131015 染みついた本質

昨日書いた五木寛之の「生きる事は面白い」の中に新美南吉の「手袋を買いに」の事が出てくる。
五木寛之流の感想である。
はしょってあらすじをいうと。
雪の降る寒いときに母親狐が子狐に手袋を買ってやろうと思って町へ行くのだが、途中で昔人間から怖い目に遭わされたことを思い出し、子狐だけに買いに行かせるのである。
子狐は誤って母親が人間の手に変えてくれた方でなくて、狐の手の方を差し出してしまい店主に狐であることを見破られるが、店主は銅貨が本物であるので子狐に手袋を売ってやる。
帰ってきた子狐は、人間は怖くないという。
それを聞いた母狐は、ほんとに人間はいいものかしらとつぶやく。

どうしてそんな怖い人間のところへ母狐は子狐を一人で行かせたのか、とか、
どうして片方だけでなく両方の手を人間の手に変えてやらなかったのか、とか
お金が木の葉だったらどうなっていただろうか、とか
作者の意図を離れて問題視する人がいて?前は教科書教材として有名な作品だったが、このごろははずされているらしい。

で、それはともかく五木寛之氏は別の観点を指摘する。
それも又作者の意図をはずれるものであろうが。
売ってくれた店主の本質に現代資本主義の根深い人間疎外が透けて見える気がすると、いう。
それはひねくれた感じ方だと承知した上での感想だと断っているが。
つまり店主は子狐が銅貨を持っていなかったら売ってくれたのだろうか、
あるいは木の葉の偽物だったらどうしたのだろうかと。
そのことの中に、つまり店主の優しさの背後に、近現代に生きる私たち人間の本質が見え隠れするというのだ。
それは、金を出せばモノを売る、という本質であると。
資本主義的人間の本質を鋭く映し出していると。
金なんか無くても売ってやる、
金が偽であっても売ってやるという優しさから離れて金がまず第一であるわけだ。
新美南吉はそのことを無意識的に表現してしまったというわけだ。
で、五木さんは現代の資本主義的人間の「金」さへあればという例で、
パレスチナとイスラエルの両方に武器を売る者を例として出している。
両方に武器を売るやつって誰だ?
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田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
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