381 右と左

作家の中でも右や左があって主張がある。
鮮明にしない人もいるが逆に鮮明にする人もいる。
左派の人は置くとして、右派の人は鮮明にしたらあくまで鮮明である。
初めから右か左の一つの人もいるが、右から左へ行く人とか逆に左から右へ行く人もいる。
いわゆる転向。
そんな一人に長部日出雄がいる。
左から右である。
オール讀物2では、あの「永遠の0」をべた誉めしていた。
そして、○○の一般参賀についてどうのこうのと書いていた。
近頃は○○に傾倒しているらしいのだ。
オール讀物では彼は映画に関わる連載をしているのだが、3月号では「小さいおうち」を誉めそやしていた。
彼のアンテナでは「小さいおうち」は、左も右も引っかからなかったらしい。
それはそれで結構なことだし、あの映画は左がかっているとか右がかっているという見方はできないものかも知れないし、実際そのようである。と思う。
そして彼はこのような見方をする。少し抜粋。
「・・・戦前は決して暗いだけの時代ではなく、多くの人が結構のんびりと構えていたのに、何時の間にか突如として戦争が始まり、惨憺たる悲劇の時代へ突入してしまったのだ。この映画は、かつての誤謬を繰り返さないための示唆が随所に鏤められていて、、前車の轍を踏まないために、今のわれわれがもっと敏感になり、より深く考えなければならないことが数多くあることを静かに伝える。・・・」
ここを読むと、しごくもっともな感想、見方でありうなづくことができる。
そこには右も左も感じないたぶん普通の感じ方が述べられている。
べた誉めした「永遠の0」は、うがった見方をすれば右派の喜びそうな戦争を賛美とは行かないまでも否定しきっていないところがあったのじゃないか。
それに対して「小さいおうち」は、彼も言うように、時代に対して敏感になり深く考えなければならない、それは戦争にならないようにするためである。
とすれば彼の鮮明にしたはずの右は少しおかしいのじゃないか。
と思ったけふこの頃だった。
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田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
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