659 文

夕べのお文は末代無智を読んだ。
新年の今日は白骨のお文を読んだ。
今年の文(ふみ)始めである。
人間はみな死ぬものだ。
明日かもしれない。
今日かもしれない。
年寄りばかりとは限らない。
若い者だって今日かもしれない。
命とはそういうものだ。
さらに敷衍していえば、富めるものも貧しいものも死はやってくる。
王様だって家来だって死は免れない。
ということだ。
だから命のある限りその生を全うしなさい。
と蓮如は言ったのだ。
と思う。
文といえばこのブログも文になるか。
今年も生ある限りこのブログも続けられるようにしたい。
書くということはなかなかこれでパワーがいる。
パワーとは根気ばかりでなく頭脳力というか思考力というか頭のパワーだ。
ずっと書いてきて、この書くという行為は、「自分・己・おのれ」の深いところに影響を及ぼす、のではないかと感じるようになった。
及ぼしたりそこから出てきたりするような感覚である。
ぼけ防止とは関係ないように思う。
言葉を忘れることはずっと前から続いている。
ある程度おのれの深層部分に崩れが見られるかも知れないが、それとぼけとはあまり関係ないような気がするのだ。
まあそれはともかく、今年は状況が根底から変わるようなことがあっても己の深層部分はそれに動じることなく確固としておりたい。
新年における信念を述べてみた。
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Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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