929 詩を読む

この詩「父」は吉野弘の代表作「I was born」に続く詩である。
「生まれる」が何故受動態であるかと分かった瞬間のことを詩にした。
その詩は長いので引用はしないが、なるほどと思った詩であった。
その詩に続く「父」。
この世に生まれ出た自分は、生まれさせられた。
誰によって。
両親、すなわち父と母。
生まれさせられたのは、父と母の性の営みによって。
それを父に問うこともせず、子どもは耐えつづける。
父は「きびしく」無視される。
父と母の営みだが、父の射精がなければ生まれ得ない。
父に問うことは突き詰めれば「射精」を問うことになる。
それは問えないので耐えることになる。
そして「きびしく」無視されるのだ。
父は耐えるしかない。
子どもが自分の生を引き受けると決意するときも、父は「やさしく」避けられるのだ。
父の射精が分かったのだが、いずれ自分にもそういうときが来ることを感じて「やさしく」避けるのだ。
父はその「やさしさ」にも耐えることになる。
その「やさしさ」は子が悟ったという事実についてこちらが説明を省けるという「やさしさ」である。
「きびしく」と「やさしく」。
父の性への問われ方である。
父の所為(性)で俺は生まれさせられた。
という「きびしさ」。
と、
父の所為(性)で生まれさせられた。
という「やさしさ」。
「きびしさ」から「やさしさ」へ変わるのは、成長があるから。
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Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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