140116 自発的隷従論

夜、また、社会科学の講座に行ってきた。
今回はフランス革命と日本の幕末・明治維新について。
講師先生の話は講談を聞いているようで飽きない。
フランス革命についても明治維新にしてもその後のありようについて「こんなはずじゃなかった」という気分になるような革命であったといわれる。
それは、起こした側からの思いであるが。
勝・西郷会談による江戸城無血開城がなったのは江戸を取り巻く地域の農民の力がそうさせたという説にはうんと納得。
また資本主義の発展における労働者の労働時間短縮の闘争は非常に重大なことであるということも是非胸に刻んでおいてほしいという訴えにも納得。
で、王制やらナポレオンの話と次に書く自発的隷従ということが少しつながって聞けた。
 
エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(1530-63)というフランスの法官が書いたという「自発的隷従論」を読む。
作者16才頃の作とある。
別題は「反一者論」で政治哲学の古典とされつつあるとされる。
自由が人間の本性と認め国家における一者支配の弊害を説く論文とされ、歴史の節目節目に注目、援用、引用、言及されてきた。
ちくま学芸文庫のこの文庫本にはシモーヌ・ヴェイユのスターリニズム批判の論文として引用、掲載されている。ほかにも一人。
翻訳者、山上浩嗣氏による解題に沿ってラ・ボエシの中心論点を読み解くと次のようになる。
①人間の本性としての自由について。
ボエシは人間の本性は生まれつきのものと習慣化によって本性になるものがあると見る。
どちらかというとこの習慣が大きいという。
そしてこの習慣が自発的隷従の原因であるという。
つまり人間が自発的に隷従するのは、生まれつき隷従していてしかも隷従するようにしつけられているからだとする。
隷従に抵抗するのは生まれつきの本性である自由からであるが、自発的な隷従に至るのは習慣という本性なのである。
②③と次に続く。
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