383 弛緩と緊張

昔、若かった頃、この年度末の5日間くらいは、一種の脱力感と解放感に満たされていた。
身体中から力が抜けていき、ふわふわと身体が浮いているような感じだった。
1年間の仕事という緊張感から解き放たれた時間だったのである。
あの数日間が一番自分らしさを取り戻したような日々でもあったような気がする。
と共に一種のブルーな気持ちにもなった。
今は年度末といってもそんな日々は持てない。
そういう気持ちになったのは、自分が何かに働きかけて働いているという対象があったからであり、その働きかける何かの喪失ということで解放感やブルーな気持ちが生まれたのであろうと思う。
自分の場合その対象物とは子どもであった。
あるいは学級という集団であった。
大きなスパンで見れば、現役を退いた後の今の時間は年度末と同じであるが、脱力感も解放感もない。
退職した1年ぐらいはあったかも知れないが今は慣れてしまって格別の感慨はないのだ。
やはり対象物がないからであろう。
田んぼや畑や、地区の役ぐらいでは対象が全然ちがうのだ。
でも、弛緩と緊張はやはり人間の成長にとって大切なものであると思う。
年度末という期間限定でなく、日々の暮らしの中でそういう繰り返しはないことはないがやはり現役の頃と比べるとその重みというか身体に感じる気分の大きさや質感はだいぶん違っている。
仕事はするがほどほどにして、趣味や好きなことを通して弛緩や緊張を味わっていきたい。
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Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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