131003 道徳的な敏感さ

今日は社会教育に関わる大会であるところへいく。
開会式でヒノキミだった。
いきなり歌わせられる。
何故歌うのか分からないし、いわば強制的にやることの不条理に憤激。
沖縄出身の歌手は指揮と歌までやらされて多分いい気分はしなかっただろう。
しかし結構大きな声で歌っていた。
一番辟易とするはずのうちなんちゅーがなんちゅーこっちゃ。
営業だから仕方がないのだろうか。
歌についてはやはり主催者側の配慮不足の感が否めない。
その後彼が歌を交えながら講演をしたのだが、なかなかいいことはいうが、先の態度からすると素直になれないワシがいた。

「世界」9で佐藤健生氏が言うには、戦後の日本とドイツの過去への向き合い方で最も違いを感じるのはセンシビリティの問題であると。
ドイツではそれを「道徳的な敏感さ」という言葉で表現されると。
ドイツと日本を比べるとドイツの方がかなり強くそれを持っていると。
たとえばドイツが過去において加害の対象であった国でどう振る舞うべきか、自分の行動を相手はどう受け止めるのかを想像した上で行動しなければならないと。
たとえばワルシャワの混雑した市電の中で子どもたちを連れたドイツ人の女性教師が、「降りなさい、早く、早く。」と大声で叫んでいるのをワルシャワ市民が眉をひそめていたと。
つまり、過去において、ユダヤ人を連れてきて早く降りろと言っていたことを思い出させる言葉なのである。
日本の若者が韓国のオモニから日本語で説明を聞いた後、「日本語がお上手ですね、どこで習ったのですか」という質問をした。
彼は日本がかつて統治した時代の皇民化教育を知っていれば発することのできない質問であると。
このような「道徳的な敏感さ」は政治家のみならず一般市民も持っていなければならないものであると。
特に若い世代は過去のことは過去の人の責任だとするのでなく、歴史をきちんと学び「知る」ことが責任だと述べている。

いきなりのヒノキミには辟易したが、いまだに問題だと感じている人もいるのだと想像するセンシビリティがほしかった。
のである。
でも今や当たり前のようになっているこの悪しき慣習をうち破るのは困難である。
しかし人知れずとも不条理を感じる心だけは失いたくない。
と思う。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
welcome
検索フォーム
リンク