1780 亜米月食

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月が隠れて月食。(写真はお友達のを借用しましたーよろしく)
亜米もトラも隠れて欲しいものだ。
月食と違って永久にだ。
国営は詩織さんが来ていると知って突然放映を中止だとか。
Jアラートをしたことを職員のせいにして処分だとか。
下級の職員のせいでなくて一番上が責任だろう。
それよりミスったことで国民に戦争に対する構えを少しでも慣れさせたことで亜米はほくほくだろう。
もしかして国営もわざとJアラートを発したんじゃないか。
ハワイにミサイルと言う情報ももわざとじゃないか。
すべて慣れさせるため。
「戦争」が近づいていることをじわじわと慣れさせている。
ゆでガエル症候群じゃないけど気がついたときには戦争が始まっていたってことになるのかも。
亜米はいち早く一人シェルターへなんてことに。
きっとそんな準備もしているのだろう。
無駄なシェルターになるようにしなければならない。

「シェルターに 一人隠れて 戦争に」
「戦争は おまえらがやれ おれシェルター」
「Jアラート ミスでも結構 慣れさせよ」
「当人が 居るなら放映 中止せよ」0131
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1779 ミューズ

西脇順三郎の詩に。
   コリコスの歌
 浮き上れ、ミユウズよ。
 汝は最近あまり深くポエジイの中にもぐつてゐる。
 汝の吹く音楽はアビドス人には聞えない。
 汝の喉のカーブはアビドス人の心臓になるやうに。
・・・
というのがある。
「想像力」の主みたいのが、全然出てこなくて困ってしまった。
あまりに深く脳髄の奥に閉じこめられたようになって出てこないというわけだ。
うーん、早く出てきて欲しい。
・・・
と言いつつ書くネタがない今日を恨む。
浮き上がれ想像力。
浮き上がれ創造力。

床屋に行ってきた。
すっかり夏用の頭にされちまった。
でもこれはこれでいい。
頭すっきり、洗っても洗いやすい。
乾かしやすい。
夏になったらもう全部刈ってやる。
はげになりたい。
・・・
ようやくミューズが浮き上がってきた。
はげになりたい。

1778 ネルソンと九条

先日と今日とDVDを4つ見た。
アレン・ネルソンの「九条を抱きしめて」90分。
「戦争をしない国 日本」本編90分。
「戦争をしない国 日本」短縮版+伊藤真の38+22分。
「9条改憲って何?」憲法共同センター学習用ビデオ19分。
ベトナム従軍兵のネルソンの話は本にもなっているがビデオだとそのエキスが分かる。
彼が小学校で初めて講演をしたとき、子どもたちが最後に質問した。
「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」
彼はぐっと詰まって目をつむった。
なかなか答えられない。
数十秒して「殺した」といったとき彼の周りに子どもたちがきて「かわいそうなネルソン」といって涙を流したという。
もちろん彼も涙を流した。
ここから彼は人が変わったように戦争の悲惨を語るようになった、という。
あとの2本は戦後の日本の憲法をめぐる歴史、安保や自衛隊を巡る歴史が描かれている。
憲法が安保によってないがしろにされている状況がよく分かる。
これらを2月3月の集会で使おうと思うのだがどれがいいか。

「九条を 語ってくれる 帰還兵」
「九条を 知らないままの 日本人」
「九条を 目の敵にする 日本人」
「九条は 使ってこそ 意味がある」
「九条は 帰還兵を 動かした」0129

1777 リストのロ短調

寝るときにiPodで音楽を聴く癖がついてしまって悪い耳が余計に悪くなるかも知れない。
でも、麻薬のごとくやめられない。
今聞いているのは主にピアノ中心だが、女性ピアニスト「ユジャ・ワン」と「カティア・ブニアティシブリ」のCDを聞いている。
たまたま二人が同じ曲を弾いているのが分かったので聞き比べをした。
リストの「ピアノ・ソナタロ短調」である。
1楽章の出だしは、曲が終わったかのようなポロンポロンという弱々しい出だし。
しかし途中から力強くフォルテが入って低音部が使われているのでズドドンという感じのメロディとリズム。
ユジャの方は、おおらかな曲調と力強さが伝わる。
カティアの方は、きっちりとした感じで譜面通りという感じがする。
ユジャの方が若干好きな気もするがカティアもすっきりとした感じがいいと思うのでどちらに軍配を上げると言うことは出来ない。
にしても、リストのソナタ。
超絶技巧を要求する難曲だが二人とも難無く弾いているところはすごい。

1776 憂いの力

年金者組合の新年会に行ってきた。
じじばばばかりの組合であるがジジババは元気がいい。
つらい仕事、労働から解放されて元気がいいのか。
じじばばだってそれなりにストレスもあるだろうが、やはり一線から退いた安堵感があるのかも知れない。
しかし、身の回りの情勢、自分に関わりのあるなしにかかわらず、を見ると非常に危ない現状にみな憂えている。
この憂いが力になるのだ。
じじばばの逆襲を期待したい。

「じじばばの 憂いの力 世を変える」
「これからが じじばばたちの 逆襲だ」0127

1775 署名と意識

3000万署名の協力文書を作るのに手間取ってしまった。
ワード文書などメールで添付して送ると行(ぎょう)がずれたりして見にくい。
pdfファイルにすればいいのであるが、添削するときしにくいという欠点がある。
枠などを入れるとさらにずれたりして見にくい。
いろいろやってみて勉強になった。
もっと強く訴える文をものしたかったがどうも一般受けするみたいな感じになった。
2月に新聞折り込みや全戸配布をもくろむ。
意識の高い市民よ、数多く寄せてくれ。
と願う。
そして、待っているだけでなくて集めに回る活動も最大限必要である。
ということで、総決起集会なるものをやる予定だ。
意識を高めるにはこちらがより一歩踏み出さねばならない。

1774 川柳会

川柳の会をした。
1月の提出分。
あまり気に入ったのがない。
・平和賞 核の所持者は そっぽ向く
・軽薄な ひと言平和を ぶちこわす
・条約を 結べぬ国は 共犯者
・主体性 亜米の力に もぎ取られ
・オキナワは どこの国だよ ねえ総理
・空までも 米のものかよ この国は
・国民の 意識の低さ 絶つ笑い
・国民の 意識の低さに 助けられ
・九条の 傘を世界に 広げたい
・安保法 撃滅必定 亜米退場
・民主主義 賢い民衆 あってこそ
・明日はある 不断の努力 行えば
・無視されて 署名のペンに 当たる我

1773 感受性

茨木のり子という詩人がいる(いた)。
「自分の感受性くらい」という題の詩がある。
その最後はこうである。
  駄目なことの一切を
  時代のせいにはするな
  わずかに光る尊厳の放棄
  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ
・・・
ここでいう「駄目なこと」というのはもちろん「自分の駄目なこと」である。
自分の駄目なことを考えるとそれはみんな時代が悪いんだ、おれが駄目なのは俺のせいじゃない周りだ時代だというのである。
責任転嫁というか逃避というか。
それはわずかに残る自分の尊厳の放棄、すなわち自尊感情の放棄だと詩人はいうのである。
自分のいいところを見付けようとしないからそんなことをいう。
自分で自分を守らなくてどうするの。
自分のそういう感じ方ぐらい自分で守っていけよ。
・・・というのがこの詩の言いたいところなのだろう。
だが、この「駄目なこと」を自分ではなくて政治や経済、社会ととらえるとどうだろう。
政治が悪い、俺が就職できないのも政治が悪いのだ。
全くそういう政治をしている時代が悪い。
そういう時代に生まれたばかりに俺は損をしている。
いやいや時代のせいにはするな。
そんな時代にしてしまったのは誰のせいなのだ。
わずかにでも残る変えようという意識も放棄しているのか。
だったらその意識を少しでも働かせたらどうだ。
そういう気持ちや感情を捨てたら終わりだよ。
それは自分で気づくしかない。
自分で守るしかない。

まあどちらにしても責任転嫁や逃避はするな。
意識をしっかり持て。
ということか。
「国民の意識の低さ」のウーマン・村本を思い出してこんな読み方を無理にしてみた。
「おまえたちのことだよ」と「ばかものよ」は一致する。

1772 銀河鉄道の父

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門井慶喜「銀河鉄道の父」読了。
文字通り宮沢賢治の父親を主人公として賢治の生涯を書いている。
文体はやさしく軽い感じですらすらと読めた。
父子の葛藤劇、あるいは親子の憎悪を込めてやり合うような話かと思ったが、父親の威厳を持ちつつも慈愛に満ちた父親像を描いている。
賢治がやりたいことを時にはいさめ時には容認し、一歩下がって見ているようなところがある父親だった。
この前の澤田瞳子の「火定」は漢字も多く言葉も歴史的な述語が多くて読みづらかったが、なんとなく凝縮度においては「火定」の方が勝っていた、と感ずる。
直木賞は、自分では澤田に軍配をあげる。
まあ人の感受性はそれぞれだから、誰にやってもというところはある

1771 強弁

自衛隊は違憲だと多くの憲法学者が言っている。
だから違憲でないように自衛隊を明記して憲法を「改正」しなければならない。
というのが某ジミントウの言いぐさ。
泥棒が捕まって、俺を捕まえる根拠となる法律が悪いから法律を変えよ。
赤信号を無視して事故を起こした者が、俺は悪くない、赤でも渡れるように法律を変えよ。
殺人者が殺人は悪くない、殺人は罪にはならないように法律を変えよ。
強姦をした者が、強姦は悪くない、強姦は罪にはならないと法律を変えよ。
1+1は3と書いて、これは間違いでない、3でも正しいと認めよ。
・・・といってるようなものだ。
そんなちゃちな論理で憲法を変えるというのは言いがかりも甚だしい。
子どもの頭でも分かることだ。
何人いるのか知らないが3分の2強を超える人がいてそんな論理のおかしさを追及する人もいないのが全く恥ずかしいとは思わないのか。
人民をなめきっている。

「強弁と ちゃちな論理で 突っ走る」
「その答え 小学生でも 間違えない」
「元々が 成り立っていない 改憲案」0122

1770 署名街宣

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澤田瞳子「腐れ梅」読了。
京都北野天満宮の設立に関係するフィクションを交えた歴史。
まあほとんどフィクション。
菅原道真を神にして儲けようという市井の女の物語で一方は美女、一方は醜女という対比。
美女を表に出し醜女が策略し男を巻き込んで天満宮を大きくしていく。
美女の方は性病にかかりその行く末が危うくなる・・・
という話。
あまり詳しくは書けない。
資料を読み込んでのフィクションだが長編で読み応えがあった。

今日は久しぶりにスタンディング。
3000万署名の訴えを中心にスピーチした。
まだ観光客は少なく、寒いので市民もあまり外に出ないため、聞く人は少なし。
署名を訴えるも無視する人多し。
ウーマン村本の「意識低い」を実感する。
ので、2カ所目のスピーチではそのことを語った。
揶揄、嫌がらせみたいなものである。
一人の女性が署名してくれた。

「寒風に 街宣を聞く 人もなし」
「寒風の 空に消えゆく 熱き声」
「マイク持つ 手もはじかんで 人もなし」
「熱き声 むなしく空に 消えゆくか」
「無視されて 署名のペンに 当たる我」0121

1769 首

今日の新聞で痛快だったのは、トラがテレビの司会者として、素人出演者に「おまえは首だ」という定番の番組を持っていたという。
しかし今のアメリカ国民はトラにその言葉をぶつけたいのではないかという、記事。
日本にもそういうやつはいる。
やっぱりトラの友達だから類友か。
Shame on you,AB. You are fired.
にしても片隅に某ジミントーの支持率が数ポイント上がったって記事。
どーなっとるんだ。
やっぱり意識低いか、某国民は。

1768 シューマン

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シューマンという作曲家はあまり聴くことはないが、子どもの情景の中のトロイメライぐらいだった。
「池袋ウエストパーク」の最新版を読んでいたら「クライスレリアーナ」というのが出てきたので、聞いたことがないのでCDを取り寄せた。
マルタ・アルゲリッチ盤である。
これに子どもの情景の13曲全曲とクライスレリアーナ8曲全曲が入っていたので聞く。
クライスレリアーナはあまり面白くなかった。
子どもの情景は7曲目のトロイメライはメロディをよく知っているので面白かった。
1曲目の「知らない国々」という2分足らずの曲もメロディが楽しく面白かった。
このCDではこの2曲ぐらいしか面白くなかった。
ほかに2,3曲面白そうな曲もあったのだが1、2回聞いただけだからこれから面白くなるのかも知れない。
マルタ・アルゲリッチは60年代か70年代にぱっと出てきてその当時すごく人気だった。
このCDは83年の録音。
アルバムの写真を見ると何というおばさんぽい顔。
CD写真としては最悪でもう少し何とかならないものかと思ってしまう。

1767 読み書きパワー


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書くことというか書かなければならないことが3つはあるのに進まない。
それよりも読むことの方に流れている。
書くことは自分の内面からのパワーが必要だが、読書はあなた任せ的なパワーがあればいい。
書き出すとすいすいと行く方だがその書き出すパワーがこのところ不足している。
読書はいったん読み出すとパワーが持続するのか読み切りまで行かないとフラストレーションがたまってしまう。
積んである本は雑誌が3冊、単行本が5冊ぐらいか。
うーん、読書もせないかんし、書く方も迫っているし。
どーしよう。
図書館に予約までしてしまっている。
とりあえず、今ある本を読み終えよう。

ネットによると亜米って杉原千畝の千畝を読めなかったんだって。
ほんとかいな。
と思う今日この頃。
写真はMさんという人の1995年4月15日朝日新聞掲載の切り抜きを借りました。

1766 外交努力

太郎という外相のこのごろ、ちょっとというか大変変(たいへん・へん)。
北を圧力かけるように各国に要請だとか。
脱原発だったのに閣内に入ったら変えたとか。
マイジェット機は笑止だが、親父が聞いたら激怒だろう。
欲しければ自分の金で買って北なり中なり、米なり飛びまくって外交に徹しろ。
外相ならば圧力よりも外交努力だ。
話し合いの場に出させる努力である。
圧力で出てくると思ってるかも知れないが、子どものけんかじゃあるまいし。
亜米のご機嫌伺いもたいがいにして自分自身をよく振り返り外交のあるべき姿をよく考えろ。
と思う今日この頃である。

1765 火定

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澤田瞳子「火定」(かじょう)を読んだ。
直木賞候補になっていたが惜しくも逃す。
「火定」は奈良時代の話で天然痘を取り巻く話。
当時の医薬関係をよく調べて書いてあるのだが非常に強い感染力のある伝染病である。
物語はいわゆるパンデミックに陥ったことを題材に非常にスリリングに書き進められる。
はじめから終わりまで緊張感のある文体で息を継がせない。
澤田の本は「若冲」と続けて読んだが、どちらも読み応えのある作品だった。
今回の直木賞は、門井慶喜「銀河鉄道の父」であった。

1764 シット・ホール

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物議を醸しているshit hole。
肥溜めと訳されているみたいだが、その穴が下にあるのか人間の側にあるのか、自分は人間の側にあると思った。
まあしかし、トラもこれで終わりだな。
人品が最低である。
そんなモンを祭り上げている周りも人品が良くないということだ。
そんな人品の良くないやつと仲良くなりたいのは亜米ぐらいか。
どっちもどっち最低同士で仲良くすればよい。
また海外旅行に言った亜米。
よく二人で記念写真なんかとってるな。
恥ずかしげもなくというところが亜米の人品を表す。
またばらまきをしてくるんだろうか。
帰るときは泳いで帰ってこい。

1763 ユーライア・ヒープ

s-2ユーライアヒープ

「オール讀物」11を読んでいたら、目にとまったフレーズがあったのでそれについて書こう。
ユーライア・ヒープ。
まあ知る人ぞ知る70年代のイギリスのロックバンド。
彼らのアルバムの1枚をその時代に買ってよく聞いていたのだ。
オールに書いた人は高見澤俊彦という人、日本のALFEEというバンドのメンバー。
題は「音叉」。
自分はそのバンドも高見澤という人も知らないが、その高見澤が小説を書いていてその中にユーライア・ヒープが出てきたのだ。
その当時のほかのロックバンドの名前も出てきて懐かしい。
ムーディ・ブルース、キング・クリムゾン、もちろんビートルズにストーンズ。
自分が持っているユーライア・ヒープの1枚は日本のアルバム名で「対自核」。
LOOK AT YOURSELFをこう訳したもの。
おまえ自身を見よ、だ。
つまりおのずの真の姿に対してよく見よということか。
すごい題を作ったものだ。
小説の中では、倫社の先生がその訳を見て「対自」とはサルトルが「存在と無」で使った言葉でその存在の中心核を見よということでかなり飛躍しているが面白いという。
その題名通りの曲も中にあるのだが、一番長い曲「7月の朝」というのが特に好きだった。
この曲だけに針を落としてよく聞いた。
JULY MORNING。
YouTubeで検索するとそのどちらもあるみたいだが、その当時聞いたものと何か違う感じもしたがやはり曲は曲で同じなのだろう。
ライブ演奏だからそう聞こえるのかもしれない。
まあ、それはともかくこういう青春時代に聴いた曲に会うと気持ちがスリップしてしまうが、違った感慨も味わえる。
遠い宇宙から自分を俯瞰して見ているような感じ。
ユーライア・ヒープというのはイギリスの作家ディケンズの小説中の「デイヴィッド・コパーフィールド」のなかの登場人物名。
余談だがYouTube見たらこの曲をザ・ピーナッツが歌っている。
嘘だろうと思って聞いたら、まさにそれ、驚愕だった。

1762 意気込み

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しなければならないことがいっぱいあるのに前に進まない。
気力不足。
スランプというのはおこがましいがそんな気分。
ということで、昼寝をして気力回復を図ってみたが効果なし。
テレビを見ていたらだらだらと時間が過ぎてしまった。
女子駅伝があるので明日、前祝いじゃないけどそういう特集をしていた。
京都は抜群の16勝とかで圧倒的。
そして昨年は愛知初優勝。
その愛知のアンカー鈴木亜由子という選手。
たすきを受け取ったときは首位と600m差。
そして何人かを抜き去りついに首位に躍り出てそのままゴールという快挙。
なんだか見ていて涙が出てきた。
最後の笑いながらの(に見えた)ゴールはほんとに感動的だった。
明日の女子駅伝見よう。
我らの九条の会の活動もあの意気込みだ。
そして私の意気込みも鈴木選手並みになりたいものだ。

1761 若冲

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久しぶりに長編、澤田瞳子「若冲」を読んだ。
江戸時代の奇怪な絵を描く絵師、伊藤若冲の話。
若干フィクションのところもあるようだが、池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭などの知られた絵師も出てくる。
とくに市川君圭との関わりは重要な要素なのだが、史実的にはそういう関わりはなかったかと思われ作者のフィクションであろうと思われる。
奇怪な絵を書くことに至ったことは妻とのこと(これもフィクション)が大きな関わりがあるのだが、それに市川君圭が関わってくるのだ。
時代は江戸であるが、若冲、応挙、大雅などの絵師はみな京都である。
蕪村は俳句も有名なのだが絵師としても相当なもの(らしい)ということが分かった。
澤田瞳子は知人の薦めで読んだのだが最近作「火定」(かじょう)も面白いというので図書館に予約した。
まだまだ積んである本がいっぱいで減っていかない。
昨年はもう少しで1万ページに達するところだったが、最後息切れで行かなかった。
今年はまた挑戦である。
書くことと読むことは当分続けていかねば。
と思う今日この頃。

G市長選に6人。
そのインタビューで6人6通り、記者の書き方が面白かった。
~主張した。
~訴えた。
~提言した。
~説いた。
~話した。
~語った。
と語尾をみんな変えて書いた。
苦心の跡が伺える。

1760 郷土誌

今日はなんだか書くことが思い浮かばない。
新聞読んだり雑誌を読んだりしても浮かばない。
復刊した郷土紙誌を頂いた(といってもお代は払った)ので読んでみた。
郷土というだけあって書き手の人は名前の知っている人が多い。
肩書きも載っているのであああの人はそういう方だったのかと改めて分かったこともある。
文化の町らしく文芸も豊富、俳句に短歌に狂俳、演劇、小説、エッセイとあらゆるジャンルがそろっている。
郷土の歴史に興味を持って携わる人も豊富。
政治家もいれば商人、農家、お医者さんと多士済々。
復刊前の号は10号までだそうだが是非長く続けてほしいものだ

1759 無限20

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「無限」20号、1966年春季号。
特集が芭蕉と蕪村。
西脇順三郎が「梵」という題の詩を書いている。
その中に有名な「脳南下症」という言葉が出てくる。
最後の11行は「の」の連続である。
 でもこの手紙は不完全に終ったが
 邪欲を離れた神聖な乞食の
 酒盛に吹く
 笛のぐにやぐにやした音の
 夕暮のマラルメの牧神の夕暮の
 ミレーの晩鐘の黙祷の
 永遠の
 野の
 何も語らない音の螺旋の音だ
 すべては回転して
 終るのだ。

それと金子光晴との対談と山本健吉、寺田透、栗山理一、村野四郎、楠本憲吉との6名対談に望んでいる。
6名の対談の中でも西脇の発言が一番多いみたい。
芭蕉と蕪村では芭蕉の方がいいといっている。
蕪村は詩よりも絵の方がうまいのだと。
諧謔は芭蕉にあるけれど蕪村にはない。
詩は新しい関係を作ることにより諧謔が生まれユーモア、ウイットが生まれ面白くなる。
これはいつも西脇が言っていることだが。

「無限」という雑誌は昨日、一昨日のと合わせてこの3冊があった。

1758 無限46

無限46

「無限」46号、1983年7月発行。
29号に続き、特集が「花・西脇順三郎」。
西脇は前年の6月に亡くなっているから、この号は追悼号である。
巻頭に「無限」の創刊号に載せた「ポイエテス」が再録されている。
そのほか西脇を巡る様々な人たちの追悼文としての想い出が語られている。
読んでいて我ながら涙が出てくるものもあるし、私人としての西脇の日常風景が語られているものもあり人間西脇を感じることができ、おもしろい。
西脇の最終講義は1962年の3月だそうだが、その日の出来事を鍵谷幸信が書いている。
やっぱりいわゆる起承転結的な語りではなくて意識の流れるまま古今東西の名前や出来事が語られてどこで終わるのか分からないような内容だったという。
そして一日が終わって小宴会やら2次会3次会のようなことも鍵谷は書いているのだが、なんと西脇はその日のことをそのまま詩にしてしまったという。
題は文字通り「最終講義」、書き出しは、
 けやきの木がまたかれている
 先生の窓に梨色のカーテンがかかっている死の床の上で
 なければタバコを
 すわないと叫んでみても
 やはりあの古いネツケが吸いたい
 まだこの坂をのぼらなければならない
 ・・・
200行の長編詩となっている。
「豊饒の女神」に収録されている。
この号の表紙絵やカットは池田満寿夫がやっている。
西脇が亡くなった時のことを覚えているが、就職して10年目か11年目かの頃、訃報に接し、今後は西脇の新しい詩は読めないと思い非常に落胆し悲しかった。
それに変わることとして、その頃から西脇の詩集や詩論集などの初版本集めをすることが趣味になった。
「無限」はこの号で休刊、か終刊か廃刊となったようである。

1757 無限

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「無限」29号、昭和47年(1972年)発行。
西脇順三郎特集である。
366ページの大部な本である。
「桂樹切断」という220行の詩を載せている。
桂樹とは桂の木のこと。
この詩もまた散歩詩である。
散歩しながら古今東西の事柄が次々と出てくる。
ある言葉が次の言葉に連想しつながり次々と展開転回していくのだ。
植物、動物、鉱物も詩の題材になる。
意識の流れ的に詩人の脳髄の中から流れ出る言葉なのである。
その連結の仕方が西脇特有の詩的感情・ポエジーを生み出しているのである。

西脇に面識があった人たちのエッセイがあるが、金子兜太さんや外山滋比古さんも書いている。
外山さんは学生の時、集中講義でお話を聞いたことがあり懐かしかった。
中身は編集者として西脇のエッセイを頼んだら文中に「てにをは」のおかしいところがあったのでそっと直しておいた。
ある時、雑談をしていたら、西脇が自分の書くエッセイに面白くしようと思ってわざと「てにをは」を変えて書いておくと、編集者が直して書いている。せっかくおもしろくしようと思って書いたのに苦心がだめになる。というようなことをいわれ、自分の過ちを知ったのだった。自分の卒業論文はチョーサーについてだったがこれは西脇の影響によるものだと、などと書かれている。
金子さんは西脇の「淋しさ」「淋しき」とか淋しいを連発する詩人について書いている。
淋しさと哀愁、それに諧謔が西脇の詩の神髄なのだ。
最後の編集後記には鍵谷幸信の秀逸な文が載せられている。

1756 微力≠無力

行くのは私ら

今日は地元の成人式。
天気に恵まれてありがたかった。
会場のエントランス付近で3000万署名の訴えをする。
彼らは式のことであるいは友達と会うということで舞い上がっていてそれどころではない感じで改憲だの戦争だのという話は真剣に考えることは困難に見えた。
自分がそうであってもやはり同じ気持ちだろう。
が、めげずに訴える。
例年通り2カ所でやった。
式典が始まる開会の前の早い時刻と終わってから出てくるところ。
時間差があるので途中で昼食や図書館で時間をつぶしたりした。

夜のテレビ。
池上彰氏が核兵器や禁止条約のことなどを解説していた。
被爆国であるニホンがなぜ禁止条約に賛成しないのかも解説した。
アメリカに忖度しているとずばりだった。
最後に被爆者の言葉を持って今後の展望を語った。
「私たちは微力ではあるが無力ではない」

1755 無知に鞭

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「都市」4号、1970秋版。
この雑誌は季刊であったが、この号でストップしている。
やはり西脇順三郎の詩が載っている。
というか、編集者からすれば常連なのであろう。
「橋上」という題を持つ詩。
散文詩であるが、自分流に名付けて言えば散歩詩。
西脇が日頃の散歩道において感じたことを書いている。
にすぎない(というのは西脇流の言い方)。
東京にある地名が詩的に変換されているところが面白い。
イイグラ、マメタ、マミアナってどこのことだろう。
「十番」は麻布十番、「一ノ橋」というのは「一橋」(ひとつばし)
「サンデン」とは「三田」のことだ。
慶応大学がある、西脇は慶大教授だった。
「サンデンの杏壇」というのは「三田の教壇」のことだろう。
そこへインドス川やメソポタミヤ、チグリスなどの古代地名が出てきて現代と古代が入り交じる。
・・・という西脇節の詩の一編であった。
面白い。
最後の4行はこうである。
 あせばんだ麻布芸者の地獄の花のシャンソンか
 海潮はかすかにまださしてくる
 ボラ釣りの
 瞳孔のたそがれか--

亜米の年頭所感はとんでもないものだった。
改憲をしていくことを述べたのだ。
相変わらずだけど99条を全く無視。
おそらく知らないのじゃないか。
無知無恥無智に鞭だ。

1754 強力なボタン

s-都市3

「都市」3号、1970夏版。
「我突入す 最後の陸軍特別攻撃隊」という文を大岡昇平が書いている。
この時分彼は生きていたんだな。
8月13日に特攻として飛行機で行ったことが写真付きで出ている。
ほかに西脇順三郎と石川淳の対談「雑談」が載っている。
少し読み始めたが長かったのでやめた。
また後で読み直そう。
ほかに谷川俊太郎、石原吉郎、大岡信、埴谷雄高、村野四郎、石垣りんなどが書いている。

北のキムがボタンは机の上にあるという。
トラは負けずに俺のは強力だと言ってみせる。
ボタンに強力なのがあるのか知らないが、相変わらず子どものけんか並みだ。

キムは南北会談OKと出した。
トラは俺が圧力かけたせいだと威張ってみせる。
やっぱり子どものけんか並みだ。
その子どものけんかにまじめにつきあっているのが我らの亜米。
意識低いなー。
Don't you think so?

1753 地獄篇

s-都市2

「都市」2号、1970春版。
詩4編、鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明、太田一郎。
最後の太田一郎という人は知らない人だな。
そしてエッセイとして鍵谷幸信、由良君美、西脇順三郎の文が。
西脇の文は詩集「壌歌」からの文であるが懐かしいので引用する。
わが地獄篇 西脇順三郎
人間が地球という一つの天体の上に生活している
以上宇宙という一つの永遠の世界の中に生活してい
ることになる。そうしたことは人間にはどうしよう
もない宿命であって陶淵明のいう窮達である。古代
のギリシア人のいうto chrenである。永遠の世界
にくらべれば人間の世界などは瞬間的にすぎない。
そうした運命に服さなければならない人間の存在そ
れ自身は最高の哀愁である。
 そうした最高の哀愁は詩の世界では最高の諧謔で
あり最高の美である。
 人間の生存価値をみとめる人間は高慢で常にたた
かっている。藜霍の世界に生存価値をみとめる人は
最高な人間性を示している。
「ホーマーとヘショッドの論争」の中でホーマー
は、死の宿命をもつ人間にとって何が一番良いこと
かと問われた時、「地上にすむ人間にとって一番よ
いことは生まれないことだ、もし生まれたなら最大
速力で地獄の門をくぐることだ」と答えた。
 地獄へおちた夢を見た。エンマは笑って言った--
「天国を望まない人間はめずらしいな-」「でも私
は地獄は天国への参道だと思ったからです」--「こ
のごろの地上の景気はどうだな、少し語ってくれな
いか。」そこで私は乞食という形態と放浪という形
態が人間の最高の生活であることを説いてから人間
生活の実情をくどくどと語った。

1752 グロテスクと美

都市1

正月3日ともなるともうすでに日常に戻ってくる。
のがこのごろの風景。
もう少しへんてこな変わったことは起きないか。
といっても日常のアクセントとなる事柄であって、天変地異とか大事故とか政変とかそういうたぐいのものではない。
「ユリイカ」「現代詩手帖」シリーズをやったので、思い出して「都市」という雑誌を倉庫から出してきた。
「詩を中心とする文学・芸術季刊誌」とある。
詩に関する本だったので買ったのであろう。
田村隆一の編集による。
1969年12月の発行。
やっぱり、というか、彼の周りの同時代の人が集まっている。
それでやっぱり吉増剛造だの鮎川信夫だの、加藤郁乎、入沢康夫、北村太郎、吉本隆明などが書いている。
それと西脇順三郎。
西脇は「近代芸術のグロテスク---ミロ・写楽・蕭白・芭蕉の諧謔性」と題してグロテスクと美の関係、そして芸術の関係そして諧謔と言うことに触れて書いている。
シュールレアリスムにつながる論考である。

今日は知り合いの女性教授から「ユリイカ」のフォークナー特集号とフォークナーの「アブサロム・アブサロム」を送ってくださりありがたかった。
論考も小説もやや難しそうだが読んでみようと思う。
そのことについてはまた改めて。

1751 二つのこと


教え子の同窓会に行ってきた。中学卒業以来40数年ぶり。
彼らは54,5歳になっていた。
当時の話に花が咲く。
やはり細々としたことを思い出す。
名前と顔が分からない子が2,3人。
でも聞いてみると当時の様子が浮かんできた。
挨拶を所望されたので、年をとってやることは二つあると述べておいた、。
一つは自分ことは自分でできるようにする。
年取っても自立が必要だと。
これからは子どもや社会に面倒見てもらえるような考えはやめるべしと。
もう一つは世界平和に貢献することをする。
平和な日本、世界を続けること。
戦争だけはやらない日本を残していくのだと。
一緒に出席したもう一人の担任も先輩だが大いに賛成してくれた。
今の世の中ほんとに戦争に向かっている。
亜米が無茶だと。
自分でできる活動でいいから平和に貢献したいといってもらえた。
さてその二つのこと特に二つめのことは彼らに響いたかどうか。
ちょっとしたクイズみたいなものを余興でやろうと思って用意していったが話している間に時間がなくなってしまった。
今の若い世代が政治にどれだけ関心を持っているかをはかるものである。
若いといってもすでに彼らも老年に近づいているのだが、俺らよりは若い。
せっかくなのでどこかでやりたいと思う。
似顔色紙を記念にいただいた。

「きみたちの 意識はどうだ どこを向く」
「年取って やること二つ 自戒する」0102
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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