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2165 報道官

中国外務省の女性報道官の名前は華 春瑩(ホァ チュンイン、か しゅんえい)と言うらしいが、顔だけ見るとなかなかに癒やされる(個人的な感想です)。
テレビでいつも出てくるたび、キビキビとしたその受け答えにはさすがだと思って見ている。
他にも外国には女性の報道官がいるが、日本ではじじいだけ。
そのじじいの受け答えの仕方と言ったら「木で鼻をくくった」よう、実につっけんどん。
今度は「あなたには答える必要がない」ときた。
報道官の役目を果たしていないどころか、明らかに知る権利の剥奪、言論統制であって憲法違反である。
一記者へのいじめと言えるだけでなく、国民への冒涜である。
官邸自ら憲法違反を地で行っている。
老害である。
やっぱり「大本営発表」としたいらしい。

「一記者に 大本営が 力ずく」
「一記者に 大本営が うろたえる」
「老害が 権力かさに 記者いじめ」
「突っ込まれ 答えに窮し 逃げをきる」
「突っ込まれ 答えに窮し 逆ギレし」0228
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2164 代替わり

代替わりが行われることになり、象徴が茶会をひらいた。
それに招待状をもらった人々が嬉々として感想を述べている。
その中でぎょっとなったのが某有名歌舞伎役者の「恐れ多くて感想などは言えない,云々。」
「恐れ多くて」とはいったい何様に対して言っているのだ。
それを流しているのは、他にもあったかもしれないが某国営放送だ。
象徴は象徴であり、「恐れ多い」存在ではない。
こういう考えを流布して国民をそれになじませようというのが国営の魂胆。
これはもう戦前の崇拝、強制崇拝と同じだ。
メディア上げての代替わり報道は要注意だ。
象徴の政治利用は戒めなければ。

「その感想 思い出させる 戦前を」
「象徴は 象徴であり 上下無し」
「とりたてて 戦前回帰を 流布すとは」
「嬉々として 感想語る 恐ろしさ」0227

2163 ピグマリオン効果

ある言葉を知った。
ピグマリオンという王様がいて、とても造形が得意でいろいろな石像を作った。
彼は自分で作ったある女性の像が非常に気に入ってしまい、その像に毎日毎日恋い焦がれるようになった。
神様がその像を人間にしてやった。
そして二人は結婚をして幸せに暮らした。
ギリシャ神話にある話だが、心理学でピグマリオン効果と言われるものがある。
指導者が学習者に対して期待を持って接することによって、学習者も期待に応えようとして成績があがる現象をいう。
時の総理は強い改憲論者だが、これに対して周りがそれに強い期待をかけているとすれば相乗効果で改憲が達成されるだろう。
かもしれない。
しかし回りの期待が薄ければそれは達成し得ないかもしれない。
沖縄の民意はすこしその期待をくじくものであった。
もっと強い期待のくじきはこの次の参院選である。
ピグマリオン効果を信ずるならばそうするしかないだろう。
と思う。

2162 狂人考

再度考えたことを書くが、「狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である」というチェスタトンの言葉。
狂人が持っている理性という物は一方的あるいは自分勝手な論理を振りかざすものである。
と理解すれば良い。
のではないか。
理性以外のあらゆる物というのは、真っ当な感情やエチケット、話し合いのルール、いたわり、経験知などのことである。
話し合いの最中に,相手の言うことを聞かず,ヤジを飛ばしたり、論点をずらして誤魔化したり、意味不明のことを言ったり、すり替えたりして、自分の言いたいことだけを一方的に言う。
のは狂人だというわけだ。
これまでに狂人がしてきたことは、人の言うことを聞かず,一方的に自分のやりたいことを強圧的に強引に決めてきたことだ。
沖縄がこういう風に思っていると言うことも聞こうともせずにやり遂げようとすることも狂人だからこそ出来ることなのだ。
狂人の支配による国はどうなるか。
多分滅びるしかないであろう。

「狂人の せこい論理で 国滅ぶ」
「狂人の のさばる国に 未来無し」
「わがままと 幼児思考が 国の舵」
「聞く耳と 小さな口が ない総理」
「そうだよね 聞く耳持てば 民主主義」0225

2161 県民投票

沖縄県民投票、反対が圧倒的は真っ当なことだと思う。
これは本土に対しての沖縄県民の思いでもあると思う。
スガが無視すると言ったが、そうした場合どうなると予想しているのであろうか。
本土はまだ知らん顔出来るというのか。
これをもし国民投票でやったらどうなるか。
逆転するかも知れない。
それをスガは思っているのだろう。
しかし、そうは思い通りにならないことを本土は示すべきだ。
今日は本県の市民と野党の共闘の会に行ってきた。
まさにここに向けてその意気を示さなければならないと思ったことだ.
要は人口の多い高齢者に切り込むこと。
そして保守を名乗るジコウ支持者を取り込むこと。
これには自らが勇気を持ってカミングアウトし反ジコウを明らかにすることだ。
そしてジコウの手口を喝破出来る経済政策をしっかり立てることだ。
戦争反対だのはもういい(よくはないが、二の次にして)、とにかく財政再建と格差是正の経済政策をしっかり立てること。
数字がバーンと口に出来ることが望ましい。
俺らはもう後は短い。
ここらで燃え尽きてもよかろう。
・・・と帰る道々思ったことだった。
相手は狂人だ。
だから簡単ではないということだ。

「この声で スガの頭を ひっぱたく」
「沖縄の 意思は本土に 向けられる」
「なめるなよ 本土の意思も 必ずや」0224

2160 糞

西脇順三郎は詩の中で「糞」という言葉を何回か使っている。
人間は大体毎日糞をする。
動物はみなそうだが人間だけ特別でもない。
赤ちゃんも100才の老人も糞をする。
男も女も糞をする。
あの美人大女優だって糞をする。
ミチコもマサコも糞をする。
昔、古典の時間に平安の頃かある公家が女官に恋をした。
しかしままならない恋だったので彼はその恋をなんとか断ち切ろうと考えた。
思いついたのは、女官のした糞をみれば幻滅するだろうと思って、あるとき女官のした今で言うおまる(昔はおまるで糞をしたという)を覗いてみることにした。
そしたらそれと察した女官がおまるの中に香を焚いて入れていた。
それで恋が断ち切れるどころか、ますます恋が募った。
という話。
大体日常会話の中で「糞」の言葉なんてなかなかない。
とくに男と女の間ではないに等しい。
「今日は糞をしましたか」
「はい、おおきな糞をしました」
なんて会話はゼロである。
医者にいって「糞」の話はするかも知れないがその場合は「糞」ではなくて「便」とか「大便」という。
「糞」そのものは会話にならないが、「クソ」をつけた言葉なら、相手を罵倒する場合などよく使う。
「クソ野郎」
「クソだわけ」
「クソあほう」
こんにち「クソ」を付けたくなる人物は山ほどいるが、一番付けたいのも考える暇もなく一人いる。
「クソ野郎」ではなく「糞野郎」である。
今日は西脇にならって「糞」という言葉を思い切り使ってみた。

「辞任して クソして寝ろよ 糞野郎」
「この頃は 出てくる大人 糞ばかり」
「よくぞまあ 集めたものだ 糞ばかり」
「この国は そのくせえこと 糞ばかり」
「糞大臣と 糞官僚の 糞答弁」0223

2159 保守と立憲

中島岳志「保守と立憲」という本を読んでいる。
その中に以下のようなチェスタトンという人の引用があり少し気になったのでコピーする。
チェスタトンという人名は初めて聞く名前だったがネットで調べると以下。
ギルバート・キース・チェスタトン(英: Gilbert Keith Chesterton、1874年5月29日 - 1936年6月14日)はイギリスの作家、批評家、詩人、随筆家。
この人の著作「正統とは何か」からの引用である。
 健全な判断には、さまざまの手かせ足かせがつきまとう。しかし狂人の精神はそんなものにはお構いなしだから、それだけすばやく疾走できるのだ。ヒューマーの感覚とか,相手に対するいたわりだとか。あるいは経験の無言の重みなどにわずらわされることがない。狂人は正気の人間の感情や愛憎を失っているから、それだけ論理的でありうるのである。実際、この意味では、狂人のことを理性を失った人と言うのは誤解を招く。狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。
この引用の後、中島氏は以下のように概説する。
「正気の人間の感情」を持つ人間は、自己に対する懐疑の念を有している。そのため、異なる他者の主張に耳を傾け、常に自己の論理を問い直す。「正しさ」を振り回すことを慎重に避け,対立する他者との合意形成を重視する。
 そこでは対話を支えるルールやマナー、エチケットが重要な意味を持つ。他者を罵倒し、一方的な論理を投げつける行為は、「理性以外のあらゆる物を失った人」のなせる業である。彼らは先人たちが社会秩序を維持する中で構築してきた歴史的経験知を、いとも簡単に足蹴にする。彼らがいかに「保守的」な言説を吐いていても、それは保守思想から最も遠い狂人の姿にほかならない。

これを読んでいて真っ先に思い浮かんだのは我らがABさんであるが、「狂人とは理性を失った人ではない」という言説にはちと迷うところがある。
ということは狂人には理性があると言うことなのか。
理性以外の物というのは、あとに中島氏が言うルール、マナー、エチケット、歴史的経験値のことなのか。
感情も入るのか。
ABさんには感情だけがあって理性も,ルールもマナーも、エチケットもないように思われるのだが。
いずれにしても「正気の人間」からは遠い人のように思える。

「ルール無視 おのれが一番 しかも嘘」
「嘘つきが 嘘と言われて 怒るだけ」
「狂人と 言われてみれば その通り」
「内閣の 狂気の沙汰は 嘘ばかり」0222

2158 忖度

政権への忖度が問題になっている折、またもやと思うこと。
統計の改変、偽装?もひどいものだが、来日する外国人への不適切な対応も忖度だと思われる。
辺野古中止の署名をアメリカで始めた人(ロブ・カジワラさん)に対して入管でしつこく問い詰めたとある。
こうなるとまるで思想調査。
政権に都合の悪い人物はみんなオフリミットにするつもりか。
もう一つの忖度は、官邸の記者会見における記者たちだ。
東京新聞の記者に対して嫌がらせを行う司会者。
1分半の質問中7回も妨害されるなど嫌がらせとしか思えない。
内閣記者会の面々はそれに対して何の抗議も行わないとはどういうことだ。
メディアの自死に等しい。
官邸の発表言うがままの報道だったら、戦前の大本営発表と同じだ。
A4の紙に書いてもらってそれを受け取るだけのような報道になってしまう。

「入管が アベにへつらい 何の得?」
「忖度が はびこる社会 世も終わり」
「(記者)魂を 抜かれて忖度 するばかり」
「官邸は 大本営か 言うがまま」
「官邸に おちょくられても 下を向き」0221

2157 多喜二忌

今日220は小林多喜二が虐殺された日。
逮捕後3時間あまりで殺されてしまった。
死体の映像は下腹部、大腿部など真っ黒けでむごたらしい虐殺跡だ。
これを見るだけで特高警察の無茶苦茶ぶりが分かる。
絶対に許せないことがこの写真から生々しく伝わってくる。
三橋敏雄「多喜二忌やまだある築地警察署」
という句がある。
戦後何年かたってもそこにある虐殺の跡。
そしていまだに特別秘密保護法などと言う治安維持法ばりのひどい法律が作られて存在している。
まさに逆戻りの時代。
治安維持法によっていまだその名誉などを回復しておられない人たちがいる。
国家に賠償を求めていまだに闘っておられるのだ。
戦後70有余年だ。
この国はいったい何をしているのだ。
と思う。

「繰り返す 秘密保護法 多喜二の忌」 
「忘れない 2月20日の 虐殺日」
「虐殺を して返しても 無実とは」
「その心 今につながる 秘密法」
「許さない 思想弾圧 多喜二の忌」0220

2156 当選気分

s-sanders.jpg

I'm running for president. I am asking you to join me today as part of an unprecedented and historic grassroots campaign that will begin with at least 1 million people from across the country. Say you're in
「私は大統領選に立候補する。あなたたちにこれまでにないそして少なくとも国中で100万人の人と一緒に始める歴史的な草の根キャンペーンに加わってくださることをお願いしたい。あなたもご一緒に」(拙訳)
これはバーニー・サンダースが今日発表したツイートから。
ちょっと嬉しいニュースである。
ちょっとでなくかなりかも知れない。
馬鹿みたいな日米コンビのうち片方がまともになったらこちらもまともになるかも知れない。
決断に拍手する。
もう選挙が終わって当選した気分になってしまった。

「バーニーの その勇断に 拍手する」
「恥ずかしく ない大統領を 選ぶ時」
「日米の アホバカップルの 消えるとき」
「立候補 したのにはや 当選気分」0219

2155 熱情

夕べはベートーベンの「悲愴」を聴いて寝た。
チャイコフスキーの「悲愴」の第1楽章の冒頭がこのソナタの冒頭部分と似ている。
今夜は23番のアパッショナータ「熱情」を聴いて寝ることにした。
前後の22番と24番も聴くべしと言うが、後に回そう。
ベートーベンのピアノソナタは一応全曲聴いたことがあるのだが、間をおいてそれぞれを聴くとまた新しい発見があったり、あるフレーズがそれまでは何も感じられなかったものが気持ちよく聴けたりと違った味わいが出来るので面白い。

2154 スタンディング

毎月恒例の街宣スタンディングに行ってきた。
天気がよくて雲もないほどだが風が冷たくて体が冷える。
出席者は少なくなって3人。
寂しいがやるしかない。
ああいう奴もいるんだということを知って欲しい。
という、この頃は悲愴な考えでやっている。
ということで今夜は「悲愴」を聞くか。
チャイコフスキーかベートーベンか。
スクリャービンにもあるらしい。

2153 西脇BOTより

西脇順三郎の詩やエッセイからフレーズを抜き出して流している人がいる。
時々見るが面白い。
西脇ファンはいるものだ。
ちょっとコピペしてみた。
・坊主の季節が来た 水仙の香りを発見したのは どこの坊主か。(近代の寓話「一月」)
・アポロンよ ネムノキよ 人糞よ われわれの神話は 茄子の皮の上を 横切る神々の笑いだ(宝石の眠り「茄子」)
・ロココの女 すきがあれば金をつめる 涙は薔薇と百合の間にこぼれる 心のくもりは宝石のくもり(旅人かへらず 九五)
・思ふまゝに遊べ、夜は馬をつないでゐる、黄色い星群は夕暮の星の車につゞいて踊り来る。その後から睡眠が暗い翼をひろげる。そして黒い夢がよろめいてはひつて来る。(Ambarvalia「Ambarvalia」)

2152 絶対他力

中島岳志「親鸞と日本主義」読了。
戦前の真宗教団が戦争協力に積極的だった(積極的にならざるを得なかった、あるいはそうしないとやっていけなかった)背景を追求した本。
そして、他にも文学者たちのそれと同じ行動に走った状況を書いている。
清沢満之、暁烏敏、金子大栄、曽我量深などの考えや発言。
特に暁烏敏の真宗におけるあるいは親鸞の弥陀における本願(絶対他力とも言っている)を天皇の大御心に同一化するという考えをとることによって時の政治状況に飲み込まれてしまうというところが戦争協力の大きな転換になったと言うことだ。(長いな)
倉田百三、吉川英治の文学も戦争翼賛であった。
戦時において宗教者がどう望むか、真宗教団がまさに翼賛体制に組み込まれていった過程がよく分かった。
そして、戦前の天皇制というものがいかに大きな影響力を持っていたか。
そして、権力者がそれをいかに有効に使っていたかもよく分かった。
現代における天皇の位置というものも少なからず戦前の○○を引き継いでいるのは注意しなければならない。
宗教の扱いを誤ると危険な方向に行ってしまうということを学ばなければならないと思う。

2151 古文書

古文書の会に昨日行ってきた。
初めてである。
なかなか読み進めるのが難しい。
先輩らはなんとか読み進めている。
専門の辞書まである。
くずし字辞典やそういうもの。
「申す」という「申」の字が今日は分かった。
「候」(そうろう)の字もなかなか読めないが癖があることが分かった。
少し漢文調の書き方もある。
言葉としてこれまで知らなかったのを一つ知った。
それは「頃日」(けいじつ)と読む。
文字通り(このごろ)という意味。
ついでに書くと、古文書とは関係ないが今日読んだ本の中で,新しい言葉を知った。  
「等閑視する」(とうかんしする)というので、意味としては(なおざりにする、無視する、ないがしろにする)というような意味。
まだまだ知らない言葉というのは一杯あるものだ。

「アベ一強 県民投票 等閑視」
「一強は 結果どうあれ 等閑視」
「許さない 民意切り捨て 等閑視」
「許さない 美ら海汚し 等閑視」0214

2150 宝島

昔の教員仲間の大先輩が亡くなられた。
80才を超えて次々とそういう方が亡くなられていく。
残念なことだがこればっかりは仕方がないことだ。
合掌。
夕べ1時過ぎまでかかって真藤順丈「宝島」を読了。
本年の1冊目、500ページあまりの大作だった。
沖縄の戦後を舞台にしたちょっとミステリー風の小説。
実際の歴史も踏襲しているので、瀬長カメジロウとか屋良朝苗とか、小学校へのジェット機墜落事件とかが出てくる。
基地闘争にかかわることも。
72年の本土復帰、核抜き本土並み、佐藤栄作、ニクソンなどなど。
本土のノー天気な状況とは裏腹にギリギリ、ピリピリした状況、苦節ぶりが描かれる。
とくに幼女や女性の強姦殺人、不公平な沖縄人と米人の関係、暗躍するスパイ、沖縄ヤクザの抗争など沖縄の戦後の暗い部分、黒い部分が圧倒的。
戦前、戦中の沖縄の過酷さは戦後も続いたし、いまだに基地のためその苦節は続いているということだ。
読後感はすっきりしない。

「捨て石は 戦前だけで 十分だ」
「返還は したけど苦節 続いてる」
「沖縄の 声を無視する 日と米」
「沖縄は いまだ戦前 続いてる」0213

2149 聞こえない

耳が聞こえづらくなっていろいろなところに不具合を感じる。
会議の声が聞こえづらいのはやはり一番つらい。
人によってはホントに聴きづらい人もいる。
ぼそぼそと話す人、早口の人、発音が明瞭でない人など、そう言っては相手に失礼だがわかり安い声の大きさと発音の明瞭さに心がけて話す人は少ないように感じる。
家族での会話もままならず2度も3度も聞き返すと嫌がられるので話したくない。
この間孫(3才)が来て孫との会話も若干ままならず孫がいらついていた。
「へんしーん」についていくのは世代間のずれを大きく感じる。
テレビの音も大きくしなければ聞こえないので、大きくすると嫌がられる。
のでテレビはあまり見なくなった。
でも結構見ているかも,小さい音で分かるものなどは、相撲など。
音楽を聴くのはもっぱらイヤフォンだ。
オーディオ装置で大きな音で聴きたいという願望はある。
今,テレビの音を専用のスピーカーにつないで聞くスピーカーが欲しいと思っているが、連れ合いがうんと言わないだろうからあきらめている。
連れは断捨離にはまっていて新しいものを買うのを好まない。
耳の方はいずれ補聴器を付けることになるだろうが、耳鼻科の先生と相談してからだ。

「聞こえない ふりして妻の 怒り買う」
「言わなかった 言ったでけんか 今日もまた」
「補聴器を 買う日が来るとは 知らなんだ」
「孫立ちション その勢いに 老いを知る」
「顔の上 孫暴れても 爺苦笑」0212

2148 怒りの日

よくもそんな名前で祝日を設けたもんだ。
そんな歴史的事実ががどこにある。
といつも思う2月11日建国記念の日。
アナクロ、大時代的、奉祝だとか言ってまさに天○制バッチリ。
戦前大好き人間、戦争やるやる人間、戦争やれやれ人間、戦争やるべし人間の考えることだ。
というわけで一年で一番嫌いな日だ。
怒りの日だ
ということでヴェルディの「レクイエム」から「怒りの日」を聴こう。

2147 元号制

代替わりになるというので平成がどうの次がどうのとうるさい。
これも策略のうちの一つ。
天皇をダシにして政治利用だ。
こんなものに熱狂させられてたまるか。
天皇主権の国ではないことを忘れるな。
元号はできるだけ使わないようにしている。
どこやらの銀行もこれからは西暦で行くと言ったが当たり前である。
m、t、s、hなど書かれている書面にも堂々と西暦を書くようにしている。
頭の中にある元号と言えば自分の生年であるが、それも書くときは西暦だ。
安政元年が何年前のことかは計算出来ない。
いずれ平成30年だって何年前か分からなくなるに決まっている。
そんなものに一喜一憂するような国民感情って不思議なもんだ。
というかダサいの一言だ。
平成が何に変わろうが時間はただ続いていくだけだ。

「元号で 天皇制に 慣れさせる」
「世界では 通用しない 元号制」
「それも又 政治利用だ 元号制」0210

2146 フォーレ

この前書いた(2143)「なき王女のためのパヴァーヌ」の作曲者はラヴェルであるが、感動したのはフォーレの「パヴァーヌ」であった。
フォーレの「パヴァーヌ」を「なき王女のためのパヴァーヌ」と勘違いしていた。
通常はメインテーマのメロディはフルートが演奏するのだが、そのフルートでやるところをヴァイオリンでする演奏が見当たらない。
いろいろな言葉で検索してみるが出てこないのである。
出てこないと余計に気になってしかたがない。
他に見るとピアノでやったり小編成の管弦楽でやったり、フルートとピアノの二重奏だったり、チェロでやったり、ギターでやったり、合唱の入っているものもあった。
合唱の入っている演奏もなかなか感動的で、合唱団に入っている友人にも知らせたいと思った。

2145 虐待の数字

世間にはいろいろな数字が出回っている。
統計を元にした数字だが、政府発表の数字は今んところ当てにはならないということがわかった。
それから毎月出てくる政権の支持率、これもインチキ、数の操作が行われていると感じる。
ここんとこ問題になっている子どもの虐待についてはその件数が5年前の2.8倍とある。
数にして8万人。
やはり恐るべき数字だ。
心理的虐待が5万7千。
身体的虐待が1万4千。
ネグレクトが7千。
性的虐待!が258人、なんと2歳の女児に性的虐待まである。
DVの相談が7万7千あまり。
ストーカーが2万人。
刑法犯は31万件ほど。
これは全体としては減少傾向とある。

子どもの虐待に対する児童相談所の役割は重要なところだが、職員らの対応はかなりきついらしい。
一人で何人も抱え込まなくてはならないなど手が回らない状態があると言う。
仕事に対する意識の向上もさることながら勤務に対する環境整備も非常に重要である。
虐待は個人の問題にしてはならない。
虐待等の数字が増えたのは政府・政治に責任があるとしなければならない。
学校の児童生徒の学級あたりの定員も以前から30人にせよと運動があるがモンカショは腰が重い。
というか財務省の腰が重いのだろうが、結局政権の意識が薄いということだ。
米百俵の精神はどこいった。
あれも口先だけだった。

「数字には その奥にある 悪覗く」
「虐待は 政治の無能が 因である 0208

2144 NG発言

大臣や政治家の発言というのは他の誰よりもニュース性に富む。
オフレコだと言って勝手な言い草をする人もいるがたとえオフレコでも言葉には注意を払ってもらいたいものだ。
「森羅万象」を統括する首相というのはどんなもんだ。
どうだ俺はこんな言葉を知っているぞと自慢したかったか。
「産まん奴はだめだ」とまたあの人。
これでクビにならない方がもはやおかしい。
国民を愚弄したり自分が一番だと思っているような人は即刻辞めてもらいたい。
「国民なめんな」である。

「またかいな パワハラセクハラ 腹が立つ」
「ひけらかす 俺が一番 森羅万象」
「しらけるぜ 神じゃあるまい 森羅万象」
「知っている 4文字熟語 出してみる」
「そうならば てめえで子ども 産んでみろ」
「つい本音 出たばっかりに たたかれる」0207

2143 パヴァーヌ

フォーレ作曲の「パヴァーヌ」という曲がある。
この曲を最初に聴いたのはジャズ版であった。
ヒューバート・ローズというフルート奏者のやったレコードであった。
美しい曲だと思った。
やはりYouTubeでいくつかの演奏が見られる。
やはりフルート奏者が主旋律を吹く演奏が多いが、ヴァイオリンでやるのもある。
どちらも素晴らしいのだが、あるヴァイオリン奏者(女性)が弾いたものでは、あまりの美しさ(悲しさといってもいい)にオーケストラの中の女性のオーボエ奏者が泣き出してしまったというのがあった。
それほど感情豊かにヴァイオリンが奏でたというわけだが確かに素晴らしい演奏であった。
多分悲しい思い出を思い出してしまって感情移入したのだろう。
悲しいことを思い出しながら聞くと誰でもそうなるだろうと思う。
音楽の力はすごい。

2142 川柳会2月

昨日書いた「フーガ・コン・パハリージョ」の作曲者はネットで調べたら分かった。
ベネズエラの作曲家で、ALDEMARO ROMERO アルデマーロ・ロメーロ。
この曲は、弦楽のための組曲 第一番からのもの。
ベネズエラと聞くと直近の情勢が疎ましい。
大統領派と暫定大統領派のいさかい、内戦にならなければいいと思うが。
他国の干渉もあり(といっても実力的、物理的ではないが)心配する。

川柳会2月をしたのでその出品は以下のようにした。
「労働歌 今や昔の 懐メロに」
「もうすでに 気候変動 待ったなし」
「消費税 億万長者は へのかっぱ」
「年金の 支給日まだか 指を折る」
「冬空に コルテス叫ぶ 女性デモ」
「2分前 世界の終わりは あとわずか」
「官僚に なったら天国 待っている」
「官僚の 作文読んで 嘘がばれ」
「官僚に おんぶに抱っこ 政治屋さん」
「薔薇色と 言ってる未来は とげだらけ」
「美辞麗句 裏の意味には とげがある」
「憲法を 無視して進む 辺野古基地」
「新聞が 隅にやられて 保守化する」
「実習生 辛酸なめて 憤る」
「人権が 二の次だった 実習生」
「この国の 印象落とす 実習制度」

2141 フーガ・コン・パハリージョ

寝る前とか早朝起きる前にYouTubeの音楽を聴く。
ユジャ・ワンとドゥダメルの音楽をよく聴くのでクラシック・ミックス・50というのを選ぶと彼、彼女らの音楽が次から次へと流れる。
このところ見つけたというか聞きつけた音楽の中で秀逸なのがFuga con Pajarilloという曲。
誰の作曲かは分からない。
組曲の中の1曲みたいである。
演奏スタイルはオーケストラをバックにバイオリンなどのトリオかカルテットかクインテットが演奏する。
二つのメイン奏者のがあって一つはバイオリンをメインにしたもの。
もう一つはハープをメインにしたもの。
どちらもそのバイオリン、ハープの演奏が素晴らしい。
超絶技巧でぐいぐいと引き込ませてくれる。
ハープをメインにした音楽というのはあまり聞いたことがないが,この頃ジャズでも上原ひろみがハープ奏者とのコラボをやっているがこちらも素晴らしい。
この Fuga con Pajarilloは題名からしてスペイン系だからおそらくドゥダメルに近い南米系かラテン系の作曲家の作品かも知れない。

2140 外国人実習生

たまたま国営のTVを見ていたら外国人実習生のある実態を暴く放送をしていた。
Eテレで7時からの番組。
ベトナム人女性たちのタオル工場での実態。
残業時間を当局に提供する紙面で改竄されていた。
生活環境がひどい。
彼女らは口々に、
奴隷的な扱いだった。
豚小屋じゃないか。
日本は来る前は文明の発達した素晴らしい国だと思ったが全然違っていた。
すぐに国へ返すとか脅された。
社長が怖かった。
勝手に職場を変わることも出来なかった。
云々かんぬん。
で、あるボランティアに救出されいまは4人共同であるアパートに住んでいる。
実習生でも賃金は最低賃金制度によってそれ以下になることはないなど改善はされているが、このような実態はあちこちにまだ残存しているのであろう。
画面で彼女らはそういう状況の人たちがいたら救出されるようにしたいと言っていた。
実習生たちの人権を二の次にしてはいけない。
雇用主の実態もこれから明らかにして人権よりカネを大事にするような人は厳罰に処して欲しいところだ。
身近にも実習生はいる。
注意して彼ら彼女らを見ていくことが求められる。
悪辣な雇用主がいることが恥ずかしい。
こんな番組をつくる国営のいいところもある。


「雇用主 日本の印象 おとしめる」
「実習生 辛酸なめて 憤る」
「人権が 二の次だった 実習生」
「この国の 印象落とす 実習制度」0203

2139 ニュース印刷

今日は九条の会のニュース印刷。
6500枚の裏表で13000枚を刷ったことになる。
印刷機の紙送りが調子悪く2枚になったりして白紙が出てそれを選り分けて再度印刷するなど手間がかかった。
結局刷り終わるまでに3時間40分ほどかかった。
郵送と手配りの封筒詰めをあいまにして、各地の配布の数なども確認して箱詰めにした。
2ヶ月に一度ほどのこの作業、原稿書きから編集、印刷まで結構大変である。
手配りで配布をしてくださるのも大変である。
一番の願いは読んでくださる人が共感を覚えてくださることである。
時々読んでくださった人からカンパが届いたりするからありがたい。
印刷の紙代だけでなく、折り込み代や郵送代もかかりけっこうな出費となる。

「印刷機 二枚送りで 手抜きする」
「共感が 増えるを願い 配布する」0202

2138 新世代

全部が全部じゃないけど一般的にと言う話だが以下のようなことを思う。
この頃若い世代が政治離れ、あるいは右翼的、あるいは保守的になってきたということ。
その原因は何かというと。
ネット。
ネットじゃないか。
と思うのである。
新聞や本もあまり読まれない。
つまりニュースは読まないか、チラ見するぐらい。
刹那読み。
現象を見てじっくり考えない。
そして寄らば大樹。
大きな方につく。
たとえ正しくなくてもみんながそうならという考え。
・・・詳しく調べたわけではない、系統立てて実証したものでもない、単なる直感である。
今の中学生や高校生に政治のことやニュースのことなどいろいろ聞いてみたい。

どうでもいいあてにもならないようなことを書いたが逆に言うとネットを使って若い世代を保守から逆保守にするにはどうしたらいいかを考えている。

「右傾化も 左傾化も今 ネットから」
「新聞が 隅にやられて 保守化する」
「右傾化は 新聞読まない 新世代」0201
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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