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1897 嘘嘘うっそ

佐川不起訴ってどうなのよってかんじ。
虚偽答弁、改ざん、廃棄、隠蔽やってるのにだ。
もちょっとバーンとやるかと思ったのにまたもや肩すかし。
女性の方がびんびんに厳しいと思ったのにだ。
幹事長は素人がとやかく言えないと言ってるが反対だったらぼろくそだったろうに。
こうなったら検察庁を訴えるしかないかとブラックジョーク。
裁判所も同じだったら裁判所も訴えるかとブラックジョーク二乗。
こんな国に成り下がってしまったか。

あなたを守るためですよ、国民はみんな知っている。
嘘つきを守るためですよ、国民はみんな知っている。
守っているのが嘘をついているのですよ、国民はみんな知っている。
守られているのが嘘をついているので守る方も嘘をついているのですよ、国民はみんな知っている。
嘘をついている者を守らなければならないとは驚きです。
嘘をついている者もそれを守ろうとしている者もみんな同罪です。
嘘をついている者もその取り巻きも官僚もみんな同罪です。
だからみんな一緒に追放です。

「嘘をつく そんなあなたを 守るため」
「嘘つきが 嘘に守られ 大あぐら」
「この国は 嘘で政治が 大手振る」0531
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1896 読書残?昧

雨の日は読書三昧と行きたいけれどなかなかうまくいかない。
体調のせいもある。
昼間でも頭がボーとしていることが多い。
やっぱり老人性という言葉で片付けられるか。
余談だが垂乳根97歳はすることがないもんだから読書に没頭している。
新聞も読むしそこらへんにある活字媒体は何でも読もうとする。
子ども向けの戦時中の体験記を集めた本を5冊貸してやったらあっという間に読んでしまった。
こんなに年とってからあんなに読書をするとは思わなかった。
歳だから昔の小学校しか出ていないし、漢字の読み方もそんなに知っているとは思われないがとにかく読むのである。余談終わり
この間から読み始めた「ナチズムに囚われた子どもたち」という本も20ページぐらい読んだがそのままである。
今積んである本は今年中に読んでしまえるか疑問である。
当初は我ながらすごいペースだったがここに来て激減、ストップ状態。
やっぱり研究書ものや社会科学系などはどうしてもペースが落ちる。
物語系になると断然ペースが速くなる。
そういう本ばかりを読みたいが、そうも行かない。

「雨の日は 読書三昧 はずだった」
「雨の日は 本を枕に 居眠り三昧」
「読書好き 積ん読本が 増えていく」
「読みかけの 内容忘れ はじめから」0530

1895 喪失

通帳の解約をしようと思っていったらはんこが違うと言われて、再度違うはんこを持って出直したらまたまた違うと言われて愕然。
何時間も無駄足を踏んだ悔しさだった。
にしても正しいはんこはどこ行った。
矢張り紛失したのか。
銀行では喪失というらしい。
こちらは心まで喪失した気分だ。

亜米にしてみれば真実を語る心は喪失したらしい。
話のすり替え、ずらし、ごまかしなどまさに悪知恵の宝庫。
嘘のデパートである。
関係していればやめると言ったのは金が絡んでいればということだったと、後付けの狭小化である。
ああ言えばじょうゆうじゃないけれどああいえばこう嘘の亜米である。

「ああ言えば こう嘘をつく 手練れもの」
「嘘つきが 政治牛耳る 恥日本」
「真実を 語る心の 喪失者」0529

1894 泥沼

今日は泥沼に足を突っ込んで四苦八苦。
いわゆる波板を使って田んぼを仕切る。
水管理をよくするためのもの。
水を抜いて乾きかけた田んぼは泥が堅くなりかけて、足を入れるとセメントみたいにまとわりついて離れず。
足を抜こうと思ってもなかなか抜けない。
おまけに右足の捻挫がまだ痛み、抜こうとすると激痛が走る。
というわけで20mほどの長さの波板を1時間くらいかけてやっと設置した。
見渡すと鹿ではない小動物の足跡が点々とある。
タヌキ系統か、ここら辺ではシグマというものかも知れない。
奴らは足が直線的であるから足を取られるなんてことはないのかも知れない。
国会はモリカケ問題をやっているが、もうかなり泥沼状態。
しかし、よくも足を取られずに平気でいられることよ。
「私は平然としている」といいながらいらついたり憮然としている様も。
まさにタヌキだ。
大嘘をついて化かそうという魂胆か。

「平然と 嘘もつきます 亜米タヌキ」0528

1893 講演会に向けて

熱かったので半袖で仕事をしたらひどく日焼けしてしまった。
風呂に入ったら腕と首筋が真っ赤でヒリヒリした。

6月がもう目前。
10日に行う講演会のチケットが1枚も売れていない。
お金をいただいてチケットを買ってもらうのはまずかったかなと思う。
映画だったらお金をいただくのはそんなに無理なく売れるのだが、講演会はお金を払ってまで話を聞こうという人はどれだけいるか、と。
で、チケットをさばくためにこんなことを思いついた。
知り合いに「ご招待」の印を押したチケットを送る。
ご招待だから勿論無料である。
当日そのチケットで入場した人の分は自分が払うことにする。
というもの。
自腹を切るのだから痛いけど少しでも人を集めるためには仕方ない。
その知り合いといっても行ってくれそうな人はなかなかみあたらないのだが。
講演者が若いので20代30代の若い人がいいのだがそういう知り合いもあまり多くない。
思案のしどころだ。

1892 トラファースト

トランプはやめると言ったその口でやっぱりやるという。
「誰でも駆け引きはするだろう」とはじめから駆け引きのつもりらしい。
そしてムン・キム会談も突然2回目。
転回に次ぐ転回。
メディアは振り回されている。
というか世界は振り回されている。
駆け引きというのは自分だけが一人勝ちでは許されないだろう。
お互いにゆずったりするところがなければうまくいくはずがない。
折れるところも見せなくちゃ。
トラはしかし自分に有利でなくては気が済まない質。
とにかく自分、自国ファーストだから、そこが今回の危ういところ。
まだまだ何を言い出すか分からないのがホントだろう。
実際の会談よりも前に半ば決着をつけてしまおうという魂胆。
あっちへふらふらこっちへふらふらはやめてほしい。
にしても亜米の態度は相変わらず。
トラがどうしようとトラのいうとおりするとおり。
主体的姿勢はない。
プーチンと話している場合じゃないだろう。

「駆け引きで 自分ファースト 振り回す」
「ちまちまと 揺さぶりかけて 得意顔」
「会談は ビジネスなのか トラ手口」
「トランプの カード遊びか 米朝会談」
「プーチンに 手なずけられて 秋田ポチ」0526

1891 大人の対応

また国民殺しとも言える法案が無理矢理通った。
国民の奴隷化だ。

昨日の遅くトランプの突然の中止騒動。
やんちゃな子どもに見える。
もっと大人の対応ができないのか。
恥ずかしい大統領だ。
てめえの気に入らないことがあるとすぐに切れる。
高校へ乱入して銃を乱射するやつに似ている。
武器を持ったものはそれを味方に何でも思い通りにできるという心理が働くのじゃないか。
核という絶大な武器を持ったものがそんな心理になっては困る。
トランプのようなすぐ頭に血が上るようなやつは一番危険である。
キムもキムだがトラもトラ。
キム以上の危険を潜ませている。
世界の終わり時計が少し前に戻ったと思った、ほんの一瞬のことだった。
また1分か2分進んだのじゃないか。
そもそも核を絶大に持つものがおまえは持つなと言うのがおかしい。
俺もなくすからおまえもなくせが正しい道だ。

働き方改悪にむかつきトラにむかついた一日だった。

「奴隷化が 進むよ今後 覚悟しろ」
「話し合い おまえが悪い 俺やめる」
「俺捨てる おまえも捨てろ 核兵器」
「俺捨てる と言えない 上目線」
「おまえには 捨てろといって 俺捨てない」0525

1890 国民殺し

TPPが衆院通過した。
農業分野に限らず大変なことだ。
種子法についてまた一つ知識を得た。
自分で育てた米とか野菜の種を来年それを種として使えないと言うことだ。
必然的に種の会社から買うことになるが、種会社も競争があって淘汰されていき、いずれはモンサントのような外国企業がそれを握ることになる、ということだ。
自分で作ったものを自分で使えないといういかにも理不尽なことを許してはならない。
古来からある日本の種もそのうち使えなくなるかも知れない。
食糧生産はまず種がなければ始まらない。
一番大本を押さえられたら戦争とか大災害とかがあったとき、食糧は生産することができなくなる可能性もある。
肥料、消毒などの農薬など農業に関する多くのものが外国に頼らなければ成り立たない国になりそうである。
遺伝子組み換えなどの野菜もどんどん入ってきて健康に対しても不安がある。
ということを国会では決めているのだ。
なんという横暴。
なんという外国依存。
なんというアメリカ依存。
なんという売国的。
なんという農民殺し。
なんという国民殺し。

1889 人権感覚

たまたま図書館で見かけた本「ナチズムに囚われた子どもたち」という本を借りてきた。
上下2冊の大部な本で字も小さく読み甲斐のある本である。
まだほんの出だししか読んでいないが、いかにもナチのやりそうなことである。
「優生保護法」というのによっていわゆる障害者などが断種などされる。
奇しくも日本においても同じ法律がつい最近まであったことに驚く。
しかもそれが戦後にできた法律であることにも驚く。
1948年~1996年まで。
ネットでいろいろ見ていると、その世界的な歴史も分かる。
かつての進化論を唱えたダーウィンの影響もかなりあるみたい。
白人の優位性を高めんとするようなもの。
障害者に対する彼らにかかる経済的負担を少なくしようというもの。
「人種」という言葉は差別語である。
ニホンに優生保護法を持ち込んだのは占領軍?
とか。
ハンセン病患者の隔離についてもつい最近までのことで関係法律がやっと破棄された。
この「優生保護法」によって断種や卵管手術などを強制的に受けた人が謝罪などを求めて声を出し始めた。
今日の新聞にも。
この頃の「人権」に対する意識の高まりによってやっとこの問題に日が当たるようになったのか。
法律を作った人、実行をした医師、そしてなにより一般の人たちの意識が今とかなり違っていたのだろう。
法律があるから当たり前みたいな。
怖いことである。
「人権感覚」というもの。
常に研ぎすまなければならない。
と思う。

「半世紀 近くもあった 差別法」
「法律に 人権差別が 隠れてた」
「恐ろしい 感覚の麻痺 誰にでも」
「研鑽を 積まねばならぬ 人権の」0523

1888 往生際

「そういう新しい獣医大学の考えはいいねと君が言ったから今日は亜米退陣記念日」かなり字余り。
愛媛県文書を否定し居直る。
どこまで往生際の悪いやつ。
あったことをないという自由さ。
あったことをないという民主主義。
合わせて「自由民主」党。
不思議な国だよ、ニポンは。
与党も与党だなあ。
だれも諫めるやつや、「もう辞めようよ」と言ってやるやつもいない。
良心というものがないのだろうか。
ないのだろうな。
親の顔が見たいくらいだ。
道徳性や倫理観を持ち合わせていないのに道徳を教科化するという。
政治家が教育に口出しをするのもいけないが、道徳性や倫理観のないやつが口だしするのはもっとだめだ。
と、前から言っているのだが。
政治家が道徳に口出しするのはもっと以前からあった。
田中角栄とか。
で、田中はロッキードで失脚した。
失脚して当たり前。
亜米はその2倍も3倍もたちが悪い、と思う。
検察も、大阪地検はやると思ったが、期待外れなことをしている。
検察まで亜米は手を回したか。
官僚に手を回し、司法にも手を回し独裁は完成しつつある。
わだばヒットラーになる、だな。
小選挙区制が悪い。

「居直って 知らぬ存ぜぬ 言い通す」
「鉄面皮 この期に及び 役に立つ」
「諌言を する人のない 独裁者」0522

1887 決定的

さてどう反論するんだろう。
愛媛から出された文書。
決定的ではなかろうか。
まだあがく党幹部。
まあ一蓮托生でそのときは一緒に消えればいいか。
何度も言うが「潔さ」が全然ない。
つまり道徳性も倫理観もないということだ。
そんな奴らに教育がどうのも語ってほしくない。
また語るのは憲法違反だ。
そうえいば入試に何たらという情報科目を入れるとか亜米の口から言うとは。
どこまで独裁気取りなんだろう。
と思った今日でした。

「ぼくちゃんの 嘘と悪事が 千里来た」
「嘘まみれ 厚顔無恥とは 亜米のこと」
「悪い例 一杯出して さようなら」
「あのように してはいけない 亜米の石」他山の石から
「顔むくれ 紅くもなってる 虚言顔」0521

1886 スタンディング

久しぶりのスタンディング、街宣。
五月晴れのいい天気でさわやか。
今回は隣町のスーパー前。
九条俳句問題を話題にしてスピーチする。
「梅雨空に 九条守れの 女性デモ」
を忖度して公民館広報に掲載しなかった。
2審も1審と同じく掲載しないのは、表現の自由の違反ということで原告勝利。
忖度と萎縮がある。
憲法を守るのは公務員の義務、その義務も逸脱しているのじゃないか。
総理と憲法とどちらが上か。
勿論憲法である。
国民は萎縮することなく憲法を守らせることが大事であると再認識。
憲法より総理がえらいと思っている国民が多いのじゃないか。
憲法が全く根付いていないと言うことだ。
総理や大臣や公務員は憲法の下僕である。
これを国民がしっかりと認識する必要がある。
という風なことを述べたのだった。

さて2審は出たが破れた側はどう出るか。

「萎縮して 忖度もして 馬鹿を見る」0520

1885 死の防波堤

注:バックナンバー1882でのせた写真は「週刊金曜日」5/11号の伊藤千尋さんの書いた九条の碑巡りのうちの一コマ。
案内した正法寺の九条の碑のことが写真と共に書かれている。

さて「死」のこと。
死は普通の健康人にとっては非日常的なことで普段は意識に登らない。
しかしニュース等を見る限り、実際はかなり日常的である。
この頃の死で特徴的なことは殺人による死。
このごろ異常に殺人事件が多いのではないか。
連鎖的とも言える異常さだ。
それもぱっと目には異常と思える殺人。
女児誘拐死、ネットカフェ死、集団殺人死、米ではまたも高校での発砲死。
一人の心理的作用による殺人死かも知れないが、そこに社会のひずみが隠されているとも言えるのではないか。
と、たいていの識者は分析する。。
被害者家族にとっては加害者に対する恨み辛みは最大最高になる。
それも「死」である。
と思う。
世の中の一般も加害者に対する厳罰を求める声は大きい。
厳罰=死である。
死は身近である。

戦争に目を向ける。
パレスチナでは連日のごとく市民の「死」。
加害のイスラエルに対しては報復の「死」を望む。
意識の中では戦争でも「死」が日常化している。
では、自分の身に「死」は迫っているのか。
いない。
身近で遠い「死」である。

さて、北が攻めてくる、と脅される、とする。
やはり黙って殺されるわけにはいかない。
と思うのも当然。
いや当然ではない。
ここが一番問題。
いくら攻めてきても九条を守って手出しをしない。
いや専守防衛によって少なからず反撃をする。
このどちらにするかだ。
手出し無しの意味は九条は専守防衛は言っていないということ。

専守防衛派は戦うと言うことだからそうなったら誰かは死ぬということだ。
相手の死もあるし自分の死もある。
殺したり殺されたりだ。

手出し無し派は相手の死はないけれども自分の死はあるということだ。
不公平に見えるけどそれをよしとするということだ。

九条を守れといっている派は多分この手出し無し派が多い。

さて、・・・・・

「死は遠い 遠いながらも 死は身近」
「九条が 死の防波堤 いつまでも」0519

1884 死んだ歴史の残したものは

ケチをつけるわけではないが「死んだ男の残したものは」の歌詞。
死んだ兵士は平和一つ残せなかった・・・について
いくら戦争で平和にしようと思っても平和にはならない。
残さなかったではなく残せなかった。
戦争で平和を守ろうと考えている亜米にはきつい皮肉である。
中東でのパレスチナ、戦争で平和は残らない実証。
イランもイラクもシリアもアフガンも。
断ち切るには世界中が戦争放棄の憲法を持つことだ。

死んだ歴史の残したものは、輝く今日とまた来る明日・・・について。
輝く今日はホントにあるのか。
また来る明日だけはあるにしても。
輝く今日は来ないんじゃないか。
輝く今日が来ないようにしているのは歴史修正主義者の亜米だ。
亜米にとっては輝く今日は改憲したら来るということだろうが、それこそが死んだ歴史と言えるか。
とすると、死んだ歴史の残したものは・・の歌詞は亜米のためにあるようなものか。
ひどい皮肉だな。
なのでこうしてみた。
死んだ歴史の残したものは暗黒の今日と暗黒の明日。

平和はだれが残すのだろう。
輝く今日と輝く明日はだれが残すのだろう。

「きょうあした 死んだ歴史は 残さない」
「戦争を したって平和は 生まれない」0518

1883 死んだ男の残したものは

1970年代ベトナム戦争激しき頃の歌。
昨日のブログの題名で思い出した。
こんな歌詞だった。
その当時はだれが歌っていたのか覚えがない。
時代を映す歌だった。
またそんな歌を歌う時代が来ようとは。
というか、世界的にはまだまだ戦争は続いているとしかいえない。
シリア、パレスチナ、・・・中東。
東アジアはどうなのよ。

今日は70年代のアイドルが亡くなったのだけれどそれにちなむわけではないが、「死んだ男の残したものは」を聞いてみる。
YouTubeで見ると様々な人がやっている。
異色なのはジャズサックスの坂田明。
しみじみと聞いてみよう。

谷川俊太郎作詞・武満徹作曲
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

「歌共に 戦争がまた よみがえる」0517

1882 死んだもの

s-金曜日

この国で死んだもの。
民主主義、
自由、
道徳、
個人、
政治的関心、
民衆、
正義、
平和、
憲法、
九条、
政治、
教育、

卑怯者、さらばされー。
我らは自由を守らないー。

「毎日が 世の末を見る 面白さ」0516

1881 憲法の本

s-図書館1

一昨日書いたように今日は医者巡り。
かかりつけの内科医院、耳鼻咽喉科医院、眼科医院と巡って午後は整体にいってきた。
百姓仕事も一段落して時間があるおかげであるが、こんな経験は初めてだ。
整体に行ったおかげで腰痛など体の節々が痛かったのが、ほとんどなくなって気持ちがよくなった。
といっても捻挫はまだ痛い。

整体の帰りに図書館に行った。
「憲法のこと」という特別コーナーが作ってあり、関する本などが並べられてあった。
絵本もたくさんあり、どれも秀作でありパラパラとめくってみてきた。
本当はじっくり見たいところであるが、とりあえず大体の本を見てしまおうと思って。
西郷南海子さんの「だれのこどももころさせない」という絵本もあってさすが図書館だと感心した。
今度する彼女の講演会のチラシもその下に張ってあってうれしかった。
図書館のこの姿勢は評価したいものである。

ついでに新刊本のところで見た「ナチズムに囚われた子どもたち」という本を借りてきた。
こういう本もいろいろ取りそろえてくれる図書館に感謝したい。
この本は上下あり上の方を借りてきたがどちらも380ページほどの大部な本である。
期限までに読めるか分からないが頑張ってみよう。

「憲法を 知れば知るほど 守りたい」0515

1880 鹿乱入

捻挫したところが痛いのを我慢して田んぼに入る。
田植え機で植えた後、植え残した場所がどうしてもできるのでそこに手植えで苗を植えるのだ。
どうにか昼前に終わっってほっとした。
夕べ雨が降って少し油断して電ぼくの電気を入れていなかったら鹿が田んぼに乱入していた。
足跡を見ると3,4匹入っている。
植えたばかりの苗を踏み荒らすのでこの時期注意をしているのだが、してやられた。
夕方見回りをして補強できるところは補強しておいた。
他にも直したいところはあったのでまたやることにした。
林道を作ったらその近くに設置していた鹿の防護網が外されているところが所々にあって鹿はいくらでも入ってこられるのが現状だ。
林道を使って間伐が完了次第その防護網を設置し直す予定だがいつになるか分からない状況である。
当分鹿との対戦が続く。
音や光を出す機械も買ったのだがまだ設置していないのであちこちに設置の予定。
あまり有効な策ではないと思うが設置だけはしてみよう。

「鹿乱入 踏み荒らされて 仕方がない」0514

1879 聴覚不全

ベートーベンの聴覚消失を気の毒に思う。
慚愧の念だっただろう。
作曲家でありながら音が聞こえないというのは不幸である。
自分がこの歳になってやはり聴覚に不全をきたしているのでその思いが痛烈に共感できるというわけだ。
昨日ホントに久しぶりにオーディオ装置を使ってCDを再生して音楽を聴いてみた。
昨日書いたバッハのCDである。
そしたら耳にボワンとした音が聞こえ高音を低音が邪魔をするような聞こえ方であった。
まことに心地よくない音が聞こえ非常にがっかりしたのだった。
こうなると補聴器に頼るしかないのだろうか。
いつも寝しまにイヤフォンで聞くのが災いしたのか。
でもイヤフォンで聞く音はそこそこ邪魔にならないいい音がするのだ。
悲しいし悔しいし残念である。
全く聞こえないことに比べれば聞こえると言うことはいいことには違いないのだが。
ちょっとこれは考えなくてはならない。
そろそろ医者巡りをしてこなくちゃならないかも。
耳鼻科で聴覚検査。
眼科で白内障の薬。
整体で腰痛肩痛捻挫調整。
内科で血圧の薬。

「整体に 耳鼻科に眼科 内科もね」
「病院を 巡って病 楽しむか」0513

1878 半世紀

イル・ガルデリーノのフルート

腰痛と捻挫通がなかなか治らなくて支障をきたしている。
捻挫はともかく腰痛はやっぱり病院だろうか。
困った。

スマホにそろそろ替え時かなと思って相談に行く。
今の携帯の料金を出してもらったら思ったより高い。
2000円は高いのだがホントにそうなのか、と思ってしまう。
で同じくらいの料金プランのをシミュレーションしてもらった。
使うのは電話とメールとカメラくらいだから今の携帯とほとんど変わらないのだが、時々地図アプリなどでナビに使うくらいと思う。
まあそんなにケチケチせずにすぱっと替えればばいいようなものをケチ根性がそうさせる。
2,3千円で使えるスマホはないものか。
あくまでケチ根性。

注文していたCDがやっと届く。
イル・ガルデリーノのフルートをフューチュアーしたもの。
合奏組曲2番、ブランデンブルグの5番、それに3重協奏曲である。
組曲2番の最終曲バディネリがこのCDのお目当てだったのだがなかなかいいので満足。
この曲はすでに50年ぐらい前にオーレル・ニコレのフルートですり切れるくらい聞いているのだが、今度のも負けず劣らず素晴らしい演奏だった。
フルートはヤン・デ・ウィンネという奏者、聞いたことがないが。
録音も深みとみずみずしさがあってとってもよかった。
このアクサン(ACCENT)というレーベルは録音がいいのが多い。
と思う。
この曲、半世紀前大学の寮のそばの高校の掃除の時間にいつもかかっていた。
好きな人がいたんだな。

「ああ至福 フルートの音の 半世紀」0512

1877 自然に帰れ

今日は頼まれた家の田植えをしてやる。
田んぼ4枚。
半日かかる。
いつものように田植え機の上は単調で眠くなる。
足を伸ばしたり立ち上がったり首を振ったり。
眠気を覚ますのにいろいろやってみる。
でもやっぱり眠たい。
にしても昔の機械のない時代。
眠りながらの田植えなんて夢のような話だろうな。
冷たい泥の中に裸足で入って、時折ヒルに食われながらの作業だ。
苦労が忍ばれる。
田起こしや代掻きもせずもみを直まきして育てる稲作もあるらしいが楽ちんだな。
農薬や化学肥料の害が言われるが、もっともだ。
そういうものを使えば結局悪循環で使用から抜けられなくなる。
この前書いたが種子法の廃止によって種が外国から入ってくるようなことになれば農業が農業でなくなるような気がする。
自然を人工的に作り替えて行くとそのうち自然からしっぺ返しが来るだろう。
もうそのしっぺが少しは来ているのかも知れない。
というか確実に来ていると言っていいだろう。
「自然に帰れ」は大事だがもうその自然が消滅しつつあるのかも知れない。
いったん失った自然は取り戻すのに数倍の努力と時間がいるのだろう。
原発事故はその最たるものである。
ということで思い出した。
ナオミ・クライン「これがすべてを変える」を読まなくちゃ。

「田植え中 自然はどこに 考える」0511

1876 拉致と参考人

事務局会をした。
10人のうち4人欠席。
チケットとポスター配布に時間がかかった。
あと1ヶ月どうにか100人は集めたい。

今日は柳瀬氏の参考人質疑。
会ったことは認めたものの報告はしなかったなどおかしな話。
相変わらずの忖度ぶり。
にしても質問者はもっとぎゃふんと言えるような質問はできないものか。
愛媛の知事には頑張ってもらいたい。

キムは拉致問題でなぜ直接話しに来ないのかと言ったらしい。
もう完全に見透かされているというか馬鹿にされている。
圧力首相が話し合い委員長にしてやられた感じだ。
あっちの若造のほうが一枚上だ。
虎の威を借って圧力圧力と騒いだだけの見苦しさが世界に知れてしまった。

「圧力と 叫んで拉致は もどったか」
「拉致返せ 直接言えない ポチ首相」
「何もせず 世界に恥を さらすだけ」
「拉致家族 無能首相に そっぽ向く」
「見え見えの 忖度をまだ 続けてる」
「ホウレンソウ 官邸庭には 生えてない」分かるかな?
「楽ちんだ 嘘つきOK 参考人」
「参考人 与党安泰 難逃れ」0510

1875 読書

s-itousann.jpg

このところ読書が進まない。
年初は調子よかったがここに来てガクッと落ちた。
田んぼが始まったことが大きい。
それに九条の会の活動の影響も大きい。
積ん読本もたまるばかり。
伊藤千尋さんの新刊「9条を活かす日本」という本が送られてきたのでそれもある。
なんとかせねばと思うがこればかりは時間がないとできない。
夜テレビをなくせばいいが夕食後そのそばに座るとだらだらとなる。
日記やブログも書かねばならないし、他の書き物もあったりするとそちらが優先となる。
雨の日はチャンスだがいざ向かおうとするとチャチャが入ったりする。
言い訳ばかりでやる気がないといえばそうかもしれないし。
やっかいな自分である。
今のところ寝床に持ち込んだ「世界」を寝しまに読むだけ。
それも2,3ページで眠くなる。
さて単行本、どれから手をつけようか。

「気はあるが 気が進まない 自分いる」
「やっかいな 自分動かす 手立てない」
「積ん読本 新刊でさえ 古くなる」0509

1874 川柳の会5月

今月提出は以下。
「大臣は 反面教師 そろってる」
「ひと月に 一度は寄こせ 年金を」
「物言えば 支持率下がる ばかりだな」
「この道を 暴走しての どん詰まり」
「記憶にない 記録にあっても 信じない」
「やってない 首相も言うから 俺も言う」
「道徳を 叫んでみたって この通り」
「美の国へ 逃げ込みほっと 息をつく」
「強引な そのやり方が 事故を生む」
「ぞっとする 旗だけ見れば 戦前だ」
「国民の 敵呼ばわりして 軍国主義」
「春の空 アホノミクスも 霞んでる」
「もう一度 飛ばしてほしい ミサイルを」
「ミサイルが なければ改憲 意味もなし」
「その一歩 歴史に残る 境界線」
「戦より 外交努力 勝利する」
「南北が 終わった後に 武器を売る」
「外遊は 武器を売るため 企業のため」
「武器売って 企業のもうけに 奉仕する」
「嘘つきは ネジを締めても 治らない」
「種子法で この国乗っ取る モンサント」
「この国を 守るどころか 明け渡す」
「憲法が 保障するのは 人の道」
「憲法を 壊して進む 獣の道」 
「九条が 世界平和の 出発点」
「山口が 山口違いで 生きている」

1873 ニュース作り

九条の会のニュース作りがいつも心にかかっていたが、今日やっと出来た。
なんとこれまでの最速4時間でできた。
でも少しずるをして裏側はネットのコピペが80%。
とにかく明明後日10日までに間に合わせたいということで。
切羽詰まってギリギリセーフだが、比例してというか中身はイマイチかもしれない。
7000枚のA4裏表印刷と封筒詰め400ほど、チケット100枚(400枚)とその切り離し、封筒の裏印刷400枚ほどが待っている。
4時間ぐらいはかかるだろう。
改憲問題対策法律家6団体連絡会の声明文にお世話になった。
この場を借りて感謝の意を述べておく。

「やるときは やるじゃないかよ 年の功」
「そんなもん チョロいもんだぜ 雑仕事」
「強がって まぐれと言われりゃ その通り」
「おれだって やるときゃやるぜ 口だけは」
「山口が 山口違いで 生きている」
「たたくなら 別の山口 どこ行った」
「レイプして よくぞ世間で 生きている」0507

1872 仲道郁代さん

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今日は仲道郁代ピアノリサイタルに行ってきた。
バロックから古典、ロマン、印象派へとピアノの歴史も振り返りながらそれぞれの時代の作曲家の作品を演奏した。
「月光」「月の光」「キラキラ星変奏」「プレリュード」「ノクターン」など知った曲もあり楽しく聴けた。
歴史のお話も興味深く聞けたが自分に問題発生。
耳の聞き取りが悪く発音がボンボンして80%くらいしか聞き取れなかった。
ということはピアノの音もそんな風に聞こえてボンボンして通常の音が聞こえなかったということか。
残念なことである。
いよいよ補聴器かと思うが、気持ちが進まない。
さておき、仲道さんすらりとした美形の人であの体でパワーもありフォルテのところはガンガン弾きまくりという感じ。
ドビュッシー「月の光」は柔らかな情感たっぷりの演奏。
ショパンはどうもお好きと見えて余裕のある弾き方?がうかがえた。
8月に名古屋でやるときはオールショパンだという。
ショパンの曲はあまり聴いていないのでこれからまた聴いていこうと思う。
ベートーベンの最後のソナタが3つ入っているCDを買ってきた。
サイン入りのおまけ付き。

「月光と 月の光を 共に聴く」
「五月晴れ フォルテピアノの 音高く」
「田の疲れ ピアノの音に 睡魔寄る」
「田の疲れ 演奏会で リフレッシュ」0506

1871 英語教育

一気に田植えをしたら疲労した。
頭も空っぽでトピックが浮かばない。
新聞見たら小学校の英語教育のことが出ていた。
鳥飼久美子さんの異文化理解でいいというのに賛成だ。
だれでもが英語でしゃべれる日本なんていらない。
しゃべれるには日常的に話す環境がなければ忘れていくのが落ちだ。
英語嫌いが増えて中学校ではじめからそっぽを向かれることが多くなるのではないかと思う。
英語という言葉の構造を知る。
英語で書かれた簡単なニュースやお話が読める。
日本に来た外国人と日常会話的な話が出来る。
ことができればいい。
高度な会話、すなわち内容が政治や学問的なことなどは専門的に学べばいい。

と、いろいろ試したが結局ものに出来なかった自分が思った感想である。
575はお休み。

1870 田植え

午後3時過ぎから田植えをした一枚だけ。
今年はだれも手伝うものがいないのでまさに一人でやるしかない。
約80aの田んぼを1時間半ぐらいで終えた。
一人でこんなに早くやれるなんて昔なら考えられないことだ。
昔のことを書こう。
まず家族がいれば家族じゅうの仕事だった。
苗田というところに作ってある苗を30センチくらいの高さの椅子に座ってむしるようにして苗を右手左手に一杯になるまで取る。
一杯になったら藁を二筋か三筋取ってそれで縛る。
何十個もたまるとひごなどに入れて植える田んぼまで持って行く。
田んぼではすでに田んぼの中に引いてある線に沿って植えていく。
一人4列か5列くらい。
家族4人だったら20列ぐらいが植えれると言うことだ。
でも大人は速く植えていくが子どもは慣れていないから矢張り遅い。
ので速さを合わせるために子どもは2列ぐらいをやることもあった。
ひごに入れた苗を3筋ぐらい取って次々と植えていく。
田植え長靴というものがない頃は裸足であった。
時々川ビルが膝下の足裏にくっついて血を吸っていることがあった。
田んぼ一枚植えたら次の田へ行く。
芭蕉「田一枚 植えて立ち去る 柳かな」
そういう風景が村中あちこちで見られ大勢の人が田んぼにいたものだった。
田植えは何日も続いた。
子どもでも腰が痛くなってまっすぐに伸ばすのがやっとこのくらい。
家族労働の重労働だった。
赤ん坊がいたりすると泉と言われる桶みたいなものに入れられて田んぼの脇に置かれていた。

1869 憲法記念日

発布されたのが1947年。
1948年生まれの身としては学年的には同級生である。
自分の身は100年は持たないだろうが、憲法君には是非100年はそのままでいてほしい。
少なくとも9条については100年だ。
そしてそれ以上だ。
メデイアそれも国営では特集もやっていたが何だか改憲派に与しているような気がしてならなかった。
時代に合わないからとか、現実にあったものにという若年層の言い方に違和感を感じる。
時代に合わせることってどういうことよ。
現実に会わないってどういうことよ。
戦争に加担すること、参加することに賛成できるのか。
格差の現実に苦しめられている現実がさらにひどいものになる、ということがイマジネーション出来ないのか。
もっとじっくりよーく考えてものを言えと言いたくなる。
あちらのプロパガンダに負けないこちらのプロパガンダが必要である。

「現実を 変えてさらなる 酷な道」
「憲法に より近づけて 幸な道」
「憲法が 保障するのは 人の道」
「憲法を 壊して進む 獣の道」 銃でも
「九条が 世界平和の 出発点」0503

1868 種子問題

種子法「改正」問題を新聞が一面トップで報じた。
なかなかである。
民間参入を許すというもの。
地方自治体では反対意見があり、地方の自民党議員も反対のところもあると。
民間参入といってもニホンの種子メーカーでなく、いわゆるモンサントなどの巨大企業であり、外国企業への門戸開放である。
これも亜米のしっぽ振りである。
食糧の元の元を握られてしまうということである。
いずれ自分も買っているコシヒカリの種が Made in USAなんてことになる。
モリカケ等でドタバタしているうちに与党の賛成で通過してしまったものである。
この事態は重大である。
ますます米への属国化が深まる。
食糧の元を握られるなんて国家の呈をなしていないんじゃないか。
戦争をするまでもなく戦争に負けたも同然。
国民を守るなんて言い草は通用しない。
種子法改悪問題を知らしめていかねばならない。
また請願か。

「食糧を 握られこの国 国じゃない」
「種子法で この国乗っ取る モンサント」
「国民を 守るといって また嘘だ」
「この国を 守るどころか 明け渡す」
「パン食を 押しつけ今度は 種を取る」0502
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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