572 積極的平和論

雑誌「世界」に掲載された憲法にかかわる論文を集めた「世界」憲法論文選1946-2005という大部の本がある。
その最後のところで、1991年の5月号後に載ったものであるが、「いまこそ積極的平和論を」という題で鯨岡兵輔と隅谷三喜男の対談が載っている。
これは「積極的平和主義」と似ているが全然違うといってもいいだろう。
鯨岡氏はその中で「あの憲法前文の精神、憲法第九条の精神というものを確立していく必要があると思う。」と述べている。
「日本はアジア全体の繁栄の中にいるべきであり、日本の平和はアジアの平和の中に道を求めるべきであった。アジアを忘れてアメリカ追随の道をとってきたことは一つの大きな誤りだった」とも述べている。
1991年といえばハメリカが湾岸戦争でイラクと戦ったときである。
日本はそのとき何もしないのでハメリカが業をにやし金を出させた。
90億ドルだった。
そしてその時からだんだんと自衛隊の海外派遣が進むようになる。
それと積極的平和論と重ねると、いかにも9条をないがしろにして戦争容認のような感じを受けるがそうではない。
彼らがいうのは武力で物を言うのではなく、アジアの国々に対して対等平等にハメリカの思惑などなしで話し合うことが出来るようにすることが積極的平和だというのだ。
これまでは日本だけが小さく平和国家として生きていけばよかったが、経済的に大国化してくると政治的にも責任をとらざるを得なくなる。
その時に守りの姿勢だけで平和を考えているから、自衛隊を出すものかどうかというようなぐらついた平和思想となってしまう。
だから今一度憲法の精神に立ち返り、積極的な平和の思想を確立したいというわけだ。
一歩間違えばだから自衛隊を海外に出せるようにするべきだ。
あるいは、日本も軍隊を持つべきだ。
となるのであるが、二人がいうにはそうではなくて、憲法の精神、九条の精神に帰れといっているのだ。
平和思想がぐらつくにはやはり九条の精神を確固として自分の中に持たないからだ。
ということである。
だから政治家ばかりでなく国民の側にも反省すべき点はあるといっている。
隅谷は、「日本の姿勢を変える日本的な柱の一つは、人間としてのあり方において経済を越えた幅をもち、社会的にももう少し幅をもって世界を見る、そういう姿勢をもつことだ」という。
そうならないと積極的平和論は築かれない。と。
だから経済を優先するいまの積極的平和主義とは違う。
「金より命」と、「命より金」の違いである。
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