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1749 突破口

s-y穴

大晦日。
ただ淡々と過ぎゆくだけだが、今日は一つ葬式が入った。
死はいつでも訪れると言うことだ。

今年の振り返り。
最悪の年だった、政治的には。
戦争への針は12に向かってかなり進んだと言える。
異常なドンについて行く周りが不気味。
さらにその周りの周りの不気味さ。
年末になって「国民の意識の低さ」と揶揄した漫才の言うとおりだった。
その意識がリベラルは保守のことだと勘違いしている。
閉塞状況ってこういうことを言うのかもしれない。
しかしどこかに突破口があるはず。
というかそれはもういくつか見えている。
やるしかない。

「突破口 大きな口が 見えている」
「バネ弾む 押さえるほどに 大きくね」
「暗いほど はい出てみれば よく光る」
「明日はある 不断の努力 行えば」1231
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1748 チョムスキー本

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注文した本がきた。
5千円図書カードがあったので使わなくてはと思って使ったのだった。
ノーム・チョムスキー「アメリカンドリームの終わり」
訳者は寺島隆吉・寺島美紀子氏。
副題に「あるいは、富と権力を集中させる10の原理」とある。
チョムスキーといえば本業の言語学者のほかに社会活動家として有名。
アメリカの知性である。
日本で言えば加藤周一か大江健三郎かというところ。
いろいろな著書を出している。
10の原理の1は「民主主義を減らす」とある。
ほかに若者を教化・洗脳する、連帯と団結への攻撃、民衆を家畜化、民衆を孤立化などとある。
今の日本にそっくり当てはまるような内容である。
分厚い本だが、訳が平易で読みやすそうである。

1747 日本空襲

kuushuu.jpg

BSのアンテナが壊れたみたいだったので昨日ホームセンターで買ってきた。
今日それを取り付けた。
映るようになった。
電波のレベルは適正か最高値を示しているかは測定器がないので分からないが映ればいいか。
4時頃BS3を見てみたら戦争の記録というので本土の空襲のことなどやっていた。
当時のアメリカの日本に対する戦略が動画も交えてよく分かった。
当時飛行機に取り付けたカメラからカラー映像を映し出していた。
そんな技術力のあるところと戦って勝てるはずがない。
日本が最初に行った空襲による無差別爆撃は中国の重慶。
アメリカは日本がやったからといって日本全土に無差別爆撃をした。
地図上に爆撃のアニメが出される。
九州が一番ひどい。
上陸は九州からという魂胆。
日本は全く無謀な戦いをしたことがよく分かる。
今日は以上。

1746 ポポイ

65手帖

またまたついでに「現代詩手帖」65年の12月号
65年の詩のアンソロジーが載っている。
やっぱり一番はじめが西脇順三郎。
題は「野原の夢」
これは長さは3段で3ページだから長いと言えば長い。
がすぐ読める。
ギリシャ語らしい「ポポイ」「パパイ」が出てくる。
やはりこれも感嘆詞だろう。
「われわれ近代人は
 甲州街道の犬のように青ざめていた
 アビシニアの野原へ
 ギリシャ人の桃源のハケを見に
 射たれた豹の腹の波打つ夢を
 走って・・・
 新しい悲しみを求めて
 アビュルト・アケという

 すっぱい酒を飲みにそれは
 ザクロの実とセリとニラを
 つきまぜた地獄の秋の香りがする
 アべべが曲がったところから
 左へ曲がって
 花や実をつけたニシキギや
 アサキのまがきをめぐって
 われわれは悲しみつづけた
 ・・・」つづく
というような詩。
ずっと引用し続けたくなるけどやめる。
いきなりギリシャが出てくるからそれっぽいが実際は甲州街道も出てくるように日本。
そこに、アベベが出てきたり、ホプキンズ、ディラン、ペイター、ボードレール、カミングス、エリオット、パウンドなどなど西洋詩人の名前がたくさん出てくる。
古今東西が縦横無尽に出てくるというわけだ。
ほんの指先ほどの事象に大きな宇宙を感じさせるような表現。
生活臭さが香り高い高貴なものと混ぜ合わさっているような表現。
が面白いのだ。
と自分は感じるのだ。

やっと年賀状完成。
でも今日では1月1日には届かないらしい。
オオーポポイ!

「半世紀 前の詩編に 魅入る我」
「シュールの美 なすびあけびが 詩になって」1228

1745 民衆の愚

70手帖

ついでに「現代詩手帖」69年の12月号
69年の現代詩アンソロジー。
どうしても西脇順三郎に目がいってしまう。
「テンゲンジ物語」という題で1ページに収まる短い詩を書いている。
瀧口修造君へという副題。
いきなり「ピヒョークサイ!」ということばが。
これはたぶんギリシャ語だろう。
驚くときの感嘆詞みたいなものだろう。
このころからやたらギリシャ語が登場する。
オイモイとか。

それからやっぱり吉増剛造。
「黄金詩編」と「頭脳の塔」ともう一編が載っている。
「黄金詩編」も「頭脳の塔」もどちらもその題で詩集がその後出たのだった。
これはやはり買った覚えがある。

最後に我が県の人である平光善久さんの詩も載っている。
「骨を編む」という題。

ウーマン・村本が俄然「時の人」みたいになっている。
今日は新聞に特集されている。
「国民の意識の低さ」だよ、問題は。
という捨てぜりふ的な言葉がその発端だろう。
これは今年発せられた言葉の中でもひときわ光を放つ言葉としてたたえたい。
悲しいたたえだけども。
民衆の愚を言うわけだから悲しいのだ。
前川喜平氏も同じようなことを言っていたような気がする。
民衆の愚は権力者の愚。
その反対も言える。
やはり「民主主義」が「民主主義」として適切に運用されるには、賢い民衆でなければいけない、ということだ。

ああ、年賀状!

「民主主義 賢い民衆 あってこそ」1227

1744 安保撃滅

安
保
撃
滅

「現代詩手帖」70年の表紙を飾った林静一の画は終わった。
題字のところにあったきわめて見つけにくい「漢字」を取り出すことに成功したので添付する。
これでも見にくいかもしれないが「安」「保」「撃」「滅」と読める。
「撃」の字は略字みたいである。
「車」を書いて下に「山」。

年賀状がどうしても書けない。
これで3日ほど呻吟している。

新パソコンを買ってソフトをインストールしたがメールソフトが起動するのに手間取った。
サーバー元に頼んで遠隔操作で動けるようにしてもらった。
しかし旧パソコンで使っていたメールアドレスが入っていないのでこれを入れるのにも一苦労。
今日、旧パソコンを起動してみたところ復活したではないか。
それでその中のメールアドレス帳をUSBに入れて新パソコンに注入したのだった。
やれやれである。

「あきらめた パソが復活 泣き笑い」
「今も直 安保撃滅 コンティニュー」続いてる
「安保法 撃滅必定 亜米退場」1226

1743 意のまま

D12月号

「現代詩手帖」12月号。
12月号は毎年その年の詩集から拾ったアンソロジー。
50名余の詩人の詩が載っている。
埴谷雄高、吉田一穂、吉本隆明などの名前も見える。
マイ・フェイバリッットの西脇順三郎の長編詩も載っている。
「醮」という題の付いた詩。
これは「鹿門」(ろくもん)という詩集に収められていて、自分が最初に買った西脇の詩集だった。
限定1200部で当時何千円だったか忘れたが学生が生活できる生活費の半分ぐらいだった。
就職してから西脇の詩集をすべて初版本で集め出して日本語で書かれたのはすべて集めた。
その他の評論集なども集めてうちの彼女には内緒だが相当金がかかった。
文庫本で読めればそれでいいじゃない。
と言われるがこの初版本にかける思いは違うんだよ。
だが今古書店では本の価値が下がり続けていて、買ったときの値段よりも下がっているのが寂しい。
本離れは古書転移も影響を及ぼしているのかもしれない。
と話がずれていったが、閑話休題、12月号には終わりの方に詩人住所録も載っていて誰がどこに住んでいるのかがわかる。
今では個人情報で問題だからこういうのは載せないだろうが当時はこんなもんだ。
ここに名前が載ることが一種のステータスみたいな。
西脇の住所も載っているから、訪ねたかったら訪ねることができたわけである。
我が県の人も数人名前が載っている。

さておき、ネックストアメリカアンバサダーに亜米友になったんだって。
またまた私物化か。
あきれてものが言えないな。
ガイムショウは反抗すべきだ。
するわけないが。
これで虎にごますりまくりだろう。
くさっとる。
「お友だち はべらし俺は 安泰だ」
「虎様に ごますりやろう 献呈だ」
「ガイムショウ 亜米に弓引く 者はなし」
「ガイムショウ 亜米の意のまま やるせない」1225

1742 やさしく面白く

D11月号

「現代詩手帖」11月号
取り立てて気になる文章、詩はなかった。
当時の語法が懐かしいだけ。
というかどの人もわざと難語を使ったり通常使う言葉をわざと避けて”飛んだ”言葉を使っている。
あるいは文体にしても。
思想的にはミンセー系よりもゼンキョウトー系だったり。
俺は違うんだということが見え見えの。
でも、そういうものの感じられない真に詩的に飛んだものもあってそれはそれですごいと感じられる。
吉増剛造とか。
外国の詩の紹介もあって今号はジョン・アップダイクとジェラール・クライン。
クラインはフランスの作家。

久々にスタンディングをしてきた。
観光客も師走だから少なくなって聞く人は少ない。
閑散とした街並みに言葉が消えてゆくのは切ない気もするが、があがあと何か言っているな、また九条か。
そこから、ああまた、ごくろうさんやな、と思われるか。
またまたうるさいな、と思われるか。
後者だろうなと思いつつもやっている。
うるさいなと思われないためには中身が大事。
難しいことをやさしく、やさしいことを面白く、だったか。
語りかけるように静かにはっきりゆっくりしゃべるように心がけたのだった。
1224

1741 荒れるや

10月号

「現代詩手帖」10月号
このころ新宿の「ノアノア」というところで一月に一度詩の朗読会が行われていた。
その様子が毎号載っているのだが、今号のは加藤郁乎の「荒れる夜」と題した会だった。
加藤は詩集「荒れるや」というのを出しているのだがもちろんそれに掛けてある。
「あれるや」は「はれるや」ともつながるのだが、この会は夜なので夜にしたのである。
文字通り「荒れ」た夜みたいだった。
女性のヌードや男性のヌードも出現。
出演者は、土方巽、四谷シモン、嵐山光三郎、鍵谷幸信、藤富保男、白石かずこ、ほか当時の有名無名詩人多数の豪華メンバー。
入り乱れてのむちゃくちゃな夜の様子が面白く書かれている。
少しだけ乳首の見えるような写真までついている。
それで次回の予告として金井美恵子が出ている。
会費は400円。

年賀状をやり始めたが全然進まない。
毎年もうやめようかと思っているのだが、つい買ってしまう。
いつも長文の年賀状にしているのだが、今年はさらに長文をねらうか、あっさり絵と短文にするか。
今年のニュースは昨日のショックで薄れてしまった。
やっぱり575も浮かばない。
1223

1740 近代的自我


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「現代詩手帖」9月号
水野隆「月蜘蛛松宵絲車」を書いている。
読み方は「つきにくもまつよのいとぐるま」
時代物と戦後の情景の2幕の劇もののシナリオである。
水野隆は故人となられたが我が町の”文化人”であった。
このころ、現代詩手帖に書いていたとは知らなかった。
この70年9月の時に彼が我が町の人であることも知らなかったのだ。
帰郷してからは彼の姿をよき見かけたものだったし、一度お邪魔もしたことがあった。

次、柄谷行人が評論「批評の根拠をあかす」を書いている。
柄谷といえば非常に小難しい文章の書き手という印象があるが、この文はそれほどでもない。
「・・・・渋沢氏(渋沢孝輔)の規定によれば、『現代詩』とは『語に主導権を渡す』(マラルメ)ことであり、言語が『近代的自我』や自己表現にとってかわって支配することである。それを氏は、『自我から言語へ』の転回と呼んでいる。・・・」
と言う様な書き出し。
「近代的自我」という言葉に久しぶりに会った。
昔よくこういう評論で使われた言葉だ。

今日は昨日に続いて非常にショッキングなことがあった。
気持ちが滅入る。
戻れないという状態ほど滅入ることはない。
戻ってほしいのだ。

エルサレム発言に対してニホンは反対の立場だと。
いいのか、亜米、虎に背いて。
まあ世界の常識だから常識に背くことは反発を食らうという算段か。
トラの出方が見ものである。

ショックで575が浮かばない。

1739 今日はちょっと

「現代詩手帖」はちょっとお休み。
パソコンがおかしくなって仕方がないので新しいのを買った。
その設定に手間取っている。
やっとネットはできるようになったがメールができない。
ソフトも一太郎をやっと今方夜11時頃にインストールした。
それで書いている。
オフィスは買うことにした。

12月は今日も含めてひぇっと思うことが重なった。
今日は介護認定が一つ下がって最低になった。
ということは利用が軽くなると言うことである。
車のバッテリー上がりで充電した。
トイレが詰まってやっと詰まりをなおした。
パソコンの買い換えをした。
事務局会を今日することにしていたが突然の垂乳根の不具合で中止にしたこと。
会員には迷惑をかけた。
などなど。
おかしなことの当たり月であった。
こうなったらジャンボ宝くじでも買おうかと。

市議会の本会議、この間の核禁止条約の請願は結局通らず新しい文面での提案はそれも否決だった。
しかし、それには5人が賛成してくれた、ということは一定の前進。

今日は平和の俳句を書いて終わり。
「国会へ 一億人の 息白し」北口直敬(18)名古屋市
若者が書いてくれたことがうれしい。
1221

1738 話し合え

8月号

「現代詩手帖」8月号
特集は吉増剛造。
詩「死の山」掲載。
「朝
恋人のように
黒髪サッとはらってたちあがる
そのとき
宇宙漆黒、慄然として”渚!”と叫ぶ、遠くから金色の騎馬武者、
 海峡を通行し疾駆してくる響きシャンシャン、全音楽を裂断し、
 幻の大海峡を続々と渡りつつ殺到してくる、陸続きと群なし、群馬
 のように死の山めざし、死の墳墓を越えて殺到してくる気配察知
 して、今朝、レンズの中央で自我惨殺し真紅の巨眼に変貌し、正
 座して待つ!くるか部屋中の机、冷蔵庫、奥深くゾッとする意
 識の密林の死線に似た渚の大カーブが・・・シャンシャン、シャン
 シャン・・・・」
てな具合で9ページ約200行の詩である。
やはり走っている感じ、疾駆である。

今日の平和の俳句。
「争うな 驕るなよーく 話し合え」青木繁(65)四日市市
「話し合え」だよな、まったく。
トラは「力による平和」だと言ってるがまったく前時代的。
それにすがる亜米らもまったく同じ。
歴史知らずの***だ。
「知性なし 感性もなし 脅しだけ」
「詩を作れ 田んぼも作れ 人ならば」1220

1937 9条の傘

7月号

「現代詩手帖」7月号
中江俊夫の「火と藍」が載っている。
中江俊夫は岐阜にあった古書店で「語彙集」という詩集を買ったことがある。
装丁が凝っていた。
中江俊夫は以上。
ほかに天沢退二郎、渡辺武信、三木卓、らの詩。
帷子耀の詩「瞳冒涜」という組詩も。
相変わらずの非日常語が連なる詩だった。
入沢康夫はこの号で評論を書いているが冒頭に、
「『近頃の詩はますます素朴な実感から遠ざかって、観念的・抽象的な言語遊戯におちいっている』といった歓声が折々聞かれる。文字どおり右のような言い方ではないにしても、詮じつめればほぼこのような主旨になる発言は、かなり以前から(あるいは戦前からか?)なされて来た。そこでーーーー」
と前置きして、これが当たっているかどうかを検証しようとしている。
まさにこのころの詩人たちのトレンドは観念的・抽象的に思えた。
のが自分の思いでもあった。

早々と米ヘリの飛行を許す。
外相がマイ飛行機がほしい。
イージスアショアを二つ買う。
など、昨日のウーマンラッシュアワーのMANZAIを聞かせたい、やつらに。
平和の俳句で「9条の傘と絆に抱かれます」高橋博(84)さん作というのが目に留まった。
「9条の傘」という言葉、これまでに気づかなかったな。
9条の傘のおかげで平和であったのだ。
この言葉使わせてもらおう。

「九条の 傘を世界に 広げたい」
「九条の 傘に及ばず 核の傘」
「これからの 平和の道に 九条傘」1219

1736 意識の低さ

6月号

「現代詩手帖」6月号
いきなり鈴木志郎康のエッセイが出てくるが、その副題が「極私的極狭的読書状況」
この「極私的」という言葉を作ったのはこの人だったのではないかと思う。
詩作品としては白石かずこの「聖なる淫者の季節」が載っている。
白石といえばこの「聖なる・・・」が思い出されるのだが、一応もう一度読んでみた。
当時の現代風の作風なのだが今読むとちょっと色あせた感じに思えてしまう。
当時は、結構人気詩人で生き方も飛んでいた。
ジャズやブルースを愛し、コラボで朗読したり。
ウィキペディアを見ると最後に九条の会の賛同者とあるのでおお!と思ってしまった。
1931年生まれとあるから現在は相当なばあさんになっている。
やっぱり飛んでいるのかな。

「本当の危機は、原発問題よりも、基地問題よりも、国民の意識の低さ!」
といった漫才コンビウーマン・ラッシュアワー。
が今日のFBをにぎわした。
「国民の意識の低さ」ってよく言った。
国民への挑発的な言葉だが、言われた国民は、よし、それじゃあ、と奮起してくれるかどうか。
笑いの中に怒りをこめたこの挑戦に奮起を望むのは俺一人じゃあるまい。
こういうのが国営に出てやってくれると面白いんだがな。

「げらげらに 怒りをこめる よくやった」
「その怒り 笑ってないで 奮起せよ」
「挑戦を 受けて立つなら まともだな」
「国民の 意識の低さ 絶つ笑い」ならいい
「国民の 意識の低さに 助けられ」1218

1735 ばかは丘の上で

5月号

「現代詩手帖」5月号
夢野久作について書いた評論「自然状態と脳髄地獄」が目に付いた。
書き手は由良君美。
当時の東大教養部の英語教師である。
卒論で書いたジョージ・スタイナーの「言語と沈黙」の訳者である。
ものすご稀覯本(きこうぼん)の収集者ということを後で知ったが、写真を見るとイケメン風。
お世話になりました。
この方については四方田 犬彦(よもた いぬひこ)が『先生とわたし』という題で詳しく書いているが非常な読書家でもあり結構変人?でもあったようである。
脱構築とか脱領域などという言葉を作り出した人でもある。
富岡多恵子の詩が載っている。
「人恋ぶし」という題でその中の、
「ばかは丘の上でつっ立ってるけれど 
 つっ立っているおかげで
 夕日が見える
・・・」
という表現は覚えていた。
ビートルズのFOOL ON THE HILL である。
「ゲリー・スナイダー」の訳詩も載っているが「ゲリー」でなくてせめて「ゲイリー」としてほしかった、もとは「GARY SNYDER」。
当時彼の詩集をちょっとかじりかけたがやめてしまった。
面白くなかったから。

支持率が不支持率を下回ったというNNNのニュース。
結構なことだ、37.8%。
支持しないは、45.3%。

「内閣で ばかばっかりが 立っている」
「丘の上 ばかの周りに 人おらず」
「支持率は 結局最後は 落ちていく」
「支持率が あるうちにこそ 改憲を」
「支持率よ 地獄の底まで 落ちて行け」1217

1734 劣悪政治

4月号

「現代詩手帖」4月号。
鈴木志郎康さんの詩。
「グングングン!純粋処女魂、グングンちゃん!」
というなんともな題の詩。
こちらは普通の詩のように分かち書きというか、文が行を違えずにだらだら続いていくのでなく、点や丸もつけて行を違えて書いてある。
この方が詩としては読みやすい。
内容は題の如くへんちくりんでグングンちゃんのお話みたいなの。
物語的な詩。
ファンタジックといえばそう。

加藤郁乎の「大鴉を寝かせる百八行」という詩もある。
「荒れるや」という詩集を出しているが当時は余り自分としては注意が向かなかった。
ペラペラめくってみていると書く人書く人やたら背伸びをしているような詩や評論が多いな。
少しでも現実に逆らう、突っ張る、飛び抜けるようなことばを使っている。
ような感じがする。
それが当時のはやり、トレンドだったのかも知れない。
今読むと、なんだか青臭い気もするのだが。
若気の至りだろうな。

オーストリアでは極右と組んだ連立政権の誕生だと。
ついに来るべきものが来たかという感じ。
難民を受け入れるかどうかと言うことが政治に大きく影響を与え始めた。
それもやはり「戦争」につながっている。
元々の居場所を居づらくさせる憎しみが戦争をもたらし、結果として難民をうむ。
犠牲者はいつも弱いものに行く。
あげく移住したところでは排斥され2重3重の苦しみを与えられる。
富の分配がいびつだからこういうことになるのじゃないか。
与党の税制「改悪」がおかしい。
生活保護費を削るってどういうことよ。

「戦争が 難民生んで 極右伸び」
「劣悪な 政治のせいで 富み栄え」1216

1733 治外法権

3月号

「現代詩手帖」3月号。
このころの詩人は皆同じく年取っているから今では80,90の人もいるわけだ。
どうしているのだろうという疑問が湧く。
既に亡くなった方も大勢いるだろうな。
この号に藤吉秀彦という人が書いた詩が載っている。
70年当時は自分は学生だったしどういう人かは知らなかったのだが、ずいぶん経ってから分かった。
我が県人であり、何と我が母校の小学校の校長となって現れたのだった。
近くに小学校があるのでよく姿は見たのだが、詩人らしからぬ風貌をしていた。
まあ余り書くまい。
このころの女性人気詩人「金井美恵子」も評論を書いている。
彼女も今頃どうしているのだろう。

オキナワの部品落とし。
何それ。
部品は返して調査は出来ない。
治外法権もはなはだしい。
明治時代か。
取りに来るまで返すな、そんなもん。
黙っている政府のポチぶりはどうだ。

「落とし物 主が分かって 返すだけ」
「前時代 治外法権 今もあり」
「オキナワは どこの国だよ ねえ総理」
「国民を 守ると言って 守らない」
「空までも 米のものかよ この国は」1215

1732 忖度議員

2月号

「現代詩手帖」2月号
吉増剛造の「古代天文台」という詩が載っている。
このころから吉増詩に対して興味を抱くようになった。
言葉が走っているというか、疾走、疾駆しているのが特徴の詩だった・
オリジナリティのある詩。
モーツアルトを聴くとああこれはモーツアルトの曲だと分かるようにああ子の詩は吉増の詩だなと分かるような書き方だった、のだ。
第2詩集だったか「黄金詩編」はその当時バカ売れ的に売れて人気詩人になるのだった。
その次が「頭脳の塔」。
年に1冊ぐらい出たが出るたびに買ったのだった。
田村隆一は連載で「アメリカからの手紙」を載せている。
アイオワの大学に行ってたみたい。
田村の詩も面白かったのでよく読んだ。

今日は市議会の傍聴に行った。
総務委員会である。
請願書「核兵器禁止条約に署名するよう政府に働きかけよ」というのだが。
紹介議員の説明は論理明快で感動的でもあったが、聞いている議員たちの反応がてんでチョロかった。
のらりくらりのいちゃもんつけで終わったのだった。
あれでも心ある人間か。
反対のための反対で理由などなっていない。
単なるお上への忖度みえみえの意見だった。
ああいうヤカラが亜米を支えているのだと思うと情けなくなる。
主体性が全くない。
お上の言うとおり、お上には逆らうな、長いものには巻かれろ、アカの言うことは全て反対だ。
戦前に戻ったみたな議員ばかり。

「市民より 忖度議員 亜米大事」
「熱望の 声が聞こえぬ 保守議員」
「主体性 亜米の力に もぎ取られ」1214

1731 グッド&バッド

手帳1

今回から「現代詩手帖」の表紙
1970年の1月号から
ベトナム戦争が激しかった頃のもの。
この表紙はそのころ漫画界で知る人ぞ知る一部熱狂的ファンのいた「林静一」。
そして題字は赤瀬川原平。
この人もこのころ人気。
この題字部分には隠された秘密がある。
バックのもじゃもじゃした絵にあるのだが今回は種明かしはしない。
と言っても実物を見ないと分からないだろうから、言ってしまうと。
このもじゃもじゃの中に漢字4字が紛れている。
その漢字を捜すのは難しく、当時人に言われるまで気がつかなかった。
答えは「安保撃滅」である。
「撃」という字はそのままじゃなくて省略体みたいに書かれている。
70年安保を見据えてのことである。
さすがの原平さんであった。
ベトナム反戦と安保闘争がこの時代のトレンドである。
この題字が1年間続くのだった。
「ユリイカ」とは書き手が少し違うが中には両方に顔を出してる人もいた。
今号の詩で当時の度肝を抜いたのは「帷子耀=かたびらあき」という15才の少年の詩。
現代詩手帖賞を取った後の第1作。
題は「ふる卵のヘリで遊べない朝までは」。
その2,3行を書き出してみると、
「さしのべられてこよなくはぜるさざれ波すえ恐ろしくひょいひょい
と盲いのホンダワラの頭こなしてく大波小波そっと呼びとぽおん小暗
く見渡すかぎりにみじろがすジャック豆っ粒のはてなしはなしに」・・・
と1行30字の文字が8ページほど続く。
点や丸がないからただ文字が並ぶ。
斬新な作りといえば作り。
これを15才の少年が書いたというから驚きだった。
ちなみにこの方はペンネームであった。
ずっと詩を書き続けられたことはなく、今はどこかのパチンコ屋の経営者として実業家であるらしい。

また落下物。
伊方は差し止め。
バッドニュースにグッドニュース。
空を飛ぶものが常時、人の住むところを飛ぶなんてのがおかしいのだ。
それも学校や保育園とは。
多分本国じゃそんなところは飛んではいまい。

「飛ぶものは 落ちる落とすが 当たり前」と心得よ
「原発の 司法の良識 やっと出た」1213

1730 絶対悪

6月号

「ユリイカ」6月号。
表紙のガストン・バレの作品はこの号まで。
ガストン・バレという画家について調べてみようとしてネットで検索したが出てこなかった。
アルファベットでガストンは多分Gastonだがバレが分からない。
何となくフランス人ぽいがどうだろう。
それともアメリカ人?
鍵谷幸信氏が「パターソン誕生」という題で書いている。
ウィリアム・カーロス・ウィリアムの詩集のことである。
興味があったので読み始めたが面白くなかったのでやめた。
鍵谷氏は既に故人となられたが慶応の英文学の先生だった。
しかし他にも二つのことで知っている。
一つはジャズ評論家。
昔出ていた「スイング・ジャーナル」というジャズ雑誌にレコード評を書いていた。
或いはジャズ。レコードのライナー・ノーツなども書いていた。
もう一つは西脇順三郎の鞄持ちというか弟子というかそういう人。
西脇と一緒に飯食ったり、非常に近しい関係であり、西脇論などの著作もある。
西脇全集の監修もしている。
ウィリアムスを紹介しているように詩にも詳しかった。

原爆は絶対悪であるというサーロー・節子さんの言葉は重い。
誰が何といおうと悪なのである。
どこからみても悪なのである。
過去現在未来いつにおいても悪なのである。
ノーベルがダイナマイトを発明し、平和の為にと願ったが戦争に使われ悔やんだ。
それ以上に原爆=核は平和に対する絶対悪であるというわけである。
核の傘などというちゃちな考えなどの及ばない悪なのである。

「絶対悪 しがみつくのは 極悪人」
「核の傘 今じゃトラには 頼れない」
「核の傘 とは名ばかりの 核競争」
「条約を 結べぬ国は 共犯者」1212

1729 5兆円

5月号

「ユリイカ」5月号。
鈴木志郎康の連作みたいな詩で。
長文の散文詩。
というより短編小説風で「真説!近道伸行さんの危険」。
近道・・・に「ちかみちはのびてゆく」とかなが振ってある。
この近道さんのことは前の号でも載っていたのだが、この近道さんの読み方が「コンドームのびっきり」とか読まれて憤慨しているというもの。
詩の中身は、近親相姦的なことが延々と書かれているような幻想的なというかシュールというか暗い想像によるもの。
ちょっと読んでいて苦しくなるような。
大岡信「断章」はアンドレ・ブルトンの「溶ける魚」の訳詩。
こちらもシュールだが、読んでいて面白くない。
訳ということもあるだろうが、言葉が面白くない。

軍事費が5兆円というのは前からだが、毎年こんなに使って全く納税者としては気に入らない。
それも二流のミサイルだのを買うとか。
トラに奉仕してるだけじゃないか。
その金全部お得意のばらまきで北のキムにやったらどうだ。
おれたちゃ軍事費0でその分お前にやるよ。
どうだ
と。
まあ、軍事オタクとしてはそんな気は毛頭ないだろうが。

「5兆円 俺の金だろ 北にやれ」
「5兆円 ポンコツ集めて 大奉仕」1211

1728 軽薄な人達

4月号

「ユリイカ」4月号
「ブリキの太鼓」で有名なギュンター・グラスの詩が載っている、訳は飯吉光夫氏。
ノーベル賞受賞者だが近年自らがナチの親衛隊に入っていたという告白をし物議を醸したのだった。

今日は昨日に引き続き署名に回ろうと思ったが孫が来たので出来なかった。
BS放送が映らなくなったので、アンテナの位置と配線を調べたがどうも分からない。
この前アンテナの近くのもみじの枝を切ったとき、枝が配線に引っかかったのでその重みでどうにかなったのは多分間違いないと思うがアンテナ自体が壊れたのだったら最悪である。
買い換えなくてはいけないから。

やっぱり中東(イスラエル、パレスチナ)は、いっぺんに大変なことになった。
国連ではトラは非難されるばかり。
平和賞は今日だが核を持ってる奴らはみんな欠席。

「平和賞 核の所持者は そっぽ向く」
「平和賞 片や首都言で 殺し合い」
「軽薄な ひと言平和を ぶちこわす」1210

1727 しぇいむおんゆう

3月号1

署名集めに回った。
カンパをしてくださる方もいて感激。
留守のところが多かったのでまた明日にでも行ってこようと思う。

「ユリイカ」3月号。
大岡信の「断章」で文人のエピソードがいくつか書かれていて面白い。
ゲーテがある日シラーを訪ねると留守だった。
彼の部屋に入ると異様な臭気がした。
それは腐ったリンゴの腐った臭いだった。
奥さんによると、シラーは腐ったリンゴの臭いを嗅いで創作欲を高めていたという。
嘘かほんとか知らないが人それぞれの趣味や好き嫌いがあるものである。
とか、
芭蕉はホモだったことがある?とか、誰それは梅毒だったとか。
艶っぽい芸子の話だとか。

トラのひと言がさっそく死人を出した。
殺人罪で問われるべきである。
アベ二ホンは静観のかまえ。
静観は加担に値する。
トラには逆らわないというアホさよ。
トラの威を借るキツネアベ。
しぇいむおんゆう、アベだ。

「トラの威が 死人出しても 黙るアベ」
「静観を 決め込む三流 キツネ首相」
「遠くから 吠えるよトラが 怖いから」
「反トラに 向かう世界に 無言決め」1209

1726 壁とシェルター

2月号1

ユリイカ2月号。
特集が萩原朔太郎、未発表遺稿、などとある。
久しぶりに「月に吠える」の部分を読んだ。
 地面の底に顔があらはれ、
 さみしい病人の顔があらはれ、
・・・・
とか
「竹」の
光る地面に竹が生え、
青竹が生え
・・・
とか
それよりも表紙の裏に新潮社の「純文学書下ろし特別作品」の宣伝が載っている。
その定価が興味深い。
「個人的な体験」530円
「砂の女」470円
「燃えつきた地図」580円
「沈黙」530円
「輝ける闇」530円
今の値段の3分の1ぐらいか。

亡ジミン党がシェルターを検討し始めたんだって。
あおるあおる。
そんなもん、日本中に人口分なんて作れるはずがないし、効果もあるわけがない。
戦時体制を作る作る。
900キロミサイルも勝手に買おうとするし。
あおるあおる。
トラアベ連合はまさに戦時色。

「戦時色 好きな二人が 壁作る」
「シェルターで 1億人が 窒息死」
「シェルターと ミサイルアベの 守り神」1208

1725 川柳の会

1月号

「ユリイカ」1月号
植草甚一が漫画家のスタインバーグという作家の作品を絶賛している。
でもスタインバーグという名前は自分は聞いたこともなかったし、今もない。
個人的お宅趣味なのかとも思うが世界的には有名な人らしい。
その他、飯島耕一、長谷川四郎、岩田宏の散文詩。
この頃の詩作品は散文詩が面白い。

今月の川柳の会に出した作品。
「原発NO 自然エネへの 転換期」
「革命を 三度も叫ぶ 似非首相」
「保守が今 リベラルという これ如何に」
「爺婆は 戦争のこし 死なないぞ」
「子や孫に 残して死ねるか 戦争を」
「世の中に 武器を使って 平和なし」
「テロ国家 指定する国 される国」
「金がありゃ 武器で脅さず 金をやれ」
「戦争を しないと金が 回らない」
「お得意の 責任転嫁 またしてる」
「真摯とは 責任転嫁 することか」
「ありがとう ここぞというとき ミサイルを」
「ありがとう 俺の窮地に 一発を」
「丁寧も 真摯・謙虚も ためしなし」
「山間の 農業つぶして 国滅ぶ」
「にしてもだ 勝手に決めるな 俺の首都」
「マイアミに したるよ今後 キミの首都」1207

1724 名づける

DSC01069.jpg

「ユリイカ」12月号。
この巻の終わりに鈴木志郎康が「名付けることの発見」という題で書いている。
探検家クックがニュージーランドを訪れたときいろいろな新しい植物を採集したのだが、そこの湾を「植物学湾」と名づけた。
その他にも島や土地に名前を付けた。
それが今に至るまで通用している。
えらいこっちゃないかと言うわけである。
「ユリイカ」に大岡信が連載している「断章」というのがある。
先月号に書かれていたこと。
奇しくも同じような発見というか驚きが書かれていた。
なんにしても名前のないものに名前を付けることに不思議さ、驚異を覚えることがあると。
1440年代に作られたという「下学集」というのがあって、5世紀ほど前にどんなものがあって、それにどんな名前がつけられ、どんな字で書かれていたか。
それを眺めるのが楽しいと言われる。
その中にこういうのがあった。
「山女」と書いてなんと読むか。
うーん・なるほど・納得・にやり・なのだが何でしょう。
その形を知っているものならば納得の筈。
ほかの漢字も当てられているが、一つのものに対していくつかの書き方があるのは結構あるのだ。

現代にあって名づける物の数は昔に比べて減っているかも知れないが、まだまだ名づけられていない物はたくさんあるのだろう。
あるいは名づけないと成り立っていかない物もあるのだろう。
一般の個人が名づけに関わることは生まれた子どもの名前ぐらいか。
今時のいわゆるキラキラネームとか言われるものは何だか辟易するが、時代と共に変わりゆくものかも知れないから仕方がないか。
「山女」は「あけび」である。

「にしてもだ やめて欲しいな その名前」
「にしてもだ 勝手に決めるな 俺の首都」
「マイアミに したるよ今後 キミの首都」1206

1723 前のめる言葉

ユリイカ11

小学校の評議員ということで授業参観のあと懇談をしてきた。
現役の頃は評議員の訪問・参観がなんだかあまり好ましく思っていないというか鬱陶しかった覚えがある。
自分がなってみるとやはりそう思われているんだろうなと思ってしまう。
まああまり角の立つようなことは言わないが良いに決まっているので言わないが、日頃思っていることを言う。
二ホンの教育の問題は学力についての思いが一律的であり、テストでいい点を取る、大学入試に向けて記憶中心の学習をずっと迫られることであろう。
じゃなくて、テストも○×式でなくて或いは選択式でなくて記述式のテストをするべきである。
外国ではそれが主流。
このごろ大学入試にマークシートで選択式でなくて記述式の導入がはかられようとしている。
丁度今日の新聞にそのことが出ていた。
今日の子どもたちは、授業を終わっての反省の弁を自分の言葉で表現していた。
日頃も1時間の学習で学んだことを他の子どもたちに言葉で伝えようとする活動を続けているというので、大賛成だと言っておいた。
何しろ5人ばかりの全校児童の学校、この小ささがそのことを可能にしている。

今日の「ユリイカ」11月号。
このころ好きだった富岡多恵子の詩が載っている。
吉増剛造や三木卓もあり、稲垣足穂もある。
ちょっと懐かしかった。
吉増の詩「渚にて」抜粋
渋谷を
黄金の笹舟が静かに漂流している
悲しい
渚だ
ここでぼくが歌いだせば凄まじい高音が飛びちる!
渚、女の美しい名前でもある渚、その見事な曲線を象徴として
歌を封鎖する
・・・・
・・・・
突然
夏の
大道に立っていたのであった
田んぼの一本道じゃあるまいし、またなんたる爆音、赤いシャツきた百姓め!

(自分は)吉増の詩には後でまた引きつけられるのであった。

「その言葉に 同化していく 青春」
「意味もなく 走る言葉に 同化する」
「精神も 言葉も走っている 若さ」
「前のめる 言葉と意識 はあはあはあ」1205

1722 血と騒擾

s-ユリイカ10

へんちくりんな詩を読む。
「ユリイカ」10月号を引っ張り出したのでその中の一編。
鈴木志郎康「飛入飛抜さん!無水プールには何が満ちてる?!」
鈴木志郎康という詩人はこの当時の人気?詩人だったのだが、この詩は13ページに渡る上下2段組で文字はびっしりで短編小説風の散文詩である。
名前の紹介から始まって次々とシュールな情景が活写される。
最後は血のプールやら断頭台やら性交のことやらシュールに加えて不条理さも一杯となって終わる。
70年代の空気に合っていたのだろうか。
血と騒擾の時代だった。
ような気がする。
鈴木志郎康さん1935年生まれ。
当時NHKのカメラ部にいた。

「騒擾の 中に流れる 血の熱情」
「血よ騒げ 若気に時代が 追い立てる」
「棍棒が 殴りかかった 時代もある」1204

1721 スーパームーン

s-9月号1066

今日はもみじの木の剪定。
10時頃から4時半過ぎまでかかった。
剪定した枝は薪ストーブの所有者にあげた。
腰が痛くなってしまった。

夜はEテレでブラームスの交響曲三昧。
エッシェンバッハ指揮で4番から。
4番は出だしが好き。

「ユリイカ」9月号。
植草甚一氏がある「入歯」に関する本を読んでのことを書いている。
大統領になったワシントンは入れ歯だった。
そのころの技術はまだ未熟で彼は歯痛に苦しむ。
そして入れ歯にするのだが調子がよくなくていろいろ苦しむ。
彼は入れ歯のセットを6個か7個持っていた、とか。
ワシントンの肖像画をよく見ると下あごが突き出て見える。
これは入れ歯のせいである。
などと書かれていて面白かった。
このころの入れ歯は鹿の骨だったり、人間の歯だったりしたようだ。
上下は鋼鉄のバネで力を込めて口を閉じていないと開いてしまう。
なんてことがあったらしい。

「ブラームス 今宵極月で 夜が更ける」
「スーパームーン 濁世を癒す シムフォニイ」
「スーパームーン 酒とエロスと ブラームス」1203

1720 地方の暮らし

s-ユリイカ8

農業振興大会があって出席する。
最後に福島大学の先生の講演。
女性の農業への参加と活躍についてだった。
大学生に自分の出身地の自慢を話せというと、中山間の地方から来ている大学生は「地元は何もない」という。
何もないというのは都会の物差しでもって言うのであってほんとの地元のいいところを知らないのではないか。
という話であった。
地方から都会へ出て都会の会社に入って暮らすのがいい暮らしだと思っている。
今は逆に地方の暮らしに憧れて地方に移住する若者もいるのであるが、地方の若者の意識を変えたい。
というものだった。
都市生活の源を作っているのはまさに地方である、と。
電気も地方で作り、食料も地方で作る。
水も地方で山林から流れ出たのを使っている、と。
だな、そうだな。
水、空気、自然、あるのは地方である。

ユリイカの表紙を連載することにした。
今回は復刊第2号の8月号。

「みなもとは 山間地にあり 都会になし」
「山間の 農業つぶして 国滅ぶ」1202
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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