たとえ思想信条の自由があろうと、教育勅語を素晴らしいということは駄目である。
思うことは自由だが、それを口に出すことは駄目である。
教育勅語が果たした役割については戦後衆参両院で決着が付いている。
それを蒸し返すことは、国会議員としてあるまじきことである。
不認識もはなはだしい。
国会議員の資格なしといってもいい。
モリトモの問題の核はそれである。
小学校を作るに当たって何人もの寄付者がいたというがみんなその右翼的なところに同調してだと言う。
それはそうだろうが、まさに戦前の怪物・亡霊が生き残っているということだ。
日本会議をとにかく何とかせねば。
例の菅野完の情報力も大事だが、もっと野党の諸君等の力を出して欲しい。
やはり一人の収集能力よりも複数いる党の方が力は出せるはずだ、
新聞なども広告収入がある以上力が出せない。
やはり党の力だ。
と、思うのだが。
もう4月に入った。
この1ヶ月で追い込んで欲しい。
モノだ。
「暗唱を するなら前文 させればいい」
「勅語だの 五箇条などは とんでもない」
「犬死にや 飢え死にしたのが いいことか」
「教育は 国のためとは 戦前だ」0403
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