1427 馥郁タル火夫

s-水牛

「間断なく祝福せよ楓の樹にのぼらんとする水牛を!」
これのどこが面白いか。
先ず全体的に、現実的にあり得ない情景である。
それがシュールなのであるが。
「間断なく」という言葉はそれはそれでいいのだが「祝福せよ」にかかっていると可笑しい。
つまり「間断なく」と「祝福する」という殆どくっつけて使用されないフレーズがくっつけられているところが可笑しくて新鮮な感じがするのだ。
西脇は近いものを離らかし、遠いものを結びつけると詩的になるといっているのだがまさにそれである。
遠い関係のものをくっつけているのだ。
さらに祝福する相手が水牛である。
これも遠い関係のものをくっつけている。
水牛を祝福することなどまずないといっていい。
そして樹に登る水牛、これも遠い関係であり殆どあり得ない光景である。
樹は樹でも楓の樹であるが、この具体的樹木名がさらに現実感をもちながら全体にシュールな感じを鮮やかにする。
「のぼらんとする」だからまだ登ってはいないのだが、その登ろうとしている一瞬を切り取ったところも鮮やか。
かくして、遠い関係がいくつも重なってこの詩を作っている。
そして倒置法を用いた詩の流れ。
これは日本語では倒置法だが、英語などでは命令文だから語順は大体このままとなる。
・・・・と、この1行だけの面白さおかしさシュールさを読み解くとこんな感じになるのだろうか。
そういえばブタもおだてりゃ木に登るということわざがあったが、あれも連想するな。
シュールなことわざだ。
写真は見づらいが「馥郁タル火夫」の部分。
この真ん中当たりに「間断なく・・・」が出てくる。
文頭は
「ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限の消滅に急ぐ」
であるが、初めからシュールさ満開、全開である。
莢豆は「さやまめ」と読む。と思う。
「シュールさが 馥郁として 目にささる」
「おかしさは 超現実に 現れる」0210
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
welcome
検索フォーム
リンク