140117 自発的隷従論2

昨日の①について自分で読んでもわかりにくいので再度書き直してみる。
人間の本性には二通りある。
一つは生まれながらにしてもっているもの。
それは人間は生まれつき自由であるという本性。
そしてもう一つは習慣によって生まれる本性。
それでこの習慣によって生まれる隷従が怖いといっている。
すなわち父母等がすでに隷従の習慣を持っているとき、生まれた子も習慣によって隷従するようになってしまうという。
元々の本性である自由は、隷従という習慣によって小さくなってしまうというのだ。
先天的には自由だが後天的に隷従の罠にはまってしまうということだろう。
では次ぎ。
②一者による支配の構造的悪
支配者はいったんその地位につくと自由への志向を停止・喪失する。
そして自らの横暴を生まれつきの権限のように錯覚する。
民衆も隷従が自然と取り違える。
このような政治状態のとき、支配者と臣民は共に自然状態から離反している。
支配者は、あるものは選挙によって、あるものは武力によって、そしてあるものは家系の相続によって支配者となる。
ボエシは民主的に選挙で選ばれた者が一番最悪であるという。
そして圧制者はいかにして多数の人間を手なづけ隷従させるかというと、
一つは遊ばせるということ(遊戯)、具体的にはいわゆる飲む・打つ・買うの公共的空間を作り遊ばせる。
第二は口の快楽(饗応)でうまい物を飲ませ食わせ手なづける。
そして第三は誉め称える(称号)で何かのえらい役を与えて手なづけるというわけである。
これが服従から隷従へと臣下を導く手法であったという。
ニッポンや北ではおばかな人物が世襲みたいな感じで権力についているがまさに生まれつき支配するということが本性であると思っているのじゃないか。
それはボエシのいうとおり錯覚である。
選挙で選ばれたといっても正当な選挙ではない事が分かっていないのだろう。
だからたちが悪いのだ。
次ぎ③はまた続き。
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田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
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