1239 シベリア抑留

公民館の広報にシベリア抑留のことを書いた。
8月なので戦争のことを書こうと思っていろいろ考え、原爆のこととか語り伝えのこととか、戦時中の体験談のこととか考えたが、結局シベリア抑留のことになった。
父親がシベリア抑留者だったのでそうなってしまったのだが、まあそれもよかろうと言うことで。
父は1945年、吉林で武装解除。
ハルピンで収容されている。
そしてバルナウル収容所に収容された。
バルナウルというのは今のロシアでいうと、ほぼ中央でしかも南部にある。
1945年の11月3日にバルナウルに収容され、解放されたのはいつかは分からないが帰国が1947年の5月である。
ほぼ1年半を過ごしたことになる。
極寒の地の体験もしたことになる。
その体験談は余り家族にはしてこなかった。
少しはしたのだが聞いた方は余り覚えていないのだ。
地元には現在も生きておられるシベリア体験者も居られる。
その方は体験手記を書いておられるので貴重である。
自分の父の体験も今となってはもう聞けないが、やはりしっかり聞いておくべきだったと後悔している。
「極寒の 地を生き抜いて 我も在る」
「原爆忌 サイレンもあり 手を合わす」
「今日でまた 八月六日 71年」
「原爆忌 サイレンの背に せみの声」 0806
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田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
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