1248 戦後歴史2

s-公布新聞

s-式典群衆

1946(昭和21)
0101 天皇人間宣言
0119 マッカーサー極東国際軍事裁判所の設置命令
0203 マックGHQ民政局に憲法草案作成指示
0208 松本私案をGHQに提出
0213 GHQ松本私案拒否、GHQ草案を政府に手交
0222 閣議・GHQ草案草案受入を決定
0306 政府、憲法草案改正要綱発表(主権在民、天皇象徴、戦争放棄)
0407 幣原内閣打倒人民大会
0410 戦後初の総選挙
0422 幣原内閣総辞職、以後約1ヶ月間政治空白
0501 第17回メーデー(宮城前約50万人)
0516 吉田茂に組閣命令
0522 第1次吉田内閣成立
0602 イタリア、国民投票で王政廃止決定
0618 キーナン検事、天皇を訴追せずと言明
1001 ニュールンベルグ裁判で12人に絞首刑判決
1103 日本国憲法公布
1217 吉田内閣打倒国民大会(2・1ストへ発展)

ここまで見ると、憲法は松本私案が公的にGHQに示され、それが拒否された。
そしてGHQがGHQ案を日本側に提案、日本はそれを受け入れ、と言うことになる。
AB等はここが押しつけと言っている。
しかし、九条に関しては、もう少し詳しい憲法史を見ると、幣原喜重郎の申し入れによりマックが了承し成ったとある。
だから九条に関しては押しつけではないことははっきりした。
その他さまざまな民主化のことについては1945年の各種指令で受け入れたことであり、押しつけと言えばそう言える。
政府としても拒否はしなかった。
ここで一つ思ったこと。
憲法に関しては当時のGHQと政府の間でのやりとりで決まったことであり、4月10日に総選挙があり国会が出来たわけであるが、憲法に関しての公約、あるいは私案を持って議員が当選したわけではない。
そしてその後、11月3日までの間に憲法に関しての国民投票があったわけでもない。
国民は憲法に関しておそらくどういうものかを知らず、殆どがお上(政府)にお任せ状態だったのではないか。
そして11月3日に公布されてそれに反対する者、勢力は殆どいなかった。
多くは(喜んで)受け入れたということだろう。
おれ等は憲法というものを押し付けられたという意識はなかったと言うことである。
続く。
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Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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