1291 農村問題

農村人口の減少は見る影もない。
(「見る影もない」と言う言い方はこれでよかったのか)
とにかく少子高齢化もそうだが農村人口減は極端に進んでいる。
ちょっと考えてみた。
昔は田植えにしても稲刈りにしても家族総出で大勢でやったものだった。
今日は稲刈りをしたのだが、コンバインを使って一人でやった。
稲を刈ってそれをコンバインの中で脱穀をして籾にして袋に入る。
その袋を軽トラに積んで乾燥機まで運んで入れる。
この作業が一人でできるのだ。
二人いれば、コンバインの運転に一人、軽トラに積むのが一人と分担はできてその分一人に対する仕事は少なくなり体は楽だ。
しかし、一人でもできるというのが大事な点だ。
昔は、人が多くないと仕事が進まなかった。
手刈りをする人、刈ったものを束ねる人、束ねたものを運んではさにかける人などなど、仕事は色々あり、みんなでいっせいに刈って、いっせいに束ねて、と、とにかくはさにかけるまでみんながそれに取り組んだ。
一人ではとてもできるものではなかった。
だから農村には人が大勢いるのだった。
つまり人口もそこそこなければ田んぼの仕事が回っていかないのだった。
機械化が進むに連れて人がいらなくなった。
つまり機械化が農村の人口を減らしたとも言える。
人口が減ったので機械化が進んだのか、まあ「どっちもー」かもしれないが。
「機械化」つまりイノベーションである。
このイノベーションが農村のあり方を変えてしまったことは否めない。
よかったのか悪かったのか。
いずれにしてもメリット、デメリットはそれぞれあるだろう。
進歩と停滞。
あるいは前進と後退。
「得たもの」と「失ったもの」
その中で、農村の文化は失われたものが大きいだろう。
人口を元に戻すことはまず無理だろう。
しかしその速度を少しでもゆるめる事は工夫次第。
なんとかその工夫を考え出したいものだ。

「機械化が 農村人口 減らしたか」
「機械化は 農村人口 減ったため」
「進歩とは 何か犠牲の 上に立つ」
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Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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