131207 嵐の夜に

おぼっちゃ魔くんは今朝になって目覚めたら官邸の周りが静かだったので、嵐が過ぎ去ったようだったといったそうだが、夕べはまさに嵐の夜だった。
官邸の周りのデモ隊の反対の声を嵐と比喩したのだろうが、実はとんでもない、国会の周辺のみならず内部が嵐だったとこちらは見る。
こんな大嵐は滅多になかった。
ジエータイのイラク派遣やらPKOやアフガンの時もだったが嵐は国会のうちそとに吹いた。
今回の嵐は収まるどころかさらに大きく吹きすさぶこととなろう。
嵐の元を作ったのはおぼっちゃ魔君なのに分かっていない。

「嵐の夜に」というお話の本があった。
嵐の夜にオオカミと山羊が真っ暗な小屋の中で遭遇するが暗くて見えないので話し合いをしながら、仲良くなっていき助け合っていくというような話だった。
(記憶が薄れているため上の説明に自信がないが)
弱肉強食に反して仲良くなるという展開が意外であり新鮮であり感動的でもあったのだが、人間の現実を揶揄しているようでもあった。
強いオオカミが弱い小山羊に対して優しさを見せたり、助けたり、涙を流したりするのは新鮮である。
だからこその感動を与えてくれたのだろうが、現実はなおも酷な状況が続いている。
国会や政府の現状もまさしく弱肉強食的である。
数をひけらかして少数を蹴散らかしていく様はやさしさのかけらもない。
弱者を大切にすると言う強者としての矜持・プライドもない。
血が通っていない冷血漢である。
オオカミはオオカミでもそういう目覚めたオオカミになるのが、正統な政治家だろう。
とにかくおぼっちゃ魔君は外の声をうるさい騒音としか感じることができない三流の政治家である。
しんすけじいじは声なき声は味方の声であるようなことを言ったそうだが、三流の政治家の悔し紛れの言いぐさである。
三流の政治家の伝統をまさに引き継いだ世襲論外おぼっちゃ魔君である。
おぼっちゃ魔君のニックネーム、また一つ加えよう。
三流嵐君にしよう。
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Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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