515 鹿門

台風11号、この辺は3時過ぎから風雨強まる。
稲が倒れないかと心配だった。
さて昨日、西脇順三郎は最高だと言ったが、それは個人の感想であって万人がそう思うわけでもない。
芸術はみんなそうである。
西脇の詩は分かりづらいという人もいる。
詩をよく知っている人でもそうである。
しかし、いったんそのおもしろさが分かるとはまってしまうのだ。
自分の場合は昨日書いたようにある詩の一節を読んでがーんと来たのだ。
それ以後書かれる詩を全部読むようにしていた。
老境に入っていた詩人であったが、その晩年の詩を同時代的にリアルタイムで共有出来たことは嬉しいことだった。
西脇のファンは結構いるみたいでツイッターで西脇の詩や随筆の1フレーズを頻繁に投稿する人もいる。
「西脇順三郎bot」というサイトである。
この頃投稿された中から二つ拾ってみる。
・「ああ遠くつるのなく音に 旅人はふるえる ふるさとへの永遠の回帰か」(鹿門「元旦」)
・ちょうど二時三分におばあさんはせきをした ゴッホ (鹿門「海の微風」)
どちらも「鹿門」(ろくもん)という詩集からのものである。
一つ目は全体の感じが非常に西脇的である。
永遠という言葉は室生犀星だったかが、俺はもうその言葉は使わない、といったのを揶揄ってそれなら俺が拾って使おうといってやたら使っている言葉だ。
「ふるえる」と「ふるさと」と「ふる」という韻が踏んであるのは偶然かも知れないが面白い。
二つ目は、非常にありふれた文だが「二時三分」が面白いし、それが「ちょうど」という言葉と一緒に使われていること、それに「ゴッホ」が画家の名前を使っているところが面白い。
などと、詩の面白さが、普通?の詩と違っているところが面白い。
と自分では思うのだ。
この「鹿門」という詩集は自分が初めて手に入れた西脇の詩集だった。
晩年の最後から二つ目の詩集である。
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Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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