1849 年金問題

年金ってそういえば2ヶ月に1度の支給だな。
これまでそうなんだと思うだけで不思議に思わなかった。
でも現役の頃は給料賃金は月に一度必ずだったしそれも不思議も思わず当たり前としてきた。
というところで年金を考えてみると2ヶ月に一度というのはおかしいといえばおかしい。
今日もらった資料でそれを見てその通りだと思った。
年金も月一にするべきである。
そのように今運動が進められている。
はじめは3ヶ月に一度だったらしいが、それが2ヶ月に一度になったのが1989年から。
もう30年もたっている。
毎月支給の国はアメリカ、カナダ、スイス、フランス、ドイツ、ポルトガル。
隔週がニュージーランド。
なんと毎週支給がイギリスだそうだ。
現役が1ヶ月に一度の支給なら年金者だって1ヶ月に1度だ。
年金については減らされているしいろいろ問題はある。
これについても関心を持って問題なところは改善すべく運動が大切だと思った次第である。
にしても自分はあと何回支給されるのだろう。

「ひと月に 一度は寄こせ 年金を」
「ひと月に 一度は支給 年金を」
「年金は いのちの綱だ 延ばすなよ」0412

1847 川柳会4月

100以上作った中から選んだ作品を提出するのだが、相変わらずくずばかり。
選んだものも今月はくずばかりだが仕方がないので出した。
その日その日の日記を読むと何かしら分かる句なのであるが、取り出して後から眺めると何のことか分からないものが多い。

この中から一つだけ選ぶとすると、これ。
「天然と 無恥が後ろで 舌を出す」

「凡庸な 悪で片付かぬ 悪がある」
「あざむいて 国会続けた 罪重い」
「この1年 振り回し続けて 五千万」
「天然と 無恥が後ろで 舌を出す」
「ねをつけて 疑惑を晴らす 応援団」
「一強が 政治不信の 元凶だ」
「あまたある あるのは疑惑 ばかりなり」
「政権の 中枢腐れば ほか腐る」
「在るものを 無いというのは やはり嘘」
「この頃は 無いもの在った 常のこと」
「嘘つきが 嘘をつくなと 説く倫理」
「道徳を 語るやつほど 徳がない」
「そのねじれ やめてほしいな 意味不明」
「先人の 心に寄せて 民主主義」
「先人の 心に戻れ 民主主義」
「先人の 怒り聞こえる 民主主義」
「権力に 迎合します 生きるため」
「権力に 迎合したら 死にますよ」

1843 雨降って

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やっと雨が降って花粉が地に落ちた。
霞んでいた空もすっきりするだろう。
我が眼もかゆみがだいぶん楽になった。
1日おきくらいに雨が降らないかしらと思う今日この頃。
風邪の薬は後1日。
これで治しきりたいが、まだ咳が出るし痰も出る。
風呂も3日ほど入っていないので体が気持ち悪い。
特に頭がかゆくなって困る。

今日は頼んでいたCD2枚が来たのでiPodに入れた。
ほんとはちゃんとしたオーディオ装置で聴きたいところだが装置のある部屋は寒いのでやめた。
テレマンのコンチェルトのCDとベートーベンの管楽器を生かした作品など。
演奏はイル・ガルデリーノ。
試聴感想はまたあとで。

「今頃に なって出てきた 怪文書」
「国会を 愚弄するにも ほどがある」
「無いものが 出てきた責任 私じゃない」
「文書より 問題知らずが 驚きだ」0406

1841 忘却

かかりつけの医者に行こうと思ったら今日は休診日だった。
ついてない。
咳をすると頭の先にずんと響いて痛い。
パ*ロンを夕食後に飲もうと思って忘れて8時頃飲んだ。
ような気がするが飲んだか飲まなかったか記憶が飛んでいる。
また飲むと2回分飲んだことになるのでやめておいた。
こういう記憶飛びがこの頃頻繁に起きる。
特殊な記憶忘れの人がいて、常に自分の行動を記録しながら生活している人をテレビでやったことがあるがあれに近いかも。

「ここへ来て 何しに来たか 忘れてる」
「もう一度 戻ってそこで 考える」
「今ここで 言おうとしたこと 何だっけ」
「細胞の こわれいく音 聞こえてる」
「だらだらと 細胞落とし 歩く我」
「忘却が 進んでもある 亜米倒す」0404

1831 いのちの歌

今日は小学校の卒業式。
一人が旅立つ。
全校5人、来年度で閉校予定の学校。
「いのちの歌」という歌を歌ってくれた。
「生きていくことの意味 問いかけるそのたびに
胸をよぎる愛しい人々のあたたかさ
・・・・・」
という小学生にはちょと難しいと思われる歌詞ながら育ってしまった大人にはぐっとくる歌詞だった。
しかし、曲の流れは覚えるのも難しそうだがよく覚えたものだった。

そういえばというか今日はわがバースデイだった。
FBにメッセージが届いた。
この年齢になってこ恥ずかしい限りだが感謝を述べたい。
リタイア後10年がたった。
ということは満で60と10歳ということだ。
もう人生の下り坂をだいぶん来たということだ。
しかしポジティブにいうならば、60歳からが第2の人生でホップである。
10年を区切りとして70歳からはステップ、そして第3の人生である。
下り坂とはいえステップとするのである。
そのステップ、どうするかというとこの10年でホップしてきたことをさらに高みに持って行くことである。
と、だいぶん力んでみたが力まないステップで行きたい。
ぼちぼちのステップである。
よろよろでもなくよぼよぼでもない、ぼちぼちステップ。
何せ腰は痛いし、足も痛いし、耳は遠くなったし、目も悪いしかゆいし、体の衰えは急速である。
ホントはもう何にもコミットせず一人静かに悠々自適で行きたいところであるが、身に降りかかる火の粉が何とも許せない状況であるからには、それらにコミットせざるを得ないと腹を決めたのだ。
ということで爺は軽やかにとは行かないがゆるゆると激しくステップするつもりである。
目指せ80歳。

「第3の 人生向かい ステップする」
「生きる意味 問いつつ向かう ポジティブに」
「ぼちぼちと 行くぞステップ 俺なりに」
「こんなこと 考えている 70歳」0323
プロフィール

Author:JAZZY
田舎親爺のつれづれ日記。記憶を記録に、記録を記憶に。
Jazz大好き、クラシックも大好き。
JAZZYは邪爺ことよこしまなじじい。
生き馬の目を抜くような世の中、ちょっと立ち止まりしゃがんでみよう。そして斜眼で見える世相を書いてみたい。

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