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2196 ピアノ・ソナタ

ベートーベンのピアノ・ソナタは32曲。
2人のピアニストの全曲盤を聞いた。
エミール・ギレリスとアンドラーシュ・シフ。
ギレリスは最後の32番は録音無しで全曲盤とは言えないが。
他に全曲盤ではないがいろいろなピアニストのを聞いた。
ピアノと言えばショパンだが,ショパンはピアノ・ソナタは3曲しか作っていない。
そのうち2番は3楽章に葬送行進曲が入っているので有名。
今の元号フィーバーにはこの曲を送りたい。
リストもピアノの名手だったと聞いたがソナタとしては1曲だけ。
そのロ短調のソナタは30分程かかるが結構難曲。
しかし何度も聴いていると癖になる。
ラフマニノフのピアノ・ソナタもいい。
ラフマニノフはピアノ・コンチェルトの2番が有名だがソナタもいい。
作曲者はだれでもピアノは弾けるので、ピアノの曲は誰でも作っている。
だからピアノの曲は無数にあるといってもいい。
だからまだまだピアノ曲は聴いていない曲が一杯あるということだ。
どんないい曲があるかまだまだこれからが楽しみだ。
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2195 モミ撒き

今日はモミ撒き。
いよいよまた今年の農作業の始まりである。
もみははじめに水につけておき芽だしをする。
いわゆる鳩胸状態になったら蒔き時である。
機械を使って蒔くので水に濡れたままだとくっついてしまうのである程度乾燥させてから蒔く。
今日は扇風機を二つ使って上からと下からと風を送って乾燥させた。
もみを蒔く箱にまず土を入れておく、そして事前に水をまく。
そして籾を機械に入れて蒔いていく。
次に蒔いた箱に籾の薄いところにまた籾を手で蒔く。
それが済んだらその上にまた機械で土をかぶせていく。
箱を集めてビニールで覆い、中を温めて芽が出やすいようにする。
2,3日したらビニールを取って上下をひっくり返す。
また2,3日したら1枚1枚ハウス内に並べる。
その際、出たばかりの芽は白くて日に当てると弱いので黒い寒冷紗をかける。
1,2日ぐらいで寒冷紗を取りそのまま10センチぐらいになるまで毎日水やりをする。
10センチぐらいになったらいよいよ田植えの開始。
これが約1ヶ月ぐらいかかる作業である。
籾蒔きから米作りをしている農家はもうほとんどいなくなった。
近所ではうちだけである。

2194 N会議

県議会議員の選挙が始まった。
我が地区は無投票で無風。
保守地盤である。
ネットを見るとN会議の会員だとか。
何だ保守じゃなくて右翼じゃないか。
と思ったりもする。
そういう自覚を持って会員になっているとしたら恐ろしい。
何だか無自覚的になってるような気もするが、そんなんでは議員としての確固たる信念がないということである。
入っている団体がいかなるものか,調べもしないで入っているとは思われないが、選挙民に隠して入っているのかと思うと怒りたくなる。
まさにこの国を戦前のような国に持って行こうとしているのがN会議である。
保守は保守でも真っ当な保守と真っ当でない右翼的な保守がある。
のじゃないか。

2193 戦争体験

九条の会で戦争体験者の話を聞く。
生の声を聞けると言うことはもう今となっては非常に貴重なことである。
話者は88才。
終戦時は14才で少年兵という立場。
実際の戦闘経験をすることなく終戦を迎えられたわけだが、それでも仲間を失った、先輩を失ったなどの人の死は体験しておられる。
保守化というより右傾化している政治家や国民に対して、今後、戦争や平和について語り継いでいくことの大切さをその後会場の参加者とともに話し合った。

2192 閉校

地元の小学校の閉校式があって行ってきた。
母校である。
中学校がなくなりついに小学校までだ。
140数年の歴史に幕という訳。
こんなことになるとは夢にも思わなかった。
自分らが小学生の頃は一クラスずつではあったが200人はいただろう。
今年度は最終で4人の児童のみだった。
少子化であり高齢化。
前にも書いたが限界集落はすでに何年も前から始まっている。
学校がなくなればさらに人がいなくなるのは間違いない。
子どもの声が聞こえないというのは寂しいものだ。
農業も林業も衰退、学校がなくなれば文化も衰退、歴史も衰退。
みんなみんな衰退。
年寄りにはそれを跳ね返す力も無い。
見回してみればこの地区ばかりではない。
全国的に田舎は衰退の一途。
さてその中で楽しく人生を終えるにはどうするか。

「学校が 無くなりゃ人も 寄ってこず」
「閉校で 明かりが一つ 消えたよう」
「人口減 年寄りには なすすべ無い」
「年寄りが 子ども作れる 時代来い」
「ポツポツと 田舎の明かりが 消えていく」0327

2191 親孝行

親孝行ってどう思うか。
この言葉は子どもから見た言葉である。
親が歳をとっていくときにやはり気持ちよくとっていけるように配慮してやるのが親孝行であろう。
と思う。
究極的には死に際にあって子どものおかげでここまでこれたと感謝の意を伝えられることが孝行の究極であろう。
と思う。
親が気持ちよく死んでいったなと子どもが思えるときそれは親孝行をしたということだ。
反対に親の方から見た場合は「子ども孝行」である。
親が子どもにしてやる孝行である。
親が歳をとっていくときに子どもにしてやれる孝行とは何か。
子どもに面倒をかけないようにすること。
迷惑にならないようにすること。
心配をかけないこと。
といっても、年とれば誰でも子どもには面倒をかける。
病気になれば医者にかかる。
歩けなくなれば介護が必要になる。
体が弱くなれば仕事も出来なく、ただ食っちゃ寝の生活になる。
面倒ばかりかけている身となる。
それじゃあ子ども孝行はできないじゃないか。
だとすると歳をとったら子ども孝行は出来ないということになる。
それが普通の親と子である。
金があって一人で施設に入れば子どもには迷惑をかけないかも知れないが、そんな事は一部の金持ちだけである。
究極の子ども孝行は早く死ぬことである。
しかし、与えられた命は病気になっても介護が必要になっても永らえることが出来る。
自分で命を絶つのは、孝行の姿ではない。
いろいろ考えるが子ども孝行というのは難しい問題である。
同じく親孝行も結構難しいことである。
「親孝行 したいときには 親はなし」という言葉があるが、それが一番の子ども孝行かも知れない。

2190 0寛容

憂鬱である。
半径5mの憂鬱と半径200m、4㎞の憂鬱。
そして半径2000㎞の憂鬱。
それと半径?万㎞の憂鬱。つまり地球規模の憂鬱。
どれも自分ファースト、自分が一番、自分以外は非難するばかり。
の憂鬱である。
寛容0、つまり0トレランスというか、人の悪を許さない。
おのれの悪はあっても気づかない、知っていても表に出さない。
おのれもまた間違うしあやまちをする。
愚かであり決して善人ではない。
ということが理解出来ない。
だから人の非難はいくらでもする。
だからそういう人間がいると憂鬱なのである。
しかしそういう我も又、他人からは憂鬱と思われているのかも知れない。

2189 プロテスト・ソング

昨日は最後のところでABCとしゃれたつもりだったんだが分かったかな。
protestはprotectと並べたかったから使ったのだが、本当はrejectかresistのほうがいいと思う。
protestは断言する、主張する、抗議するの意味。
rejectは拒絶する,断る、受け付けないの意味。
resistは抵抗する,反抗する、耐えるの意味。
全部使って
I protest and reject and resist AB.
だ。
プロテスト・ソングというのがフォーク全盛の時分に流行ったことがあった。
ご存じボブ・ディラン。
風に吹かれて、戦争の親玉、エトセトラ。
ピートシーガー、花はどこへ行ったの。
今こそプロテスト・ソングの復活だな。
岡林信康のクソくらえ節など替え歌で作ってみたいものだ。
で作ってみた。
「ある日官邸の記者会見 新聞記者にこう言った。
 おまはんが言ってることは 事実とーは違っとりますがな。
 うそこくなこの野郎 こきゃーがったなこの野郎
 国民のー言うこと聞かずに 辺野古を埋めるのけ」

「ある日官邸の記者会見 特定記者にまたいじめ
 突っ込まれるの嫌がって うろたえいやがり逆ギレだ
 ホントのこと言えば わてらの政策どうなるの
 ジュゴンを殺した罰に 官邸に土砂投入」

2188 71BD

Seventy first birthday today.
Thank you for your visiting to my blog & FB.
I protest AB.
I protect Constitution.

2187 ジュゴン

沖縄のジュゴンが死にましたね。
3匹のうち1匹らしいが他の2匹も分からないらしい。
まさにこれは言わば政府による殺人、じゃない殺ジュゴンですよ。
印象操作しようたって、打ち上げられたジュゴンがいるわけですから、まさにアベによる殺ジュゴンですよ。
ジュゴンは怒っていますよ。
怒りの死ですよ。
死によってまさに怒りを表していると言いましょうか。
怒りのジュゴン。
死によって抗議をしたジュゴン。
The Jugon of Wrath.
ベトナム戦争当時、焼身自殺がよくありました。
あれと同じですね。
アメリカの団体も、辺野古埋め立てを止めろと言いだしましたね。
アメリカの労働団体です。
オール沖縄のメンバーの訴えもあったからでしょうが、世界的に見ても環境問題には今や厳しい目が向けられるときですから当然のことだと思いますね。
そういう当然のことがまさに言わば政府中枢は無視するわけですから世界の常識さえも通じない反環境政府と言えるんだろうと思いますね。
イヤ,これは何も印象操作じゃありませんよ。
「官邸に 土砂ぶち込めと ジュゴン言う」
前に作った川柳ですが、まさに死んだジュゴンにしてみればそういう心境だったに違いありません。
印象操作じゃありませんよ。
こういう想像力も働かないお偉方にはもうやめてもらいたいですね。
命より金。
命よりアメリカ様。
沖縄よりアメリカ様。
こんな政府に誰がした。
こんな政治に誰がした。
命は地球よりも重いと言った昔のジミントーの政治家がいましたね。
ジュゴンも貴重なまさに非常に貴重な生命体ですよ。
人間と同じです。
その命をブルドーザーで踏み殺していく。
昔のハメリカ軍が沖縄に対して行った行為と同じじゃありませんか。
たとえ1匹の死であろうとホントに許すことは出来ないですね。
まさに怒りに燃える島オキナワになってしまいましたね。
民意も無視、命も無視。
こんな危険な政府があったでしょうか。
戦後においてはまさに現政府しかないのではないでしょうか。
ああ、もうイヤになりました。
官邸に土砂をぶち込みましょう。
(これは危険な扇動だ)とか思わないでくださいよ。
あくまで比喩ですよ、念のため。
これくらいの想像力も働かないから、説明までしなくちゃならない。
(苦笑ですね)
摩文仁の丘に立つ戦没慰霊者の碑にジュゴンの名前も刻まなくちゃならないでしょう。
「辺野古 呪魂」

「官邸の 想像力は 微塵なし」
「1ミリの 想像力も ない政府」
「ジュゴンの死 なおも続ける 土砂投入」
「命より アメリカ大事 今政府」
「常識が どこ吹く風の 暴政府」
「美ら海を 死地に追いやる アベ政治」0322

2186 限界農業

田んぼの補助金の制度に入っているのでその1年間の結果を報告する書類を作っているのだが、なかなか煩雑で取りそろえるものがたくさんあり、もう気分的に嫌になってきた。
二つの制度に入っているが、似たような制度で、こんな制度を作っても税金のただのばらまきじゃないかと思ってしまう。
もらえるのに文句を言っているのだが、行政マン(官僚)は、こんな無駄をなんと思っているのか。
というかジミントーに脅されて作った政策だろうが。
農業者に票が欲しいために、飴をくれるようなことをしただけである。
やらないと言っていたのに、突然裏を返したように積極的に推進したTPPのこともこのごろなんにも言わなくなった。
それで二つのうち、一つの制度は今年度で終わるので、もう入らないことにした。
書類を作れる人が他にいないし、あまりもうお金をかけて整備をするようなことはないだろうから。
この高齢者ばかりの限界集落では書類作りなどに長けた人ももういなくなってしまった。
若手もいてもやりたがらない。
ということでこれからの5年10年高齢化とともに農業(田んぼ)も限界化し、荒れ果てた田んぼが出てくるだろう。
つけ込むのは外国の産業か、中国の土地買収か。
こんなにしたのは誰のせいだ、とそのときに気づく人もいるだろうが、こんなことにしたのはジミントーである。
いかにも農業者の味方面(みかたづら)しながら結局崩壊させてしまった悪人どもである。
と思う。

2185 自治会

どこやらの町か村の自治会は、自治会長のなり手がなくて自治会を無くしてしまった。
そのため役場からのいろいろな書類などは役場の職員が配っている。
というようなニュースを近ごろ見たか聞いたことがある。
原因は高齢化による人不足なのだそうだ。
他人事(ひとごと)じゃない我が身の回りも全く同じ状況だ。
同じ状況になりつつあるのではなくて、今現在において同じ状況になっているのだ。
というようなことを前にも書いたかもしれないが、おかげで老体にむち打って30戸足らずの区長になってしまった。
前の区長が根回しをしたがすべて断れた末に自分の所に回ってきたのだ。
で、自分がやるがこの後は自分に続く年の人が順番に区長をやっていくという条件で引き受けたのだ。
500戸ほどのこの地区はすでに限界集落。
どこの区も同じ状況であり、我が区よりもさらにひどいところもある。
今日はその区長たちが集まって新区長会をやる。
その中でさらに副自治会長をやることになった。
他の人らは自分より若い人ばかりなのに自分にやらせるなんて、やっぱり役から逃げたいばかりなのだろう。
何か良い考えはないものか。

2184 裏工作?

きっこのメルマガをとっている。
最新号で知らなかったことを知った。
311の福島の原発事故をすでにその前から予測していた国会議員がいた。
共産党の吉井英勝議員である。
311の起きる前から何度も国会で原発に関する質疑をしており、趣意書も出している。
それには福島の場合全電源がなくなったときどんなことが起きるか。
メルトダウンも起きると言ったのだが官僚や政府の役人らは大丈夫であると言って調べもしなかったし対策をとろうとすることもなかったというのだ。
首相はアベ。
アベも又全電源喪失はあり得なく安全であると言ったのだと。
と言うことは自らの言葉が事実によって覆されたのもかかわらず,いまだにその責任をとっていないと言うことだ。
ときっこ氏は強く非難する。
辞任して当然だ。
しかし、吉井議員の質問とアベの答弁のことをその後に取り上げる議員はいなく、よって責任も問われていない、ことが奇々怪々であり問題である。
その上アベは原発はなおも安全であるとうそぶいている。
ネットで検索すれば以上のことも確認出来るし、吉井議員の質問や官僚などの答弁もYouTubeで見ることが出来る。
これって何らかの裏工作がなされているのか、裏取引がなされているのか、闇に葬り去られようとしているのか、なんだか怪しい感じがする。

2183 自戒

7番目の孫を母子ともに連れて帰る。
戦争のない時代を過ごさせてやりたい。
またまともに暮らせる世の中を残してやりたい。
日々の糧を得られて、望むならば結婚も出来て、望むならば子どもも持てる人生だ。
それには我ら国民、とりわけ若い世代がしっかりと政治に向き合いまともな倫理観と道徳心を持つようにすることが大事である。
些末なことかも知れないが、近ごろ車からの道ばたへのポイ捨てが目立つようになってきた。
今日はレジ袋に一杯に入れたゴミが二つも投げ捨てられてあったのを見た。
近くにはペットボトルもいくつか散乱。
これを拾って帰るのもまともな道徳心であろうが、まずは捨てる側の道徳心だ。
道路へのポイ捨て条例もあるのだが、そんなものどこくふく風。
人が見ていなければ何をしても良い、という道徳心。
誰にも奥底に隠れている道徳心だろうと思うが、それに打ち勝つ道徳心が必要だ。
この奥底に隠れている道徳心を何の臆面もなくさらけ出してくれるのが例のお人だろう。
他山の石として自戒することしきり。
自分も間違いやあやまちはするし不道徳なこともしてきた。
だからこその自戒である。
例のお人は自戒などする心もないだろうが自壊をするのを望むばかりだ。

2182 悪という垢

なんだか季節が逆戻りしているみたいに寒さがぶり返している。
時折雪が舞ったり、先日のように積雪をしたりする。
スエーデンの高校生だったかが始めた気候変動ストが世界的に広がっているという。
大人たちに対する反逆である。
そういう活動を立ち上げることの出来る子どもが育っていることをすごいし素晴らしいと思う。
以前にも気候変動に対して12才の少女がスピーチで訴えたことがあったが、改善は全然進んでいないと言うことだ。
人は大人になるに従って悪という垢が身についてしまい落とすことが難しくなるらしい。

2181 あやまち

昔、カリフォルニアを旅したとき、ヨセミテで周遊のバスに乗った。
運ちゃんは冗談好きでいろいろな冗談をかましながら所々で止まっては説明をしてくれる。
そのほとんどは忘れてしまったが、真面目なことも言っていた。
この森は偉大だがいずれ将来的には破滅するときが来るかも知れない。
それは何故か。
それは気候のせいだ。
気候が森を滅びさせる。
気候を変えるとそうなるのだが、それは誰がそうするのか。
しばらく間をおいておもむろに、「マン」と言う。
つまり「人間」。
と言ったのだ。
その「MAN」と言った言葉が今でも忘れられない。
彼の言った言葉がものすごいスピードで現実となってきた。
そのMANには形容詞を付けるとするならば「愚かな」であろう。
愚かなる人間。
歴史が進んでも人間は愚かである。
間違いだらけの人間である。
人類の壮大なあやまち。

2180 時代錯誤

代替わりで年号が変わるというので各地で変な行事が行われそうである。
まさに時代錯誤。
今がどういう時代なのか。
全く戦前並みの思考がまかり通っている。
あるところでは提灯行列。
昨日聞いた情報では、あるところでは徹夜の盆踊り開催だとか。
ほんとかいなとその感覚を疑ってしまう。
地元の住民としては誠に恥ずかしく思う。
バッカジャナイノ。
公式な書類などに年を入れた日付を書くとき、いわゆる「元号」の欄があったりすると自分は西暦で書いてきた。
西暦も世界共通とは言え「キリスト」を元にしたものだといって嫌がる人もいるようだが、それに比べて元号は「天皇」を基準にしている。
そのことが嫌なのだ。
ある新聞社からはどんな年号がいいかと言うアンケートまできた。
びっくりである、おいおい信頼している新聞じゃないか、そんなことをするなよと言いたくなる。
ある銀行はこの際年号記入欄はすべて西暦にすると発表している。
それがまともな感覚だろうと思う。
元号は勝手に好きなものにすれば良いがそれに乗っかって戦前を彷彿とするような行事やら「天皇」を崇めるような風潮作りはやめてもらいたい。
と強く思う。
というか、元号なんてやめてしまえば良いのだ。
と強く思う。
「天皇」の政治利用は許されない。

「元号で 浮かれる娑婆の 錯誤感」
「元号は 国民主権に 相容れず」
「戦前の 暗黒をみる 代替わり」
「元号で 何年前か 四苦八苦」
「元号で 踊り狂って 何愛でる」
「元号を 祝う必要 どこにある」0315

2179 夜間中学

夜間中学といえば山田洋次監督の「学校」と言う映画で知ったのだが、今日の新聞で大友良英が書いている。
福島で開校された駅前夜間中学に音楽の教師として応募して採用。
生徒とその学校の校歌を作ったとある。
生徒自らが作る学校というイメージだ。
まだまだ全国には義務教育としての中学校の課程を学びたい人学び直したい人がいる。
それに対する公的資金もあるにはあるらしいが、民間が独自でやるということもあるらしい。
働きにやってくる外国人のための学校もこれからますます必要となるだろうと予想する。
中学というより日本語の習得のための学校も必要となるだろう。
地元には廃校となった小学校が来年度から存在する。
こんな田舎では外国人労働者はいないが、居ないと思っただけで実際はベトナム人がいるらしいことが分かった。
彼らは日本語が出来るのだろうか。
疑問が残るが、もしそうだとしたら、そういう人たちのための夜間学校があっても良いと思ったのである。
と言っても日本語を教えるとなると、やはり素人では難しい。
公的な援助アドバイスなどもいるだろう。
となるとやはり素人が何かするのは難しそう。
というか当のベトナム人が必要と感じるかどうかもある。
いずれにせよ今後増えるであろう外国からの労働者に対しては言葉の面ばかりでなく生活、法律など知っておいてほしいことはある。
市としての対応はどうなっているかを調べてみたい。
と大友良英の記事から思ったことでした。

2178 少子化の元凶

第7子目の孫誕生。
反少子高齢化に少しは貢献したか。
我が地元の高齢化率は極端に高齢化。
限界集落化している。
役員のなり手も少ない。
新聞に議員のなり手がなくなったので対策をどうするかの記事が出ていたが、議員ばかりか地区の役員なども同じくだ。
報酬を上げれば良いとかが出ていたが、それでもなり手は少なくなるだろう。
なぜ少子化になってきたか。
いうまでもなく子どもが出来ないからである。
何故か。
結婚しないからである。
何故か。
結婚出来るだけの金銭的な余裕がないからである。
何故か。
非正規や派遣職員が増えたからである。
何故か。
企業が儲かるためである。
それを推し進めてきたのは誰か。
コイズミ、タケナカである。
まさに新自由主義。
そして亜米。
ネオミリタリズムだ。

「少子化を 進めた元凶 まだ威張る」
「非正規の 未婚の青年 立ち上がれ」
「平蔵は 平蔵でも 糞平蔵」
「平蔵の 進めた政治 国壊す」0313

2177 図書館

本好きだから本に関することには興味を持つ。
この頃読書離れが非常に顕著になっていると聞くが、やはりITのせいかスマホのせいかと思う。
書店に入ると前は隅から隅まで眺め回して時間が許す限り居たものだった。
しかし書籍代は最近はやはり需要のないせいか値上がりするばかりで,それも読書離れの原因かと思う。
いわば悪循環である。
自分も定年過ぎてからは買うよりも借りることが多い。
つまり図書館の利用である。
その図書館のことで「世界」4月号で記事があったので目にとめた。
「伊万里市民図書館」。
図書館関係者でこの図書館を知らない人はいないという。
名前に「市民」がついていることがまず珍しい。
他にも「瀬戸内市民図書館」と言うのが有名だそうだ。
そしてもう一つ有名なのが高知県梼原町の「ゆすはら雲の上図書館」だそうだ。
ここでは伊万里市民図書館の活動を主に取り上げているが、なんといってもさすがにと思うのが市民が立ち上げた図書館で確かに市民にとっての図書館だという活動や施設内容が素晴らしい。
詳細は省くが、こういう図書館が市民の文化度を上げているのだと思う。
街作りという観点からも図書館を中心に考えているところが素晴らしい。
はやりの「民営化」と言うことから図書館の実務などを民間に丸投げする図書館も出てきているが、やはり専門的にみれば亜流である。
本の内容が偏ったり必ずしも市民目線の活動がされるわけではない。
わが地元の図書館は、民営化でもないし、どちらかというと市民目線にたった企画なども行われいいことだと思う。
そういう意味では市民として大いに図書館を利用したいと思う。
民営化ではなく「民意化」が望ましい。

「図書館が 文化度を上げる 街作り」
「望まれる 市民目線の 街作り」
「図書館に 集う市民の 街作り」0312

2176 20113111246

今日は震災より8年目。
2時46分、ある店から出てくる所だったが、そこで黙祷をした。
復興五輪とか言って復興もせずに五輪に力を入れている奴は殴ってやりたいほどだ。
五輪のどんちゃん騒ぎで原発事故もうやむやにしようというのか。
ショックドクトリンだ。
そも、五輪だってスキャンダルまみれ、予算だって無茶苦茶オーバーしている。
そんな金より福島や東北に回せよ。
誰のための五輪なのか。
たった1ヶ月足らずの行事に湯水のごとく金を使って。
熱狂なんてするもんかと。
福島の復興は何十万年も先の話だ。
前にも言ったが政府関係者東京関係者五輪関係者は福島に自宅をおいてそこから東京へ通え。
自宅は仮設に限る。
放射能汚染土は政府関係者東京関係者五輪関係者の自宅の庭に埋めたらよい。
汚染土を官邸において「ほれこの通り安全です」と言ってみろ。
などなど自分は安全なところにいて命令をくだすような権力者はいらないということだ。

「復興は 何十万年 先にある」
「汚染土は まず官邸へ 入れましょう」
「復興が 五輪のために 阻害され」0311

2175 真正の保守

またまた中島岳志「保守と立憲」から。
彼はこんな言葉を紹介している。
フランスの思想家ポール・ヴァレリーは「湖に浮かべたボートをこぐように人は後ろ向きに未来へ入っていく」と言った。
過去を見ながら未来へとつなぐのが人だというのである。
過去を見ないで現在のことしか見ていない政治家を揶揄したものだと思うが、なるほどと思うと同時にそうでなければならないと自分でも思う。
歴史を改竄、修正するようなことでは未来は開けない。
またそれが保守思想の大事なところであるとも言う。
中島は自ら保守主義者であると言っているが、ただ違うのは歴史を重んじ過去を見、間違いは直し漸次進歩するのが真の保守だと言っている。
1945年8月15日を境に急旋回するような思想を持った人を非難する。
そして今のいわゆる保守を保守だとは認めない。
一連の亜米のやってきたことには反対しているし原発のことにも反対である。
保守・革新と対義語的に使うが真正の保守という概念が新鮮な感じである。

2174 地震

夕べは当地方でも地震があった。
しかし、自分は全然意識無し。
連れ合いに朝言われてそうだったのかと。
この分じゃ、夜中に寝ていて地震が来て家が潰れでもしたら完全におだぶつだ。
阪神淡路にしてもやはりそういう人が多かったのだろう。
夜中に来ると亡くなる人が増えるということだ。
東海地震、東南海地震の前触れかも知れない。
それはこの1,2,30年のうちに必ず来る。
「かも知れない」ではなくて「かならず」来ると認識せよとは前からの警告だが、いよいよもって現実味を帯びてきたと言える。
家族でいざという時の連絡方法を確立しておかなければならない。
東北の震災の時は関東地方にいた息子たちは帰れなくなったとか言ってきた。
連絡はついたから安心したが、やはりつながらないというのは不安を増大させる。
自宅はその後業者に頼んで梁の補強など一応耐震にした。
棚やタンスなどの固定もしてある。
津波は全然心配ないが、ため池の決壊など起きたら浸水などするかも知れないから逃げ場の確保だけは考えてある。

「地震とは 必ず起こる ものである」
「それなのに 原発稼働 許せない」
「原発を 売るとはそれも 死の商人」0309

2173 乱雑整理

机の上が乱雑になってきた。
乱雑になったら整理整頓するのだがすぐに又乱雑になる。
書籍、パンフ、封筒、手紙葉書、会計書類、ノート、新聞、各種書類、写真・・・
他にペットボトル、ティッシュ、ハンカチ、カメラ、電卓・・・・
厚さ5,6センチ×3,4列
こんなことを書いたって自慢することでもないしどうになるものでもないが自嘲の言である。
この頃努めていることは、できるだけすぐやることだ。
提出すべきものは預かったその日に書いて出す。
ほかっておくと必ず忘れて,それがどこに行ったのかも分からなくなる。
今日は田んぼの作付けに関する書類をすぐに書いて担当者に渡してきた。
請求書が来たのですぐに振り込みをしてきた。
車の修理箇所が出来たので工場へ行って見積もりをとってきた。
これはあまりにも高額だと思われるので修理は頼まないことにした。
読書だけはどうにもおくれがちになる。
「世界」3月号を1ページも読まないうちに4月号が来てしまった。
これまでは最低でも10ページぐらいは読んだところで来ていたがついに0ページで来てしまった。
ので最新号は早速「編集後記」を読んだのだった。
このページはこの号に対する編集長の思いが書いてあるのでまず最初に読む。
すると読んで面白そうな論文が分かる。
今回はベネズエラに関することが興味を引く。

「気持ちだけ 整理整頓 やってみる」
「整頓を したが見る間に ゴミの山」
「整頓を やるぞ明日から 気持ちだけ」
「整頓は 机上の論理 我が机」
「何よりも 整理をしたい 奴ばかり」
「整頓と 断捨離政治の 世界から」0308

2172 憎き奴

今年の花粉はたちが悪い。
夕べは夜中の2時に口の奥がヒリヒリして痛くて眠られず、目も無茶かゆくなり起き出して鼻を洗ったり、目を洗ったり、目薬刺したり、目に当てるアイスノンを交換したりした。
4時半と6時半にも起きてアイスノンを交換。
そんなこんなで睡眠不足。
今日は外へ出るのはやめようと思い終日家の中で孫の守り。
しかしひょんなことで外へでる羽目になり、やっぱり夕方と夜になって目のかゆみが襲ってくる。
ひたすら目を洗い鼻を洗いしている。
花粉の季節だけハワイかどこかへ行っておりたいというのが昔からの願望だがかなうわけもない。
森林組合さんが近隣の山々に分け入って林道を作ってくれている。
その分杉や檜は切り出されるし間伐もしてくれるので若干は花粉の出る木は減るのだが,全体から見れば雀の涙。
昨年は台風のせいで山の木も相当倒れた模様だがそれでも多くの木はしっかり立っている。
・・・という花粉症の人間から見ればにっくき杉&檜なのだが、花粉症じゃない人から見たら痛くもかゆくもない話しだろう。
なんとかごっそり杉檜を切り倒すことは出来ないものか。
無駄すぎる軍事費を半分以下にすれば、出来るだろう。
花粉症の人間が医者にかかる医者代と薬代も相当なものだろうから、花粉症がなくなれば国費も相当楽になるというものだ。
敵は軍事費だ。
それを勝手に決める糞だ。

「花粉症 なってみなけりゃ 分からない」
「お偉方 全員に進呈 花粉症」
「軍事費を 減らして花粉の 研究に」
「広葉樹 プロジェクトなら 大賛成」
「昔宝 今じゃ毒木と 成り果てる」
「杉ヒノキ 昔宝で 今毒木」
「杉ヒノキ 憎けりゃ糞も 憎き奴」糞=アベ0307

2171 ガンディーの言葉

またまた中島岳志「保守と立憲」から。
副題にもなっている「世界によって私が変えられないために」という言葉に刺激を受けた。
これはガンディーの言葉。
「あなたの行動がほとんど無意味であったとしても、それでもあなたはしなくてはならない。それは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」
インドが独立闘争をしているとき,若手のリーダーたちがガンディーに闘争の先頭に立ち国民に呼びかけて欲しいと要請した。
それに応えてガンディーは一つの提案をした。
「海岸まで歩いて行き塩を作ろう」
リーダーたちは困惑した。
「なぜ塩なのか」「今はそれどころではない」
ガンディーはいくら説得しても聞く耳を持たなかった。
ガンディーは少しの従者と半裸で歩き始めた。
そして道すがら民衆に語りかけた。
各地で共感の渦がわいた。
その結果歴史が動いた。
人々は海水を汲み塩を作った。
塩の専売は瓦解した。
イギリスは協議のテーブルについた。
ガンディーは、
「世界が変わるためには自分が変わらなければならない。自己の生き方を問い直し、欲望を直視しなければならない。この自己反省による小さな変革こそ,民主制の第一歩に他ならない」
と言う確信を持っていたのである。
あらゆる人に眠る内発性を喚起することだった。
のである。
不断は政治はお任せで、うまくいかないと政治が間違っていると言う。
そして自分一人ではどうにもならないとあきらめてしまう。
これでは結局何も変わらない。
のである。
今の俺らの状況にそっくり当てはまるのじゃないかと思うのである。

「変えるより 変えられないと 自覚せよ」
「この日本 海への道は まだ遠い」0306

2170 川柳会3月

今日は川柳会の例会。
毎年3月に一年のまとめとしてそれぞれの作品を集めた冊子を作っているが、今日はその3冊目を作ってきた。
3月の提出の拙句は以下。
「しらけるぜ 神じゃあるまい 森羅万象」
「知っている 4文字熟語 出してみる」
「世界では 通用しない 元号制」
「それも又 政治利用だ 元号制」
「孫立ちション その勢いに 老いを知る」
「顔の上 孫暴れても 爺苦笑」
「一強は 結果どうあれ 等閑視」
「官邸は 大本営か 言うがまま」
「糞大臣と 糞官僚の 糞答弁」
「沖縄の 意思は本土に 向けられる」
「わがままと 幼児思考が 国の舵」
「象徴は 象徴であり 上下無し」
「一記者に 大本営が 力ずく」
「老害が 権力かさに 記者いじめ」
「報道官 中学生にまで 虚仮にされ」
「不都合な 真実隠し 記者いじめ」
「閉校に 悔しさにじむ 過疎の村」

2169 水と空気

水と油ならぬ水と空気の話し。
日本人は心でそうではないと思っていても周りの空気を読んでそちらの方に流されることがある。
というかそういうことが多い。
という。
空気に流されるということだ。
個人の思いを殺して場の空気にしたがってしまうと言うことだ。
あいつはKYだという隠語が流行ったことがあったが、まさに「空気を読まない」というその「空気」だ。
KY結構、個人の思いをそのままぶつけるのが民主主義だ。
さてその空気に流されないあるいはその空気をぶち壊し本来の個人の思いをそのままぶつけ合うようにすること。
それが「水」をさすということで、そういう役割をする人がいてこそ民主主義がなりたつというわけだ。
・・・というようなことを読みかけの「保守と立憲」のなかで読んだ。
山本七平という評論家の言だという。

2168 閉校イベント

地元の小学校の閉校イベントがあって行ってきた。
校歌を地元の吹奏楽団に頼んで演奏してもらったが、吹奏楽用の編曲は東京芸大出身の方だそうでたいしたものだ。
閉校に及んでこんな立派?な編曲版が出来るなんて皮肉なものだ。
「閉校」はやはり地元にとっては非常に寂しいもの、悲しいことだ。
それに反してイベントは明るい感じで、合唱やら、スライド、俳句づくりなど楽しい感じのものだった。
まあ、ホントになくなった後になればさみしさは押し寄せてくるだろう。
これで、中学校も小学校もなくなった。
保育園もなくなった。
学校がなくなるというさびれようは予想だにしなかった。
人口減少が加速度的に早まっている。
回復はまず無理、絶望的である。
こんな日本に誰がした。

「お別れの 校歌明るい 春の空」50点
「稚児の峰に 別れ惜しむや 春の空」60点 稚児の峰は校歌の歌詞から
以上俳句
「閉校に 悔しさにじむ 過疎の村」
「悔しさを どこに向けよか 閉校式」
「どことなく 吹奏楽の 音悲し」
「ふるさとが ただふるさとに 変わりゆく」0303

2167 署名

世の中はまだまだ捨てた物じゃない、というニュース。
例の官邸の記者会見で某女性記者に対して嫌がらせ的差別的言論統制が続いているのに対して女子中学生が怒りの署名集めをしたという。
ネットでの署名は1万7千を超えた。
実は自分もその訴えに署名した一人であるが、中学生が始めたものだとは知らなかった。
この前も書いたが民主主義に対する冒涜。
国民に対する冒涜。
憲法違反。
日頃の「丁寧に説明」だの「真摯に対応」だの言葉が空虚な言葉であることを自ら知らしめているようなものだ。
都合の悪い事実はひん曲げて質問さえも封じるというナチス張りの仕打ちは許せない。
改竄、隠蔽、嘘、恫喝。
どこを切ってもこればかり。

「報道官 中学生にまで 虚仮にされ」
「不都合な ことは質問 受け付けない」
「不都合な ことを聞かれて 逆上し」
「不都合な 真実隠し 記者いじめ」0302
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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