百年というか。
1945年から数えて戦後72年が今かと思うと、ロシア革命もそんなに昔のことではない。
1945年からたったの28年前がロシア革命だ。
このロシア革命の前に、日清、日露、第一次世界大戦がある。
ロシア革命後に、日本は中国朝鮮など侵略し第二次世界大戦へと入っていく。
その百年は世界的に見れば戦争の世紀だった。
飽きもせず戦争ばかりやっていた。
日本は第二次大戦以後は直接的な戦争はしていないが、ベトナム、アフガン、イラク、パレスチナ、イスラエル、イランなど中東などアメリカ、ロシア、ヨーロッパ各国などが戦争に関わっている。
日本もベトナム戦争などは戦争に間接的に関わった。
イラクもそうだ。
・・・と何だか歴史のおさらいみたいになってしまったが、やはりこれ以上戦争はやらないで行きたい。
戦争をやめるにはどうしたらいいか。
「武器よさらば」である。
武器さえなければ戦争はできない。
これは難しいことなのか。
難しいだろうなー。
とてつもなく難しい。
おそらく不可能。
考えるのもイヤになってくる。
では、どうするか。
人の心を変えるしかない。
いやいや、これも難しい。
しかし、とてつもないほどではない気もする。
人の心を変えるにはどうするか。
あれもこれもあるがこれも考えるのがいやになってくる。
むずかしいなー。
とイヤになった一日だった。
575が浮かばない。0215

1431英語

ニュースを見ていたら学習指導要領改訂で小学校は3年生から英語を始めるという。
「英語」をやるといい、「外国語」とは言わなかった。
「英語」ありきである。
指導要領では「外国語」となっているのに「英語」というのである。
しかも5年生からは評価も下すという。
時間数も2時間。
だとすると他の科目の時数を減らすか、全体の時数を増やすかのどちらかである。
後者の場合、土曜日の授業復活もある。
小学校の先生は英語の専門家ばかりではない。
教師の負担も相当増えるだろう。
もともと英語教育は中学校3年間、高校3年間、学んでもしゃべれる事ができないとか言って批判の的となってきた。
実用主義に負けているのである。
しゃべれるに越したことはないが
すべての生徒がしゃべれるようにすることは容易ではないだろう。
ヨーロッパや英米の言語圏とちがって日本語は語順からして違う。
しゃべれるようにするのなら、1年もアメリカで暮らしていればどうにかなる。
実用を求めるなら外国へいくことである。
と少し乱暴な物言いになるが、外国語としての英語は中学からで結構であると考える。
私は英語はしゃべれるというよりも書くことが出来る事の方に力点を置く。
日本語にしたってそうで、書くことが大事である。
しゃべって自分を表出するよりも書いて自分を表出する方が質的には高まると考えるからだ。
生活綴り方はまさしくそういう方法だったのだろうと思う。
575が出てこない0214

1430 旅人

何かの表現をするとき、「突然降りてきた」とか「頭の後ろをがつんとたたかれたようにひらめいた」とか言うことがあるが、西脇の詩は全編がそんな感じのするものばかりである。
コピーライターはみんなそれをねらっているのかも知れない。
キャッチ・コピーという言葉があるが、他人に対して引きつけるという意味よりも先に自分が突然ひらめいてキャッチしたという意味もあるかもしれない。
一般の詩人にしたってある表現はそんな感じで生まれたものかも知れない。
膨大な言葉の海からある言葉とある言葉をくっつけて新鮮なイメージのコピーを作り出すのは容易ではない。
しかし西脇詩ではそれがいとも容易に出来ているような感じがする。
やはり持って生まれた才能、つまり天性のものであるのかも知れない。
「馥郁タル火夫」という詩は、その極致のような詩であるが、西脇のその他の詩は、それに比べればもっと分かりやすい。
「天気」や「カプリの牧人」のようなものと思えばよい。
でもその中に於いて我々の想像を覆すような表現が出てくるところが西脇詩なのである。
「糞」(くそ)を詩の中に入れる詩などは殆ど見ないであろうが、西脇はいとも簡単に「糞」をつかっている。
今回はそれを書き記すことにした。

題「旅人」
汝カンシヤクモチの旅人よ
汝の糞は流れて、ヒベルニアの海
北海、アトランチス、地中海を汚した
汝は汝の村へ帰れ
郷里の崖を祝福せよ
その裸の土は汝の夜明だ
あけびの実は汝の霊魂の如く
夏中ぶらさがつてゐる

今回も575はお休み

1429 馥郁タル火夫3

(馥郁タル火夫の続きの文 「来たらんか火よ!」で終わり)

「何者か藤棚の下を通るものがある。そこは通路ではない。
 或は窓掛の後ろより掌をかざすものあれども睡眠は薔薇色にして蔓の如きものに過ぎない。
 我は我の首飾をかけて慌しくパイプに火をつけて麦の祭礼に走る。
 なぜならば巌に水の上に頤を出す。訶梨勒を隠す。
 筒の如き家の内面に撫子花をもちたる男!
 ランプの笠に関して演説するのではない然し使節に関して記述せんとするものだ。窓に倚りかかり音楽として休息する萎縮病者の足をアラセイトウとしてひつぱるのである。
 繁殖の神よ!夢遊病者の前に断崖を作りたまへよ!オレアンダの花の火。
 桃色の永遠に咽びて魚をつらんとする。僧正ベンボーが女の如くささやけばゴンドラは滑る。
 忽然たるアカシアの花よ!我はオドコロンを飲んだ。
 死よさらば!
 善良な継続性を有する金曜日に、水管パイプを捧げて眺望の方へ向かんとする時、橋の上より呼ぶものあれば非常に急ぎて足を全部アムブロジアの上にもち上げる。すべては頤である。人は頤の如く完全にならんとする。安息する暇もなく微笑する額を天鵞絨の中に包む。
 コズメチツクは解けて眼に入りたれば直ちに従僕を呼びたり。
 脳髄は塔からチキンカツレツに向って永遠に戦慄する。やがて又我が頭部を杏子をもってたたくものあり。花瓶の表面にうつるものがある。それは夕餐より帰りしピートロの踵。我これを憐みをもつてみんとすれどもあまりにアマラントの眼である。
 来たらんか、火よ!」

見慣れない言葉が又いくつか出てくる。
「訶梨勒」(かりろく)とはインド原産の植物で袋に入れてつるす。あるいは象牙・銅などで作った飾りのこと。匂い袋のようなものである。 
頤はおとがい、おとがいとは人の下あごのこと。
この言葉は3回も出てくる。
天鵞絨はビロードのこと。
相変わらず無関係に思える言葉がつながって文が進んでいく。
詩人の頭の中に浮かんだ言葉が少し練り合わされて、或いは混合されて、或いは引き離されて詩が作られていく感じ。
そして詩人の意識が流れていく。
その意識の流れにその言葉が乗って詩となっていくのだ。
「意識の流れ」というのは丁度西脇がロンドンに留学している頃ジェイムズ・ジョイスによって始められた文学上の技法である。
ジョイスの「ユリシーズ」はその代表作品。
その意識の流れに乗って書き表していくと自然とシュールな詩になるみたいだ。
しかしそれにしても難解といえば難解。
一体何の事やら当たり前の現実がない。
現実が破壊されているといっても良い。
しかし、それが文学的味わいを出している。
非現実でなくて超現実。
虚構でなくて超虚構。
って勝手な言い方だけどそんな気がする表現方法だ。
絵画でいうところのダリの「記憶の固執」という絵の溶けていく時計と同じだ。
断定的な言い方や、命令文がよく出てくるが面白い。
頻繁に使われる「!」
日本の詩に「!」を持ち込んだのは西脇が最初ではなかろうか。
「死よさらば!」
「脳髄は塔からチキンカツレツに向って永遠に戦慄する。」
「来たらんか、火よ!」
脳髄は・・・という文はいいなあ。
今日も575が出てこない。0212

1428 馥郁タル火夫2

昨日載せた写真に写っている詩(文)は以下の通りである。

 「ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限の消滅に急ぐ。故に一般に東方より来りし博士達に倚りかゝりて如何に滑かなる没食子が戯れるかを見よ!
 集合的な意味に於て非常に殆ど紫なるさうして非常に正当なる延期!ヴェラスケスと猟鳥とその他すべてのもの。
 魚狗の囀る有効なる時期に遙に向方にアクロポリスを眺めつつ幼少の足を延してその爪を新鮮にせしは一個の胡桃の中でなく一個の漂布者の頭の上である。
 間断なく祝福せよ楓の樹にのぼらんとする水牛を!
口蓋をたたいて我を呼ぶ者あれば我はひそかに去らんとする。けれども又しても口中へ金貨を投ずるものあり。我はどならんとすれども我の声はあまりにアンヂエリコの訪れにすぎない。跪きたれども永遠はあまりにかまびすし。
 色彩りたる破風よりクルブシを出すものあれば呼びて彼の名称を問ふ。彼はやはりシシリイの料理人であった。
 堤防を下らんとする時我が頸を吹くものがある。それは我が従僕なりき。汝すみやかに家に帰りて汝の妻を愛せよ!」    ・・・・(続く)

ネットで見てコピペをしようと思ったが、この詩はなかった。
フクシマ大学の先生がこの「馥郁タル火夫」について論文を書いていらっしゃる。
その中に全文が出ているがpdfのためコピペがきかない。
ので、こうなったらと思って書き写すことにしたのである。
これで約半分である。
残りは、また書き写す。
書き写していると心の中に色々なことが浮かんでくる。
見たこともない言葉や漢字もある。
そしてやはりこの詩から受ける印象、イメージ、おもしろみなどである。
「没食子」とは見たこともない言葉。
「もっしょくし」と読む。
ならの葉っぱなどにハチが卵を産み付けてそれが丸い形をして乾燥するとその中にタンニンが出来てそれをインクの材料にする、とある。
猟鳥とは狩りで狩られる鳥のこと。
魚狗とはカワセミ。
跪くは「ひざまづく」。
ダビデ、アドーニス、ヴェラスケス、アクロポリス、アンヂエリコ、シシリイなどのカタカナ語はギリシアやローマ(イタリア)を思わせる。
そして東方よりきたる博士達といえば、キリストの生誕、あるいはキリスト教を思わせる。
全体的になんのことやら、これが詩かいなと思うが、詩なのである。
超現実詩、シュールレアリスムの詩。
つまりシュールな詩。
お互いに遠い関係にある言葉がくっついて独特な感じを出す。
その言葉には元の意味というか、昔ある場面で使われていたものなどが潜んでいたりして、それが分かるとあれからとったのかと思いそれがちょっと自尊心?をくすぐり面白いのである。
いわゆる本歌取りというやつ。
どれもこれもほんとに面白いフレーズのつながりである。
「汝の妻を愛せよ」などはほっこりさせられる。

575が思い浮かばない 0211

1427 馥郁タル火夫

s-水牛

「間断なく祝福せよ楓の樹にのぼらんとする水牛を!」
これのどこが面白いか。
先ず全体的に、現実的にあり得ない情景である。
それがシュールなのであるが。
「間断なく」という言葉はそれはそれでいいのだが「祝福せよ」にかかっていると可笑しい。
つまり「間断なく」と「祝福する」という殆どくっつけて使用されないフレーズがくっつけられているところが可笑しくて新鮮な感じがするのだ。
西脇は近いものを離らかし、遠いものを結びつけると詩的になるといっているのだがまさにそれである。
遠い関係のものをくっつけているのだ。
さらに祝福する相手が水牛である。
これも遠い関係のものをくっつけている。
水牛を祝福することなどまずないといっていい。
そして樹に登る水牛、これも遠い関係であり殆どあり得ない光景である。
樹は樹でも楓の樹であるが、この具体的樹木名がさらに現実感をもちながら全体にシュールな感じを鮮やかにする。
「のぼらんとする」だからまだ登ってはいないのだが、その登ろうとしている一瞬を切り取ったところも鮮やか。
かくして、遠い関係がいくつも重なってこの詩を作っている。
そして倒置法を用いた詩の流れ。
これは日本語では倒置法だが、英語などでは命令文だから語順は大体このままとなる。
・・・・と、この1行だけの面白さおかしさシュールさを読み解くとこんな感じになるのだろうか。
そういえばブタもおだてりゃ木に登るということわざがあったが、あれも連想するな。
シュールなことわざだ。
写真は見づらいが「馥郁タル火夫」の部分。
この真ん中当たりに「間断なく・・・」が出てくる。
文頭は
「ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限の消滅に急ぐ」
であるが、初めからシュールさ満開、全開である。
莢豆は「さやまめ」と読む。と思う。
「シュールさが 馥郁として 目にささる」
「おかしさは 超現実に 現れる」0210

1426 西脇詩

s-にしわき2

西脇順三郎のことを書き出すと止まらなくなる。
ような気がする。
大学3年の頃に出会って依頼ずっとである。
丁度卒業する頃、筑摩書房から全集が出始めた。
毎月それを買うのが非常に楽しみだった。
一巻3800円か4000円ぐらいだった。
今でもその値段は高いと言えるが、45,6年前の値段では相当高かった。
初任給が4万くらいだったから、一割ぐらい持って行かれたのだった。
それでも買おうとしたのだから好きの度合いは分かるだろう。
今は無くなった神田の大衆書房に予約注文したのだった。
とその前に訂正。
昨日かに書いた「アムバルワリア」という戦後に出た詩集は、正しくは、
「あむばるわりあ」
である、要するにひらがな書き。
この「Ambarvalia」「あむばるわりあ」という意味はラテン語で収穫祭的な農業の祭のこと、農業の女神をまつる儀式のことである。
で「Ambarvalia」という詩集の冒頭は「天気」なのであるがその前に「ギリシア的抒情詩」とある。
だから「天気」にしても「カプリの牧人」にしてもギリシアのかおりがするのである。
ほんとはその前にこの詩集の為の前書きと、大きく二つに分かれている見出しがついている。
見出しの方はLE MONDE ANCIEN
意味としては「古代世界」
もう一つの見出しはLE MONDE MODERNE
意味は「近代世界」
といくら説明したって面白くもない。な
3行詩は冒頭の2つだけだが後は6,7行から10行以上の詩が続く。
がつんと来るフレーズがいくつもあるのだが、全行を書き出すと長くなるので、その中の2,3行とか1フレーズにする。
LE MONDE MODERNEの中の最初の詩「馥郁たる火夫」から。
全部書き出したくなるが我慢して・・・・いややっぱり全編書かないと面白くないな。
でもやっぱり長いな。
この詩は非常にシュールな詩で読んでいて不思議な感触、しかもそのフレーズが読んでいるとひひひかはははか知らないが思わずおかしくて面白くてにやにやしてしまう。
のは自分だけかも知れないが、普通の詩を読んでいる人からすると、えー、これが詩?と思われるかもしれない。
だからシュールなのである。
と前置きが長くなったが、一行だけ。

間断なく祝福せよ楓の樹にのぼらんとする水牛を!

って可笑しくない?

「間断なく 祝福するよ 西脇詩」
「可笑しくば 笑えよその詩 永遠に」
「取り出した 詩集につかれ 半世紀」0209

1425 天気

昨日書いた西脇順三郎の詩の続き。
第1詩集は正しくは「Ambarvalia」(読み方:アムバルワリア)である。
昭和8年に出ている。
そして戦後になってその改作版「アムバルワリア」が出ている。
この改作版は残念ながら余り評判は良くない。
自分もこの版は良くないと思っている。
それはともかく初版ででた「Ambarvalia」の一番最初に出てくる詩は、一番良く知られていると書いたが、それは以前の高校の教科書に出ていたからであろう。
自分は覚えがないがどうもたくさんの会社の教科書に載せられていたと言うことだ。
でその詩はやはり短い3行詩。
題は「天気」

(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日

この詩については何百もの学者先生が書いているので自分ごときが出る幕ではないと思うが、ちょっとだけ感想を書こう。
最初の(覆された宝石)というフレーズにがつんと来るものがある。
これはこの詩を読んだ読者の誰もが持つ感情であろう。
なぜカッコがついているか。
ジョン・キーツというイギリスの詩人の詩(「エンディミオン」)の中からとったからであるという。
an upturn'd gem と言うのである。
これを翻訳したのがカッコをつけたわけである。
しかしカッコをつけなかったらこの詩の味わいも少し弱くなる。
キラキラと光り輝くような朝のイメージが来るのだが、それにしてもこの比喩は強烈な印象を与える。
なお、キーツでは宝石は単数形だから1個の宝石。
しかし西脇では日本語だから単数複数の別は分からない。
自分としては複数のイメージ。
宝石箱に入っていたいくつかの宝石がひっくり返されてじゃらじゃらと出てきたという感じがいい。
その方がきらきら感がより出ると思うのだ。
「エンディミオン」といえば、これは高校の時の英語の教科書で習ったような気もする。
気もするだけで確かとは言えないが、英語の先生が「エンディミオン、エンディミオン」と言っていたような気がする、だけだ。
そして2行目
誰かが戸口で誰かとささやく。
という意味は初めは、何人(なにびと)かが戸口の所で「誰?」とささやいている。
と思ったのだが。
誰かと誰かの二人がひそひそ話をしている。
ともとれるがどうもこちらの方が正しいようである。
3行目の、神が出てくるのは日本の詩にしてはやはり唐突。
そして神の生誕ということ。
神も生まれるのかということ。
1行目の(覆された宝石)のような朝も強烈な印象を受けるが、神の生誕も強烈である。
考えてみれば単なる朝の風景を書いたものだが、たった3行の詩ながら無限に広がるイメージを持たせてくれる詩である。
西脇はこの「Ambarvalia」以前には英語、フランス語、ラテン語などで詩を書いていて、日本語で書くのはこの詩集が初めてだった。
その巻頭を飾るこの詩によって絶大な人気を博したのである。
「覆された 宝石だけで 一大事」0208

1424 春の朝3

ブラウニングの詩で上田敏訳の「春の朝」という題名ですぐ思い出した詩がある。
西脇順三郎の「カプリの牧人」という題の短い詩。

春の朝でも
我がシゝリヤのパイプは秋の音がする
幾千年の思ひをたどり

これは第1詩集「アムバルワリア」という詩集の中の2番目に出てくる詩である。
1番目に出てくる詩の方が圧倒的に人気があるというか引用数も多いのだが、自分的にはこの詩から始まった。
読んだときがつんと来たのである。
面白かったのである。
シシリアのパイプという音の響き。
春なのに秋が来る。
幾千年という長い歴史のスパンがすごく深みを出している。
題の「カプリ」ということばの響きがいい。
「牧人」というあまり使用頻度のないことばの響きも良い。
そして、ヨーロッパ的、地中海的なイメージがする。
などなど。
たった3行なのにいろいろイメージが広がるのである。
パイプというのは最初はタバコを吸うあれのことかと思ったが違うようである。
タバコを吸うときすぱすぱとするがあの音を連想しそれが秋の音かと思ったのである。
「カプリ」ということばが「プカリプカリ」とすうタバコのパイプを連想させる。
どうもこの場合のパイプは、バグ・パイプとか言うように笛のようである。
シシリアという地名の響きも良い。
シシリアン・パイプという言葉があるようでそれはやはり笛(葦笛)のことである。
でもタバコを吸うパイプの方が面白い感じもする。
楽器の葦笛なら音がするのは当たり前で、タバコのパイプなら音は二次的なもの。
そちらの方が詩的イメージとしては面白いじゃないか、と思うのである。
2行目と3行目の倒置法的な書き方もいい。
倒置されていなかったら全然詩的にならない。
この詩は初めて目にして以来、短いので暗記してしまっている。
「春の朝 詩人の耳に 秋の音」
「イメージが 離れて寄って 詩になった」
「素敵だな 詩的な言葉 シシリアン」
「詩に遠い トランプABの フェイクな語」
「目をつむり 三行の詩に 癒される」0207

1423 個人史

今日は殆ど一日、といっても6時間ほど原稿用紙に書かれた手書き原稿をパソコンに打ち込んだ。
400字の原稿用紙14.5枚分。
5800字である。
計算したら1時間当たり966字と出た。
やはり頭が疲れ目も疲れた。
根気仕事である。
打ち込んだ原稿は91才の人の個人史的な手記である。
自分の人生の記録を残しておこうという趣旨の原稿で、ある種歴史の一部分でもあるわけだ。
特にこうした80才90才の人の個人史は今となっては貴重である。
自分の父親も90才を超えて亡くなったが、今となってはそういう個人史的なことを聞いておくとよかったと思う。
戦争体験、シベリア体験もあるから残しておくとよかった。
どこかに発表するとか言うものでなくて一家で保存が良かろうと思うのだが、そういう者を集めて保存も良かろうと思う。
個人史のアーカイブ。
しかしながらやはり歳をとってみえる方は、自分で書くとなるとなかなか難しい。
書くことになれていないと尚更だし、歳をとればとるほど記憶も薄れていくし、忘れるし。
「個人史の 記憶の彼方の 深い闇」
「貴重なる 個人の記憶 とどめたり」
「風化する 歴史の遺産 今とどむ」
「トランプの つぶやきもまた 世界史か」
「ポチブルも 歴史を戻す 反歴史」プチブルとポチブル0206

1422 生マーラー2

またマーラーの2番を聴いてきた。
これで生2番は4回目。
インバル、コバケン、秋山、そして今日は女流・新田ユリ。
前の3回に劣らず素晴らしかった。
今日は2階席からだったので後ろの打楽器群がよく見えた。
さすがのマーラーというか打楽器群の活躍がないとやはり迫力は出ないことがよく分かった。
大太鼓1、小太鼓2、ティンパニ2、ドラ2、トライアングル1、シンバル1。
あと名前の知らない真鍮で作った長方形の板3(つり下げて打つ、バシとかクシャという音がする)
それに金槌のでかいのでたたくもの(下に据えてあったので見えなかった、多分金属)
など。
大太鼓の重低音は物凄く、弱くたたいてもドドドドドと響いていた。
1楽章と最終楽章は好きなのだが、今回は合唱も入っている最終楽章の盛り上がりにいたく感動した。
合唱の盛り上がりと金管のフォルテ、打楽器群のフォルテがクレッシェンドしていき大迫力だった。
最後にちょっとだけパイプオルガンが鳴った。
パイプオルガンが使われていることは知らなかった。
ということで最終楽章コーダは、ちょっと涙が出そうになった。
「打楽器の 音それぞれに 力あり」
「フルートの 響きにゆるむ 琴の線」
「追分で 引き剥がれたる 寒かな」漱石

1421 さすがの訳者

昨日のブラウニングの詩についてもう少し考察してみた。
日本語では音のつながりが5で統一、一部は7だが。
俳句にあるように5音7音は日本人にとっては気持ちいい響き。
英語でもやはり5が多い。一部4。
英語では母音を単位とする。
訳者上田敏はさすが5に合わせている。

5  春 の 朝  ブラウニング
    上 田  敏・訳
5  時は春、
5  日は朝(あした)、
7  朝(あした)は七時、
55 片岡(かたをか)に露みちて、
55 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
55 蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
55 神、そらに知ろしめす。
55 すべて世は事も無し。

  Pippa's Song   Robert Browning
5 The year's at the spring 
5 And day's at the morn; 
4 Morning's at seven;    
5 The hill‐side's dew‐pearled;
5 The lark's on the wing;   
5 The snail's on the thorn;
4 God's in his heaven ― 
5 All's right with the world! 
脚韻を見ると、
4行おきに脚韻を踏んでいる
spring - wing
morn - thorn
seven - heaven
pearled - world
こういうのもデザインというのだろうか。

最後の2行をアメリカに変えるとABの思いとなる。
America is in my heaven
All's right with America
          by ABpochi
アメリカはわが天にあり
すべてはアメリカとともにあり

狂犬が来てもやはりポチぶりを見せたAB。
これ見ると喜ぶか。

「ああ今日も アメリカ様の お通りです」
「ほめたたえ 手なずけられて 自虐好き」
「ポチぶりを 見せて独立 願うとは」
「みえみえだ 見かけ倒しの 独立論」0204
「本堂は 十八間の 寒さ哉」漱石

1420 春の朝

平和の俳句に投稿しようと思って、「全てこの世はことも無し」とか言う詩句を習ったことを思い出した。
ことも無しというのは如何にも平和だ、これを生かしたいなと思ったのである。
それはブラウニングという詩人ので上田敏の訳だった、とさらに思い出した。
この詩を習ったのは確か高校1年の最初の頃で現代国語。
で改めて調べてみたのが下記。

春 の 朝  ブラウニング
    上 田  敏・訳
時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

ついでに英文もコピペ。
この英文を見たのは初めて。
Pippa's Song   Robert Browning
The year's at the spring 
And day's at the morn; 
Morning's at seven;    
The hill‐side's dew‐pearled;
The lark's on the wing;   
The snail's on the thorn;
God's in his heaven ― 
All's right with the world! 

英語では題がピパズ・ソングとなっている。
これは「ピパの歌」で上田敏はそのまま訳さずに「春の朝」とした。
最後の2行は日本人にとっては意表をつく。
「神」ということば。
そして最終行は、この日常が全てright すなわち「正しい」といっている。
全てが正しいとはみんな正常でいいんだということだ。
常日頃、会話ではオーライといっていること。
何も支障がないということなのだが、それは「それが正しい」ということだったのだ。
ある季節(春)の一日、朝、7時である。
丘は露に濡れ、ヒバリが鳴き、カタツムリが這っている。
なんとも平和じゃないか。
というわけである。
高校1年の時には感じなかった日常に対する深ーい見方がしみじみ伝わってくるような詩である。
短いながらも深い洞察。
「神」が介在するところはやはり西洋っぽいが、淡々とした日常の一瞬をすぱっと切り取った素晴らしい詩であると感じたのだった。
「ヒバリと カタツムリがいて この平和」
「春の朝 ブラウニングの 平和の詩」
「何もない その日常に 平和あり」0203

1419 中国舞踊

いかんいかん、今日帰りに右折しようとしたところうまくいかずに直進。
下手すれば対向車とかするところだった。
安全運転と心にはあったのだが知らない道だったし暗いしでよく分からなかったのが原因。
というか、やはり判断ミス。
隣の連れ合いはそこから機嫌が悪くなった。
なのでしばらく行ってから運転を交代したのだった。
もう遠出はあまりしないようにする。
今日は中国舞踊を見てきた。
ニューヨーク拠点の舞踊団で踊りはもちろんバックのデジタル技術を生かした絵柄やその中に人間を入れて実際の人間を入れたり出したりする技術が見応えあった。
中国本土では公演をしていないという。
それは舞踊劇の中に共産党批判みたいなことや宗教色のあるものがあるからだろう。
「二胡の音の 呼び覚ましたる 幾千年」
「色彩の 幽玄にして 衣(きぬ)踊る」0202
「泊り合す 旅商人の 寒がるよ」漱石

1418 安全運転

ある先輩の教師から葉書が届いた。
暮れに交通事故に遭い大けがし大手術をして今は治りつつあるとあった。
驚きと安堵がいっぺんに来たが知らないことは恐ろしい。
事故にあったのだから自分が事故を起こしたのではなくて巻き込まれたと見た方がいいだろう。
この頃、老人による事故のニュースが非常に多い。
注意を喚起させるためにわざと流しているのじゃないかと思う。
アクセルとブレーキの踏み間違い。
高速道路の逆送。
である。
自分も日頃慣れていない都市へ出ていって、あまりに道路が広いので右へ曲がっては行けないところを右へ曲がってしまって固まったことがあった。
幸い対向車はまだ来なくて少し行ったところで中央分離帯のような所で止まりやり過ごしてから右折したのだった。
老いたからその判断ができなかったのではないと思っているが、いずれにしても気をつけなければならない。
この先、やはり老いと共にそういう危険性は自分にもおよぶだろう。
この前、山の中の曲がり道でもう道路に雪はほとんどないのだが、若干道路脇に雪が残っているところを普通のスピードで通りかかったらスリップしてひやりとした。
やれやれまだ修行足りない。
過信と油断は禁物。
いつもの安全運転の気持ちがまたゆるんだとしきりに反省したのだった。
事故なんて他の人のやることで自分はやらないと思っている。
戦争なんて他の国の出来事だと思っているのと一緒だ。
「すぐそこに 戦争あると 自覚する」
「下手くそな ゴルフをやって 首相づら」ゴルフやりに行くんだって、あほか
「バカ面を 下げてトランプ 詣でとは」
「腹いせに トランプ負かす 気概もなし」
「わざと負け トランプおだて にせ笑い」
「ニッケルの 時計とまりぬ 寒き夜半」漱石
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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