339 ハンナ・アーレント2

それによると彼女は彼アイヒマンを「悪の凡庸」banality of evilという言葉で見る。
アイヒマンは根っからの悪人という風には見ないで、彼は単なる普通の人、それがなんの疑いも持たずに役人として上からの命令に沿っただけで何百万というユダヤ人を殺してしまったという罪深いことに手を染めてしまった。
のであるという風にみたのだ。
つまりアイヒマンは普通の人であって何の考えや哲学も持たないでいたということ、それを悪の凡庸あるいは悪の陳腐とよんだのである。
アイヒマンは単なるちんけな野郎だったといったのである。
バッシングを受けたのは、アイヒマンを極悪非道な人物でなく単なる普通の人だったと言ったことより、迫害されたユダヤ人の中にもナチに荷担するような指導者がいたということを言ったからである。
そのバッシングは直接間接に彼女の手元に届き、大学からも追放されそうになる。
映画の終盤で大学から追放されそうになったとき、満場の講義室に置いて彼女が自分の考えを述べるところがある。
圧巻の演説であった。
人間は考えることによって人間らしさを身につけるのだ。
このことが彼女が一番言いたかったことだと言えよう。
哲学者らしい言葉である。
アイヒマンはただ従っただけで考えるという行為をしなかったから人間性に欠けると、だからあのような悲劇を起こしてしまったのだ。
自発的隷従という観点から考えるとまさしくこれも独裁が大手を振っているときの自発的隷従による結果としての悲劇である。
考えるということはただ思考するのでなく深く思考するということである。
その中には疑ってかかるということもあるだろう。
理論を突き詰めたり、想像力を働かせるということもそうだろう。
ただ命令に従って大勢のユダヤ人を収容所に送っていた人物にはそれが欠けていたのである。
考えることにとって人間性を保ち続けるというのはハイデガーの教えにもあったのだが、ハンナはそれを実行したに過ぎない。
彼女のアイヒマンレポートの真意は最後までもっとも身近な関係者である彼女の夫には理解されなかった。
それが悲劇といえば悲劇である。続く
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田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
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