1390 市民主義2

思ったのだが主権在民という意味は権威権力が国民にあるとするものだ。
憲法前文には国民ということばが11回使われている。
その内、ただ「国民」と表してあるのが6。
「日本国民」とあるのが3。
「諸国民」とあるのが2である。
戦後まだない頃、やはりまだ「くに」という概念が残っていた。
その中の「たみ」が「こくみん・国民」であったのだ。
主権在民に異論がないが、戦後時の政府がやってきたことはやはり「国」を意識あるいは前面にだして来たのではなかったか。
そしてそれの行き過ぎたのがABのやってきたこと。
国民よりも「国・国家」である。
しかし、表向きは国民の為という。
「国」を意識するから変なことになる。
そして相変わらず「経済」第一。
そのくせ、格差は解消せず。
実体は1%の経済のためにしかなっていない。
ここで「国民」を脱しよう。
市民になるのだ。
「主権在市民」
我らは地球の市民であり、世界市民であり、いいたくないけどニポン市民。
地球国民とはいわないし、世界国民ともいわない。
そして何処かの県市民であり、地元の市民であるのだ。
時には田舎市民だ。
と思った次第。以上
「これからは 市民になるよ 天の声」
「生まれつき 地球市民だ もともとは」
「愛国心 消えて亡くなれ 地球から」
「国・意識 捨てれば世界 平和なる」
「グローバル いうなら捨てよ 国意識」0104
「今しばし しばしと被る ふとん哉」一茶
「一人居や 思ふ事なき 三ケ日」漱石
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田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
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