419 凡庸

第2次大戦以後の虐殺の歴史は、われわれの目に見える具体的な例としてあげるといくつもある。
アウシュビッツ、カンボジア、ルワンダ、アフガン、イラク、イランなどがあげられる。
それ以前にも勿論あった。
ルワンダのフツ族によるツチ族の虐殺については、なたをふるう悲惨な光景を見た。
しかしインドネシアの殺戮はおおやけに現れることはなかったが、ここに来て分かってきたみたいである。
「アクト・オブ・キリング」の監督は、当時殺人にかかわった人々へのインタビューで映画を作ろうとした。
インタビューに参加した人たちはみな罪の意識もなくむしろ自慢気にまた誇らしげにその経験を語ったという。
権力は「あれは正しいことだった。」という。
それで罪にも問われない。
いわゆる共産党狩りである。
中にはその殺戮の方法を実演?して見せてくれたりする人もいた。
今は家族もあり、よきおじいちゃんとして暮らしている。
アウシュビッツ裁判のアイヒマンを思い出した。
ハンナ・アーレントの言う悪の凡庸をまるで地で行く。
普通の人が何の罪の意識もなく殺人をおかしてしまうということ。
監督はその人たちに映画の中でインタビューした映像を見させる。
すると彼は涙を見せる。
政府の用意した言い訳を嘘だと感じるようになったのだ。
よき隣人でもあった人をためらいもなく殺したことへの罪の意識の芽生えである。
政府は殺人者達に大量のアルコールを与えた。
酩酊状態で人を殺させたのだ。
そうしなければ殺人はできなかったのだ。
インドネシア社会ではまだこの恐怖は続いている。
この問題に触れることさえできない。
監督は再びインドネシアにいけないと言う。
行ったら無事に帰れないかも知れないから。
カンボジアのポルポト政権の虐殺も不気味だったが、インドネシアも不気味である。
いずれにしても殺人が正義であり、正当化されることなどはあってはならない。
しかし現実はまだまだ厳しい。
おぼっちゃ魔達のやっていることは殺人の正当化への道なのだろう。
多分自分では気づいていないだろうが、罪は重い。
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Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
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